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50話とある日の特訓(番外編)


 滝を見に行った、その翌日のことだった。


「――というわけで、貴殿に、多少なりとも力の使い方を教えてやろうと思う」


 朝食の席で、要が唐突にそう切り出した。箸を止めた叶は、思わず要の顔をまじまじと見つめる。


「急に、どうしたんだ?」


「どうしたも何も、あの体たらくを見せられた後だ。次に何かあった時、貴殿が完全に無力なままというのは、いささか危うい」


 言われてみれば、確かにその通りだった。あの神との戦いで、自分はただ立ち尽くすことしかできなかった。ラヴィが命懸けで戦っている間、指をくわえて見ているだけの自分に、内心忸怩たるものがあったのは事実だ。


「教えてもらえるのは、ありがたいけど……そんなに簡単なものなのか?」


「無論、一朝一夕で会得できるものではない。だが、基礎の基礎、力の在り処に意識を向ける手順くらいならば、多少の勘所を掴めるやもしれん」


 要は、そう言うと、朝食もそこそこに立ち上がった。


「善は急げだ。宿の裏手に、ちょうど良い開けた場所がある。付いてこい」


  *


「まず、目を閉じろ」


 案内された裏庭で、要は開口一番、そう指示を出した。叶は言われるがまま、その場に立ったまま目を閉じる。


「意識を、外へ向けるのではなく、内へ向けるのだ。呼吸に合わせて、腹の底に沈めていくイメージだ」


「……これで、合ってるのか?」


「まだ何も感じずとも良い。まずは、雑念を払うことに集中しろ」


 言われた通り、意識を腹の底に沈めていく。だが、数分もしないうちに、頭の中には次々と余計な考えが浮かんでは消えていった。今日の夕飯は何だろうとか、ラヴィが今頃何をしているだろうとか、明らかに集中を欠いた雑念ばかりだ。


「――貴殿、今、何を考えている」


「うっ……なんで分かるんだ」


「顔に出ておる。もっと真剣にやれ」


 容赦のない一言に、叶は慌てて姿勢を正した。


  *


 それから、小一時間ほど、同じような問答が繰り返された。目を閉じ、呼吸を整え、意識を沈める。だが、フェスタの日やあの神社での一件のような、確かな熱を感じることは一度もなかった。


 途中、あまりに集中できない叶を見かねてか、要は「呼吸のリズムを整えるだけでも違う」と言って、数を数える方法を提案してくれた。四つ数えて吸い、四つ止め、四つ吐く。それを繰り返すうちに、多少は雑念も減ってきた気がしたが、それでも肝心の「熱」は一向に現れない。


「……なあ、そもそも、これ本当に効果あるのか?」


「ある。すぐに結果が出ぬからといって、無駄と決めつけるのは早計だ。……もっとも、貴殿の集中力の無さも、一因ではあろうがな」


「うっ」


 図星を突かれ、叶は言葉に詰まる。ラヴィが、少し離れた木陰から、二人の様子をのんびりと眺めていた。まるで「頑張れ」とでも言いたげな、気の抜けた鳴き声が時折聞こえてくる。


「……ダメだ。全然、何も感じない」


 肩を落として呟くと、要は顎に手を当て、考え込むような仕草を見せた。


「うむ……。恐らくだが、貴殿の場合、力そのものは確かに宿っておる。だが、その扉を開く鍵が、通常の術者とは根本的に異なるのやもしれん」


「鍵が違う、とは?」


「我々の力は、鍛錬と精神統一の果てに、己の意思で引き出すものだ。だが、貴殿の力は、恐らく――」


 要は、そこで言葉を切り、じっと叶を見つめた。


「感情、だ。あの祭りの日も、神との一件も、貴殿の力が発現した瞬間には、必ず強い感情の昂りがあった。貴殿の力は、理性で制御するものではなく、心が動いた先に、自然と溢れ出すものなのやもしれん」


 その言葉に、叶ははっとする。確かに、思い返せば、いつも「誰かを助けたい」という切実な想いが先にあった。


「それに、もう一つ」


 要は、考え込むように腕を組んだ。


「貴殿の力は、恐らく攻性の術とは性質が異なる。炎を放つ、雷を纏う、といった類のものではなく、概念としては、身体能力の強化に近いのではないか。」


「身体能力強化、か……」


 言われてみれば、腑に落ちる部分は多かった。あの瞬間、何かを飛ばしたり、燃やしたりしたわけではない。ただ、自分の、あるいはラヴィの、内側にある力そのものが、限界を超えて引き出されただけだ。


「じゃあ、俺には、狙って使うことは無理だってことか?」


「そうとも言い切れん。感情の昂りを、意図的に呼び起こすことができれば、話は別だ。……もっとも、それが容易な道とは言えぬがな」


「試しに、やってみるか」


 叶は、そう言うと、再び目を閉じた。感情を昂らせる――言うは易しだが、いざとなると、何を思い浮かべればいいのか、まるで見当がつかない。


 まずは、ラヴィが窮地に陥る場面を想像してみる。だが、あまりにも現実味がなさすぎて、逆に冷静になってしまった。


「……ダメだ、今度は逆に、変な想像しちまって集中が切れる」


「次だ。何か、他に心を動かされるものはないのか」


「じゃあ、その……推しの尊さについて考える、とか」


 要が眉を上げる。叶は構わず、脳裏にクリム様の在りし日の姿――ステージの上で優雅に微笑む姿、リスナーの相談に真摯に耳を傾ける姿を、一つひとつ思い浮かべていった。


 じわり、と。腹の奥で、確かに何かが疼いた気がした。


「――お、なんか、今、ちょっとだけ」


「……本当か?」


 要が身を乗り出す。だが、その瞬間、意識してしまったせいで、せっかくの熱はふっと霧散してしまった。


「……あー、消えた」


「惜しいところまでいったな。存外、悪くない兆候だ」


 要は、感心したように顎を撫でた。


「推しへの想いというのも、存外馬鹿にできぬものらしい。あの御方への敬愛が、そのまま力の呼び水になっておるのやもしれん」


「そう言われると、なんか複雑な気分になるな……」


 叶は苦笑しながらも、これは案外、侮れない糸口かもしれないと思い直した。少なくとも、完全に手掛かりなしという状態からは、一歩前進したような気がする。


「もう一回、試してみるか」


 叶は仕切り直すように息を吐き、再び目を閉じた。今度は先ほどよりも、もう少し具体的に――配信の向こうで語りかけてくるあの声、悩み相談で寄り添ってくれた優しさ、そして何より、今この瞬間もどこかで眠っているであろう、あの御方そのものの存在を、胸の奥に思い描く。


 じわり、と。先ほどよりも、確かな熱が腹の底から湧き上がってくる感覚があった。今度は、意識してしまわないよう、あえて深く考えないようにする。ただ、その熱の赴くまま、無意識に、拳をぎゅっと握りしめた。


 ――ゴキン、と鈍い音が響いた。


「な……!?」


 目を開けると、目の前に立っていた大木が、根元から真っ二つに折れ、轟音とともに地面に倒れ込んでいくところだった。振動で土埃が舞い上がり、周囲の小鳥たちが一斉に飛び立つ。


「お、俺が……!?」


 叶は自分の拳を、信じられないものを見るように見つめた。まさか、意識を集中させただけで、こんなことになるとは。


「これは……成功、と言っていいのか、悪いのか」


 要も、目を丸くしたまま、倒れた大木を見下ろしている。


「いや、まぐれだとしても、確かに力は発現した。喜ばしいことのはずなんだが……」


「木、倒しちゃったな……」


 叶は、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。喜びよりも先に、申し訳なさが込み上げてくる。何年、いや何十年、この場所に立っていたか分からない木を、自分の不注意な力で、あっけなく倒してしまったのだ。


「――何事にございますか!」


 不意に、聞き覚えのある声が響いた。木立の奥から、慌てた様子で駆けてきたのは、あの狐姿の眷属だった。その後ろには、白い装束を纏った稲実の神の姿もある。


「今しがた、この森に、覚えのある気配が奔ったもので……まさか、また何か……」


 言いかけて、眷属は根元から折れ、無残に倒れ伏している大木を見つけ、はっと息を呑んだ。


「これは……」


「あー……いや、その、ちょっとした事故で」


 叶は気まずさに視線を泳がせながら、事の顛末を手短に説明した。感情を昂らせる訓練をしていたら、まぐれで力が発現し、勢い余って木を倒してしまったのだ、と。


 話を聞き終えた稲実の神は、しばし黙り込んだ後、ゆっくりと倒木に近づき、幹にそっと手を触れた。


「なるほどな。これはまた、豪快なことをしたものだ」


「す、すみません……」


「なに、責めているわけではない。ただ、これほどの大木を一撃で折るとは、大した力よと思うただけだ」


 稲実の神は、どこか面白がるように目を細めた。傍らの眷属は、はらはらとした様子で、倒れた木と叶の顔を見比べている。


「……なんとか、ならないかな」


 誰にともなく呟きながら、叶は倒れた木の幹に、そっと手を触れた。ここ数日で目にしてきた、あの浄化の光景が、脳裏をよぎる。傷ついたものを癒す、あの温かい力。もし、あれと同じことができるなら――そう願いながら、静かに目を閉じる。


 掌の下で、何かがふわりと温かくなった気がした。


「――え」


 驚いたのは要だけではなかった。稲実の神も、眷属も、目を見開いたまま、言葉を失っている。倒れていた木の幹が、ゆっくりと、まるで時間を巻き戻すかのように、元の姿へと立ち上がっていく。折れた断面が塞がり、根がしっかりと地面に食い込み直し、青々とした葉が、何事もなかったかのように風に揺れ始めた。


「……これは」


 稲実の神が、掠れた声で呟いた。神ですら、驚きを隠しきれない様子だった。


「なんと……。妖力を分け与えるだけでも、並外れておると思うておったが……まさか、これほどのことまで成せるとはな」


「わ、私も、これほどの御業は、初めて目にいたします……!」


 眷属も、興奮を隠しきれない様子で、木の周りをぐるぐると回りながら、しきりに感嘆の声を漏らしている。


「……直った」


 叶は、呆然とその光景を見つめた。


「馬鹿な……これは、単なる身体能力の強化とは、明らかに毛色が異なる現象だぞ」


 要が、驚愕を隠せない様子で呟く。それだけでは収まらないのか、木の周りをうろうろと歩き回りながら、独り言のように捲し立て始めた。


「壊すのは、まだ分かる。力任せに叩き付ければ、誰にでもできることだ。だが、治す方は違う。……いや、そもそも次元が違う。折れた枝を繋ぎ直す、傷を塞ぐ、というだけの話ではないぞ。根から幹から、細胞の一つ一つに至るまで、あるべき姿を寸分違わず取り戻しておる。これがどれほど途方もないことか、貴殿には分かるか?」


「い、いや、正直、よく分からない」


「陰陽術における治癒の秘技をもってしても、これほどの完全性は、まず不可能だ。壊すことの十倍、いや百倍は難しい所業だぞ、これは」


 要は、倒れていた場所を指差しながら、なおも興奮気味に続けた。


「そもそも……これは、回復と呼ぶべきものなのか? それとも、再生か? いや、根本から時間そのものを巻き戻したようにも見えた。こんなことが、人の身に――いや、貴殿は厳密には人ではないのやもしれんが、それにしても、こんなことが本当にあり得るのか……?」


 ぶつぶつと自問自答を繰り返す要に、叶は思わず苦笑した。専門家としての知識があるだけに、逆にその異常さがよく分かるらしい。


「貴殿の力は、思っていたより、遥かに奥が深いのやもしれん」


「……よく分からないけど、木が元通りになって、良かったよ」


 叶は、ほっと胸を撫で下ろしながら、そう漏らした。破壊するのも、癒すのも、同じ力の裏表なのかもしれない――そんな漠然とした予感が、胸の内に静かに残った。


「よし、せっかくだ。もう一度、同じことができるか試してみろ」


 要に促され、叶は再び倒木――のあった場所に向き直り、先ほどと同じように意識を集中させてみた。だが、何度目を閉じ、何度クリム様を思い描いても、あの温かな感覚は、二度と訪れることはなかった。


「……ダメだ。全然、何も」


「うむ……。まぐれ、ということもあるか」


 要も、腕を組んだまま、渋い顔で頷いた。


「一度成功したからといって、次も同じようにいくとは限らん。むしろ、そう容易くはいかぬのが道理だろう」


「そりゃそうだよな……」


 肩を落とす叶に、要は小さく息を吐いた。


「――さて、我らはこれにて失礼しよう」


 稲実の神が、そう言って静かに一礼した。


「良いものを見せてもらった。……そなたの力、これからも大切にするがいい」


「いろいろ、お騒がせしました」


 叶が頭を下げると、稲実の神と眷属は、来た時と同じように、木立の奥へと静かに姿を消していった。


「今日のところは、これくらいにしておこう。付け焼き刃で無理に詰め込んでも、良いことはない」


「……あんがとな。付き合ってくれて」


「なに、これも何かの縁だ。……それに」


 要は、少し照れくさそうに視線を逸らした。


「貴殿に何かあれば、あの御方が悲しまれる。それを思えば、これくらいの手間、大したことはない」


 その理由の付け方に、叶は思わず苦笑を漏らした。結局のところ、この男の行動原理は、根っこのところで、いつもあの推し愛に帰結するらしい。


「……まあ、そういうことにしといてやるよ」


 二人並んで宿へと戻る道すがら、腕の中のラヴィが、まるで「大変だったな」とでも言いたげに、労うような声で小さく鳴いた。

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