46話苦し紛れの言い訳
「お前が……お前の中に、クリムゾフィア様が……いや、お前自身が……?」
要は、地面に膝をついたままの叶を見下ろし、ただ立ち尽くしていた。その顔は、蒼白を通り越して、どこか放心したような色を浮かべている。憧れの推しが、突然目の前に実体化し、あろうことか、拾ったと語っていた気の抜けた青年へと姿を変えてしまったのだ。頭の処理が追いつかないのも無理はなかった。
一方の叶は、内心で全力の思考を巡らせていた。
(まずい、まずいまずいまずい……!)
荒い呼吸を必死に整えながら、頭の中では、あらゆる言い訳の候補が目まぐるしく駆け巡っていた。誤魔化せるか。誤魔化せるとしたら、どこまでを認めて、どこからを隠すべきか。
だが、目の前でこれだけの現象を見せつけられた相手に、今更「気のせいだ」は通用しない。ならば――部分的に事実を明かしつつ、核心だけは覆い隠す。それしかない。
「……その、驚かせて悪かった」
叶は、震える膝に力を入れて、なんとか立ち上がる。できる限り平静を装いながら、あらかじめ用意していたわけでもない台詞を、努めて淡々と紡いでいく。
「クリムゾフィア様は、本物だ。異世界の統治者として、あちらの世界で今も存在しておられる」
「――しかし、先ほどの御姿は……」
「配信をしているのも、正真正銘、あの御方本人だ。俺じゃない。そこは誤解しないでくれ」
叶は、平然とした顔を崩さぬまま続けた。
「俺はただ、あの御方の力を、一時的に借りて憑依することができる、というだけだ。理由は俺にも分からない。気づいたら、そういう体質になっていた」
「憑依……」
「そういうことだ。だから、さっきの姿も、俺自身というより、あの御方そのものだと思ってくれていい」
その勢いのまま、叶はさらに畳みかける。
「――そういえば、先だってのコスプレフェスタも、たぶん、あの御方本人が出ていたんじゃないか。俺には詳しい経緯は分からないが」
白々しいにも程がある嘘だった。だが、顔色一つ変えずに言い切ってみせると、我ながら随分と堂に入っているものだと、内心で自分に呆れる。
要は、しばし黙り込んだまま、叶の顔をじっと見つめていた。
「……にわかには、信じ難い話だな」
「だろうな。俺もそう思う」
「だが」
要は、一つ息を吐き出すと、腕を組んで何やらぶつぶつと呟き始めた。
「陰陽師をやっていると、常識の外側にあるものと、幾度となく出くわす。人ならざる神が、力ずくでなく、慈愛によって鎮められる場面すら、この目で見た後だ。……あの御方が、貴殿という器を通じて、この世に降り立たれる。それもまた、この世の理の一つなのだろう」
要の目に、みるみる熱の籠った光が灯っていく。先ほどまでの動揺は、いつの間にか、どこか恍惚とした感嘆へとすり替わっていた。
(あれ、これ、思ったより簡単に納得してもらえてる……?)
叶は内心で首を傾げつつも、口を挟むタイミングを完全に見失っていた。
「これも何かの縁だ。今宵のことは、私の胸に留めておこう。……いや、しかし、まさか私が、あの御方を降ろせる器の持ち主と、じかに言葉を交わす日が来ようとは」
しみじみと呟いていた要だったが、不意に、その表情が固まった。
「――待て」
「な、なんだ」
「先だっての、コスプレフェスタ……あれには、一体誰が出ていたのだ? まさか、貴殿の言う通り、本当に御本人であったならば……!」
要の声が、みるみる上擦っていく。
「この日本の、地上の、あの会場に、直々に……! 握手をした者もおったろう……! 言葉を交わした者も……! ああ、なんということだ、私はなぜ、あの日、有給を取ってでも駆けつけなかったのか……!」
「お、落ち着け」
「落ち着いてなどいられるか! あの御方に、この手で触れる機会が、確かにあったというのに……!」
要は本気で悔しがっているらしく、拳を握りしめて天を仰いでいる。その様子は、もはや陰陽師としての威厳など欠片も残っていない、ただの取り乱したファンそのものだった。
叶は、内心で冷や汗を掻きながらも、曖昧に頷くことしかできなかった。真実を明かすわけにはいかない以上、ここは黙って、この動揺が収まるのを待つしかなさそうだった。
「……分かった。今はそれで良しとしよう」
ひとしきり取り乱した後、要はようやく、いくらか落ち着きを取り戻したように呟いた。乱れていた息を整え、着物の襟元を正すと、どこか気を取り直したような、真面目な顔つきに戻る。
「――うむ。要するに」
要は、一つ大きく頷きながら、自分の中で結論をまとめ上げるように言葉を紡いだ。
「貴殿は、クリムゾフィア様を降ろすことのできる、ただの一般人。そういうことだな」
「……ああ、まあ、そういうことにしといてくれ」
叶は、曖昧に頷きながらそう返すのが精一杯だった。神を降ろせる一般人――我ながら妙な肩書きだが、下手に核心を突かれるよりは、よほど都合が良かった。
もっとも――と、叶は内心でこっそり付け加える。厳密に言えば、クリム様は神ではなく悪魔なのだが。そこを指摘したところで、話がさらにややこしくなるだけだろう。要が満足しているのなら、わざわざ訂正してやる義理もない。
*
少し離れた木陰から、その一部始終を静かに見守っていた稲実の神が、ふと、口元に笑みを浮かべた。
「――実に、面妖な存在であるのう」
独り言のように零されたその一言に、叶ははっとして視線を向けた。だが、稲実の神は、それ以上を語る素振りを見せない。
「命の恩人であるからして、余計なことは言いますまいが……ずいぶんと、複雑な因果が絡み合っておるようじゃな、そなたには」
「え……あの、それは、どういう」
「ふふふふ」
稲実の神は、それだけ言うと、悪戯っぽく喉を鳴らして笑うばかりで、それ以上の詳細を語ろうとはしなかった。まるで、全てを見透かした上で、あえて黙っていることを楽しんでいるかのような、そんな笑い方だった。
「な、なんだよ、それ。気になるだろ」
「なに、たいしたことではない。ただ――そなたという存在の内側には、幾重にも重なった縁と因果が渦巻いておる、というだけのこと。悪いようにはならぬから、案ずるでない」
それだけ言い残すと、稲実の神は涼しい顔で視線を逸らしてしまった。叶は釈然としないものを感じながらも、それ以上追及する術もなく、曖昧に頷くしかなかった。
*
「これも何かの縁だ。……いや、しかし」
要は、すっかり自分の解釈に納得したらしく、うんうんと頷き続けている。その顔には、もはや疑いの色などどこにも見当たらない。
叶は、心の底から安堵の息を漏らした。都合の良い解釈をしてくれる相手で、心底助かった――そう思わずにはいられなかった。




