42話道すがらの問答
眷属を先頭に、叶、そして要という奇妙な三人(と一匹)の一行は、再び山道を歩き始めた。ラヴィは戦闘の後、いつの間にか元の白い子猫の姿に戻り、涼しい顔で叶の腕の中に収まっている。あの圧倒的な戦いぶりが嘘のような、小さな寝息すら聞こえてきそうな穏やかさだった。
しばらく無言の時間が続いたが、叶はどうにも気になって仕方がなかった。
「なあ、一つ聞いていいか」
「なんだ」
「陰陽師って、実際どういうものなんだ? 呪符持って、式神がどうとか言ってたけど……その、本当にそんな仕事があるのか?」
我ながら間の抜けた質問だとは思ったが、他に聞きようがなかった。要は少し驚いたような顔をしたが、すぐに歩調を緩めることなく答え始めた。
「――陰陽師とは、平たく言えば、人ならざるものと人の世との『境』を保つ者だ。古くは陰陽五行の理をもって暦や吉凶を占う役目を担っていたが、時代が下るにつれ、異形の調伏や封じを専らとするようになった」
「調伏……さっきの、あれみたいな?」
「うむ。もっとも、私一人でできることなど限られている。式神を使役し、その力を借りて事に当たるのが基本だ」
「式神って、さっきも言ってたけど……」
「使い魔、と言えば分かりやすいか。契約を結んだ精霊や、封じた異形の力を、己の手足のように操る術だ。私は幼い頃からこれを扱ってきた」
「式神を使うだけなのか? 他にも、何かこう、術みたいなのは使えたりするのか?」
「無論だ。式神の使役は数ある術の中の一つに過ぎぬ」
要はそう言うと、懐から一枚の呪符を取り出し、指先で軽く挟んでみせた。
「結界を張り、悪しきものの侵入を阻む『封』。穢れを祓い清める『祓』。相手の未来を読み、吉凶を占う『占』。傷ついた者に力を分け与える簡易の『癒し』も、心得がないわけではない。無論、これらはあくまで基礎の一部だ。修めた家系や、個々人の才によって、扱える術の幅は大きく異なる」
「じゃあ、あの時の連中を……」
「ああ。あれも一種の『祓』にあたる。もっとも、貴殿の獣の方が、余程手っ取り早かったようだがな」
自嘲めいた笑みを浮かべる要に、叶は思わず苦笑を返す。想像していたよりも遥かに幅広い技術体系があるらしいと知り、素直に感心してしまった。
要の口調は淡々としていたが、その言葉の端々には、確かな誇りのようなものが滲んでいた。
「安倍、って苗字、聞いたことあるような気がするんだけど……」
「安倍晴明、という名なら耳にしたことがあるだろう。あの御方の血を引く一族の末端、それが私の家だ」
「え、あの安倍晴明!? 教科書に載ってるレベルの……」
「まあ、そう畏まるほどのことでもない。もっとも、本家の連中は、その血筋を鼻にかけている節があるがな」
その一言に、微かな棘が滲んでいるのを、叶は聞き逃さなかった。
「本家と、仲悪いのか?」
「……仲が良い悪いという以前の話だ。私は分家の生まれでな。本家からは、いてもいなくても変わらぬ者として扱われている」
要はそれ以上語らなかったが、その横顔には、これまで積み重ねてきたであろう鬱屈が、確かに滲んでいるように見えた。叶は、それ以上踏み込むのはやめておくことにした。会社での自分の立場と、どこか重なる部分がある気がしたからだ。
「じゃあ、その『対異形対策室』ってのは? さっき言ってた」
話題を変えるように尋ねると、要はわずかに声を潜めた。
「表向きには存在しない組織、とだけ言っておこう。国内で発生する異形絡みの事案――人的被害、風説の流布、地脈の乱れなど――を秘密裏に処理する機関だ。所属する術者の大半は、私のような陰陽師の家系の者だが、中には異能を持つ一般人が採用されることもあると聞く」
「秘密裏に……って、じゃあ、今回の件も?」
「その通りだ。この地の妖力の乱れは、既に本部でも把握している。放置すれば、いずれ人的被害に発展しかねない事案として、私が単独で派遣された」
淡々と語る要の口調には、しかし、確かな責任感が滲んでいた。分家の生まれで冷遇されているという話とは裏腹に、任務に対する姿勢は真摯そのものだ。
「……大変な仕事なんだな」
思わずそう漏らすと、要はふっと、小さく笑ったようだった。
「案ずるな。これでも、それなりに場数は踏んでいる」
そう言った後、要は少し声のトーンを落とし、独り言のように付け加えた。
「……それに、こういう仕事の合間の、ささやかな楽しみもある」
「楽しみ?」
「いや、何でもない」
要はふいと視線を逸らし、それきり口を噤んでしまった。何かを誤魔化すような、その仕草に叶は首を傾げたが、深追いはしなかった。
「――と、私ばかり語らせてもらったな」
要は咳払いを一つすると、今度は探るような視線を叶に向けた。
「そういう貴殿は、何用でこの地に参られたのだ? 並の観光客が、易々と踏み入れられる領域ではないぞ」
その問いに、叶は言葉に詰まった。まさか「配信中に悪魔と入れ替わっちまって、その疲れを癒すために温泉に来ただけです」とは口が裂けても言えない。かといって、何も答えないのも不自然だ。
「……その、あれだ。導かれるようにして、ここへ、来た」
我ながら苦しい誤魔化しだと思いながら、それらしい響きだけを取り繕って答える。
だが、要はその言葉に、ぴくりと眉を動かした。
「導かれるように、とな……。なるほど、貴殿ほどの者ともなれば、地脈の乱れを無意識のうちに感じ取り、引き寄せられたのやもしれぬ」
「え、あ……うん、まあ、そんな、感じ、かな」
思いのほか真剣に受け止められてしまい、叶は内心で冷や汗をかきながらも、話を合わせるしかなかった。
「やはりな。無自覚の使い手というのは、時折そういうものだと聞く。修行の末に至った境地ではなく、生まれ持った資質が、貴殿をこの地に導いたのだろう」
要は一人、深々と頷いている。どうやら、とんでもない方向に納得されてしまったらしい。訂正するべきかと一瞬迷ったが、これ以上ボロが出るのも怖く、叶は曖昧に頷くだけに留めた。
「ちなみに、流派はどちらだ? 東北の地には、いくつか古い系譜が残っているはずだが」
「り、流派……」
まさかそんな質問が飛んでくるとは思わず、叶は内心で盛大に焦った。だが、ここで黙り込むわけにもいかない。
「……独学、みたいなものだ。師匠と呼べる人はいない」
半分やけくそでそう答えると、要はますます感心したように目を見開いた。
「独学で、あれほどの気配を纏うに至ったと申すか。……いや、確かに、独自の道を切り開く異能者というのも稀に存在すると聞く。貴殿、思っていた以上の傑物やもしれぬな」
どんどん話が大きくなっていく。叶は内心で頭を抱えたが、今さら「実は何も知らないド素人です」とも言い出せる空気ではなかった。
少し後ろを歩いていた眷属が、口元を袖で隠しながら、肩を小さく震わせているのが見えた。どうやら、この珍妙なやり取りを面白がっているらしい。叶はそれに気づき、恨めしげな視線を送ったが、眷属は素知らぬ顔で視線を逸らすばかりだった。
「ときに」
要は、叶の腕の中で丸くなっているラヴィへと視線を移した。
「その白猫について、詳しく聞かせてもらえぬだろうか。先ほどの姿といい、ただの猫でないことは明白だが」
「あ、ああ、こいつは……」
一瞬、言葉を探る。異世界で手懐けた魔物だ、などと言えるはずもない。
「……拾ったんだ。ちょっと前に。行き倒れてるところをたまたま見つけてな」
半分は本当で、半分は真っ赤な嘘だった。森で最初に出会った経緯を思えば、あながち間違いとも言い切れない――そう自分に言い聞かせながら、叶はさりげなく視線を逸らす。
「拾った、か……」
要は顎に手を当て、じっとラヴィを見つめた。訝しむような、それでいて何かに納得しかけているような、複雑な表情だった。
「行き倒れておった獣が、あれほどの気配を纏うようになるとは、俄かには信じ難い話だが……。もっとも、貴殿ほどの者に見出され、傍らで日々を過ごすうちに、力の一端を分け与えられた、とでも考えれば、辻褄が合わぬこともないか」
勝手にどんどん都合の良い理屈を組み立てていく要に、叶はもはや口を挟む気力も湧かなかった。訂正すればするほど、墓穴を掘る予感しかしない。
「まあいい。詳しい経緯はどうあれ、貴殿らが敵でないことは、先の戦いぶりを見れば分かる」
要があっさりと引き下がってくれたことに、叶は内心で安堵の息を吐いた。
腕の中のラヴィが、ふと薄目を開けてこちらを見上げた。その瞳には、どこか呆れたような色が浮かんでいる気がした。
「……お前まで、そんな目で見るなよ」
小声でそう零すと、ラヴィは答える代わりに、大きなあくびを一つして、また目を閉じてしまった。
*
しばらく歩くうちに、周囲の空気が、また少しずつ変わり始めていることに、叶は気づいた。木々の隙間から差し込む光が、心なしか薄暗く、湿り気を帯びた重さを増していく。鳥のさえずりも、いつの間にかぴたりと止んでいた。
風もないのに、木々の梢がざわざわと揺れる。肌に纏わりつくような、重苦しい気配が、じわじわと濃くなっていくのが分かった。要の表情からも、先ほどまでの余裕が消え、真剣な色が浮かんでいる。
「……近いようだな」
要が呟くと同時に、先頭を歩いていた眷属が、ぴたりと足を止めた。その小さな体が、目に見えて強張っている。
「――この先が、御方の御座す社にございます」
木立の切れ目の向こうに、朽ちかけた鳥居が、ぼんやりと霞んで見えていた。かつては朱色だったであろうその柱は、今や黒ずむほどに色あせ、表面のあちこちに、まるで爪で引っ掻いたような深い亀裂が走っている。上部の笠木は片側が折れ落ち、地面に転がったまま蔦に絡め取られていた。
鳥居をくぐった先、境内には人の背丈ほどもある雑草が生い茂り、参道の石畳を覆い隠している。奥には拝殿らしき建物の影が見えるが、屋根は所々が崩落し、闇の中に大きく口を開けた穴のようになっていた。夕暮れでもないのに、その一帯だけが妙に薄暗い。まるで光そのものが、境内へ入ることを躊躇っているかのようだった。
拝殿の奥からは、低く唸るような音が絶え間なく響いてくる。獣の唸り声にも、人の呻き声にも聞こえる、判然としない不快な音だった。境内を囲む木々の幹には、まるで何かに引き裂かれたような、無数の爪痕じみた傷が刻まれている。地面のあちこちには、干からびて黒ずんだ小動物の亡骸らしきものが、無造作に転がっていた。
鼻をつく、鉄錆と腐敗が入り混じったような臭い。それが、風もないのに境内の外にまで漂ってきていた。
叶は無意識のうちに、腕の中のラヴィを強く抱き寄せていた。これから起きることへの緊張が、じわりと胸の奥に広がっていく。




