31話食いしん坊のグルメ探索
休日の朝、リビングでだらけていた叶の膝の上で、ラヴィがそわそわと体を揺すっていた。
「――どうした、そんなに落ち着かなくて」
問いかけると、ラヴィは机の上に置いてあったグルメ雑誌の切り抜きに、ちょんと前足を乗せた。以前、何気なく読んでいたものを、そのまま置きっぱなしにしていたものだ。表紙には、湯気の立つステーキの写真が大きく載っている。
「……もしかして、これが食べたいのか?」
にゃあ、と力強い返事があった。答えるまでもない、というくらいの即答っぷりだった。
「よし。それなら、今日は食べ歩きといこう」
和牛の一件以来、ラヴィの食への執着は日に日に増している気がする。もっとも、それに応えたくなってしまうのも、また事実だった。
*
最初に訪れたのは、雑誌に載っていた老舗のステーキハウスだった。せっかくの機会だからと、個室を予約しておいた。周囲の目を気にせずラヴィを膝に乗せられる、この上ない環境だ。
「――お待たせいたしました」
運ばれてきた鉄板の上で、じゅうじゅうと音を立てる分厚いステーキ。その匂いに、ラヴィの尻尾がぴんと立った。
「まあ待て、猫舌だろう。冷ましてからだ」
個室の扉が閉まっているのを確認してから、小さく切り分けて息を吹きかけながら差し出す。ラヴィは前のめりに食いつき、瞬く間に平らげてしまった。物足りなさそうにこちらを見上げる目に、叶は苦笑しながら自分の分も少し切り分ける。
「――お前、太らないよな?」
答えは返ってこなかったが、心なしか呆れたような目で見られた気がした。
*
次に向かったのは、昔ながらの商店街だった。乾物屋、果物店、惣菜屋と、軒先に色々な店が並んでいる。鞄の中でラヴィがもぞもぞと動く気配がする。
「――静かにしていてくれよ。バレたら大変なんだから」
小声で言い聞かせると、大人しくなった。もっとも、乾物屋の店先を通りかかった瞬間、その大人しさは一瞬で吹き飛んだ。
削りたての鰹節を量り売りしている店だった。ふわりと立ち上る香りに、鞄の中の気配が一段と騒がしくなる。
「……仕方ないな」
少しだけ買い求め、人目につかない路地の隅で、一つまみを鞄の隙間からそっと差し入れる。次の瞬間、鞄の中から満足げな咀嚼音が聞こえてきた。
続いて立ち寄った果物店では、艶やかに並んだ桃やぶどうに、ラヴィの視線が釘付けになっていた。一房のぶどうを買い、皮を剥いて小さくちぎってやると、夢中で頬張る。店員に見つかりはしないかと、内心ひやひやしながらも、叶はどこか楽しんでいる自分に気づいていた。
だが、油断したのはその直後だった。ぶどうの匂いに我慢しきれなくなったのか、ラヴィが勢いよく鞄から顔を出し、そのままするりと歩道に降り立ってしまう。
「――っ、こら!」
慌てて手を伸ばすが、時すでに遅かった。通りかかった年配の女性が、足元のラヴィに気づいて目を細める。
「あら、かわいい猫さんだこと。お散歩中なの?」
「あ……ええ、まあ」
愛想笑いを浮かべながら、内心では冷や汗が止まらなかった。一度、配信で放送事故的にラヴィの姿を晒してしまったことがある。あの時の切り抜きは、かなりの数が拡散されたはずだ。まさか、こんなところで気づかれはしないだろうか。
「賢そうな子ね。人懐っこいし」
女性はそれ以上深く詮索する様子もなく、微笑ましそうに一瞥しただけで去っていった。どうやら、単なる散歩中の猫としか思われていないらしい。
「――はぁ、肝が冷えた」
胸を撫で下ろしながら、逃げ出さないようラヴィをしっかりと抱え直す。ラヴィの方は、そんな叶の心境などどこ吹く風で、満足げに喉を鳴らしていた。
*
三軒目は、少し奮発して、話題の高級和菓子店に立ち寄った。上生菓子の詰め合わせを買い求め、近くの公園のベンチで開封する。
「――さて、どれから食べる?」
ラヴィは真剣な顔つきで、いくつも並んだ生菓子を見比べていた。桜をかたどったもの、栗を使ったもの、季節の果物をあしらったもの――そのどれもに前足を伸ばしかけては、また別のものに目移りする。
「そんなに悩まなくても、また今度も買いに来られるだろう」
声をかけると、ラヴィはようやく一つに狙いを定め、ぱくりと頬張った。途端、目を輝かせて、その場でくるりと一回転する。
「よほど気に入ったらしいな」
笑いながら、自分の分の生菓子を口にする。上品な甘さが広がり、なるほど、これは人気なだけあると納得した。
*
夕方、二人分(と言っていいのか迷うところだが)の食べ歩きを終え、家路につく。すっかり満腹になったラヴィは、鞄の中でうとうとと船を漕いでいた。
「……お前、本当によく食ったな」
ステーキに、鰹節に、ぶどうに、生菓子。改めて数え上げてみると、我ながら驚くほどの品数だった。丸々とした腹をさすりながら眠るラヴィを見下ろし、叶は思わず苦笑する。
「一体、その小さい体のどこに入っているんだ……」
答えなど返ってくるはずもないが、それでも聞かずにはいられなかった。見た目の愛らしさに反して、その食欲だけは、どうにも底が知れない。
「今日は、随分と贅沢したな」
財布の中身は寂しくなったが、それ以上に、満足げなラヴィの寝顔を見ていると、悪くない一日だったと思えた。
玄関にたどり着き、鍵を開けたところで、スマホの通知が鳴った。桐生からのメッセージだった。
『お疲れ様です! フェスタの最終確認資料をお送りします。いよいよ来週ですね、楽しみにしています!』
その一文に、束の間の食べ歩きの余韻が、すっと引き締まっていくのを感じた。
「――さて、そろそろ本腰を入れるとするか」
眠るラヴィの頭を、そっと撫でながら、叶は静かに玄関の扉を閉めた。




