表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/76

第3話それぞれの夜



◆とあるオタクの場合


「――噓だろ、まだ伸びてる」


 深夜零時。会社員の男(ハンドルネーム:くろすけ)は、スマホの画面を凝視していた。フォロー欄に流れてくる「クリムゾフィア」の名前が、一時間前よりも明らかに増えている。


 仕事から帰って風呂に入り、いつも通り配信のアーカイブを見返そうとしただけだった。それがまさか、こんな騒ぎになっているとは思いもしなかった。


 三年前から追いかけてきた、いわば古参の一人だ。デビュー当時はほとんど無名で、同接も二桁台という日もざらだった。それが今や、登録者九十万人超え。感慨深いなどという言葉では足りない。


「ついに、時代が来た……」


 誰に言うでもなく呟く。傍から見れば、我が子の出世を喜ぶ親のような顔をしていることに、本人は気づいていない。


 切り抜き動画のコメント欄には、見覚えのないハンドルネームが大量に並んでいた。「初見です」「今更ながらファンになりました」――そんな言葉が並ぶたび、くろすけの胸には複雑な感情が渦巻く。嬉しい。だが同時に、少しだけ寂しくもある。長年、少人数でひっそりと愛でてきた存在が、急に世間のものになっていく感覚。


「まあでも、良いことだよな。うん」


 自分に言い聞かせるように呟くと、くろすけは「昔からのファイル」――クリムゾフィアの配信を全話文字起こししたテキストファイルを開いた。誰に頼まれたわけでもないのに、こういう作業をずっと続けている。今夜も、新しい伝説の一頁として、この騒動を記録に残しておかなければならない。使命感にも似た感情を抱きながら、キーボードを叩き始めた。


 ふと、同じ古参仲間が集うチャットグループにメッセージを送る。


『ついに来たな、この日が』


 既読がつくのに数秒もかからなかった。


『分かる。デビュー配信から追ってた身としては感慨深すぎる』

『新規の子たちにも、ちゃんとクリム様の良さ伝わってほしいわ』

『同接二桁時代を知る者として、涙が出る』


 画面越しに、同じ気持ちを共有できる仲間がいる。それだけで、寂しさは半分に、嬉しさは倍になった。くろすけは小さく笑って、今夜も夜更かしを決め込んだ。


 スマホの画面はまだ光り続けている。明日の仕事のことなど、今この瞬間はどうでも良かった。


---


◆事務所担当者の場合


「――これ、返信来るかな」


 コスプレイヤー事務所『Alter Ego』のマネージャー、桐生(きりゅう)は、送信済みのメールをもう一度読み返していた。


 同僚が寝静まった後も、一人オフィスに残って何度もスマホの受信箱を確認してしまう。こんなに一つの連絡に一喜一憂するのは、いつ以来だろうか。


 正直、賭けだった。相手の素性も分からない、連絡先すら公式サイトの問い合わせフォーム経由でしか分からない相手に、いきなり業務提携を持ちかけるなど、普段の桐生ならまずやらない。


 だが、あの映像を見た瞬間、そんな慎重さは吹き飛んでしまった。


 業界に十年以上いる。数え切れないほどのコスプレイヤーやモデルを見てきた。その目で見ても、あの一瞬の映像は――どう考えても、既存の技術の範疇を超えていた。特殊メイク、3Dプリンタ製のパーツ、カラーコンタクト。あらゆる可能性を検討したが、どれもしっくりこない。


「造形も去ることながら、あの質感……普通じゃない」


 同僚に見せても、皆一様に絶句していた。中には「AIで生成した映像なのでは」と言い出す者もいたが、それにしては配信中のリアルタイムの動きが自然すぎる。


 桐生の中には、小さな違和感が燻っていた。あれは本当に「作り物」なのだろうか。だが、そんな疑問を口にしたところで意味はない。今はただ、あの逸材を逃さないことだけを考えるべきだった。


 事務所を立ち上げて八年。無名の新人を何人も見出してきた自負はあるが、今回ばかりは勝手が違う。相手の本名も、年齢も、活動実態も何一つ分からない。普通なら契約以前の問題だ。だが、あの映像を思い出すたびに、そんな常識的な判断が吹き飛んでしまう。


「返信、来るといいけど……」


 スマホを机に置き、桐生は祈るような気持ちで夜を過ごした。もし本当に契約に至ったら、業界の話題を独占できるかもしれない。そんな打算と、単純にあの造形をもっと見てみたいという純粋な好奇心が、桐生の中でない交ぜになっていた。


 窓の外はすっかり暗い。それでも桐生は、しばらくオフィスの明かりを消す気になれなかった。


---


◆安倍要の場合


「――誰も、信じてくれない」


 安倍要は、暗い自室の中で一人、パソコンの画面を睨んでいた。


 安倍という姓を名乗ってはいるが、要が生まれ育ったのは、本家からは遠く離れた分家の末端だ。それでも、幼い頃から人並み外れた霊感と術の才を示し、本家の子弟にすら劣らぬ実力を評価されて、若くして「対異形対策室」――表向きは民間の調査会社を装った、実質的な陰陽師組織の一員に抜擢された。


 九歳で最初の式神を使役し、十五歳で本家の道場破りをして黙らせたという逸話も、界隈では密かに語り継がれている。だが本人は、そんな武勇伝を誇る気には到底なれなかった。実力を示せば示すほど、便利に使われる理由が増えていくだけだったからだ。


 だが、才能があるからこそ、扱いは複雑だった。本家の直系たちからは「所詮は分家の出」と侮られ、かといって現場からは「あいつに任せておけば大丈夫」と、本来なら本家が対応すべき危険な案件まで押し付けられる。便利で、都合が良くて、それでいて敬意を払われることのない存在。それが要の立ち位置だった。


 今夜、確かに見た。あの配信の中で映った異形の気配。長年の修行で培った感覚が、はっきりと告げていた。あれは紛れもなく、本物の――しかも、かなりの上位に属する存在の妖力だ、と。並の悪魔祓いなら気配を感じ取ることすらできないレベルの、圧倒的な力の残滓だった。


 だから警告した。誰よりも早く、誰よりも真剣に。


 その結果が、これだ。


『>>8 急に専門的で草。妖力って何、お前陰陽師か何か?』


 画面に残る自分のコメントへの反応を、何度も読み返してしまう。読むたびに、胃の奥が重くなる。


「本当に、陰陽師なんだが……」


 誰にともなく呟いた声は、静かな部屋に虚しく響いた。


 本家からは今日も、些末な雑用を押し付けられた。地方の小さな祠の清め直し、企業の移転に伴う地鎮祭の立ち会い、本来なら新人でもこなせるような案件ばかりだ。「お前は優秀なんだから、これくらい朝飯前だろう」――そう言われて、断れなかった。むしろ断るという選択肢が、自分の中に存在していないことに、最近になってようやく気づき始めていた。


 電話口で本家の従兄にそう言われた時、喉元まで「それは自分の仕事ではない」という言葉が出かかった。だが結局、口をついて出たのは「承知しました」の一言だけだった。何年経っても、この癖だけは直らない。


 本当にやるべき仕事は、他にあるはずなのに。今夜感じた、あの規格外の妖力の正体を突き止めることこそ、自分の本分のはずなのに。


 だからこそ、今夜の一件だけは、誰かに真剣に取り合ってほしかった。だが結果は、ただの「ノリのいい視聴者」として消費されただけだった。


 本家に報告すれば、また「余計なことをするな、お前の管轄外だ」と一蹴されるだけだろう。それが目に見えているから、報告する気力すら湧かない。


「一人で、何とかするしかないのか」


 安倍要は、パソコンの画面に映るクリムゾフィアの静止画を、じっと見つめた。


 この数年、ずっとそうしてきた。誰かに頼ることを覚えないまま、期待に応え続けることだけを覚えてきた。それが自分の価値を証明する、唯一の方法だと思い込んでいたからだ。


 あの妖力の正体を、必ず突き止める。誰にも頼らず、誰にも期待せず、自分一人の力で。


 そう心に決めながらも、頭の片隅では、また別の声がこう囁いていた。


 ――本当は、誰かに「大丈夫だ、一緒に考えよう」と言ってほしいだけなのではないか、と。


 その声に気づかないふりをして、安倍要はただ、パソコンの画面を睨み続けた。


 時刻は既に深夜二時を回っていた。明日もまた、本家から新しい雑用が言い渡されるはずだ。それを分かっていながら、要はまだ、あの配信の記録を漁ることをやめられずにいた。


 いつか、この力を誰かに正しく評価される日が来るのだろうか。それとも、これから先もずっと、便利に使われるだけの人生を送るのだろうか。


 答えの出ない問いを抱えたまま、安倍要は画面の光だけを頼りに、静かな夜をやり過ごしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ