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22話グッズ化計画とまさかのオファー


 その日の叶は、いつも通り、そつなく仕事をこなしていた。


「笹川さん、この見積もり、確認お願いします」


「ああ、見せてくれ」


 後輩から差し出された資料に、手早く目を通す。数字の整合性、条件の抜け漏れ、先方の意図。かつてなら一つひとつ確認するのに時間を要していたことが、今はすんなりと頭に入ってくる。


「ここの条件、少し甘いな。先方に確認取っておいてくれ」


「あ、はい! すぐに」


 こなれた指示に、後輩は迷いなく頷いて席へ戻っていく。叶は小さく息を吐いて、次の案件に取り掛かった。


 順調に仕事をこなしながらも、頭の片隅では、別のことを考えていた。



(ラヴィのグッズ、出してみるか……)


 昨夜からずっと、頭に引っかかっていたことだった。配信のコメント欄でも、感想サイトでも、「グッズが欲しい」という声が、日に日に増えている。あれだけ多くのリスナーが望んでいるなら、応えてやりたい気持ちはあった。


 だが、問題はやり方だ。


(前は、クリム様自身が個人で交渉して出してたっぽいんだよな……)


 過去の配信を思い返す限り、以前グッズが出た時は、特定の企業や事務所を挟んだ形跡がなかった。おそらく、本物のクリムゾフィアが、自ら業者とやり取りして実現させていたのだろう。魔力を得るためとはいえ、律儀な性分だ。


(俺には、そのコネも交渉のノウハウもないしな……)


 どう進めればいいか思案していた時、ふと、あるやり取りを思い出した。


(そういえば、前にコスプレ事務所から連絡があったっけ)


 顔バレの一件の直後、「クリム様の中の人」という設定でスカウトされた、あの事務所だ。ああいうプロダクションなら、グッズ展開の窓口くらい、心当たりがあるかもしれない。


 昼休み、叶は配信用に作っているメールアドレスを開き、そのままの流れで、事務所の担当者宛にメッセージを打った。


『お世話になっております。折り入ってご相談があるのですが、グッズ展開について、御社で仲介いただくことは可能でしょうか』


 簡潔な文面を送信し、そのまま受信箱を眺める。すぐに返事が来るとは思っていなかった。


 だが、画面をスクロールした拍子に、見慣れない差出人からの未読メールが目に留まった。件名には「コラボレーションのご相談」とある。


「……ん?」


 訝しみながら開いてみると、そこにあったのは、予想とはまったく違う内容だった。


『クリムゾフィア様


突然のご連絡失礼いたします。私、大手Vtuber「メイベル」のマネジメントを担当しております、スターライトヴィジョンの者です。


弊社所属タレント「メイベル」より、クリムゾフィア様へのコラボレーションのオファーをいただいており、こちらのご連絡先へ直接ご相談させていただいた次第です』


「は……?」


 思わず声が漏れた。まさかのタイミングでの、まさかの申し出だった。事務所へのグッズ相談とは、まったく別のところから、大きな話が舞い込んできたことになる。よく見れば、宛先はコスプレ事務所ではなく、配信の概要欄に載せている、クリムゾフィア個人の連絡用アドレスだった。


 このアドレス自体は、元々本物のクリムゾフィアが使っていたものだ。叶は憑依して以降、そのまま引き継ぐ形で使わせてもらっている。受信箱を遡ると、過去にも似たようなコラボの誘いが、ちらほらと届いていた形跡があった。だが、そのどれにも「大変光栄なお話ですが」から始まる、丁重な断りの返信が送られている。


(クリム様、本当に一度もコラボしてこなかったんだな……)


 律儀というか、頑固というか。過去の自分――いや、本物の自分の判断に、叶は妙な感慨を覚えた。


 最初は、叶もその前例に倣うつもりだった。慣れないことに首を突っ込んで、ボロを出すよりは、今まで通りが安全だ。断りの文面を打とうとした、その時だった。


 追いかけるように、二通目のメールが届いた。


『クリムゾフィア様


先ほどのメールに補足で失礼いたします。実は先ほどの送信直後から、メイベル本人が「返事は来たか」「もう一度お願いしてみてほしい」と、スタッフの周りをずっとうろうろしておりまして……。


普段の彼女は、ゲストのオファーが来れば大抵二つ返事で快諾するタイプなのですが、ここまで自分から「会いたい」と前のめりになるのは、正直、私どもスタッフ一同、初めて見る反応で驚いております。


もしよろしければ、一度、短時間でも構いませんので、ご検討いただけないでしょうか。このままでは、彼女がスタジオの前をうろつき続けそうで……


なお、本人からもどうしても一言添えたいとのことでしたので、以下、そのまま転記いたします。


「あの、突然すみません! 実はクリムゾフィアさん、前から配信、拝見してました! 異世界の統治者っていう設定を絶対に崩さないところとか、悩み相談の時の、ちゃんと相手の立場に寄り添った上で芯のある答えを返すところとか、本当にすごいなってずっと思ってて……! ラヴィちゃんの件で今回勇気出して連絡したんですけど、正直、前々からお話ししてみたかったんです! 図々しいのは承知の上で、少しだけでもお時間いただけませんか! お待ちしてます!!」


(メイベル本人談・原文ママ)』


 実際に打ち込んだであろう本人の文面には、スタッフの丁寧な言葉遣いとは打って変わって、勢いと熱量がそのまま乗っていた。何より、単なる思いつきのオファーではなく、配信を継続的に見ていたことが伝わる具体的な言葉に、叶は少し面食らった。


(普段から、見てくれてたのか……)


 悩み相談コーナーへの言及に、思わず胸の奥がくすぐったくなる。あれは、酔った勢いで始めた、ただの思いつきの企画だったはずなのに。


(ここまで熱意見せられると……)


 断ろうとしていた指が、止まった。これだけ望まれているものを、無下に切り捨てるのも、なんだか違う気がする。それに、正直なところ、ラヴィをきっかけに広がるこの縁に、興味がないと言えば嘘になる。


(……たまには、前例を破ってみるのも、悪くないか)


 叶は、腕を組んで考え込んだ。


 スタジオに直接出向くとなれば、当然、クリムゾフィアの姿になって向かう必要がある。だが、そんな格好で都内を移動するわけにもいかない。事務所の一室で着替える、あるいはメイクをするような真似を、本当にやるのか。


(いや、そもそも変身って、そういう手順でなるものじゃないんだよな……)


 感情の昂りで変わる、というこの厄介な性質を、他人に見られるリスクを考えると、外部のスタジオへ赴くのは危険すぎる。それに、ラヴィのことを考えても、慣れない場所への外出は避けたかった。


(自宅から繋ぐ形にしてもらうしかないな)


 結論を出した叶は、返信の文面を打ち始めた。


『ご連絡ありがとうございます。前向きに検討させていただきたく存じます。誠に恐縮ですが、当方の配信環境の都合上、収録は自宅からのリモート参加という形でご相談させていただけますでしょうか』


 送信ボタンを押してから、叶は小さく息を吐いた。せっかくの大型オファーを、無下にする真似だけはしたくない。だが、無理をして正体がバレるようなことになれば、元も子もない。


(グッズの件は、また改めて聞いてみるか)


 思わぬ方向に転がった一日に、頭を切り替えるのに少し時間がかかった。



 終業後、叶は駅前のペットショップに立ち寄った。


 雫石から聞いた話を頼りに、ラヴィ用のおもちゃと、少し良い餌を見繕う。爪とぎも、そろそろ買い替えた方がいいかもしれない。


「これと……これも、いるか」


 迷いながらカゴに商品を入れていく自分に、叶は苦笑した。数週間前までは、猫用品売り場になど、一度も足を踏み入れたことがなかったのに。


(変わるもんだな、人間って)


 会計を済ませ、袋を提げて夜道を歩く。今頃、部屋で丸くなって待っているであろうラヴィの顔を思い浮かべると、自然と足取りが軽くなった。


 ペットショップを出た帰り道、叶はふと、スーパーの精肉コーナーに足を向けた。


(今日はなんか、良いもの食いたい気分だな)


 普段なら絶対に手を出さない値札の和牛のパックを、思い切ってカゴに入れる。ここのところ色々あった自分への、ちょっとしたご褒美のつもりだった。


 夕食時、香ばしい匂いを立てて焼き上がった和牛を、一口頬張る。とろけるような食感に、思わず頬が緩んだ。


 ふと視線を感じて隣を見ると、ラヴィが、じっとこちらを見つめていた。物欲しそうな目、というやつだ。


「……お前、それは分かるのか」


 試しに、小さく一切れ、皿に乗せてやる。


 ラヴィは、匂いを嗅いだ瞬間、目の色が変わった。次の瞬間には、瞬く間に一切れを平らげてしまっている。物足りなさそうに、こちらを見上げる目には、はっきりと「もっと」と書いてあった。


「……お前、なんでそんなグルメなんだよ」


 普段は猫用の餌を、それなりに満足げに食べているくせに、良い肉の味だけはしっかり分かるらしい。さすが、数千年後には街を破壊しかねない高位の獣、というべきか。


 結局、叶は自分の分の半分近くを、ラヴィに分け与えることになった。満足そうに丸くなるラヴィを眺めながら、叶は小さくため息をついた。


(今度から、ご褒美の日は、ラヴィの分も見越して買わないとな)


 そんなことを思いながらも、口元は自然と緩んでいた。


 食器を片付け、一息ついたところで、スマホが続けざまに震えた。


 一通目は、スターライトヴィジョンからだった。


『ご連絡ありがとうございます。自宅からのリモート参加、こちらでは全く問題ございません。メイベルにも申し伝えたところ、二つ返事で快諾しておりました。日程の詳細は、追ってご相談させてください』


(あっさり通ったな……)


 もっと渋られるかと思っていた分、拍子抜けするほどの好感触だった。安堵の息を吐いたところで、続けて二通目の通知が届く。今度は、コスプレ事務所からだった。


『グッズ展開の件、ご相談承知いたしました。結論から申し上げますと、弊社としても、ぜひ実現に向けて動きたいと考えております』


 願ってもない返事に、叶は思わず拳を握った。だが、文面はそこで終わっていなかった。


『つきましては、詳細の擦り合わせも兼ねて、一度、弊社オフィスにお越しいただけますでしょうか。直接お会いした上で、方向性をご相談できればと存じます。また、以前ご案内しておりましたイベント出演の件についても、その際に併せてご返答いただければ幸いです』


「……そういえば、あの話、返事してなかったな」


 少し前に、コスプレイベントへの出演依頼が来ていたことを思い出す。返事を先延ばしにしたまま、すっかり忘れかけていた。


「……事務所、行くのか」


 思わず声が漏れる。メイベルとのコラボは自宅からで済んだが、こちらはそうもいかないらしい。オフィスへ出向くとなれば、また変身の問題がついて回る。


(まあ、それは……その時考えるか)


 一日でまとめて二つの大きな話が動き出し、頭の処理が追いついていなかった。それでも、悪い流れではない。叶は小さく息を吐いて、膝の上で丸くなったラヴィの背を、そっと撫でた。

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