21話もふもふの世界進出
配信を終えた翌朝、叶が目覚めて最初にしたことは、スマホの通知欄を確認することだった。
「……うわ」
思わず声が漏れた。通知の数が、いつもの比ではない。
配信サイトのトレンド欄には、「ラヴィ」の文字が燦然と輝いていた。切り抜き動画は既に何十本と上がっており、そのどれもが数十万回再生を叩き出している。SNSでは「#クリム様の使い魔」というハッシュタグまで生まれ、ラヴィが膝の上で丸くなる瞬間を切り取ったスクリーンショットが、数え切れないほど拡散されていた。
(一晩で、こんなに……)
膝の上で丸くなったままのラヴィを見下ろす。当のラヴィは、自分がインターネットの一部を征服したことなど知る由もなく、のんびりとあくびをしていた。
「お前、とんでもない有名猫になってるぞ」
声をかけても、ラヴィは「みゃあ」と一声鳴いただけだった。
◇
【朗報】クリムゾフィア様、ほろ酔い配信でとんでもない神回を生成してしまう
1: 名無しの視聴者
昨日の配信見た人ちょっと来て
2: 名無しの視聴者
見た見た、酔っ払いクリム様尊すぎたわ
3: 名無しの視聴者
「我は少し酒を飲んでいてな」の破壊力よ
4: 名無しの視聴者
いつもの塩対応ムーブが完全に崩壊してて草生えた
5: 名無しの視聴者
悩み相談コーナーの中の人スキル高すぎ問題
あれもう普通に人生相談として成立してる
6: 名無しの視聴者
それはそれとして後半
7: 名無しの視聴者
後半な
8: 名無しの視聴者
ラヴィちゃん(白猫と思われる存在)の破壊力よ
9: 名無しの視聴者
膝の上でくつろぐラヴィちゃん→クリム様が開き直ってカメラ向ける→尊死
この流れ何回見ても笑うし泣く
10: 名無しの視聴者
「拾ったのだ、名はラヴィという」で完全に落ちた
11: 名無しの視聴者
クリム様が親バカ化してるの好き
12: 名無しの視聴者
供物石投げすぎて財布がヤバい
後悔はしていない
13: 名無しの視聴者
ラヴィちゃんグッズ、公式は本当に出してくれ
出すなら爆買いする
14: 名無しの視聴者
切り抜き師の人たちがもう祭り状態で草
再生数の伸び方が異常
15: 名無しの視聴者
陰陽師さんが真顔で警告してるのも定番の光景で草
「あの魔物、只者ではないぞ」
16: 名無しの視聴者
陰陽師さんいつも通り仕事してて安心する
17: 名無しの視聴者
つまり今回の配信は「酔っ払いクリム様」「悩み相談ガチ勢」「ラヴィちゃん爆誕」の三本立てだったわけか
神回すぎるだろ
◇
その日の午後、対異形対策室の片隅で、安倍要は一人、パソコンの画面と向き合っていた。
仕事の合間、確認しているのは業務資料――ではなく、昨夜の配信の切り抜きだった。何度目かの再生を終え、要は小さく息を吐いた。
(相談に乗ってもらえて、良かったな)
「身内から実力を認めてもらえない」――酔いに任せて打ち明けたつもりが、思いのほか、まっすぐな言葉が返ってきた。「認めてくれる場所が一つしかないと思う必要はない」というあの一言は、今も胸の奥に、静かに残っている。
本家からの視線、上司からの取り合ってもらえなさ。積もり積もっていたものが、少しだけ軽くなった気がした。
礼を言いたいところだが、あの世界観を崩すような真似はしたくない。せめてもの気持ちを込めて、いつも通りコメント欄に書き込んでおいた。それだけで、十分だった。
画面をスクロールし、要はふと、眉をひそめた。
映像の中で、白い毛玉――ラヴィが、無邪気に鳴いている。可愛らしい姿だ。だが、要の目には、その奥に薄く滲む気配が見えていた。
(……あれは、やはり、ただの生き物ではないな)
纏う気配の質が、明らかに違う。長年、異形と対峙してきた経験が、警鐘を鳴らしていた。あれほどの気配を纏う存在が、あんなにも無邪気に、人間の膝の上で丸くなっている。その落差が、逆に不気味だった。
(クリムゾフィア殿は、あれが何か、分かっているのだろうか)
考えても、答えは出ない。対策室に報告したところで、いつも通り「配信者のロールプレイでしょう」の一言で片付けられるのが目に見えていた。
要は小さくため息をついて、パソコンの画面を閉じた。
「……ラヴィ、か」
誰に届くでもない呟きが、静かなオフィスに溶けていった。
◇
その頃、都内のとある配信スタジオでは、一人の女性が、ラヴィの切り抜き動画を繰り返し再生していた。
「ちょっと、これ見て見て! めちゃくちゃ可愛くない?」
雑談配信の女王として名を馳せる、大手Vtuber「メイベル」は、スタッフに向かってスマホの画面を突きつけていた。彼女の配信は、様々なジャンルのゲストを招いてのラジオ形式のトークが看板で、業界内外に太いパイプを持つことで知られている。所属は、業界でも三本の指に入ると言われる大手事務所「スターライトヴィジョン」。
「クリムゾフィアさんの? ああ、話題になってましたね、この白い猫」
「猫……? まあ、猫だとは思うんだけど……いや、それはどうでもよくて。見て、この目とか、この動き。尊すぎる」
メイベルは、以前からクリムゾフィアの存在自体は認知していた。異世界統治者という凝った設定でロールプレイを貫き通す姿勢に、同業者として一目置いてもいた。だが、正直なところ、積極的に絡みたいと思うほどの興味はなかった。
それが、この一晩で一変した。
「ねえ、この人とコラボできないかな」
「クリムゾフィアさんとですか? 急ですね」
スタッフが少し驚いた声を出したのも無理はなかった。クリムゾフィアは、これまで一度も他の配信者とコラボをしたことがない。異世界統治者としての一人語りとロールプレイを貫き通すスタイルで、他者との絡みは一切ない――それが、彼のチャンネルの一つの特徴でもあった。
「新しいファン層の獲得にも、ちょうどいいと思うんだよね。クリムゾフィアさん、あたしの層とはあんまり被ってないだろうし」
もっともらしい理由を並べながら、メイベルは画面の中で気持ちよさそうに目を細めるラヴィを見つめて、にんまりと笑った。
それに――と、頭の片隅で、もう一つの打算が顔を出す。自分のラジオ配信は、いつも事務所の音響の良いブースで収録している。コラボが成立して、クリムゾフィア本人の承諾さえ取り付けられれば、収録の場に、あの子も連れてきてもらえるかもしれない。
(同じ部屋で、ラヴィちゃんと過ごせるってこと……?)
想像するだけで、口元が緩む。
「それに……」
「それに?」
「単純に、あたしがこの子を見てみたい」
「……それが本音ですよね」
「な、なによ。別に、ラヴィちゃん目当てとかじゃないから。あくまでコラボのついで。ついでに会えたらいいなってだけ。決してラヴィちゃん目当てじゃないからね?」
誰も聞いていないのに、メイベルは早口でそう付け加えた。スタッフは、その必死な弁明に、思わず笑いを堪えるのに苦労した。
スタッフは、その即断即決っぷりに、いつものことながら苦笑した。メイベルが「やりたい」と言い出した企画は、大抵の場合、実現する。
「一応、オファーの窓口、当たってみます」
「よろしく! あー、楽しみ」
この時、メイベルはまだ知らなかった。この思いつきの一言が、後々、クリムゾフィアの――ひいては、笹川叶の日常を、さらに賑やかな方向へ引きずり込んでいくことになるとは。




