第13話陛下の憂い
「飢餓の兆しについてだが」
国王は、円卓に着いた四人と、その傍らに立つ叶とを、順に見渡した。
「そなたらも重々承知の通り、我らが国は、かつてエルフ、ドワーフの両国と共に、豊かな交わりを築いておった。だが――世界規模でのエネルギー枯渇が起きて以来、三国はそれぞれ、独自に生き延びる道を選ばざるを得なくなった」
その声には、遠い過去を辿るような重みがあった。
「鎖国という道を選んで、幾星霜。以来、我が国は、限られた資源と、五大貴族――中でも代々ヴァレンシュタイン家が現世より持ち帰る魔力とを頼りに、どうにかこの地を保ってきた。だが……」
国王は、一度言葉を切った。
「近年、その均衡が、少しずつ崩れ始めておる」
「西部の穀倉地帯より、今年の収穫が例年の六割に届かぬとの報せが届いておる。エーレンフルト周辺のみならず、国のあちこちで、同様の兆しが見え始めておるようだ」
その一言に、ヴィオラが眉をひそめた。
「六割……。去年でさえ、七割程度だったというのに」
「はい。しかも、穀物だけの話ではございませぬ」
ヨナスが、静かに口を開く。
「森の獣たちの数も、目に見えて減っております。此度クリムゾフィア様が討伐された魔物のように、餌を求めて人里へ下りてくる例も、各地で報告が上がっておりまして」
(ラヴィも、その一例だったのか……)
叶は、腕の中で丸くなるラヴィを見下ろした。あの巨躯を思えば、森の奥深くでさえ、腹を満たすだけの獲物にありつけなかったということなのだろう。
「なぁ、ヨナス。今更で悪いんだが」
武骨な口調で、ライハルトが割って入った。
「そもそも、奉納した魔力ってのは、どうやってこの国中に行き渡るんだ? 俺には、そこがどうにもピンとこねえ」
「そうですね……。この場を借りて、改めてご説明いたしましょう」
ヨナスは、手元の資料を一旦置き、静かに語り始めた。
「元来、この地には、大地そのものが魔力を生み出し、地中深くに張り巡らされた『脈』――地脈と呼ばれるものを通じて、国中へと巡らせる、自然の循環がございました。作物の実り、獣たちの息吹、季節の巡り――そのすべてが、この地脈の恵みによって支えられていたのです」
叶は、思わず息を詰めて聞き入った。配信でも、資料でも、これほど踏み込んだ説明を耳にしたことはなかった。
「王城の水晶は、その地脈網における、いわば要にございます。クリムゾフィア様が奉納された魔力は、あの水晶を通じて地脈へと注ぎ込まれ、そこから国中の隅々にまで――西部の穀倉地帯にも、獣たちの棲む森の奥にも――送り届けられる仕組みになっております」
「つまり……水晶に流し込んだ分だけ、国のあちこちが、それだけ潤うってわけか」
ライハルトが、腕を組みながら、得心したように頷いた。
「大まかには、その通りです」
ヨナスは、頷きを返しながらも、その表情に、僅かな翳りを滲ませた。
「陛下。この兆し、いよいよ看過できぬ域に達しつつあるのではございませんか」
エリーゼが、控えめながらも、はっきりとした口調でそう問いかけた。
国王は、しばし沈黙した後、静かに頷いた。
「――その通りだ。今しばらくは、クリムゾフィアの奉納で凌げようが……このままでは、遠からず立ち行かなくなろう」
重々しい響きを持つ言葉に、大広間の空気が、一段と張り詰めていく。
「陛下、失礼ながら。この飢餓、そもそもの原因は、いまだ判然としていないのですか」
ライハルトが、珍しく神妙な顔つきで尋ねた。
「原因の究明については、代々の賢者たちが調査を重ねておるが……未だ、これといった答えには辿り着いておらぬ」
国王は、僅かに目を伏せた。
「エネルギーの枯渇、というだけならば、まだ分かりやすかったであろう。だが、実際に各地の報告を集めてみると、どうにも奇妙でな。枯渇の兆候が現れる以前から、既に何かが――こう、少しずつ歪み始めていたような気配があるのだ」
(歪み……。もしかして、それが……)
叶の脳裏に、ふと過るものがあった。世界規模の危機の根底に眠っているという、あの構造――誰も「もうやめよう」と言い出せなかった連鎖。だが、それを今この場で口にするわけにはいかない。まだ、確たる根拠など何一つ持ち合わせていないのだ。
「賢者たちの調べでは、少なくとも、これといった天変地異が起きたわけではないようです」
ヨナスが、手元の資料を捲りながら、淡々と補足する。
「ただ、代々の記録を遡ると――枯渇が表面化するよりずっと以前から、各地で、似たような小さな『先送り』が、積み重なっていた形跡があるのです」
「先送り、とは」
「たとえば、ある年の収穫祭では、本来の奉納量に僅かに満たなかった。だが、その年はまだ余力があったため、誰もそれを問題視しなかった。次の年も、また次の年も、同じようなことが繰り返され――気づいた時には、それが当たり前になっていた、というような」
「しかも」
ヨナスは、資料の一枚をめくり、静かに続けた。
「この十年ほどの記録を辿りますと、同じだけの実りを取り戻すために必要な奉納量そのものが、年を追うごとに、僅かずつ増え続けております」
「増え続けている……?」
ヴィオラが、僅かに眉を寄せて聞き返す。
「はい。土地そのものが本来持つ、魔力を生み出す力――いわば、大地が自らの"血"を作る力そのものが、目減りし続けているのでしょう。外から注ぐ量で帳尻を合わせている限りは、表向き何とか保たれているように見える。しかし、地脈そのものが自らを癒す機会は、これまで一度として与えられてこなかった」
その言葉に、叶ははっとした。
(輸血を続ければ血色は戻る。でも、体が自分で血を作れるようになったわけじゃない……)
どこか現代の医学の例えにも似た感覚が、ふと脳裏をよぎった。応急処置ばかりを重ねて、根本的な治療には、これまで誰一人として、本気で手をつけてこなかったのだ。
大広間が、静まり返る。
「陛下」
エリーゼが、僅かに震える声で、口を開いた。
「まさかとは思いますが……この飢餓もまた、同じように、誰かが『まだ大丈夫だ』と、見過ごし続けてきた結果、なのでしょうか」
国王は、すぐには答えなかった。長い沈黙の後、ようやく重い口を開く。
「――否定はできぬ。むしろ、その線が最も濃厚であろうと、儂は見ておる」
そう告げる国王の瞳が、一瞬、深い紅色に強く光った。古き竜の血が、苛立ちにも似た感情に呼応しているのかもしれない。
その言葉に、叶の背筋を、冷たいものが走った。
(誰も「もうやめよう」「これはおかしい」と言い出せなかった連鎖……。まさか、こんなところにまで)
現代の自分自身にも、覚えのある感覚だった。残業を、無理を、抱え込みすぎた挙句に心を壊した、あの日々と。
「陛下。もしそうであるならば、この均衡を保ってきたやり方そのものに、そろそろ見直しが必要なのではございませんか」
ヴィオラが、鋭くそう切り込んだ。
「言うは易いが……何を、どう見直すというのだ」
「それは、私にも分かりかねます。ですが――このまま何もせず、先送りを続けるだけでは、いずれ立ち行かなくなることだけは、確かでしょう」
その言葉に、国王は僅かに目を細めた。
「……ヴィオラの言う通りかもしれぬ。だが、今すぐに答えの出る話でもあるまい。まずは、収穫祭を無事に乗り切ることだ。クリムゾフィアよ」
「――は」
「そなたの持ち帰った魔力、収穫祭にて奉納いたすがよい。此度は、いつにも増して多くの捧げ物が要ることになろう」
その一言に、他の四人が、幾分か気遣わしげな視線を叶へと向けた。現世との行き来に適性を持つのは、五大貴族であれば誰でも同じこと。だが、ライハルトは武を、ヴィオラは商を、ヨナスは学を、エリーゼは神事を、それぞれこの国に欠かせぬ形で支えている身だ。自分が抜ければ国が傾く四人に対し、統治が最も落ち着いているクリムゾフィアにこそ、しゃあなしにその役目が回ってくる。この重責もまた、彼一人が背負うべきものだった。
「心得ました」
なるべく落ち着いた声で、そう応じる。だが、内心では、途方もない不安が渦巻いていた。
(奉納って、具体的に何をすればいいんだ……? それに、さっきの話……)
誰も「もうやめよう」と言い出せなかった連鎖。それこそが、この世界を蝕んでいる病の正体なのだとしたら――自分に、それを解きほぐすことなど、果たしてできるのだろうか。
「――ときに、クリムゾフィアよ」
国王が、ふぅ、と一つ息を吐き、椅子の背もたれに体を預けた。張り詰めていた空気を、意図的にほぐすような、そんな仕草だった。ヴィオラも、それを察したように、書類を一旦傍らへ置く。
「辛気臭い話ばかりでは、気も滅入る。少し、砕けた話をさせてくれ」
国王は、そう前置きしてから、声色を和らげて、そう切り出した。その瞳に浮かぶ紅色も、心なしか先ほどより柔らかな色合いを帯びていた。
「我が娘のことだが……いつになれば、輿入れの話を進めてくれるのだ」
その一言に、大広間の空気が、僅かに緩んだ。ライハルトが、堪えきれないといった様子でにやりと笑う。
(姫様との、縁談……?)
配信の中で、断片的に語られていたことを、叶は慌てて思い出す。王家の姫を娶ることが許されるのは、この国でも五大貴族のみ。そして、クリムゾフィアは幼い頃より姫と面識があり、姫の方も、彼に憎からず想いを寄せているらしい――というのは、配信のリスナーたちの間でも、度々話題に上っていたことだった。
「陛下、その話はまた後日に」
「後日後日と、そなたはいつもそうやってはぐらかす。姫はもう、ずっとそなたの返事を待っておるのだぞ」
国王が、僅かに苦笑を滲ませながら、そう続けた。
(クリムゾフィア本人は、一体どう思っていたんだろう)
配信の中で、クリムが零していた本音を、叶は思い出す。姫のことを疎ましく思っているわけでは、決してない。むしろ、好ましい相手だとさえ、言っていたはずだ。だが――
『ただ、まだしばらくは、この身一つで自由でいたいのだがな』
どこか照れ隠しのような、それでいて確かな本音の滲む声色だった。あの複雑な心境を、今こうして自分が代弁できるはずもない。
「――此度は、飢餓の件で頭がいっぱいでございまして。姫様との話は、いま少しお待ちを」
なるべく、それらしい重々しさを装って、そう返す。国王は、やれやれといった様子で肩をすくめた。
「まあよい。だが、いつまでも待たせるものではないぞ」
「では、此度の会合はこれまでとする。皆、大儀であった」
国王がそう告げると、四人がそれぞれ深々と頭を垂れる。叶も、慌ててそれに倣った。
悠然とした足取りで広間を後にする国王の後ろ姿を見送りながら、叶は、腕の中のラヴィをそっと抱え直した。
「クリムゾフィア様、随分と思案顔でいらっしゃいますね」
ふいに声をかけてきたのは、ヴィオラだった。円卓の書類を片付けながら、こちらを興味深げに見つめている。
「……なに、少し考え事をしていただけだ」
「そうですか。まあ、無理はなさらないでくださいね。困ったことがあれば、いつでも頼ってくださって構わないんですから」
その言葉に、僅かながらの含みを感じ取ったのは、気のせいだろうか。
(結局のところ……)
大広間を後にしながら、叶は心の中で、密かに一つの結論に辿り着いていた。
(誰も彼も、格好悪いところを見せたくなくて、見栄を張って、「もう限界だ」の一言が言えなかっただけなんじゃないのか)
国王も、五大貴族も、そして恐らくは、代々の統治者たちも。誰か一人が勇気を出して「このままではまずい」と声を上げていれば、ここまで拗れることはなかったのかもしれない。先送りにされ続けてきた、小さな綻びの積み重ね――それは、どこかで見たことのある光景だった。
だが、すぐに、その考えを打ち消すように、別の思いが胸の内を占めた。
(いや……私に、そんなことを指摘する資格なんて、あるんだろうか)
所詮、この体を間借りしているだけの、部外者に過ぎない。この国の歴史も、積み重ねてきた事情も、本当の意味では何一つ知らない人間が、したり顔で「それが間違っている」などと口を出していいはずがなかった。今この場で強く言い立てれば、クリムゾフィアらしからぬ言動として、かえって怪しまれるだけだろう。
それに――脳裏に浮かぶのは、討伐の後、エーレンフルトの町で見た、木こりや猟師たちの安堵した笑顔だった。ラヴィの一件で救われたのだと、涙ながらに感謝してくれた人々。あの温かな笑顔の裏に、これほどの綻びが隠されていたなど、想像もしていなかった。
(あの時、もっと踏み込んで、何かに気づけていたら……)
もっと早く、何かを言えていたら。悔いにも似た感情が、静かに胸の奥へと沈んでいく。だが、それを口にする勇気も、資格も、今の自分にはまだない。
窓の外では、まだ高く昇りきらない朝日が、王城の石畳を淡く照らしていた。腕の中のラヴィが、ふわ、と小さなあくびを漏らす。
これから待ち受けているであろう困難を思い、叶は密かに、深いため息をついた。




