第12話会合の行方
城門をくぐると、そこには外観からは想像もつかないほど広大な中庭が広がっていた。噴水の水音が静かに響き、庭師らしき者たちが、こちらに気づいて一斉に頭を垂れる。灰色がかった石壁は、夕暮れの光を受けて、淡く橙色に染まっていた。長年、配信の背景越しにしか目にしてこなかった光景が、今こうして、現実の重みを伴って目の前に広がっている。
(本当に、ここが……王城、なんだな)
実感の湧かないまま、しかし確かな重みだけが、じわりと胸に染み渡ってくる。
廊下の奥から、慌ただしい足音が近づいてきた。
「クリムゾフィア様! ご無事のお戻り、何よりでございます!」
現れたのは、豪奢な装いをした初老の女性だった。侍女頭らしき佇まいで、目には涙さえ滲ませている。
「転移の経路が乱れたと報せを受けてより、皆、生きた心地もいたしませんでした。ましてや、そのまま森の魔物の討伐にまで赴かれたと伺い……」
言葉の途中で声を詰まらせ、侍女頭は目元をそっと拭った。
「本当に、本当にご無事で何よりでございます」
感極まったように、幾度も頷いている。その様子に、叶は内心で戸惑いを覚えた。
(そうか……ここの人たちも、イレギュラーな転移のことは、とっくに知っていたのか)
考えてみれば当然だった。あれほどの規模の異変だ、王城の者たちの耳に入らぬはずがない。
「案ずるな。この通り、何ということもない」
なるべく鷹揚に、そう応じる。侍女頭は、ほっと息をつきながらも、なおもこちらを気遣わしげに見つめていた。
女性の視線が、叶の腕の中へと落ちる。
「まあ。可愛らしい御方を、お連れになったのですね」
腕の中で丸くなっていた子猫が、ちょうどその時、ふわ、と小さくあくびをした。
「うむ。しばし、我が手元に置くことにした。名は……」
言いかけて、叶は一瞬、言葉に詰まった。名を、まだ考えていなかった。そういえば、森を出てからずっと、「おい」だの「そこの」だのと、呼びかけに難儀していたことを思い出す。いい加減、何か呼び名がないと不便だ――至って現実的な理由から、叶はとっさに口を開いていた。
「――ラヴィ、としよう」
我ながら、いかにも思いつきといった様子で口をついて出た名だった。特に深い意味などない。ただ、呼びやすければそれでいい、というくらいの軽い気持ちだった。
「ラヴィ様、でございますね。かしこまりました。では、お部屋の方にも寝床の用意をさせましょう」
てきぱきと指示を出す侍女頭の様子に、叶は内心で胸を撫で下ろした。この分なら、下手に何かを説明する必要もなさそうだ。
(とりあえず、今日のところは、乗り切れそう……)
そう安堵しかけた、その時だった。
夕暮れの色を纏った回廊に、しばしの沈黙が落ちた。
銀髪の男は、値踏みするような視線を叶へと向けたまま、微動だにしない。侍女頭やゼルギウスの纏っていた、あの温かな空気とはまるで質の違う、張り詰めた気配だった。じっと見つめてくるその瞳は、時折、瞬きの合間に、輪郭がわずかに二重に揺らいで見える――他者に成り代わることも、また見抜くこともできるという、彼の血に流れる異能の名残なのだろう。
(この人が……シルヴェスタ、か)
配信の中で、クリムゾフィアが半ば呆れたように零していたのを思い出す。元々はヴァレンシュタイン家に仕えていた文官だったが、あまりに有能すぎたがゆえに、王家からたっての願いで王城へと引き抜かれた――そんな経緯を持つ人物だと聞いていた。宮内府の筆頭補佐官という肩書がついた今も、誰よりも口うるさく、誰よりも疑り深い性分は変わらないらしい。名前と評判だけは、耳に馴染んでいた。だが、実物を前にするのは、これが初めてだった。想像していた以上に、纏う気配は硬質だった。
(要注意人物、筆頭候補だ……)
叶は、内心でそっと身構えた。
「――シルヴェスタ殿」
ゼルギウスが、労うようにその名を呼びかけた。
「クリムゾフィア様は、森の魔物討伐からお戻りになったばかりだ。まずは労いの言葉こそふさわしかろう」
男――シルヴェスタは、眼鏡の奥の瞳を、わずかに細めた。
「無論、ご苦労であられたことは重々承知しております。……ですが」
その視線が、再び叶へと据えられる。
「此度のご帰還は、いささか予定と異なっておりましたな。本来、収穫祭の準備の折には、いま少し早くお戻りいただく手筈であったはずです」
(予定と、違う……)
背筋に、じわりと冷たいものが走った。イレギュラーな転移――その事情を、この男は知らないはずだ。だが、その言い方には、単なる遅刻を咎めるだけではない、もっと奥に何かを疑っているような響きがあった。
「クリムゾフィア様に限って、無為に予定を違えるはずがなかろう」
ゼルギウスが、僅かに語気を強めてそう庇う。だが、シルヴェスタは表情ひとつ変えなかった。
「……転移の経路が、通常とは異なっていたと聞き及んでおります。長きに渡り貴方様にお仕えしてきた身として、まずは何よりご無事であられたことを、安堵いたしております」
その一言だけを聞けば、労いの言葉に過ぎない。だが、眼鏡の奥の瞳は、少しも和らいではいなかった。
「ですが――貴方様ほどのお方が、転移の経路を違えられるとは、些か腑に落ちませぬ。何か、変わったことでもございましたか」
問いの形を取ってはいるが、その実、値踏みするような響きが拭えない。安堵と疑念、その両方が、一言の中に同居しているようだった。
「無論、疑ってなどおりませぬ。……ただ、確認させていただきたいことが、いくつか」
その言葉尻に、微かな含みが滲んでいる。ゼルギウスが、傍らでそっと目配せを寄越してきた。――今は、うまく受け流せ、というような合図だった。
叶は、深く息を吸い込む。ここで下手に狼狽えを見せれば、かえって怪しまれる。ならば、いつもの通りに――堂々と。
「用向きがあるのなら、聞こう」
なるべく平坦に、そう告げる。シルヴェスタは、その返答に、僅かに眉を上げた。
「――かしこまりました。では、明日の会合にて」
一礼し、そのまま踵を返して去っていく後ろ姿を、叶はただ黙って見送るしかなかった。
「クリムゾフィア様、あの者のこと、どうかお気になさらず」
ゼルギウスが、取り成すように声をかけてくる。
「相変わらず、疑り深い男でございます。元々は我が家に仕えていた身ゆえ、クリムゾフィア様に対してすら、あの調子で遠慮がございませぬ」
「ふん。まあ、あの者らしいと言えば、その通りだが」
なるべく、慣れた口ぶりで応じる。だが、内心では冷や汗が止まらなかった。
――誰にでも疑り深いというなら、少しは安心材料になる。だが、逆に言えば「クリム本人」と多少の言動の違いがあれば、真っ先に気づかれるということでもあった。
(改めて、要注意人物だな……)
腕の中の子猫が、ふわ、と小さくあくびをした。その暢気な仕草に、張り詰めていた気が、少しだけ緩む。
その夜、あてがわれた寝室――五大貴族には、それぞれ王城内に専用の私室が与えられているという。おそらくは、クリムゾフィアが長年使い込んできたであろうその部屋に、叶は一人、腰を下ろしていた。天蓋付きの寝台、重厚な調度品の数々。どれもが、配信の背景で幾度となく目にしてきたものと、寸分違わない。
(本当に、あの人の部屋なんだな……)
妙な感慨が込み上げてくる。長年、画面越しに眺めるだけだった場所に、今、自分が実際に立っている。
窓の外には、無数の星が瞬いていた。地球のそれとは、明らかに違う配置の星々。改めて、自分が異世界にいるのだという実感が、静かに胸の内に染み渡ってくる。
膝の上では、子猫がすっかり丸くなって寝入っていた。その温かさだけが、今の叶にとって、唯一の拠り所のように思えた。
(明日、あの会合とやらを乗り切れるだろうか……)
配信で語られてきた四大貴族の人となりを、記憶の中で何度も反芻する。豪快なライハルト、抜け目ないヴィオラ、物静かなヨナス、心配性のエリーゼ。それぞれの性格や、クリムゾフィアとの関係性は、ある程度頭に入っている。だが、姿形までは分からない相手と、実際に対面して、違和感なく会話を交わせるかどうかは、また別の話だった。
(幼馴染、なんだよな。あの人たち……)
幼馴染ということは、それだけクリムゾフィアとの距離も近いということだ。従者や領民相手であれば、多少の齟齬も「クリム様らしからぬ、珍しいこともあるものだ」で済まされるかもしれない。だが、長年の付き合いがある相手には、ちょっとした仕草の違いすら見抜かれてしまうのではないか。
そんな不安を抱えたまま、叶はいつしか眠りに落ちていた。
翌朝――シルヴェスタの言っていた「会合」の刻限が近づく頃、城の大広間には、既にただならぬ気配が満ちていた。
円卓を囲むようにして、四つの人影が待ち構えている。
「よお、クリム! 相変わらず無茶しやがって!」
真っ先に声を上げたのは、豪奢な鎧を纏った、体格の良い男だった。快活な笑みを浮かべながら、大股でこちらへと歩み寄ってくる。興奮を隠しきれないのか、額には、紋様のような角の痕がうっすらと浮かび上がっていた。
「森の魔物、単騎で手懐けたんだって? まったく、お前の武勇伝には毎度驚かされるぜ」
(この豪快な物言い……間違いない、ライハルトだ)
容姿までは、配信でも語られたことがなかった。だが、この物怖じしない声の張り方、開口一番から武勇伝を持ち出す気安さ――記憶の中の人物評と、寸分違わず重なる。
「イレギュラーな転移をしたと聞いて、皆で気を揉んでいたのですよ」
柔らかな声でそう続けたのは、儚げな雰囲気を纏った女性だった。案じるような口調、抑えきれない安堵の滲む声色――神事を司る一族の、エリーゼで間違いなさそうだった。その背中のあたりが、心なしか淡く発光しているように見えた。
「まあ、クリムのことだから、大丈夫だとは思ってたけどねぇ」
愉快そうに笑いながら口を挟んだのは、快活な女性だった。飄々とした物言いの奥に、隠しきれない親しみが滲んでいる。抜け目なさで知られる、ヴィオラだろう。
「……して、詳しい事情は」
最後に、静かにそう問いかけてきたのは、落ち着いた声の男だった。物静かな理論家という評の通り、他の三人とは違う、抑えた声色。ヨナスに違いない。長く伸びた耳が、思案するようにぴくりと動いた。
と、そこでふいに、ライハルトの視線が、叶の腕の中へと吸い寄せられた。
「――お? 何だ、可愛いのを連れてるじゃないか」
「まあ、本当に。とても愛らしいこと」
エリーゼも、頬を緩めながら覗き込んでくる。ヴィオラまでもが、興味津々といった様子で身を乗り出した。
「このかわいい猫、一体どうしたんだよ」
「森で懐いてな」
「森で懐いた……?」
ライハルトが、間の抜けた声で聞き返す。
「森で懐いたって……まさか、あの化け物をか!?」
「左様。討伐して参った」
叶が短くそう答えると、ライハルトは呆気にとられたように、口をぱくぱくと動かした。
「お、おい……お前がいない間、王都から精鋭の騎士団を派遣したんだぞ。それでも歯が立たず、結局、手も足も出ないまま引き上げてきたって話だったのに……」
「まさか、それを単騎で、しかもこんな姿にしてしまうとは」
ヨナスが、手元の報告書に視線を落としたまま、静かに呟く。
「クリム、お前……一体どうやってこんな可愛い姿にしたんだよ」
「よくぞ手懐けられましたこと……。さすがはクリムゾフィア様ですわ」
エリーゼが、感嘆したように胸の前で手を組む。腕の中のラヴィは、そんな騒ぎなど我関せずといった様子で、のんびりと欠伸を一つ零していた。
四つの視線が、一斉に叶へと集まる。
(いよいよ、本番か……)
叶は、内心で深く息を吸い込んだ。
「――なに、大したことではない。転移がいささか不安定であっただけのこと」
なるべく重心を低く、それらしい声色を意識しながら答える。配信で幾度となく耳にしてきた、クリムゾフィアの喋り方――多少のことでは動じない、飄々とした調子を思い出しながら。
「不安定、ねぇ」
ヴィオラが、興味深げに目を細めた。その瞳が、一瞬、金色に強く輝いたように見えた。
「クリムの転移が不安定になるなんて、初めて聞いたよ。何年一緒にいると思ってるんだい、私たち」
その一言に、内心でひやりとするものを感じながらも、叶は表情を崩さなかった。
「たまには、そういうこともあろう」
「そういうものかい?」
ヴィオラは、なおも探るような視線を寄越してくる。だが、それ以上深追いすることはせず、ふいと肩をすくめた。
「まあ、いいさ。無事に戻ってきたなら、それで」
「本当に、ご無事で何よりです……」
エリーゼが、胸に手を当てて、心底ほっとしたような息をつく。その様子に、ライハルトが豪快に笑い声を上げた。
「だから言っただろ、エリーゼ。クリムがちょっとやそっとで、どうにかなるわけないんだって」
「そう仰いますけれど、ライハルト様だって、先ほどまで随分と落ち着かないご様子でしたわ」
「ぐ……そ、それはまあ、心配くらいはするだろ、幼馴染なんだから」
豪快な男が、僅かに気まずそうに視線を逸らす。その様子に、場の空気が、少しだけ和らいだ。
だが、ヨナスだけは、依然として静かにこちらを見つめたままだった。
「転移の不安定さについて、原因の見当は」
核心を突くような問いに、叶の背筋が、再び緊張する。
(見当も何も、私が憑いてるせいなんですけど……とは言えるはずがない)
「――それについては、追って調べるとしよう。今はまだ、確たることは言えぬ」
できる限り、それらしい重々しさを込めて答える。ヨナスは、しばし黙考するように視線を落としたが、やがて小さく頷いた。
「承知しました。ですが……もし何かお困りのことがあれば、遠慮なく仰ってください。我々は、そのためにいるのですから」
その言葉に籠められた気遣いに、叶は不意に、胸の奥が僅かに温かくなるのを感じた。現代では、ここまで純粋に案じてくれる関係性など、そう多くはなかった。
「――うむ。心得ておこう」
短くそう答えるのが、叶にできる精一杯だった。
「さて、と。世間話はこれくらいにして、そろそろ本題に入ろうか」
ヴィオラが、円卓に広げられていた書類の束を、とんとんと指先で揃える。その表情が、先ほどまでの気安さから、一転して真剣なものへと変わった。
「収穫祭の件と……それから、例の飢餓の兆しについても、報告が上がってきているんだ」
その一言に、場の空気が、静かに張り詰めていく。
(飢餓の兆し……。これが、あの世界規模の危機の、入り口ってことか)
叶は、腕の中の子猫をそっと抱え直しながら、これから語られるであろう話に、意識を集中させた。
だが、その時だった。
大広間の両開きの扉が、音を立てて開け放たれる。廊下に控えていた衛兵たちが、一斉に片膝をついた。
「――国王陛下、御成り」
凛とした声が響き渡る。
円卓を囲んでいた四人が、弾かれたように立ち上がり、揃って深々と頭を垂れた。叶も、慌ててそれに倣う。腕の中のラヴィだけが、事の重大さを知らぬげに、小さくあくびを漏らした。
悠然とした足取りで広間に入ってきたのは、白銀の髪を持つ、壮年の男だった。纏う衣は質素でありながら、その一挙一動には、有無を言わせぬ重みが滲んでいる。玉座に座す者だけが持ちうる、格の違う気配だった。その瞳は、静かながらも深紅色に光っており、一目で王族の血筋であると知れた。
(この人が……国王、陛下……)
配信の中でさえ、これほど明確な形で語られたことはなかった存在。実物を前にして、叶は自分の想像がいかに貧弱であったかを、思い知らされた。
「面を上げよ」
静かな、しかしよく通る声だった。四人がそれぞれ顔を上げる中、国王の視線は、まっすぐに叶へと向けられた。
「クリムゾフィアよ。此度の討伐、大儀であった。イレギュラーな転移があったと聞き及んだ時には、儂も肝を冷やしたが……こうして息災な姿を見られて、何よりだ。……が、話はそれだけではあるまい」
その一言に、大広間の空気が、一段と重みを増したように感じられた。
「飢餓の兆しについて、そなたらの耳にも、既に届いておるようだな」
国王は、円卓を囲む四人と、その席に連なる叶とを、順に見渡した。
叶は、腕の中のラヴィを抱えたまま、ただ黙って国王の言葉を待つしかなかった。
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あとがき
思いつきと勢いとノリで描き始めたこの作品ですので、多くの矛盾や違和感があると思います。
何かあればご指摘お願いします。
星の評価をいただいたり、応援いただいたりするのって、めちゃくちゃ嬉しいんですね。
これからも投稿頑張りますので、応援お願いします。




