水面下
獣人国王宮。
「国王陛下、ご報告があります」
「なんだ、あまりにも早いじゃないか」
命令を出してから、まだそれほど時間は経っていない。
想定外の事態でも起きたのだろうか。
「人間国軍が撤退しました」
「は?」
間の抜けた声が漏れた。
意味がわからない。
「どういうことだ、説明しろ」
「はっ!出撃直前、謎の魔法攻撃を受けたとのことです。
兵站が壊滅し、指揮系統も混乱。出撃不能になったと」
謎の魔法攻撃。
当然、こちらは何もしていない。
「襲撃してきた敵影は三百ほど。
それ以上の戦力は確認されておりません」
「囮か……危うく誘い出されるところだったな」
増援ありきの作戦だと思っていた。
だが後続が存在しない。
もしあのまま国境で戦闘になっていれば、大損害を受けていたかもしれない。
「軍を国境から一部撤退。
ヴァント周辺と、念のため魔人国側にも兵を回せ」
「はっ!」
名も知らぬ誰かに救われた。
できることなら、その力を借りたいものだ。
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人間国軍部。
「何が起こった!!!」
軍師が机を叩く。
あまりにも想定外だった。
その結果、獣人国側はヴァントと魔人国側へ兵を回した。
戦力だけ見れば、まだ人間国側が優勢。
だが損害は跳ね上がる。
「獣人国め……腕利きの傭兵でも雇ったか」
素性がわからない以上、対処のしようがない。
どれだけ盤面を読み切っても、盤外の駒までは計算できない。
「おい、誰か情報を集めろ!大至急だ!」
斥候の増員を命じ、現地へ向かわせる。
情報による優位こそ勝利への近道。
そのためにも、不確定要素は減らさなければならない。
「クソが……作戦の練り直しだ」
軍師は髪を搔きむしると、手に持った紙を破り捨てた。
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作戦変更によって、潜入の機会は失われた。
ならば別の方法を探すしかない。
「陽動に紛れて侵入するのは無理か」
同じ手は二度も通用しない。
「戦闘に乗じるのも厳しいな」
国境での戦闘は恐らく起きない。
ソルヌ周辺も立ち入り禁止になるはずだ。
謎の襲撃を受けた以上、警戒を強めるのは当然だった。
国軍はヴァント周辺と魔人国側へ兵を集めるだろう。
ヴァントはまず間違いない。
魔人国側も、何らかの取引で黙認している可能性がある。
「となれば……正攻法しかないか」
俺は次の目的地へ向かった。
人魚の国。
人間国と接する、もう一つの国家。
国民のほとんどが女性で構成された特殊な国だ。
男性禁制。
本来なら近づくことすら許されない。
「《変身魔術》」
魔法を発動すると、身体が女性の姿へ変わっていく。
国境の兵士へ特別入国証を見せた。
トピアの闇市で手に入れたものだ。
身体検査も受ける。
「確認しました。どうぞお入りください」
門の先には巨大な湖が広がっていた。
人魚の国は、その湖の底に存在している。
入国証へ魔力を流した瞬間、足が魚の尾へ変化した。
「うおっ……!?」
慣れない感覚にふらつき、そのまま湖へ落ちる。
だが沈まない。
恐る恐る息を吸う。
水の中なのに、普通に呼吸ができた。
「……すごいな」
試しに声を出してみると、問題なく会話もできる。
不思議な感覚のまま、水底へ向かって泳いだ。
やがて目的の場所へ辿り着く。
海巫女の館。
清魔法という、人魚族特有の魔法を扱う巫女がいる施設だ。
ここでは対価を支払うことで、王族や貴族へ手紙を届けてもらえる。
俺は獣人国王へ手紙を送るために来ていた。
建物の中へ入ると、水が左右へ分かれた。
足が元へ戻る。
「ようやく歩ける……」
魚の尾にはまだ慣れない。
「いらっしゃい。おや、見ない顔だね」
声をかけてきたのは、銀髪の人魚の少女だった。
腰まで伸びた髪が、水の膜越しに淡く揺れている。
「獣人国王へ手紙を送りたくて来ました」
少女は興味深そうにこちらを見た。
「獣人国って、近いうち戦争になるって噂の国だろ?
そんな場所に、人間のあんたが何を送るんだい?」
当然の反応だった。
敵国の一般人が、王へ直接手紙を送ろうとしているのだ。
怪しまれない方がおかしい。
「まあいいさ。高くつくよ、こういう時期だからね」
商人から受け取った金袋を差し出す。
少女は中身を確認すると、にやりと笑った。
「この額なら受けてやる。手紙を渡しな」
封筒を受け取ると、海巫女は静かに魔法を発動した。
淡い光が手紙を包み込む。
毒物、呪い、悪意。
そういった危険を調べているのだろう。
やがて光が消える。
「問題なし。届けることはできるよ。
ま、読まれるかは保証しないけどね」
「それで十分です。お願いします」
次の瞬間、手紙が泡となって消えた。
無事に届けばいいが。
「……それにしてもさ」
海巫女が面白そうに笑う。
「君、男でしょ?」
背筋が冷えた。
変身を見破られた。
この国で男だと発覚すれば、ただでは済まない。
「安心しなよ。言いふらすつもりはないさ」
海巫女はくすくす笑う。
「男がわざわざ女になって、敵国の王に手紙を送る。
面白すぎるだろ」
「そ、そりゃどうも……」
どうやら清魔法で見抜かれたらしい。
「その代わり、一つお願い聞いてよ」
「……なんですか?」
「変身魔法、見せてほしいんだ。
どこまで本物の女になってるのか気になる」
拒否権はなかった。
断れば何をされるかわからない。
「いやぁ、本当に完璧だねこれ。
触った感じまで普通の女の子じゃないか」
「うぅ……お嫁にいけない……」
変身魔術の影響か、思考まで少し引っ張られている気がする。
海巫女は楽しそうに笑った。
「また来なよ」
「あ、はい……」
とにかく早足で館を後にする。
やるべきことは済ませた。
後は、獣人国王がどう動くかだ。




