変身魔術
ルナと二人で暮らし始めて、ひと月が経った。
家を作るための木材を集め。
食べられる植物の調査。
生活に必要なことは一通りこなす。
空いた時間で、森の外の話をした。
ヴァントでの戦いについても話した。
そのどれもが、ルナには新鮮だったらしい。
特に森の外についての話が、興味を惹かれたようだ。
「魔石車って本当にそんなに速いの?」
「お肉ってどんな味なんだろう……」
目を輝かせながら質問してくる。
エルフだとか、聖の魔力だとか。
そういう特別な部分を除けば、ルナは年相応の少女だった。
魔法も教えてみた。
「《火球!》」
「《土壁!》」
驚くほど上達が早かった。
杖も使わず、詠唱も短い。
しかも威力まで高い。
魔力の流れに一切無駄がないのだ。
魔力は無限でも、制御に難がある俺とは正反対だった。
少し悔しくなるくらい才能がある。
それでも、楽しそうに魔法を使うルナを見ていると、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「《超回復薬生成》!」
ポーション作りも忘れずに行っておく。
備えておくに越したことはない。
救える命を繋ぎ止めるために。
深淵の森での生活は、少しずつ形になっていった。
そして、森に来てからひと月。
再び《魔法創造》が使えるようになった。
俺には考えていることがあった。
――一度、森の外へ出る。
この森での生活を快適にするために必要な物資の調達。
快適とはいかなくても、せめてルナが不自由なく過ごせるようにしたい。
それに、知識を蓄えるための本も欲しい。
この森にいる限り、時間にゆとりがある。
それを有効活用したい。
中級魔法に、戦術など、学びたいものはたくさんある。
生き延びるためにも、手札は増やしておきたかった。
だが何より――
ルナに外の世界を見せてやりたかった。
あの好奇心に満ちた瞳を見ていると、そう思わずにはいられなかった。
普通の少女としての時間を、少しでも過ごしてほしい。
そのためには越えなければいけない問題がある。
俺はお尋ね者だ。
この森に来た最大の理由。
不用意には出歩けない。
ルナも、そのまま外へ出れば危険すぎる。
エルフという存在が、及ぼす影響は想像もつかない。
そしてもう一つ。
森を覆う結界だ。
外へは出られる。
だが、一度出れば戻れない。
結界の内部へ侵入する際に検知される仕組みとなっている。
《霊体化魔術》はルナには使えない。
両方を同時に解決する方法はない。
なら、やることは決まっている。
一つずつの解決を目指す。
魔法の創造。
《変身魔術》
容姿や声を変化させられる。
他者に使う場合は身体の一部分しか変えられない。
制約:
『変身の精度に応じた、精神への負荷がかかる』
『変身中は魔力が制限される』
使い方によっては、最強の魔法の誕生である。
だが、重大な欠陥がある。
ここで触れられた変身とは、単に肉体を変えるだけではない。
自分は別人である
と、魂そのものに錯覚させる魔法なのだ。
変える箇所が少ないうちは影響も小さい。
例えば、耳だけなら、一時的に自分の耳の形を誤認する程度で済む。
他者に使う場合には、致命的な問題にならないだろう。
だが全身を変え続ければ、自我は徐々に侵食される。
特に実在する人物への変身は危険だった。
他人を精密に再現するほど、自分との境界が曖昧になる。
最終的には、自分が誰だったのかすらわからなくなる。
便利な魔法ではない。
使い方を誤れば、自分が自分でなくなる。
一度変身を試してみた。
水面を覗き込むと、見知らぬ獣人のおじさんの顔が映った。
声を出してみれば、聞いたこともない野太いものになっていた。
「……とんでもない魔法ができたな」
それでも必要だった。
ルナを外へ連れて行くために。
その頃。
ルナは森の外を眺めていた。
遠くに見える町。
走り回る子供たち。
屋台で楽しそうに食事をする人々。
ロイから聞いた外の世界。
それが今、目の前にある。
「……行ってみたいな」
もっと近くで見てみたい。
そう思って、無意識に結界へ手を伸ばした。
その瞬間。
触れた場所の魔力が、音もなく消えた。
「え……?」
人ひとり通れるほどの空間だけ、結界が消失している。
身体の奥を、聖の魔力が流れていく感覚があった。
「外に……出られるかもしれない」
ルナは慌ててロイの元へ駆け出した。
「結界を無力化した!?」
驚きのあまり、木の上から落ちかけた。
「うん……触ったら、聖の魔力が流れて……」
半信半疑のまま現地へ向かう。
そこには確かに、結界の魔力が完全に消えた空間があった。
視認上は存在しているが、ぽっかりと魔力だけ消えている。
大きさは人が一人通れるくらいだろうか。
「……本当に消えてる」
聖魔法。
常識外れにもほどがある。
だが――これは大きい。
変身魔術と合わせれば、森の外へ出られる。
俺はルナの方を向いた。
「なあ、外の世界を見に行ってみないか?」
一瞬でルナの表情が明るくなる。
「うんっ!」
その返事は、今までで一番嬉しそうだった。
その頃、深淵の森の外では――。
張り巡らされた結界の一部が、一瞬だけ揺らいだ。
それを感知した者がいる。
「……今のは」
暗がりの中、誰かがゆっくりと顔を上げた。
沈黙。
そして次の瞬間、小さく笑う。
「ようやく見つけた」
歓喜を押し殺したような声だった。
長い間、決して開くことのなかった深淵の森。
その入口が、今わずかに開いた。
「これで――入れる」
静かな声だけを残し、その気配は闇へ溶けていった。




