忘却させられた歴史
カトレアと別れてから数日。
俺は再びトピアに潜伏していた。
これからのことを考えなければならない。
風の噂では、国軍が本腰を入れて俺を探し始めているらしい。
今まで不干渉を貫いていたこの町も、もう安全とは言えなさそうだ。
もし懸賞金でもかけられていれば、むしろこういう無法地帯の方が危険になる。
とはいえ行く当てもない。
各地を転々としながら身を隠すしかないだろう。
そんなことを考えながら、長旅に備えて物資を調達していると――
「やあ、また会ったね」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、以前依頼を持ちかけてきたフード姿の商人が立っていた。
改めて見ると妙な人物だ。
隠蔽魔法でも使っているのか、顔は影に覆われて見えない。
声色まで不自然にぼやけていて、年齢も性別も判別できなかった。
「ああ、奇遇だな」
「依頼の件、うまくいったみたいだねぇ」
どうやら既に把握しているらしい。
相変わらず得体が知れない。
「お前、一体何者なんだ?」
思わずそう聞いたが、商人は肩をすくめた。
「さあねぇ。強いて言うなら、平和を愛する者ってところさ」
煙に巻くような返答だった。
深く詮索しない方が良さそうだ。
「ところで、お前さん。今かなり困ってるだろ?」
図星だった。
依頼の件を知っているなら、俺の立場も予想できるのだろう。
「ああ。もうこの町にも長くはいられない。
身を隠せる場所を探してる」
正直に答える。
下手に隠すより、情報を引き出した方が得策だと思った。
商人は少し考えるように顎へ手を当てる。
「それなら、深淵の森に行くといいさ」
「深淵の森?」
五大国すべてが不可侵条約を結んでいる禁足地。
危険な魔物が生息し、踏み入った者は誰一人戻らない。
その程度のことしか知らない場所だ。
確かに、そんな場所なら追手も来ないだろう。
「そうするよ。情報助かる」
礼を言って立ち去ろうとすると、商人が思い出したように。
「ああ、せっかくだし昔話を一つしてあげようか」
その言葉を聞いた瞬間、なぜか足が止まった。
惹きつけられる何かを直感した。
商人は静かに口を開く。
「深淵の森は、昔エルフの国だったのさ」
「……エルフ?」
聞いたこともない言葉だった。
種族名……なのか?
俺が困惑していると、商人は少し驚いたように笑う。
「ああ、そうか。知らなくて当たり前か」
妙な言い方に嫌な予感がした。
「数百年前、この大陸には六つの国が存在していた。
人間、獣人、人魚、竜人、魔人……そしてエルフ」
商人の声だけが静かに響く。
「エルフは世界樹を守る種族だったみたい。
聖魔法っていう特殊な魔法を扱えたらしいね」
世界樹。
魔力の始祖とも呼ばれる伝説級の存在。
そんなものを守る種族。
それだけで、どれほど特別な存在だったか想像できる。
「当然、欲をかく者たちは世界樹と聖魔法に目をつけた。
でもエルフは強かった。誰も手出しできなかった」
そこで商人は一拍置いた。
「だから五大国は手を組んだ」
背筋が凍るのと同時に、冷たい汗が吹き出した。
「全大国を巻き込んだ大戦争。
いくらエルフが強くとも限界がある。
圧倒的物量、文明格差、長期戦。
様々な要因の末、エルフの国は滅んだ」
言葉が出てこない。
「終戦直後、エルフ自身が世界樹を燃やした。
欲深い連中に渡すくらいならばいっそと。
焼け落ちた世界樹と、死にゆくエルフたちの怨嗟。
それが瘴気という呪詛になった。」
深淵の森が、なぜ禁足地となったか。
不可侵条約が結ばれているのか。
腑に落ちた。
「森に踏み入った者は呪われる。
だから五大国は不可侵条約を結んだ。
呪いを外に出さないためにね」
あまりにも荒唐無稽な話だった。
だが商人の声には妙な現実味がある。
「そんな話……聞いたこともない」
「当然さ」
商人は軽く笑う。
「歴史そのものから消されたんだから。
忘却魔法でね」
忘却魔法。
最上級魔法の一つ。
記憶そのものへ干渉する禁忌の魔法。
それを使ってまで隠した歴史。
触れてはいけない何かを感じる。
だが、知った以上聞かなければいけないことがある。
「二つ聞きたいことがある」
「おや、なんだい?」
「まず、なんでお前はそのことを知ってる。
そして、なんで俺を深淵の森へ向かわせようとした?」
当然の疑問だった。
商人は少し困ったように笑う。
「一つ目には答えられないかな。でも二つ目は教えるさ」
そして、ゆっくりとこちらを指差した。
「君から、ほんの微量だけど聖魔法の気配がするからさ」
「……は?」
心当たりなんて無い。
すぐに分析魔法を発動する。
「《ステータス開示》」
表示された属性の中に、聖魔法なんて存在しない。
「気のせいかもしれないけどねぇ」
商人は面白そうに笑った。
「まあ、深淵の森が危険な場所なのは間違いない。
無事じゃ済まないかもしれない。
行くかどうかは、お前さん次第さ」
そう言い残し、商人は人混みの中へ消えていった。
慌てて追いかけたが、角を曲がった先には誰もいない。
もう姿はどこにもなかった。
深淵の森。
瘴気に侵された禁断の地。
行けば無事では済まないかもしれない。
それでも――他に道は無かった。
「行くか、深淵の森に」
次の目的地は決まった。




