焦燥
もし勝機があるとするなら。
まだ気づかれていない今しかない。
カトレアは息を殺し、短剣を強く握り締めた。
全身へ魔力を巡らせる。
身体強化。
今まで生きてきた中で、間違いなく最高の精度だった。
身体が羽のように軽い。
視界が鮮明になる。
風の流れすら感じ取れそうだった。
「これなら……」
踏み込もうとした、その瞬間。
「ようやく出てきたなァ、ネズミがぁ!!」
怒号。
司令官の視線が真っ直ぐこちらを射抜いた。
背筋が凍る。
次の瞬間、凄まじい速度で剣が振り抜かれる。
「っ!?」
咄嗟に跳んで回避する。
だが、頬が浅く裂けた。
速い。
見えていたのに、避けきれない。
「お前の気配なんざ、とっくに気づいてたわ」
司令官は下卑た笑みを浮かべた。
「逃げられねぇように芝居してやったら、まんまと釣られやがったな」
しまった。
気づかれていた。
獣人が潜伏していると理解した上で、わざと聞こえるように話していたのだ。
完全に、相手の方が一枚上手だった。
「小娘ごときが、俺様を殺せると思ったのか?
甘ぇんだよ!!」
荒々しく振り下ろされた剣が地面を砕く。
砕けた岩が飛び散り、衝撃で木々が揺れた。
まともに受ければ終わる。
回避だけで精一杯だった。
しかも、まだ本気ではない。
遊ばれている。
それでも実力差は絶望的だった。
傷一つつけられる気がしない。
勝てない。
そんな考えが脳裏をよぎる。
だが、ハッタリであるならば。
「ああん? 獣人国への侵攻の話か?」
司令官が嗤う。
「ありゃ全部本当だぜ」
ぞわっと背筋が粟立つ。
完全に退路が消えた。
逃げれば、故郷が滅ぶ。
母が。
妹が。
死ぬ。
カトレアは短剣を握る手に力を込めた。
もう、覚悟を決めるしかない。
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一方その頃。
俺は最後の兵士が撤退していくのを確認すると、すぐに反転した。
拠点へ向かう。
途中、敗走してくる兵士を見つけるたびに無力化していった。
大きな魔法は使わない。
反撃していると気づかれれば、拠点側が警戒を強める。
《風の刃》
音もなく放たれたそれが、兵士たちを切り裂いていく。
気づけば倒れている。
まさにかまいたちだった。
俺は数々の兵士たちを薙ぎ払いながら走り続けた。
やがて、拠点目前まで迫った時。
一人の兵士が白旗を掲げた。
「降参だぁ……俺ぁもう戦わねぇ」
地面へ座り込み、大きな欠伸をする。
警戒はした。
油断させて追い打ちをかけられるかもしれない。
だが、その男からは完全に戦意が消えていた。
「腹減ってるし、魔力も空っぽだし、やってられねぇよ……」
俺は少し考えた後、保存食を放った。
「情報が欲しい」
男は目を輝かせ、それを一瞬で平らげる。
「うめえ、うめぇ……」
思えば最初から俺に敵意が無かったように感じる。
俺は真っ直ぐ男を見た。
「あの黒い砲台はなんだ?」
男は口を拭いながら答えた。
「あれは魔力圧縮魔術砲なんて大層な名前がついていたなぁ。
大量の魔力を圧縮して、その反発をぶつける兵器らしい」
相当に危険な代物だった。
一歩間違えれば国が吹き飛ぶ。
まさに兵器だった。
「獣人国の首都にぶっ放す算段だったんだよな、壊れちまったけど」
「……っ」
やはりヒドラだけでは終わっていなかった。
同時に理解する。
カトレアは絶対に撤退しない。
故郷を守るためなら、命すら投げ出す。
胸が締め付けられる。
今すぐ駆け出したい。
だが、焦るなと自分へ言い聞かせる。
カトレアを信じろ。
そうでなければ、彼女に失礼だ。
俺は拳を握り締め、最後の質問を口にした。
「拠点には、誰が残ってる」
もう一つ保存食を取り出した。
男は受け取ると、機嫌良さそうに答える。
「負傷兵と技術者、それと司令官だけだ」
「司令官?」
「あのクソジジイ、強さだけなら化け物だぜ」
Sランク級に匹敵する実力者。
国でも随一。
さらに兵士は続ける。
「あのジジイが身に着けている鎧、対魔法装甲だ。魔法が効きづれぇ」
すべてにおいて相性が最悪だった。
俺は唇を噛み締める。
もう、大切な人を失いたくなかった。
気付けばその足はカトレアの元に駆け出していた。




