第15話 悪夢の睡眠導入剤 15-2
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それから数日後、慎二は今宵薬局を訪れた。
昼ではなく、夜に。
この店は夜の方が本性を見せる気がしたし、慎二自身、こういう手合いには夜の方が強く出られると思っていた。
商店街にあるどこにでもあるだろう薬局の佇まい。ガラス戸の向こうには、柔らかな光が漏れている。
カウンターの向こうにいたのは、自分とそう変わらない男だった。
ガラス戸を開けると、カラン、カラン、と鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声。店の奥から、一人の人物が現れた。
年ごろは20代後半だろうか、中性的な顔立ち。眼鏡をかけ、黒髪を後ろで結び白衣を着ている。
「ようこそ、今宵薬局へ」
「……どうも」
慎二は店内を見回し、わざとらしく咳払いした。
「店主さんですか」
「ええ、そうです」
慎二は鞄から封筒を取り出し、中の書類をカウンターの上に広げた。
「単刀直入に言います。この土地と建物についてですが、権利関係の整理が済みましてね。こちら、正式な移転書類です」
もちろん、偽造だった。
完全な素人仕事ではない。過去に何度か裏で使ったことのある、かなり巧妙な作りの書類だ。細かく見れば粗はあるが、たかが薬局の店主がその場で見抜けるとは思えない。ここで一気に畳みかけ、一ヶ月以内の退去を飲ませる。そのつもりだった。
「再開発の計画が進んでましてね。ここも対象区域なんです。できるだけ円満に進めたいので、今なら多少の立退料も――」
葉月は書類に目を落とした。
だが、驚きもしなければ慌てもせず、ただ一枚ずつ静かに目で追っていく。その様子が、慎二には妙に気味悪く思えた。
やがて店主は書類をそっと揃え、慎二の方へ押し戻した。
「なるほど」
それだけだった。
「……なるほど、って」
「大変でしたね。こんな夜更けまで」
慎二は眉をひそめる。
「話、分かってます? 一ヶ月以内に立ち退いてもらいます。これはもう決まった流れなんで」
葉月は慎二の顔をまっすぐ見た。
「それより、宮本さん。目の下に、ずいぶん隈ができていますね」
慎二は一瞬、言葉を失った。
「……は?」
「寝不足ではありませんか」
「いや、寝不足って……」
拍子抜けするほど場違いな指摘だった。慎二は思わず鼻で笑ったが、同時に、自分でも不快なほど核心を突かれた気がした。
このところ、確かに寝つきが悪かった。
再開発の件で頭が冴えているのもある。土地の買い集めが順調すぎて、逆に見落としがないか気になっていた。今宵薬局の土地の件も引っかかっていた。床に就いても神経だけが起きていて、浅い眠りを何度も行き来する。朝方にようやく落ちても、夢ばかり見て疲れが取れない。
だが、そんなことをこの男に見透かされる筋合いはない。
「余計なお世話です」
「そうでしょうか」
店主は少しも気分を害した様子を見せず、棚から小さな包みを一つ取り出した。
「こちら、睡眠導入剤です。合う方には、すっと眠れます」
慎二は呆れた。
「……あのね、俺は立ち退きの話をしに来たんですよ」
「ええ、伺っています」
「なのに、なんで睡眠導入剤なんか」
「眠れないまま考えごとを続けると、視野が狭くなりますから」
店主は白い包みをカウンターに置いた。
「よろしければ、お持ちください」
慎二は数秒、包みを見つめた。
気味が悪い。 だが、同時に、欲しくもあった。
睡眠不足で判断が鈍るのは避けたい。薬屋の出す薬なら、妙なものではないだろう。今ここで突っぱねるのも子供っぽい。何より、店主が妙に落ち着いているのが癪に障った。これを受け取ったところで、自分が優位だという事実は変わらない。そう思い直す。
慎二は包みを鞄にしまった。
「もらっておきます」
そして書類を叩くように指で示し、
「でも、一ヶ月以内に出ていってもらいますからね。準備しておいてください」
そう言い残して店を出た。
扉が閉まる寸前、慎二は振り返らなかった。だから、店主の顔からいつもの柔らかな笑みが消え、水晶球に指を添えた口元だけが、三日月のようにわずかに深く歪んだことを知らなかった。
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