第13話 華麗なる女優 13-1
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黄昏れ時、シャッター街と化した商店街に一店舗だけ営業している店があった。
その店の店名は今宵薬局と書かれている。
店名が書かれた看板は古いが、店内はありふれた薬局の様子での薬が所狭しと並べられている。ただ、その薬は一般的に流通している市販品とは違う印象がある。
そしてカウンターの向こうに男がひとり座ってなにやら水晶球をじっと眺めている。
男は20代後半で顔は整っている。しかし、よく見ると化粧で誤魔化されているが口の周囲にうっすらと縫合の傷跡がある。その男はこちらに気づくと、にこやかな顔になった。
「やあこんにちわ、いや、もうこんばんわかな、今宵薬局へようこそ。私はここの店主の「 」です。ここに訪れるお客様は、みんな悩みを抱えた方ばかり。今回のお客様は華やかな世界に憧れ努力するものの目が出ず打ちひしがれている方です。こういうのはちょっとしたことで変わるのですが。さて、このお客様にはどのような処方をいたしましょうか」
店主が除く水晶球にはある若い女性の姿が映り込んでいた。
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小鳥遊紗英は、26歳。女優志望。都内の小劇団に所属しながら、日中はカフェでアルバイトをし、夜は演技レッスンとオーディションを繰り返す、ごくありふれた――そして、本人にとっては少しもありふれていてほしくない日々を生きていた。
紗英は昔から「おとなしいね」と言われてきた。
幼いころから人見知りだったわけではない。むしろ人の話を聞くことは好きだったし、誰かの気持ちの小さな揺れに気づくのも得意だった。ただ、自分のことを前に押し出すのが苦手だった。強く話しかける人がいれば一歩引き、明るく笑う人がいればその笑いを邪魔しないよう口をつぐむ。そうしているうちに、「優しい」「感じがいい」と言われる代わりに、「印象が薄い」と言われるようになった。
演技の世界に入ってから、それは欠点に変わった。
演技学校の講師にはこう言われた。
「悪くないんだよ、君。芝居も丁寧だし、感情もちゃんとある。でもねえ……弱いんだよね、存在感が」
劇団の演出家にはこう言われた。
「台詞回しは繊細でいい。ただ、舞台に出た瞬間に客席の空気を掴めるタイプじゃない。照明を当てても、まだ足りない感じがする」
事務所の面接では、さらに端的だった。
「目を引く何かがほしいですね」
その「何か」が分からなかった。
顔が特別に悪いわけではない。声も聞き取りづらいわけではない。演技力だって、飛び抜けて下手ではないはずだ。なのに、人の記憶に残らない。
一次審査ではそこそこ通る。だが、最終で落ちる。
配役会議で名前が挙がっても、「他にもっと華がある子がいる」と言われて終わる。
同じレッスンを受けていた仲間が、少しずつCMやドラマの端役を掴み、やがて準主役にまで昇っていく一方で、紗英だけはいつまでも「通行人A」や「受付係」といった役から抜け出せなかった。
紗英はそれでも腐らないように努めてきた。
自分はきっと、ゆっくり伸びるタイプなのだと思おうとした。演技は筋肉と同じで、正しく積み上げればいつか形になる、と。派手さではなく、芝居で見せられる役者になろう、と。
けれど人は、何年も暗い客席に立たされ続けると、自分の中の小さな灯りさえ疑うようになる。
その日、紗英はある映像作品のオーディションを受けていた。
二十代後半の女性教師役。台本の一場面だけを演じる短い審査だった。紗英は前日も深夜まで練習し、声の出し方を録音して確認し、鏡の前で表情を整えた。落ち着いた役柄はむしろ得意分野だと思っていた。
順番が来て演技を終えたとき、手応えはあった。
だが審査員席の男は、手元の資料をめくりながら「はい、ありがとうございます」とだけ言った。顔もほとんど上げなかった。
次に入ってきたのは、同じ養成所に通っていた後輩の一人だった。紗英より二つ下で、明るく、声がよく通る子だ。審査室に入った瞬間、空気がわずかに変わるのが分かった。彼女が軽く挨拶しただけで、審査員の目が上がる。誰かが笑う。会話が生まれる。
何が違うのだろう。
同じ部屋、同じ役、同じ台詞なのに。
紗英は廊下に出てから、しばらく動けなかった。
自販機の前で紙コップの水を飲み干しても、喉に詰まったものが取れない。
結局、結果はその日の夕方にメールで届いた。簡潔な不採用通知だった。
いつものこと。そう思おうとした。思おうとして、できなかった。
帰りの電車では、窓に映る自分の顔ばかり見ていた。何が足りないんだろう。目だろうか。声だろうか。姿勢だろうか。表情だろうか。全部だろうか。
カフェの夜番に入ると、店長にこう言われた。
「紗英ちゃん、ごめん、新人の子にレジ代わってくれる? あの子のほうが通る声してるから、表に立ってもらいたくて」
「……はい」
別に叱られたわけではない。合理的な判断なのだろう。
だが、その「通る声してるから」が胸に刺さった。
閉店後、同僚たちは賑やかに駅まで歩いた。新しく入った男の子が誰々を可愛いと言っていたとか、今度みんなで映画に行こうとか、そういう話で盛り上がっている。紗英は同じ輪の中にいたのに、一度も話題の中心に入れなかった。最後に別れるときになって、ひとりの同僚が「あれ、紗英ちゃんいたんだ。ごめんごめん」と笑った。
その瞬間、紗英は初めて、自分の中に黒い感情が湧くのを感じた。
悔しい。
悲しい。
それより何より、惨めだった。
自分がそこにいるのに、誰にも見てもらえない。
女優になりたいなどと口にしているくせに、現実では、友人の輪の中ですら空気みたいに扱われている。
駅前の明るい通りを避けるように、紗英は知らない細道へ入っていった。夜風に当たりたかった。少し歩けば落ち着くと思った。そうして曲がり角をいくつか抜けたところで、彼女は見慣れない店の前に立っていた。
「今宵薬局」
商店街にあるどこにでもあるだろう薬局の佇まい。ガラス戸の向こうには、柔らかな光が漏れている。
紗英は、ちょうどのど飴が切れたのを思い出し、この薬局で購入することにした。
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