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今宵薬局  作者: 蟷螂
64/84

第12話 嘘を見抜く目薬 12-4

5


ある日曜日の朝。


誠一郎は自宅のリビングで、妻の洋子とコーヒーを飲んでいた。


洋子は誠一郎の5歳年下で、結婚して25年になる。


誠一郎は習慣で、目薬を差していた。


洋子がコーヒーを注ぎながら、微笑んで言った。


「最近、顔色が良くなったわね。会社、うまくいってるの?」


誠一郎は洋子を見た。


黒い。


うっすらと、洋子の輪郭が黒く滲んでいる。


(……洋子が、嘘を?)


誠一郎は動揺した。


「まあ、少しずつな」


「そう。良かった」


洋子は普通に微笑んでいる。


でも、誠一郎の目には黒く見える。


(何を隠しているんだ)


その夜、誠一郎は洋子の言動を注意深く観察した。


洋子は誠一郎に聞かれた。


「夕食、どうだった?」


「美味しかったよ」


普通に見えた。


では、朝の「顔色が良くなった」という言葉が、嘘だったのか。


(……洋子は、俺の顔色が悪いと思っている。でも、心配させまいと良いと言った)


誠一郎は気づいた。


でも、その気づきは、疑惑を消さなかった。


(他にも、何か隠しているのかもしれない)


翌週、誠一郎は長年の親友・倉田に会った。


大学からの友人で、今は別の会社を経営している。


月に一度、二人で食事をするのが習慣だった。


誠一郎は目薬を差して、倉田と向き合った。


「最近、会社の調子はどうだ?」


倉田は笑顔で答えた。


「まあまあだよ。誠一郎のところはどうだ? 顔見たら少し楽になったみたいだな」


誠一郎は倉田を見た。


黒い。


倉田の輪郭が、黒く滲んでいる。


(倉田も……嘘をついている)


誠一郎の心が、冷えた。



6


それから、誠一郎の心は変わっていった。


妻の洋子が「大丈夫よ」と言うたびに、誠一郎は目薬で確認した。


黒いときもあった。黒くないときもあった。


黒いとき、洋子は何かを隠している。


でも、何を隠しているのか、わからない。


だから疑う。


なぜそんなことを言ったのか。何を隠しているのか。本当は何を考えているのか。


洋子との会話が、少しずつ減っていった。


倉田との食事も、変わっていった。


以前は気楽に話せた。


でも今は、倉田の顔を見るたびに目薬が気になる。


倉田が何気なく言った一言が黒く見えるたびに、誠一郎は心の中で距離を置いた。


倉田は気づいていた。


「誠一郎、最近どうした? なんか、よそよそしいぞ」


「そんなことない」


「本当か? 何かあったら言えよ」


その言葉は、黒くなかった。


でも、誠一郎は素直に頷けなかった。


(倉田も、いつかは黒くなるかもしれない)


会社でも、変化が起きていた。


嘘をついている人間を排除したはずなのに、誠一郎の目には相変わらず黒い人間が映る。


新しい幹部たちも、時々黒く見える。


日常の小さな嘘。


「この資料、すぐ仕上げます」と言いながら、実際には時間がかかる。


「問題ありません」と言いながら、実際には小さな問題がある。


そういう些細な嘘まで、目薬は見抜いてしまう。


誠一郎は、誰も信じられなくなっていた。


(みんな、嘘をついている)


(誰が本当に信頼できるんだ)


ある夜、誠一郎は一人で社長室に残っていた。


業績は回復している。


幹部の不正は一掃した。


でも、誠一郎の心は晴れない。


妻との会話は減った。


親友との食事は気まずくなった。


新しい幹部たちとも、表面的な関係しか築けていない。


(俺は……何を手に入れたんだ)


誠一郎は窓の外を見た。


夜の街が、眼下に広がっている。


美しいはずの景色が、今夜は冷たく見えた。


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