第10話 休息の湿布薬 10-4
10
レース後、美樹は一人でトラックに座っていた。
観客席からは、歓声が聞こえる。
美樹は自分の脚を見つめた。
湿布はない。
でも、脚は軽い。
痛みもない。
(なんで……)
美樹は考えた。
あの湿布は、本当にドーピング薬だったのか?
もしそうなら、湿布がなくなった今日、こんなに速く走れるはずがない。
でも、走れた。
自己ベストを更新した。
それも、これまでで一番速かった。
美樹は気づいた。
(もしかして……)
美樹は思い出した。
あの湿布を貼り始めてから、脚の痛みが消えていった。
そして、毎日少しずつ体が軽くなっていった。
(あの湿布は……)
美樹は理解した。
(運動能力を限界以上に引き上げるドーピング薬じゃなかった)
(私が焦りから溜め込んでいた、極限の疲労と筋肉の炎症を、完全に抜き去っただけの……)
(よく効く疲労回復の湿布だったんだ)
美樹は涙が溢れてきた。
(湿布が徐々に疲労を抜き去って……)
(今日、湿布が尽きた大会当日こそが……)
(疲労が完全に抜けきって、私のこれまでの努力の成果が100%発揮される……)
(最高のコンディションだったんだ)
美樹は泣いた。
(私が速く走れたのは、魔法じゃない)
(今まで私が、泣きながら積み重ねてきた努力の実力だったんだ)
美樹は嬉し涙を流した。
11
後日、スポーツ推薦の話が正式に決まった。
顧問の先生が、美樹を呼んだ。
「田中、おめでとう。大学から推薦の話が来たぞ」
美樹は涙を堪えながら、頭を下げた。
「ありがとうございます」
先生は続けた。
「でもな、田中。お前、最近まで無理してただろ?」
美樹は顔を上げた。
「え……」
「休養日も隠れて走り込みしてたの、知ってたぞ」
美樹は驚いた。
「すみません……」
「いいんだ。でもな、これからは気をつけろ。努力は大事だが、休息も同じくらい大事なんだ」
先生は優しく微笑んだ。
「体を壊したら、元も子もないからな」
「はい」
美樹は深く頷いた。
12
それから数週間後。
美樹は、憑き物が落ちたような晴れやかな顔でトラックを走っていた。
もう無理なオーバートレーニングはしない。
しっかりと休息を取り入れながら、計画的に練習をする。
美樹は風を感じながら、笑顔で走っていた。
(これが、本当の私の走りだ)
今宵薬局。
店の奥で、「 」は水晶球でその様子を眺めていた。
球の中には、晴れやかな顔で走る美樹の姿が映っている。
「 」は静かに微笑んだ。
「『急がば回れ』。人間は焦ると、休むことすら怖がってしまうものです」
水晶球の中で、美樹がゴールし、仲間たちと笑顔でハイタッチをしている。
「 」は満足げに微笑み、静かに水晶球に布をかけた。
「彼女の足枷は、もう完全に外れたようですね」
「 」は静かに立ち上がり、店の扉を見つめた。
また、誰かが扉を開ける日まで。
美樹は今日も、トラックを走っている。
脚は軽く、心は晴れやかだ。
もう焦りはない。
ただ、前を向いて、自分の脚で走り続ける。
それが、美樹の新しいスタートだった。
第10話休息の湿布薬 -了-
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