第9話 ココロの絆創膏 9−2
2
夜の商店街。
拓也は駅へ向かう道を歩いていた。
いつもは通らない、古い商店街。
シャッターが下りた店ばかりが並んでいる。かつては賑やかだったであろう通りは、今では薄暗く、人通りもまばらだ。
拓也はふと、足を止めた。
その中に、一軒だけ明かりの灯った店があった。
「今宵薬局」
商店街にあるどこにでもあるだろう薬局の佇まい。ガラス戸の向こうには、柔らかな光が漏れている。
拓也は初めて見る店だった。
(いつからここにあったんだろう)
不思議と、足が向く。
拓也はドアに手をかけた。
カラン、と柔らかな鈴の音が鳴った。
店内は、静かで落ち着いた雰囲気に包まれていた。
ガラス戸を開けると、カラン、カラン、と鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声。店の奥から、一人の人物が現れた。
年ごろは20代後半だろうか、中性的な顔立ち。眼鏡をかけ、黒髪を後ろで結び白衣を着ている。
「ようこそ、今宵薬局へ」
その人物——店主は、微笑んだ。
「何かお求めでしょうか。」
店主のただの挨拶。
でも、拓哉は何を言えばいいのかわからなかった。
しどろもどろながら出てきた言葉は
「不安を無くす薬とかありますか」
拓哉は自分の発言のおかしさに気づき、訂正しようとする。
「す、すいません。そういうのは薬局ではなく、精神内科ですね。すいません」
やや、支離滅裂なことを言ってしまい、また焦る拓哉。
それを聞いていた店主は苦笑いをするでもなく、真面目に聞いていた。
「不安を無くす薬……ですか。お客さまは不安がいっぱいということでしょうか」
「き、気にしないで下さい。僕、人に何か言われると、頭の中でぐるぐるとその言葉が繰り返されるんです。すいません」
店主は拓哉の言葉を聞いて、少し考えたのち、棚の奥から箱を取り出した。
店主はそれをカウンターに置いた。
「これは『ココロの絆創膏』です」
「ココロの……絆創膏?」
「ええ」店主は箱を開けた。
中には、透明な絆創膏が5枚入っていた。
「心の傷に貼るものです」
拓也は目を見開いた。
「心の……傷に?」
「ええ」店主は静かに説明した。「自分の心が傷ついた時、何に傷ついたのかを声に出しながら、体のどこでもいいので貼ってください。そうすれば、その痛みを感じなくなります」
拓也は半信半疑で絆創膏を見つめた。
「ははっ、店主さん私をからかっているんですか。不安を軽減する薬ってならわかりますが、絆創膏でどうこうなるわけないじゃないですか。」
店主はこの手の質問に慣れているのか、落ち着いた感じで説明をする。
「いえいえ、お客さま。この絆創膏は一種の貼り薬でもありまして、この絆創膏に含まれる成分が肌を通して徐々に身体浸透して効果を発するのです。」
その説明を聞いても訝しがる拓哉に店主は説明を続ける。
「この絆創膏、枚数五枚しかありません。つまり試供品なのです。試供品ですからお金をいただきませんし、仮に効果がなかったとしてもわたしにからかわれた、程度で済みます」
とせつめいして、店主はそっと拓哉の前にココロの絆創膏を差し出す。
「そ、そこまで言うんでしたら、もらいます」
拓也は絆創膏を手に取り、ポケットに入れる。
そして店主にお礼を言って、
「ただし……」
拓也は店主を見た。
「この絆創膏は、痛みを消すだけです。それが良いことなのか、悪いことなのかは分かりません」
店主は静かに微笑んだ。
「使い方は、あなた次第です」
拓也は箱を握りしめた。
「これで…楽になれるんですか?」
「さあ。それはあなたが決めることです」
店主は穏やかに微笑んだ。
拓也は箱を受け取り、店を出た。
鈴の音が、静かに響いた。
3
月曜日の朝。
朝礼。
先週と同じシーン。
「佐々木、先週の商談、あと一歩だったな。今週は決めてこい」
田中部長の言葉。
いつもなら深く傷つく場面。
拓也の胸が痛んだ。
(またダメだった)
(みんなが自分を見ている)
でも今、ポケットには絆創膏がある。
拓也は朝礼が終わると、すぐにトイレに駆け込んだ。
個室に入り、箱を取り出す。
絆創膏を一枚取り出し、太ももに当てた。
「上司の言葉で傷つく心」
そう呟いて貼った瞬間、絆創膏は肌に溶け込むように消えた。
拓也は太ももを見た。
何もない。
まるで最初から何も貼っていなかったかのように。
でも、不思議なことが起きた。
さっきまでの痛みが、嘘のように消えている。
胸の重さが、ない。
拓也は深く息を吐いた。
(…本当に、効いたんだ)
拓也はトイレから出て、デスクに戻った。
「はい、部長。今週は必ず結果を出します」
冷静に、淡々と答える自分がいた。
田中部長は少し驚いた顔をしたが、頷いた。
「ああ、頼んだぞ」
水曜日の昼休み。
拓也は食堂でカレーライスを食べていた。
同僚の山田が通りかかった。
「佐々木さん、例の資料、期日過ぎてるよ? 大丈夫?」
いつもなら深く傷つく。
(また怒られた)
(自分はダメな人間だ)
でも今日は違う。
拓也はすぐにトイレに向かった。
二枚目の絆創膏を取り出し、左の腕に貼った。
「同僚の指摘で傷つく心」
絆創膏は消え、痛みも消えた。
拓也は山田の席に戻った。
「すみません、今日中に出します」
平然と答える拓也。
山田は少し驚いた顔をしたが、何も言わなかった。
「あ、うん……よろしく」
木曜日、取引先との商談。
担当者が厳しい口調で言った。
「この価格では厳しいですね。もっと下げてもらえませんか?」
以前なら、拓也は委縮した。
(厳しい……)
(自分の提案はダメなんだ)
でも今回、拓也は商談前のトイレで三枚目を貼っていた。
右腕に。
「理不尽な要求で傷つく心」
商談に戻った拓也は、冷静に答えた。
「価格はこれが限界です。これ以上は下げられません」
相手は驚いた表情を見せた。
「え……」
「この品質でこの価格は、業界でも最安値です。ご検討いただけませんか?」
拓也は強く、しかし冷静に答えた。
相手は少し考えて、最終的に拓也の条件を飲んだ。
「……わかりました。その条件で進めましょう」
金曜日の打ち合わせ。
後輩の田村がミスをした。
田中部長が拓也を呼んだ。
「佐々木、田村のミスは君の管理不足だ」
以前なら、拓也は深く落ち込んだ。
(自分が悪い)
(自分のせいだ)
でも今回、拓也はトイレで四枚目を貼った。
右の太ももに。
「他人の責任を押し付けられて傷つく心」
痛みは消えた。
拓也は田中部長に答えた。
「承知しました。以後、気をつけます」
淡々と答える拓也。
心は全く動いていない。
休日。
拓也はスマートフォンを見ていた。
友人グループのLINE。
自分だけが誘われていない飲み会の話題が流れてきた。
写真も送られてきた。
楽しそうな笑顔。
以前なら、拓也は一日中落ち込んだ。
(仲間外れにされた)
(自分は必要とされていない)
でも今は違う。
拓也は最後の一枚を取り出し、左の太ももに貼った。
「仲間外れにされて傷つく心」
痛みは消えた。
拓也は何も感じなくなった。
スマートフォンを置き、読書を始めた。
心は、穏やかだった。




