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今宵薬局  作者: 蟷螂
44/65

第8話 リピート錠 8−3

4


その日は、春子にとって幸福そのものだった。


誠一と映画を観て、喫茶店でコーヒーを飲み、夕暮れの公園を散歩した。


誠一は春子に優しく、笑顔を絶やさなかった。


そして、日が暮れる頃、誠一は春子の手を握り、こう言った。


「春子。俺、お前と一緒にいると幸せだ」


春子は涙を堪えながら微笑んだ。


「私も……です」


そして、夜が訪れた。


春子がベッドに横たわると、再び視界が白く染まった。


気がつくと、また朝だった。


同じ大学のキャンパス。


同じ桜の花びら。


そして、後ろから同じ声。


「おい、春子!」


春子は振り返った。


誠一がそこにいた。


ループが始まった。



5


春子は何度もその日を繰り返した。


二回目、三回目、四回目――。


毎回、誠一は同じように笑い、同じように優しく、同じように春子を愛してくれた。


春子はその時間に溺れた。


現実の夫は、春子のことを忘れている。


だが、ここでは誠一はいつも春子を覚えていて、愛してくれる。


――このままでいたい。


――ずっと、ここにいたい。


春子はそう思い始めた。



間話


今宵薬局の奥で、葉月は再び水晶球を見つめていた。


球の中には、ループの中で笑顔を浮かべる春子と若い誠一の姿が映っている。


葉月は静かに呟いた。


「ループの中に留まり続ける……それは、逃避ですね」


水晶球の中で、春子の表情が少しずつ変わっていく。


最初は喜びに満ちていたが、次第に焦燥感が滲み始めている。


葉月は目を細めた。


「そろそろ、気づく頃でしょう」


6


春子は五回目のループを迎えていた。


いつもと同じ朝。


いつもと同じ桜。


いつもと同じ誠一。


だが、春子の心には、少しずつ違和感が芽生え始めていた。


――このままでいいのだろうか。


――誠一は、本当にここにいるのだろうか。


映画を観た後、喫茶店でコーヒーを飲んでいると、誠一がふと春子を見て言った。


「なあ、春子」


「はい?」


「お前、最近……何か忘れてないか?」


春子は息を呑んだ。


「え……?」


誠一は真剣な表情で続けた。


「お前、今日……病院に行く予定があったんじゃないか?」


春子の心臓が跳ねた。


「病院……?」


「ああ。俺……なんか、そんな気がするんだよな」


春子は震える手でカップを置いた。


「……どうして、そんなことを……」


誠一は優しく微笑んだ。


「わかんねえけど……お前、今、大事なことを忘れてる気がする」


春子の目に涙が浮かんだ。


「誠一さん……」


誠一は春子の手を握った。


「お前、ちゃんと現実に戻れよ。俺、お前が幸せでいてほしいんだ」


春子は涙を堪えきれず、泣き崩れた。


「でも……現実のあなたは……私のことを……」


誠一は優しく春子の頭を撫でた。


「それでも、お前は俺の妻だろ? 俺がどんな状態でも、お前は俺のそばにいてくれる。それが、お前の愛だろ?」


春子は顔を上げた。


「……そうです」


誠一は微笑んだ。


「じゃあ、行けよ。俺、ここでちゃんと待ってるから」


春子は頷いた。


「……はい」


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