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今宵薬局  作者: 蟷螂
43/64

第8話 リピート錠 8−2

2


店内は、静かで落ち着いた雰囲気に包まれていた。


「いらっしゃいませ」


穏やかな声。店の奥から、ひとりの人物が現れた。


男は20代後半、整った顔をしている。眼鏡をかけ、黒髪を後ろで束ねていた。彼は直樹にこやかな顔で挨拶をした。


「ようこそ、今宵薬局へ。お客様、本日は何をお求めでしょうか。」


「あの、このところ、歳のせいもありますが、疲労が抜けなくて。何か良い栄養剤でもありますか」


「栄養剤ですか。」


店主はそれを聞いて少し考える。


そして春子の顔を見て、


「いえ、お客さまの場合は疲労ではなく、今後の展望が見えない事への心労ですね」


店主からの言葉を聞いて、春子は驚く。

そして店主の言葉を何度も反芻してから、ようやく言葉が出てきた。


春子はとつとつと話し出した。


「夫が、認知症になってから介護の日々、夫の症状は悪くなる一方、もうどうしたら良いか……もう、限界なんです」


春子の話を聞いた店主は、少し考えたのち


「少し、お待ちください」


と、店の奥に消えた。


春子は店内を見回した。棚には、見たこともない薬が並んでいる。「才能の目薬」「眠らなくてもよい薬」「恋の解熱剤」。どうも一般的な薬局とは扱っているものが違うようである。


店主が戻ってきた。店主の手には小さな瓶があった。


その瓶には、淡い黄色の錠剤が入っていた。


「これは『リピート錠』と申します」


「リピート……錠?」


「ええ」店主は瓶を春子の前に置いた。


「この錠剤を飲むと、24時間だけ、あなたが望む『過去の特定の一日』を何度も繰り返すことができます」


春子は目を見開いた。


「過去の……一日を……?」


「はい。あなたが選んだ日に戻り、その日を何度でも体験することができます」


店主は静かに続けた。「ただし、同じ一日を繰り返すことになります。その日から先には進めません」


春子の胸が高鳴った。


「それなら……あの日に……」


春子の脳裏に、一つの日が浮かんだ。


54年前。


20歳の頃。


誠一と初めて出会った日。


あの日、誠一はまだ若く、元気で、笑顔が眩しかった。


あの日に戻れるなら――。


葉月は春子の心を読むように、静かに微笑んだ。


「その日を選ばれますか?」


春子は震える手で瓶を受け取った。


「……はい。それでこのお薬はおいくらでしょうか」


「お代は結構ですよ。」


「いえ、お薬をタダでいただくわけには……」


「いえ、これは試供品とお考えください。」


春子は一瞬ためらったが、すぐに頷いた。


「それでは頂いていきます。」


店主はそれを聞いて、静かに瓶を春子に手渡した。


「では、お気をつけて」


春子はその瓶を握りしめ、店を出た。


3


春子は自宅に戻り、ベッドに横たわった。


手の中の小瓶を見つめ、深く息を吐いた。


「五十四年前……あの日に」


春子は錠剤を一粒取り出し、口に含んだ。


瞬間、視界が白く染まった。


気がつくと、春子は見知った場所に立っていた。


大学のキャンパス。


春の陽射しが眩しく、桜の花びらが風に舞っている。


春子は自分の手を見た。


若い。


二十歳の自分の手だ。


心臓が高鳴った。


「本当に……戻ってきた……」


そのとき、後ろから声がかかった。


「おい、春子!」


春子は振り返った。


そこには、若き日の誠一が立っていた。


春子の目に涙が浮かんだ。


「誠一さん……」


誠一は笑顔で近づいてきた。


「どうした? ぼーっとして」


春子は慌てて涙を拭った。


「いえ……なんでもないです」


誠一は春子の手を取った。


「じゃあ、行こうぜ。今日は映画の日だろ?」


春子は頷いた。


「……はい」


二人は並んで歩き始めた。


春子は誠一の横顔をじっと見つめた。


――この笑顔。この声。この温もり。


――全部、忘れたくない。

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