第8話 リピート錠 8−2
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店内は、静かで落ち着いた雰囲気に包まれていた。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声。店の奥から、ひとりの人物が現れた。
男は20代後半、整った顔をしている。眼鏡をかけ、黒髪を後ろで束ねていた。彼は直樹にこやかな顔で挨拶をした。
「ようこそ、今宵薬局へ。お客様、本日は何をお求めでしょうか。」
「あの、このところ、歳のせいもありますが、疲労が抜けなくて。何か良い栄養剤でもありますか」
「栄養剤ですか。」
店主はそれを聞いて少し考える。
そして春子の顔を見て、
「いえ、お客さまの場合は疲労ではなく、今後の展望が見えない事への心労ですね」
店主からの言葉を聞いて、春子は驚く。
そして店主の言葉を何度も反芻してから、ようやく言葉が出てきた。
春子はとつとつと話し出した。
「夫が、認知症になってから介護の日々、夫の症状は悪くなる一方、もうどうしたら良いか……もう、限界なんです」
春子の話を聞いた店主は、少し考えたのち
「少し、お待ちください」
と、店の奥に消えた。
春子は店内を見回した。棚には、見たこともない薬が並んでいる。「才能の目薬」「眠らなくてもよい薬」「恋の解熱剤」。どうも一般的な薬局とは扱っているものが違うようである。
店主が戻ってきた。店主の手には小さな瓶があった。
その瓶には、淡い黄色の錠剤が入っていた。
「これは『リピート錠』と申します」
「リピート……錠?」
「ええ」店主は瓶を春子の前に置いた。
「この錠剤を飲むと、24時間だけ、あなたが望む『過去の特定の一日』を何度も繰り返すことができます」
春子は目を見開いた。
「過去の……一日を……?」
「はい。あなたが選んだ日に戻り、その日を何度でも体験することができます」
店主は静かに続けた。「ただし、同じ一日を繰り返すことになります。その日から先には進めません」
春子の胸が高鳴った。
「それなら……あの日に……」
春子の脳裏に、一つの日が浮かんだ。
54年前。
20歳の頃。
誠一と初めて出会った日。
あの日、誠一はまだ若く、元気で、笑顔が眩しかった。
あの日に戻れるなら――。
葉月は春子の心を読むように、静かに微笑んだ。
「その日を選ばれますか?」
春子は震える手で瓶を受け取った。
「……はい。それでこのお薬はおいくらでしょうか」
「お代は結構ですよ。」
「いえ、お薬をタダでいただくわけには……」
「いえ、これは試供品とお考えください。」
春子は一瞬ためらったが、すぐに頷いた。
「それでは頂いていきます。」
店主はそれを聞いて、静かに瓶を春子に手渡した。
「では、お気をつけて」
春子はその瓶を握りしめ、店を出た。
3
春子は自宅に戻り、ベッドに横たわった。
手の中の小瓶を見つめ、深く息を吐いた。
「五十四年前……あの日に」
春子は錠剤を一粒取り出し、口に含んだ。
瞬間、視界が白く染まった。
気がつくと、春子は見知った場所に立っていた。
大学のキャンパス。
春の陽射しが眩しく、桜の花びらが風に舞っている。
春子は自分の手を見た。
若い。
二十歳の自分の手だ。
心臓が高鳴った。
「本当に……戻ってきた……」
そのとき、後ろから声がかかった。
「おい、春子!」
春子は振り返った。
そこには、若き日の誠一が立っていた。
春子の目に涙が浮かんだ。
「誠一さん……」
誠一は笑顔で近づいてきた。
「どうした? ぼーっとして」
春子は慌てて涙を拭った。
「いえ……なんでもないです」
誠一は春子の手を取った。
「じゃあ、行こうぜ。今日は映画の日だろ?」
春子は頷いた。
「……はい」
二人は並んで歩き始めた。
春子は誠一の横顔をじっと見つめた。
――この笑顔。この声。この温もり。
――全部、忘れたくない。




