第3話 時戻しの咳止め 3−6
7
翌朝、直樹は久しぶりに外に出た。
空は晴れていた。冷たい冬の空気が、肺に染み込んでいく。
直樹は、明日香の墓に向かった。
墓前に花を供え、手を合わせる。
「明日香、ごめん。ずっと会いに来れなくて」
墓石は、何も答えてくれない。でも、直樹は続けた。
「僕、君を助けられなかった。何度やっても、運命は変えられなかった」
風が、直樹の髪を撫でた。
「でも、わかったんだ。君が最期まで、僕のことを思っていてくれたこと。プレゼントを買いに行ってくれていたこと」
直樹の目に、涙が滲んだ。
「ありがとう、明日香。君のことは忘れない」
直樹は墓前で手を合わせ、彼女の冥福を祈った。
墓を後にし、直樹は街を歩いた。
クリスマスのイルミネーションが、街を彩っている。カップルたちが、楽しそうに笑っている。
直樹は、もう目を背けなかった。
明日香がいない世界は、辛い。でも、生きていかなければならない。
直樹は、家に帰る途中、あの路地を通りかかった。
「今宵薬局」を探したが、そこには薬局はなかった。シャッターが下りた店舗が並んでいるだけ。
今宵薬局の店主にお礼を言いたかったが、仕方ない。
店主は、直樹と明日香に何ものにも代え難い時を与えてくれたのだ。
結局、明日香が亡くなった過去は変えられなかった。でも、最後に彼女と僅かとはいえ過ごすことが出来た。
直樹はポケットから、小さな箱を取り出した。
警察から返却された明日香の遺品。その中にあった、万年筆の箱。
箱を開けると、万年筆が入っていた。そして、小さなカードも。
「直樹へ。お誕生日おめでとう。これからも、素敵な物語を書いてね。いつも応援してるよ。明日香」
直樹は万年筆を握りしめた。
「ありがとう、明日香」
直樹は前を向いて、歩き出した。
8
12月25日。クリスマス。
直樹は、一人で家にいた。窓の外では、雪が降り始めていた。
テーブルの上には、万年筆と、書きかけの原稿。明日香との思い出を綴った物語。
直樹は原稿を読み返した。笑顔になったり、涙が出たり。
そして、最後のページに、一文を書き加えた。
「ありがとう、明日香。君との時間は、短かったけれど、僕の人生で一番輝いていた。君の愛を胸に、僕はこれからも生きていく。だから、見守っていてほしい」
直樹は万年筆を置いた。
窓の外の雪が、静かに降り続けていた。
直樹は立ち上がり、窓を開けた。冷たい空気が流れ込んでくる。
「明日香、メリークリスマス」
直樹は空に向かって呟いた。
「来年の僕の誕生日には、もっと前を向いていられると思う。だから、安心して」
雪が、直樹の頬に触れた。
その冷たさが、心地よかった。
9
一年後。
直樹は、本を出版していた。
タイトルは「君がくれた10分間」。明日香との思い出を綴った、小説だ。
原稿を渡した編集者は今どき手書きですか、珍しいですねと驚いていたのを思い出す。
本屋で、自分の本が並んでいるのを見て、直樹は微笑んだ。
直樹は本を手に取り、ページをめくった。
献辞のページには、こう書かれていた。
「明日香へ。君との時間は短かったけれど、永遠に僕の心に残っている。この本を、君に捧げる」
直樹は本を棚に戻し、店を出た。
外は春の陽気。桜が咲き始めていた。
直樹は公園を歩いた。桜の木の下で、カップルたちが笑い合っている。
明日香がいない世界は、やはり寂しい。でも、生きていくことができる。
明日香と過ごせた最後の10分を胸に。
直樹はベンチに座り、空を見上げた。
青い空に、白い雲が流れていく。
「ありがとう、明日香。」
風が、桜の花びらを運んでいく。
直樹は目を閉じた。
心の中で、明日香が笑っている気がした。
直樹は立ち上がり、公園を後にした。
ポケットには、明日香がくれた万年筆。
これからも、物語を書き続ける。明日香との思い出を、忘れないために。
そして、新しい物語も書いていく。明日香がいない、でも明日香の愛がある世界で。
直樹は前を向いて、歩き出した。
春の風が、優しく背中を押してくれる気がした。
心の中で、小さく呟く。
「さようなら、明日香。でも、また会えるよ。それまで待っていてほしい」
桜の花びらが、風に舞った。
まるで、明日香の返事のように。
10
今宵薬局。
店の奥で、「 」は水晶球を眺めていた。
球の中には、直樹の姿が映っている。桜の木の下で、微笑んでいる直樹。
その様子を見て「 」は微笑んだ。
「過去は変えられませんが、未来は変えられましたね」
「 」は水晶球を布で覆い、静かに店の明かりを消した。
また、誰かが困りごとを抱えて、この店を見つけるまで。
「 」は、静かに待ち続ける。




