第8話:鉛色の旅路と、紺青の遠雷
Scene 1: 鋼鉄の隊列
「ナット、リュック。シエル、それシートにしっかり縛り付けてくれ。デルタは先行偵察。ボルダー、最後尾を頼む」
カイのテキパキとした号令が、隠れ家の中に響いた。
完全に息を吹き返した右腕の義手は、ナノメタル製のバイパスが脈打つたびに、銀色の細い光を装甲の隙間から漏らしている。前よりずっと軽い。指先の追従が、気持ち悪いほどに「俺の手」になっていた。
「『ラスティ・ネイル』って、これ……本当に走るの……?」
シエルが、隠れ家の中庭に引きずり出された決死のジャンクスピーダーを見上げて、青い顔をした。
車輪はゼロ。剥き出しの座席シートに、ワイヤーで二基の巨大ジェットエンジンが縛りつけられているだけの、推力だけで地面を引きずるように飛ぶ自殺装置。
「走るぞ。むしろこいつ以外、ゴミの星を横断できる乗り物なんてねぇんだよ」
カイは新しく組み直したシートベルトをガチャンと留めた。
「お前のナノメタルでエアブレーキの減衰材を組み直しといた。今までよりは死にづらいから安心しろ」
「……『今までより死にづらい』って、それ慰めになってないわ……」
『フン。人間ごときが二輪も無しに地を駆けるとは、まったく滑稽な見世物だ』
アトラスがボルダーの広い右肩によじ登り、王者ぶった姿勢で胸を張る。
ペットロボのナットは、シエルの膝の上で『キュイ?』と眠そうに耳を立てた。
正四面体のデルタは、すでに頭上を一周して、空の流れを読んでいる。
『大気は穏やかです、王。今のうちに迷宮区を抜けるのが賢明かと』
「よし、出発だ。目標は『巨人の遺骸』――軌道エレベーターの基部。あそこが、俺たちのエデンへの一歩目だ」
ゴゥォォォォォン……!!
ラスティ・ネイルの双発ジェットが青白い炎を吐き、シートを巻き上げるようにして加速する。
ボルダーが地響きを立てて伴走し、デルタが空色の軌跡を引いて先導する。
『キィシャァァ……!』
鉛色のスモッグの底を、白い一筋の隊列が、まるで一匹の蛇のようにうねりながら駆け抜けた。
Scene 2: 焼けた大地
「カイ、北東に大型熱源――いえ、これは……熱源じゃない」
走り出して二時間ほどたった頃、カイのゴーグルに、ノイズ混じりのデルタの映像が流れ込んできた。
高度数百メートル。スモッグの底を見下ろした視界の先に、それはあった。
巨大なジャンクの谷――その半分が、まるで巨大なフライパンで焼かれたかのように、ガラス質に溶け固まっていたのだ。
ゴミの山が、つららのように垂れ下がり、地面はガラス化して鈍く光っている。風が止まり、その一帯だけが、奇妙な静寂に包まれていた。
ラスティ・ネイルが斜面で停止し、カイは思わずゴーグルを跳ね上げた。
「……なんだ、これ。治安維持ドローンの絨毯爆撃でも、こうはならねぇ」
シエルがシートから降りる。彼女の白いスーツの胸元で、銀色のチップが微かな警告音を発していた。
「……『マザー』よ」
「マザー? お前さっき言ってた、上のAIの……」
「ええ。中央統制AI『マザー』。これは……『初期化』の試射よ。本番の前に、軌道上から狙いを定められるかを確かめている――『練習』なの」
『……試射、だと?』
ボルダーの巨大な拳が、ギシリと音を立てて握り締められた。
アトラスが、ボルダーの肩から焼け野原を睨みつける。その青い瞳に、これまでとは違う、鋭く冷たい怒りが宿った。
『……我が王土に、その爪を立てたか。許さぬ。何があっても、間に合わせるぞ、カイ』
カイは唾を飲み込んだ。
ガラス質に固まった地面の中央に、何かの骨格が透けて見える。
かつてここを通りかかった、誰かの。あるいは、何かの。
「……行こう。ここに長居すると、俺たちも『練習問題』になりそうだ」
カイはゴーグルを下ろし、義手のスロットルを強く握り直した。
シエルは沈黙したまま、ナットを胸に抱きしめてシートに戻った。
ジェットがもう一度、低く咆哮をあげる。
Scene 3: 巨人の遺骸
それは、もはや塔ではなかった。
スモッグの天井を、まるで縫い針のように突き破ってそびえ立つ、巨大な「柱」。
表面は数百年分の苔と錆と、不法投棄された無数のジャンクが重なり合い、ほとんど人工物には見えない。
一本の、垂直の山だった。
「……これが、軌道エレベーターの基部……」
シエルがその真下を見上げ、呆然と呟いた。
首が痛くなるほどに見上げても、頂上は鉛色の雲の遥か向こうで霞んでしまう。
「上等じゃねぇか。あれを登れば、スモッグの上に出られる。マスドライバーが生きてりゃ、エデンまで一発だ」
カイがニヤリと笑い、ラスティ・ネイルを停止させた。
だが、その時。
ズゥン……。
ズン、ズン……。
地面が、振動した。それも、断続的に。重く、規則的に。
ナットがピンと耳を立て、シエルの膝から飛び降りる。デルタが鋭く旋回した。
『マイスター殿。来客のお知らせです。――南西、約四百メートル。「動いている」』
カイのゴーグルにデルタの映像が割り込んだ。
柱の根元に蠢いていたのは、ジャンクの山などではなかった。
ゴミと装甲とドリルと履帯が、何百年もの時を経て一体化し、巨大な「歩く山」になった怪物。
背中には朽ち果てた都市の残骸を背負い、四本の脚は折れた高架の橋桁。頭部に相当する場所では、巨大な掘削ドリルがゆっくりと回転している。
『……重機獣級の、大型暴走ドロイドか。バグった採掘ドロイドが、長い年月の間に周囲の機械を取り込んで、こうなったのだろう』
アトラスが低く唸った。
『この「遺骸」を縄張りにしているわけか。厄介な番犬だ』
「ボルダーのパワーでも、こいつは……」
カイの言葉が途切れた。
怪物の巨大な頭部が、ゆっくりとこちらを向く。
そしてドリルの先端で、紅い索敵レーザーが灯った。
『敵性反応、検出。排除ヲ、開始シマス』
ズシン!!
最初の一歩が、谷を揺らした。
Scene 4: 紺青の遠雷
「散開! ボルダー、奴の足を止めろ! デルタは頭のドリルを叩け! ナット、射線確保!」
カイの号令と同時に、隊列は弾けるように散った。
ガキィィン!!
ボルダーが怪物――『ジャンク・タイタン』とでも呼ぶべきその巨体の前脚に飛び込み、シールド・ガントレットを交差させて橋桁の脚を受け止める。受け止めた瞬間、ボルダーの足元がメリッと沈んだ。圧倒的な、重量差。
『グォオオオオオッ!!』
デルタが急上昇からの一撃離脱でドリルの軸を切りつけるが、苔と錆で覆われた装甲は、彼の刃をもってしても表面を削るのが精一杯だった。
『これは……外殻が厚すぎる。中の制御核を狙わなくては』
ナットが小気味よい金属音と共にファランクスへと展開し、カイは岩陰から狙撃姿勢に入る。
だが、ジャンク・タイタンの装甲のどこに「核」があるのか、見当もつかない。
シエルがチップ越しのスキャンを試みるが、ジャンクの層が深すぎて、データが返ってこない。
「クソッ……目隠ししたまま殴れって言うのかよ……!」
カイが歯噛みしたその時だった。
ピィン――……。
カイの義手の中で、ナノメタルが反応した。
銀色の糸が、まるで磁石に引かれるように、ある一方向を指し示す。
そして同時に、シエルの胸元のチップが、甲高い共鳴音を上げた。
「……これ……何かが、応答してる。すごく、深いところで……」
谷の側面――崩れた廃ビルの基礎部分。
苔とジャンクに半分埋もれた、一本の「柱」があった。
直径二メートルほどの、ずんぐりとした円柱。
ただし、その色は、見慣れた幾何学体たちの白磁ではなく――
深い、深い、紺青。
『……まさか、貴様』
アトラスが、ジャンク・タイタンの猛攻の中で、その円柱を凝視した。
彼の破損したメモリーバンクの奥で、また一つ、古いデータが光を取り戻していく。
広大な、板状の角。チームの参謀。広域レーダーと、電子の戦場の支配者。
『ヘリックス……生きていたのか、貴様……!』
円柱の表面に、紺青の発光ラインが、心拍のように、ゆっくりと走り始めた。
だが、まだ目覚めない。長すぎる眠りの底から、ゆっくりと、ゆっくりと、浮かび上がってくる。
その間にも、ジャンク・タイタンはボルダーの守りを押し潰しながら、巨大なドリルを振り上げていた。
照準は、立ち尽くすシエルとカイ。
「……間に合うのか、これ……!?」
紺青の遠雷が、廃棄区画の底で、低く、低く、唸り始めた。
第8話・了
次回、第9話「深淵の知恵、目覚める」へ続く。




