15-1 飛行機事故の話
【15話/B面】Aパート
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※このエピソードを読む前に【16話/A面】を読むことをおすすめします。
一九九五年の初夏、高知――
ホームルームを告げる音楽が流れ、放課後のチャイムが校舎に溶け込む。
西側二階の部室には、いつものように誰からともなく人が集まり始めていた。
古い木造校舎の廊下には、夕暮れ時のどこか感傷的な空気が漂い、部室のドアを開けるたびに「ガラガラ」と乾いた音が響く。
この日は、部活動の顧問を務める三枝先生が「大切なお話がある」と事前に告げていたため、部員たちはどこか緊張した面持ちで各々席に着いていた。
「自分を入れて十名。揃いました、三枝先生」
部長の勇一が、出席状況を確認して先生に報告した。今日は生徒会の仕事の合間を縫って、西山も顔を出している。
教壇の代わりに置かれた古い机の前に立つ三枝先生は、眼鏡の奥の瞳を細め、一人ひとりの顔をゆっくりと見渡した。
「本当。西山君も入れたら十名にもなったのね。よし」
先生は、窓の外を流れる入道雲を一度見つめ、それから静かに口を開いた。
「今日は十回忌だから、皆さんと、とあるお話を共有します。静那さんも、よく聞いていてね」
「はい」
最前列で背筋を伸ばしていた静那が、いつになく真剣な表情で頷いた。
「十回忌……?」
勇一は、その言葉の持つ重みに、わずかに背筋が寒くなるのを感じた。部室の空気が、一瞬にして凪のような静寂に包まれる。
先生は、大切な人か、あるいは知人がその場にいたことを示唆するような、どこか遠くを見つめるような目をして、事件の記憶を語り始めた。少し俯きつつも、しっかりした口調で。
* * * * *
「一九八五年……この年は何があったか、みんな分かる?」
先生の問いかけに、真っ先に反応したのは生一だった。
「阪神が優勝した年と違います?」
隣の席の仁科さんから「あんた何言ってんの」という無言の圧力を孕んだ視線が飛んだが、生一はどこ吹く風だ。
三枝先生はわずかに苦笑いし、けれどすぐに真剣な表情に戻った。
「それもあるけどね。
確かにあの年は大阪の街が盛り上がった……それもよく覚えてる。
でもこの年の夏にね、忘れられない事があったの」
「何か……悲しいことなんですか? 先生」
椎原さんが、膝の上で手を組み、心配そうに尋ねた。
先生は一度俯き、それから意を決したように顔を上げた。
「そうね。日本で史上最悪の航空事故と言われている『日航ジャンボ機墜落事故』が起こったのが、この年なのよ。
もう十年前のことだから、あなたたちは覚えていないわよね。五歳か六歳くらいだったはずだから。私は、社会人になって教師としてこれから頑張ろうって思っていた時期で『社会』という空間にまさに飛び込もうとしていた時だった」
先生の声は、静かで力強く、部室の隅々にまで染み渡っていく。
「五百名以上のかけがえのない命が、一瞬で失われた……
社会全体に、言葉では言い表せないほどの衝撃を与えた。当時は連日のように原因追及の報道がされて、日本社会が大きく動いたの」
「え……」
「五百名以上……」
あまりに膨大な数字に、部員たちの間に戦慄が走った。窓の外で感じる風の音も、今は酷く遠くに感じられる。
「でも、私は今日、墜落の原因を議論しに来たんじゃない。
死を目前にして、人は何を思うのか。機内でどんな事が起こっていたのか記録されたものが残されていて、そこからその本質をみんなで考えたいと思ったの」
三枝先生は、一人ひとりと目を合わせるようにして問いかけた。
「知りたい?人は死を前にしてどんな事を思うのかって。」
少し緊張の面々だったがすぐに返答する。
「はい、先生。知りたいです。」
「墜落するまでの数分間、機内は極限状態だった。
……もし君たちだったら、どんなことを思う?」
重苦しい沈黙が流れる中、最初に口を開いたのは西山だった。
「僕は……家族を悲しませることになるから、申し訳ないな、って……」
生徒会長である彼はいつも真面目で、誰よりも周りのことを考えている。
「素敵な意見ね。でも、もっと過酷な状況を想像してみて。その時まで、本当に穏やかな気持ちでいられる?」
「私……私も、西山君と同じことを考えると思うけど。でも、極限状態になったらやっぱり『死にたくない』って叫んでパニックになってると思う。取り乱さないようにとか、そんなこと感じられないくらい……」
仁科さんが、自分の腕を抱えるようにして答えた。都会から来た彼女は、死というものをリアリストな視点で見つめている。
「そうよね。突然、未来を奪われるなんて、誰も受け入れられないよね。生一君はどう?」
「俺は……なんか、悔しいかな。ただただ、悔しい。
社会のことなんてまだ何も知らないし、やりたいことがあるのにって」
「だったら、そう思わなくて済むように、今を精一杯生きるだけよね。『いつか』じゃなくて『今』」
「私は、正直に言っていいですか」
仁科さんが、少し躊躇いながらも言葉を継いだ。
「もちろんよ。この時間はそういう場よ」
「好きな人と、幸せになりたかったなって思うかも。どんな形でもいいから……」
彼女の純粋な願いが、夏の熱気を帯びた部室に溶けていく。
「それも自然な感情だと思う。素直な気持ちでとても良いと思う。天摘さんは?」
「私は……怖くて何も考えられなくなるかも。私の死を知った家族の悲しむ顔を想像すると……辛い」
天摘さんは、武道で鍛えた精神を持っていてもなお、家族との別れには強い恐怖を感じているようだった。
「自分も家族を一番に思い出すかな。まだ極限状態っていうのがよく分からないけど……」
椎原さんの言葉に、勇一も同調するように頷いた。
「俺も家族のことは考えるかな。でも、やっぱり先に逝ってしまうことを、申し訳ないとは……思うかもしれない」
そして、最後に静那が口を開いた。
「私は、最後まであきらめたくないって、何とかできないかってあがくかも。
だってみんな、かけがえのない命だから。なんとかして助からないかなって。
たとえそれが極限状態の中だとしても」
静那の瞳には、かつての戦火を生き抜いてきた者だけが持つ、生命への強い執着と慈しみが宿っていた。
「静那さんらしい、命を大切にしたいという素敵な意見ね」
三枝先生は、彼女の言葉を優しく受け止めた。
「でも助からなかったんでしょ」
「ええ。その命は助からなかった……でもね、失われた命も、何かを残そうとしたのは事実なの。それを今日は紹介します」
一同は姿勢を正し、先生の言葉を一字一句聞き逃すまいと集中した。
「墜落するってことが判明した時、もちろん機内はパニックだった。
操縦不能に陥り乗客は泣き出す人や叫ぶ人がいたみたい。
急に突きつけられた『死』に誰もが受け入れられるわけがない。
彼らの心情を察するなんておこがましいと思う。本当は大人でも発狂したい心理なのに…彼らなりに必死に自分の精神状態と戦ってたんだと思う。
スチュワーデスさんが墜落寸前まで皆をなだめようと頑張っていたっていう記録が残ってる。
自分の仕事を最後まで全うしようとしたんでしょう。
墜落寸前まで頑張っていたのは機長だって同じ。
最後までなんとか無事着陸できないか……墜落地点の共有ができないかなど、極限の状態でも考えていたんじゃないかな」
「極限の状態……か」
「墜落してから遺体は勿論、色んな遺品が残っていてね。それも話題を呼んだ。
父親らしき人が書き記したものがいくつか見つかってね……
『子どもをよろしく』という短い文章だったり『お父さんは本当に残念だ』という感じの手帳にしたためた文章が見つかったり。
子どもに対してだろうメッセージ『□□、立派になれ』って書かれたものが残っていた。
家族の事を思ってか、メッセージを最後に伝えたかったのでしょうね」
「遺言っていうことですよね……」
勇一が、絞り出すような声で呟いた。
「そうね。無念を書いたものがあれば、家族に向けての感謝のメッセージが書かれたものもあった。
死を目の前にしても感じる事は違うのって不思議ね。
遺体の検証もされたんだけど、子どもを守ろうとして必死に抱きかかえていた遺体など見つかってる。
当時は炎よりも煙がとにかく酷くて人が立ち入れないくらいの状態だったから、検証も遅れたせいで死体の損傷は酷かったらしい。
検証していくうちにDNA鑑定結果からかどうかは分からないけど子どもを抱きかかえていた死体の人物と抱きかかえられていた子どもは親子ではなかった事が判明したの。
それで、人は極限状態の時は、親子でなくても無意識に子どもを守ろうとするものではないかっていう意見も挙がった。
目の前の命が他人であろうとも必死で守ろうとした記録。それが事実として残ってる。
私たちは残されたものとしてどう生きるべきかって感じる」
「どう生きるか……ですか。」
「皆思う所が違っててもちろん良いのよ。
でも人間の本質が親子でなくても無意識に子どもを守ろうとするものだとしたら、残された君達はどうしたい?
『立派になれ』っていう言葉も自分に認められたものだとしたらどう感じる?」
「立派に、と言われても……抽象的すぎてどう立派になればいいか……」
西山が、今の素直な思いを呟いた。
「そこは、あなたがこれから考えていくテーマよ。
正解なんて私にも教えられない。あなたの中で、確固たる『立派な姿』を思い描けるまでは突き詰めてみたら?」
先生は、最後に静かに付け加えた。
「今日の話は皆の心の中に留めておくだけで良いよ。
あなたたちの両親……そのまた両親とさかのぼっていくと、ご先祖様はどこかでつながっているっていうのは聞いたことあるよね。
だから隣人の人、それが外国の人だったとしても思いやりを持つことができれば良いんじゃないかって先生は思う。
先生がこの事故で一番印象に残っているのは、目の前の命が他人であろうとも命を守ろうとした所かな。
家族とか他人とか関係ないじゃない。
まだ理屈では理解できても感情では分からないと思う。
けど心には留めた上で、お互い感じた事を話し合えればいいんじゃないかな」
先生が感じた事を真っすぐに伝えてくれた。いや、勇一達に向けて分かりやすくかみ砕いて伝えたようなニュアンスだった。
「じゃあ後は皆で話してみて。先生はそろそろ職員室に戻ります」
三枝先生は、勇一たちの心に一つの大きな種を植え付けると、それ以上は何も言わずに、静かに部室を後にした。
部室に再び静寂が戻った。
「そういえば先生って、若い頃からずっと独身だって言ってた……あれって……」
仁科さんの呟きに、誰も答える者はいなかった。
ただ、窓の外から入り込む夕方の風が、カーテンを不規則に揺らしていた。
『B面』では、勇一達が立ち上げた部活「日本文化交流研究部」での日常トークを描いています。時々課外活動で外出もします。各話完結ですので、お気軽にお楽しみください。
尚、本編のストーリーとB面の話数は所々リンクしています。こちらを読んでから本編を読み進めていくとより楽しめます。
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