14-2 オトナ的考え
【14話/B面】Bパート
「先生、結構なお点前でした。ありがとうございました」
ようやく茶道教室が終わり、部員たちは解放されたように足を崩した。
勇一も、自分の足が自分のものではないような感覚に陥り、しばらくは動けずにいた。
「最近は正座ができない生徒が多いわねぇ。静那さんは国の文化として椅子生活だから仕方ないとしても、他の生徒さん。骨盤の歪みが原因なのかな……」
三枝先生は、軟弱な教え子たちを見て深いため息をついた。
「先生、私も久しぶりの正座で、やっぱり足が痺れてきて……」
椎原さんが少し恥ずかしそうに言うと、先生は真面目な顔で頷いた。
「まあ、椎原さんも? 女の子は、あまり椅子に座るときに足を組んだりしない方がいいかもね。酷くなったらO脚になるよ。それも正座ができなくなっている一因かもしれないしね」
「そうなんですか? じゃあ、私もまずいかも」
仁科さんが自分の足をさすりながら呟く。彼女には、授業中に足を組む心当たりがあった。
新入部員である天摘さんは道場では常に正座をしていたのだろう。終始姿勢を崩すことなく、表情一つ変えていなかった。
「女の子は出産などで将来骨格が崩れることがあるから、普段の姿勢は気を付けなさい。十代のうちはまだイメージができないと思うけど、一定の姿勢を続けていたら、体の凝りが取れなくなるよ」
「怖いですね……」
「ちなみに、胸の大きさって姿勢と関係あるんですか?」
またしても、小谷野が場の空気を粉砕するような質問を投げかけた。
先生は少し苦笑いしながらも答えてくれた。
「小谷野君はいつもそんな質問ばかりしてるの?
興味があることはいいんだけどね、そういうのはこっそり図書室で調べなさい。
でも、人間の体で大事な部分だから答えておくわね」
素直な疑問には頭ごなしに罵ったりせず大人の対応を見せる。さすが教師だ。
「玩具に『やじろべえ』ってあるでしょ。
人間も、首から背骨にかけて、ああいう絶妙なバランスで芯が通ってるのよ。その上に肩口の筋肉だったり、胸筋部が形成されていく感じ。
やじろべえが分かるなら、そこに肉付けされていくようなイメージを持てば分かりやすいと思う。静那さんは分かる?」
「どんぐりとかで作る、玩具みたいなのですか?」
「そう! それ。見たことあるのね。
人間の芯もああいう感じだから、左右どちらかにもたれかかった姿勢を続けていたら、いずれは体のバランスが悪くなる。そして血行などが連鎖的に悪くなっていくの。
よく伸びをするようになったら、注意のサインと思っておいて」
先生は、部員たち一人ひとりの目を見て、言葉を続けた。
「これから肉体的に大人になっていく最終段階なんだから、そのイメージは持っておいた方がいいよ。芯がしっかりしていたら、他の部分も奇麗に形成されていくと考えておいて。普段食べるものも大事だけどね」
「大人にかぁ……」
天摘さんが、自分の手元を見つめて小さく呟いた。
「そうよ。皆、随分と体つきは大人に近づいてきたけど、これからもう少し大きくなると思うから」
「小さくても姿勢が良いのなら……この先、奇麗に形成……美乳って線も……」
そんな事をブツブツ言いながら兼元と小谷野が天摘さんの方を見る。正確には天摘さんの胸元である。
「なんだかあの二人、言動もそうだけど、視線が特に不快に感じるんだけど……」
天摘さんが、椎原さんと仁科さんにだけ聞こえるような小声で不満を漏らす。
「相手にしなくていいから。あの変ッ態は」
* * * * *
「小谷野君がきっかけで『大人になる』って話をしたんだけど、体つきだけじゃなくて、皆にはきちんと精神的な面でも大人になっていってほしいかな」
「精神的にですか……」
女性陣が一斉に小谷野と兼元を見る。
「なんだよ」
何を言わんとしているかはわかる。怪訝そうな顔をする二人。
「まぁ、そんなこと言われても、まだ具体的に大人の考え、思考って分からないでしょう」
「親になったら分かるとかいうやつですか?」
西山が、真剣な眼差しで先生に問いかけた。
身長が低い分、思考面では早く大人になりたいのだろう。
「大人の仲間入りって、一応二十歳。成人式からっていうよね。形の上では」
「でも、大人になりきれていない、見た目が大人のような子どもが沢山いる?」
椎原さんの指摘に、先生は「そう、その通り!」と膝を打った。
「これは先生の造語ではあるけど、『大人的思考』が身に付かないまま育ってしまった大人が多いのよね。年齢だけ重ねても、決して大人になったわけじゃないからね」
「大人的思考って、どんな思考ですか?」
勇一の問いに、先生は少し考え込んでから答えた。
「うーん。まず白都君は、すぐ誰かに聞かずに、一旦自分で咀嚼してみることが必要かな。まぁ、ちょっと事例を話してみようか」
先生は居住まいを正した。
「これはまず女性陣に聞きたいけれど、男性陣も聞いていて。いい?」
「はい」
静那、椎原さん、仁科さん、葉月さんの四人は、改めて姿勢を正した。
「あなたたちはまだそんな年頃じゃないけど、女の子はお洒落が大好きよね。あの『お洒落』や化粧って、何でするのか考えたことはある?」
「え……」
「正直に言ってもいいから。ここは正解を求める質問じゃないからね」
「え……と、奇麗になりたいからじゃないですか」
椎原さんの答えに、先生は「ちょっと遠慮があるね」と微笑んだ。
「自分を……よく見せるためってことですか」
「少し踏み込んで考えたね。でも、もう一押し」
「あの……やっぱり、お洒落して奇麗になれたら人気者になれるとか、意中の人に振り向いてもらえるとか、そういう心理を言ってるのですか?」
仁科さんが身を乗り出す。
「他には? この際だから吐き出してごらん」
「他の子よりも奇麗って思われたい……とか」
「そうね。男性の目を惹きたいっていうのもウソじゃないよね。別に変なことじゃないよ。静那さんは?」
「私は……素直に可愛いって言ってもらいたいな。褒めてくれたら嬉しいし」
「うん、素直でよろしい。他にはない?」
「自分の足りないところを補えたらなって……」
「そうよね。どれも自然な感情だと思う。じゃ、男性陣は女性のお洒落はどう感じるかな」
「女が男の気を惹くためなんじゃないかなと思います」
小谷野が即座に答えた。
「そう感じるのね。他には」
「他の同性に負けたくないから、何かドーピング的なものでも使えるなら使いたいとか……」
「なんだか表現が変。でも、ドーピングはニュアンスとして違います」
違うことははっきり伝え、先生は次に西山を見た。
「まぁ、自分の隣にいる人がとてもお洒落してて奇麗だったら、周りの自分を見る目も変わるし……嬉しいかな。それに、自分がこんな奇麗な人を連れてるって思うと自慢になる……って、ちょっといやらしい考え方ですかね」
少し照れながら答えると、先生は優しく頷いた。
「男の人はそう感じても不思議じゃないんじゃない?
妻や恋人はステータスとして見られていた時代があったのも事実だし、その逆もあると思う。
大事なのは、西山君がそう思うなら、素直にそれを吐き出すこと」
「じゃあ、今の自分から変わりたい『変身願望』っていうのは?」
生一の問いに、先生は「それも大いにあるよ。化粧したら実際気分も変わるし」と答えた。
「グレート・ムタみたいなもんか……」
「何よソレ」
「先生も、ちょっとそれは分からないな。
皆が分かる例えでお願いね。
じゃあ、そろそろ『化粧』に関しての先生の『大人的思考』を言います」
部員たちは、先生の次の言葉を待った。
「さっき西山君が『男性は奇麗な女性を従えたら嬉しくなる』って話をしてくれたけど、実際に周りにパートナーを自慢できるし、自分の社会的評価も上がるのよね。これは俯瞰して見ての事実に近いところ」
先生は、女性陣の目を見て語りかけた。
「自分を綺麗に見せるための化粧は、まだ大人的思考とは言えないわね。
大人の嗜みとしての装いは、向き合う相手への敬意なの。
あなたが美しく着飾ることで、相手の心は華やぎ、周囲からの評価も高まる。
あなたという存在が、相手の価値を引き立てるの。
覚えなさい、お洒落の本質は自分を誇示するためではなく、どこまでも『相手を立てる』ためのものなの」
沈黙が流れる中、先生の言葉が染み渡っていく。
「相手を重んじる装いは、鏡のように自分へ返ってくるの。
清潔な身なりで向き合うことは、相手への深い敬意そのものだから。
自分を尊重し、価値を高めてくれるような人を、人は決して無下には扱わない。
そこに『相手を立てようとする思いやり』が見えたとき、二人の間にはただの知人を超えた、より良い信頼関係が築かれていくのよ」
「はい」
「お洒落以外にも言えるけど、意識の方向をまず自分ではなく相手に向けること……これが大人的思考の基本かな」
「なるほど。まず相手を……か」
勇一が深く頷いた。
「自分よりも相手を……か……確かに、私、まだ子どもだな」
「今は心に留めておくくらいでいい。それが大人になるにつれて自然にできるようになれば、本当にいい女性になれると思うの。
私たちはね、つい人に見られるもの、洋服などを決める時に、それが自分の価値を上げるものか、下げてしまうものかって、常に『自分に見合うか』で判断してしまうものなのよ。
その基準は……自分でしょう?
相手と会い、どういう関係を築いていきたいか、という先のビジョンを持つことが、大人としての考え方と言えるかな。
まずは先生の言葉を正解だと鵜呑みにせず、考えてみてほしいの」
先生は、静かに部員たちを見渡した。
「音楽の世界も、自分がどう演奏すれば相手の楽器の音色が活きるのか、って考えながら音を奏でていけば、よい相乗効果と素晴らしいメロディーが生まれてくるのよ」
仁科さんは、中学生の時にライブ会場に行ったことを思い出した。
「あなたを立てる。あなたが先に。
こういうおもてなしの精神……
どうぞあなたからお先に……で『長崎』の語源の一つになったというのは、あまり知られていないと思う。あそこは鎖国中、貿易の町として栄えてきたけど、まず交渉の場では相手を立てる意識があった。『あなたがお先にどうぞ』……という精神があったから長く栄えたと考えられているのよ」
「へえ~、相手を立てる文化で地名が生まれたんですね~
それに相手を思いやる貿易みたいな交渉事なら、利益の強奪とか一人勝ちとかは生まれにくいですよね」
静那の感心した声に、先生は満足げに頷いた。
「そうね。日本の昔の人は、まず相手を立てる。思いやる精神を、大人としてしっかり持っていたということよ」
「素敵ですね、その考え方。貿易かぁ……」
「貿易じゃなくても、日頃の挨拶でも実践できるのよ。
挨拶は自分のための社交辞令だと思ってるでしょうけど、相手を思いやる第一歩として挨拶はあるの。
『私はあなたと対立する人間ではないですよ』という意味合いを、分かりやすいコミュニケーションとして挨拶に込めるようになったの。
これは海外でも共通している考え方じゃないかな。初対面の相手でも、まず安心してもらうための役割が挨拶にはあるのよ」
「そんな気持ちを込めた挨拶していたら、話題もつながっていくでしょうね」
静那の言葉に、先生は優しく微笑んだ。
「相手を安心させる、っていう意識を持って対峙する。
挨拶だけじゃなくて、お詫びする時も意識付けていけば、きっと良い人間関係が作れると思うんだけど、どう?」
「はい。そうですね。その通りだと思います」
「今、自分さえよければ良い、という大人が増えてきてるけれど、今回みたいに行動の軸を自分から相手に向ける。そんな思考に変えるだけで、大人(社会人)からはきっと一目置かれるような存在になるから」
「はい!」と九名の声が重なった。
「ええ、気持ちのこもった返事でよろしい!」
三枝先生が満足げに頷き、茶道教室を締めくくった。
「相手を立てるかぁ……挨拶以外だと、今の私だったら何をすれば先輩達を立てられるかな」
静那が真剣に考え込んでいると、横から兼元が囁いた。
「そりゃあ静那ちゃん。先日の……赤のビキニショーツを穿いてきてくれるだけで、僕を勃てることができるよ」
「せっかく先生がいい話してくれた後だというのに……こんのバカァ!」
「最低~」
「品が無いね」
女性陣の冷ややかな視線が突き刺さる。
「でも、男性陣は意外とそんなんでもアリやと思うてるで……なぁ、勇一」
「なんで俺に振るんだよ。知るかよ!」
『B面』では、勇一達が立ち上げた部活「日本文化交流研究部」での日常トークを描いています。時々課外活動で外出もします。各話完結ですので、お気軽にお楽しみください。
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