8-1 ビギナー達が語る恋愛論
【8話/B面】Aパート
ここは校舎西側2階、放課後の光が差し込む一角。
部活の看板娘である静那が、いつものように部室の重い窓をガラガラと開け、部屋の空気を入れ替えるのがこの部のルーティンだ。
換気を終えた彼女が日記を広げる頃、廊下からは賑やかな足音が近づいてくる。
一人、また一人とメンバーがこの奥の部屋へと集い、活気が満ちてくる。
集う面々が揃い、期待に満ちた眼差しが交差した時、今日も『日本文化交流研究部』の風変わりな一日が始まるのだ。
放課後の西日が長く伸びる『日本文化交流研究部』の部室。
今日は特別な日だった。この部活動が始まって以来、初めてとなる「プレゼンテーション」の開催日になる。
記念すべき第一回目のプレゼンターを務めるのは、成績優秀でいつも穏やかな椎原さんである。
黒板の前に立つ彼女は、少し緊張した面持ちで手元のメモを見つめていた。その背筋は凛と伸び、どこか神聖な雰囲気すら漂わせている。
今回のテーマは、静那からの切実なリクエストに応える形で選ばれた『恋愛』についての持論である。
参加者は、部長の勇一、自称・ボスの生一、仁科さん、そして静那の四名。
さらに今日は、生徒会の仕事の合間を縫って、椎原さんに密かな憧れを抱く西山も参加していた。
五名の視線が、黒板の前に立つ椎原さんへと集中する。部室には、期待と少しの緊張を含んだ沈黙が流れた。
* * * * *
「やっぱり来たやろ、西山ん奴。生徒会と天秤にかけたら、やっぱりこっちやろ」
「もうその話はいいだろ、生一。
椎原さん……そろそろ話を始めるみたいだから、ちゃんと聞こうぜ」
小声でやりとりしている勇一と生一。
椎原さんは一度深く息を吸い込み、静那の方に目線をやったうえで話し始めた。
「今日は私から『恋愛』っていうテーマについて話してみます。
これは日本文化に関わるかって言われたら難しい所だけど」
彼女はチョークを手に取り、黒板に大きく『恋愛』と書いた。文字は彼女の性格を表すように、丁寧で美しい。
「私自身も、これまでの学生生活はあまり恋愛に対して深く考えずに、勉強ばかりしていた思い出しかないから。
先日静ちゃんからリクエストがあった時に、いい機会だと思って、真面目に考えてみました。
今のクラスメイトにも、すごく良い人はいると思う。……ここにいる部長の白都君も、もちろんすごく良い人だと思う。ね、静ちゃん」
「うんっ」
静那が一点の曇りもない笑顔で即答した。
「なんだか改めて言われると……くすぐったい気分だな」
勇一の照れた様子を見て、椎原さんは穏やかに微笑んだ。
「でも、恋愛感情っていうと、正直まだよく分からないんだよね。
白都君、からかってるわけじゃないからね」
彼女は一歩前に踏み出し、自分の胸にそっと手を当てた。
「私自身、まだ人を本気で好きになったことが無いからだと思う。……もし今、誰かから『好きです』って言われても、どう返事をして良いか分からない。
相手を傷つけるような返事はしたくないけど、かと言って、あやふやな感情のまま付き合うべきなのかも分からない……
付き合っていけば、後から好きになっていくこともあると思う」
椎原さんの言葉に、西山は真剣な表情で耳を傾けていた。
「人を好きにならないといけない、っていうわけじゃないと思うけれど……でも、人を好きになる気持ちっていうのは、色んな力をくれる存在だって聞いたことがある。
だから、どんな気持ちなのか知りたい。
私のお父さんとお母さんも恋愛結婚だったって聞いてるし、何か、恋愛の本質っていうものを知りたいなって感じてる」
「分からないなりに、何とかしてその正体を知りたい、って事か」
「ええ。それでね、一応今回参考にした資料があるの。
クラスメイトの女の子がドラマをビデオに録画していてね。
テストが終わったらまとめて観るってやり方取ってるんだけど、その子に恋愛関係のドラマでお勧めの作品を借りて、週末にじっくり見てみたの」
「成程ね~私たちが恋愛のイロハを知るための情報源って、大体は漫画とかドラマだもんね。
……妥当な路線だと思うよ、それは」
仁科さんが、都会で流行していたトレンディドラマを思い出すように相槌を打った。
「大抵のドラマは、どこかに恋愛要素が絡んでるもんな。色んなタイプがあるやろ、不倫とかドロドロしたやつとか」
生一の言葉を流し、椎原さんは話を続けた。
「私が見たのは、わりとスタンダードなものだった……のかな。でも、少し悲しいお話で、色々と考えさせられたな~
……まず、少しあらすじを説明するね。
――主人公は、社会人になったばかりのOLさん。物語の序盤には、もう恋人が出来ていて、お付き合いしているところから始まるの。はじめは二人が仲睦まじくしている場面が多くて、こういうのが恋愛関係なのかなって感じていたかな。
ドラマの中とはいえ、恋人とデートをするのは少し良いなって思った。でもね……仕事の忙しさもあって、次第に彼との関係が上手くいかなくなるの」
椎原さんは、少しだけトーンを落として語り始めた。
「それからは、予定が合わない彼と喧嘩ばかりになるんだけど、最後には彼の方から別れを切り出されてしまうの。一時的に孤独になるけれど、また別の彼氏を作って、同じような流れを辿る……そんな繰り返しのストーリーなんだ……」
部室の空気が、少しだけ重くなった
「ちょっと暗い感じの話で、ごめんね。でもね、その話の中でどうしても気になるシーンがあって。彼から別れを切り出された時に、主人公の女性が『信頼してたのに!』って、喚きながらすごく泣いてるシーンがあって……そこが印象に残ってる」
彼女は少しの間を置いてから、核心に触れるように言った。
「その時にね、なんだか違和感を覚えたのよ。この『信じる』とか『信頼』っていう言葉に」
「違和感?」
勇一が不思議そうに問い返した。
「ええ。確かに、別れを切り出された主人公は辛いでしょうね。でも、悲しそうにしている姿を見て、なんだか心から可哀そうだとは思わなかった……感じなかった」
椎原さんは、自分の感情を正確に伝えようと、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「『信頼する』って、こんなことじゃないよねって。恋愛って……相手が好きだからするものだと思うけれど。でもね、相手も一人の人間なんだよ。
自分の理想に思い描いた人……理想がそのまま形になったような人が、この世に存在しているわけじゃない……なのに彼女は、あたかもそういう存在であるかのように、彼に接しているように見えたの。
皆はこのドラマを見ていないから、詳しい設定は分かりづらいと思うけれど。
自分が好きになった人が、必ずしも姿も性格も自分の理想通りの人、っていうわけじゃないでしょ?
でも、その人は根拠もなく、そう思い込んで接する。『私の理想としている彼氏に違いない』って……」
「つまり……相手を自分にとって都合がよい人物像として見てる、っていう感じ?」
仁科さんが、鋭い指摘を口にした
「そう……そんな感じに近いかな。そのうちに、思い描いた理想通り……自分の期待通りに彼が動いてくれなくて、不満を言い始める。それで上手くいかなくなって、別れては、また同じように『自分の理想だ』と思い込んだ人と出会って……付き合い……また上手くいかなくなって別れる……」
「うん……」
「付き合い始めの頃は、ドラマの中とはいえ、すごく幸せそうな表情を見せるんだけどね。やがて険悪になってきて、最後は『信頼してたのに!』っていうセリフを残して……別れてしまう」
部室の五人は、静まり返って椎原さんの話に聞き入っていた。
「ドラマだから……かもしれないけれど。主人公は最終回でようやく、自分が相手に期待ばかりしているっていうことに気づくんだけどね。
相手に『信じてたのに』って言うのは、なんだか重たく感じるよね。……恋愛って、本来は素敵なこと、楽しいことなんだと思うけれど。そうじゃないところは、目を逸らして、なんだか相手にもたれかかろうとしている感じがして」
椎原さんは少しうつむき、睫毛を伏せた。
「だから……泣いていても、破局して可哀そうだなって感じなかったな」
「『彼氏になったんだから、私のことは親身になって考えてくれるのが当たり前』とか、そういう感覚を持っちゃったのかな……」
仁科さんが、自分のことに置き換えるように呟いた。こういう話は男性陣は何も言えない。
「そんな感覚に近いかな。
彼氏彼女の間柄になるっていうのは何かの契約でもないよね。
でも『彼氏なんだから!』みたいな言葉が付き合いだしたらとたんにまかり通るようになる。
それでお互いの関係がしんどくなる……
なんだか初めて見たドラマがこんなので、きつかったけど教訓になったよ」
「確かに、初心者の椎原さんには、そんなドラマ見せられたら恋愛のハードルが上がっちゃうよね~」
「椎原さんのクラスメイトって、もしかしたら『警告』みたいな意味合いでビデオを貸してくれたのかもな? 恋愛っていうのは、決して良いことばかりじゃないぞ、っていう」
勇一の言葉に、椎原さんは「そうかもね」と頷いた。
「あくまで相手がいることだからね。相手は、もちろん自分の思い通りになんていかない。
けれど、それでも思い通りにいってほしいっていう願望との葛藤が、きっとあるんだろうから」
「なんだか……恋愛って難しいな」
勇一が溜息交じりに漏らすと、椎原さんは前向きな表情で言葉を返した。
「私もそう感じたんだけどね。難しくなるかどうかは、きちんとパートナーと話を重ねていくことができるかだと思ったよ。
すり合わせっていう形の……話し合いを」
「ドラマの中とはいえ、お互いに仕事が忙しいっていう状況も、あまりよろしくなかったわけなんだな」
「うん……そういう設定も含めて考えると、この勧めてもらったドラマ、上手くできてるね」
椎原さんは、ドラマだけの情報では偏りがあると感じたのか、図書館でも色々と下調べをしていたらしい。彼女は一枚のメモを取り出した。
「実は、広辞苑でも恋愛について調べてみたんだ。
正確には、恋愛に関連するワードをね。自分の主観だけど、心に残ったものを抜粋したから、見せるね」
彼女が黒板に書き写した言葉を、皆は静かに見つめた。
『相手のために努力したい、相手に喜んでもらいたいという気持ち。自分からほかの誰かに注ぐものであり、相手を大切にしたいと思う感情』
「結局ね、このドラマの主人公は、相手が好きだっていう感情があったのは事実だったと思う。けれど、自分の期待に応えてもらうことを優先するあまり、相手に対しての配慮が、全く無かったんだよね」
椎原さんは、メモをゆっくりと畳んだ。
「『信じてたのに』って、まるで裏切られたみたいな言葉だけど。この時に私が同情できなかったのは、きっと彼女が一方的に信じていて、相手を思いやる気持ちが抜け落ちていたからだと思うんだ」
「じゃあ……このドラマの女の人が抱いていたのは、恋愛じゃなかったという事ですか?」
「そこに愛はあるんか?」
生一が、わざとらしく芝居がかった声を出す
「愛は無かったというか……愛じゃなかったんじゃないのかな。付き合う相手はいたけれど、そうなるよね。
その……初心者なのに偉そうに言ってごめん」
椎原さんは少し照れくさそうな表情を見せた。
「恋は盲目って言うけど。付き合っている間に、そこに気づけるかどうかだね」
「『恋愛』っていう字は、『恋』と『愛』という字で構成されているけれど、その二つの字も、それぞれ意味が違うみたい。
家族や親しい人を大切にしたいという気持ちは、愛情……『愛』の方だって書いてあって。……言わんとする愛なら、分かる気がする。
それだったら、私はまずは目の前の愛情を大切にしていきたいなって思ったな。家ではおばあちゃんにお世話になってる。これって、無償の愛をもらってることになるんだよね。
部活の皆に対してもそうだけど……身近な相手を大切にしたいっていう、今、自然に沸き上がる感情を育んでいけば、恋愛も分かってくるんじゃないかって……そう思ってる」
「なんだか……随分と大人みたいな考え方だね」
仁科さんが、感心したように、あるいは少し眩しそうに椎原さんを見た。
「私は中学生の時、カッコいい彼氏を作れば友達に自慢できるとか、周りより一歩リードできるとか、そんな考えしかなかったかも。……今考えたら、すっごく恥ずかしいけどね。これって、自分にしか意識が向いてなかったんだよね」
「まだ中学生のうちは、仕方のないことよ。背伸びしたい年頃だし」
椎原さんは優しく微笑んで、仁科さんの言葉を受け止めた。
「これは私の見解だけどね。
意識せずに相手を思いやれる間柄になれば、自然と恋愛って上手くいくのかもしれない。
でも変なの。本当に私……恋愛初心者なのに、ドラマ一本見ただけで何を達観したみたいに言ってるんだろ」
彼女は、自分の言葉の大仰さに気づいたのか、苦笑いを浮かべた。
「もっと恋愛のドラマや小説を読まないと、見えてこないよね。……こんなに奥が深いジャンル」
「こんな奥深い課題を、皆がそれぞれ持って生きてるんだな……」
勇一は、まだ見ぬ自分の未来に、少しだけ圧倒されていた。
「大げさに言うと、そうかも」
「白都君は、まだ言われたことないよね? 『信頼してたのに!』なんて言い方」
「うん。俺も恥ずかしながら、まだ恋愛未経験者なんで……
でも、もしそれを言われたらさ、『俺が悪かったの?』みたいな、責められている感じになるだろうな」
勇一は、その重苦しい響きを想像して、少し首をすくめた。
「『信頼』って言葉の響きは良いんだけど。都合よく使える言葉でもあるよな」
「私もそんな気がした。もし私が言われたら、なんて返して良いか分からないもんね。……言われた方が加害者みたいになるの、分かる。それ」
「『信頼してたのに』……か。なんだか、相手にもたれかかるような意思感じるな……」
「私は、はじめはそうは感じなかったの。相手を手放しで信頼できるのって素敵な関係だなって……」
椎原さんは、当時の自分の素直な感想を思い出した。
「でも、吐き捨てるように一方的に言われたら、途端になにか違和感になるんだよね。
今までの関係も信頼も、本当は何だったんだ、って感じるかも」
「それは信頼じゃないよな……。でも『信頼してたのに』だろ……ちょっと言葉が一人歩きしてて、難しいか? 静那にも分かるように話さないとな」
勇一は、ニュアンスの微妙な違いに静那がついていけているか心配になり、彼女の顔を覗き込んだ。
「う……ん。私は、信頼してくれたら嬉しいし、もし信頼に足る存在じゃなかったなら、素直に謝るかも」
「謝っても許してくれへんかったら、どう出るよ?」
生一の問いかけに、静那は少し考えてから答えた。
「私より信頼できる人を見つけて、幸せになってね……って感じになるかな~
でも、実際にそんなシーンがあったら割り切れるかな、私……」
「信頼してるって言われたら、嬉しい?」
「嬉しいよ」
「じゃあ、信頼してたのにって言われたら?」
「どうして欲しかったんだろう……って感じるかな」
静那の率直な言葉に、勇一は「なるほど」と頷いた。
「そう感じるなら、やっぱり相手が何かを求めてたっていうことになるよね」
「信頼っていう言葉に、何か条件が乗っかってるような感じ? 上手く言えないけど、これが近いかな」
「そうね。……『〇〇してくれそうだから信頼する』とか、『信頼してみようか』みたいな。完全に、自分のメリットデメリットを考えてるよね」
「……なんだか、相手を思いやってないね、そのイメージだと」
「条件の無い信頼が良いっていうことなのかな? 私、それなら出来るよ」
「でも、多分恋人が出来たら、無意識の中で期待してしまうようになるんだろうね~……相手に対してさ」
仁科さんが、現実的な意見を差し込んだ。
「そうなるのかなぁ」
「相手のことが好きだって自覚が芽生えれば芽生えるほど……多分ね」
仁科さんは言葉を続けた。
「好きな相手には、自分の理想のイメージでいてほしいって思うわけよ。……これは本気で相手が好きになった時に、分かると思う。
私は精神的に幼かったのもあるけど。それでもそんな綺麗な心で信頼は出来ないよ。どうしても相手に何かを期待して……しまうし。この感情は、否定できないな」
「やっぱり、実践の中で感じていかないと分からないものがあるか……」
「ええ。恋愛……ちゃんとしてみたいね。きっと色んなことに気づけると思うから」
椎原さんのその言葉に、部室には清々しい沈黙が流れた。
「結論、失敗を恐れずに恋せよ乙女ってことよ。」
「うん。恐れずにね。ってなんで乙女だけなのよ、もう……」
彼女が照れ隠しに軽く笑うと、一同もつられて笑った。ここで、一旦のブレイクタイムに入った。
お手洗いへと席を立つ西山の後ろから、生一が不穏な呟きを漏らした。
「なかなかの真面目さんで、牙城を崩すのは難しそうやなぁ。も~ちょっとラフな感じで構えてくれた方がやりやすいんやけどな。西山。長期戦は覚悟せなな~」
「なんで僕の耳元で言うんだよ。まったく……」
西山は顔を赤くして、逃げるように部室を出ていった。
『B面』では、勇一達が立ち上げた部活「日本文化交流研究部」での日常トークを描いています。時々課外活動で外出もします。各話完結型ですので、お気軽にお楽しみください。
【読者の皆様へお願いがございます】
ブックマーク、評価は大いに勇気になります。
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