3-1 名前
【3話/B面】Aパート
ここは校舎西側2階、放課後の光が差し込む一角。
部活の看板娘である静那が、いつものように一番乗りで重い窓をガラガラと開け、部屋の空気を入れ替える。
換気を終えた彼女が日記を広げる頃、廊下からは賑やかな足音が近づいてきた。
一人、また一人とメンバーがこの奥の部屋へと集い、机の周りに座る。
集う面々が揃い、期待に満ちた眼差しが交差した時、今日も『日本文化交流研究部』の風変わりな一日が始まるのだ。
* * * * *
窓の外からは、運動部の威勢のいい掛け声が、夕暮れの空気を含んで微かに聞こえてくる。
部室の中では、放課後の穏やかな時間が流れ始めていた。
「じゃあ、私で買ってきますね」
静那はそう言って、部員たちから集めた小銭を制服のポケットに入れ、軽やかに立ち上がった。
硬貨の重みを確かめながら、彼女は部室の入り口へと向かおうとしたところを、仁科さんに呼び止められた。
「静那さん。そこは『私で』じゃなくて『私が』だよ」
仁科さんが、椅子に座ったまま、優しく諭すような声をかけた。
「そやで、静那。時々やけど、ちょこちょこ日本語おかしいぞ。特に接続詞とかが」
「そうでしたか。すいませんでした」
静那ははにかんだような笑顔を見せると、廊下へと小走りに飛び出していった。
パタパタという彼女の足音が遠ざかり、再び部屋には静寂が戻る。
* * * * *
「なんか、違和感を覚える時があるんよなぁ。日本語」
生一は、彼女の去った扉を見つめたまま、独り言のように呟いた。
「静那、高校に入るまではあまり学校で喋ることが無かったって言ってたから、まだ日本の言葉は理解できても、文法で不安なところがあるんじゃないかな」
勇一が、彼女の過去を思いやるように、少しだけ沈んだ声で言った。
「日本に来て五年経つとはいえ、海外から見たら日本語って相当難しいんでしょ。やっぱりすぐには無理なんだろうね」
仁科さんは、窓の外を見つめながら、遠い国からやってきた少女の苦労を想像した。
「静那さん、日本語は勉強するんだけど、漢字がとにかく難しいって話してたし……」
「慣用句なんかは結構進んで『覚えたらすぐ使う』感じで、順応力高そうなのにね。意外に文章の根っこの部分が抜けてたりするよね」
椎原さんが心配そうに言葉を繋ぐ。
「俺は会った時から意識してなかったけど、よくよく静那の話を聞いてたら抜けてるなってのが分かる。初めはボケてるのかなって思ったけど」
「白都君と同じで静那さん、あんまり自分で進んでボケるタイプじゃないと思うよ。そこあたりは先輩として、ちゃんと見てあげないと」
「そうだな。言葉遣いまできちんと見てあげられていたかと聞かれたら、自信ない」
「まぁ、この際や。今回は俺が接続詞とか慣用句のレクチャーをちゃんとしたるよ」
「お前やれるのかよ」
「俺も一応部員やしな。なんか活躍しとかなホンマの空気になるやろ」
生一はそう言うと、手元にあったA4の紙に、シャープペンシルを走らせ始めた。
カツカツと小気味よい音が響き、生一は何やら真剣な表情で文章を書き留めていく。
どうやら、静那のための練習問題でも作るつもりのようだった。
* * * * *
「……静那さん、遅いね」
時計の針は、彼女が出ていってからかなりの時間を刻んでいた。
「静那さん、ジュース買いに行く時、困ったような顔してたからなぁ……お金の計算が出来ない……わけはないしな。
何かあったのかな?」
「ジュース一本、百十円でしょ。六名分だから六百六十円。何も難しいことじゃないよね」
「ジュース買いに行くのに、他に難儀なことってあったかな?」
「お金を落としてしまった……とか?」
「それはあるかもね。結構時間たってるし。
……でも静那さん、もしお金を失くしたのなら、ちゃんと話してくれたら私たち何も言わないのに」
一同の脳裏には、廊下の隅でお金を落としてしまい、困惑している静那を想像してしまう。
けれど、心配ばかりしていても埒が明かない。仁科さんが、話題を変えるように勇一に尋ねた。
「白都君から見て、静那さんってまだ私たちに気を使っているように見える?
『勇一』って呼び捨てにされてるから、白都君には気を許してるように見えるんだけど、私たちに対してはどうかな……って」
「そうだな……。まだ静那のこと『静那さん』って呼んでるから、静那もそれに応えるように『ですます』口調になってるのかなと思うよ。
静那からしたら、先輩というのもあるけど、この部に入ってくれた大事なメンバーって感じだから、居なくなってほしくない……そのために部活内で『皆に不満を感じさせないようにしないと』って、考えてるんじゃないかな」
「確かに静那さん、私たちが入部した時、すごく嬉しそうだったな。
同性の仲間ができたからだって考えてた。でも、それと同時に居なくなってほしくないって思ってたのかも。もう、あの子、気を使ってたのね……」
「僕たちに居てほしいからか……。ちょっと、先輩なのに気を使わせてたんだね。
あの子を囲んでの部活なのに」
部活に参加してくれている西山が、そんな彼女の心情に気づき俯く。
「じゃあさ、私たちあの子の先輩だからとかじゃなくて、もう『静那さん』なんて呼ばないでニックネームで呼ばない? 今日でまだ三日目だけど、距離は早めに詰めたいじゃん。
静那さ……『静ちゃん』だって、その方が話しやすいかもしれないしさ」
仁科さんの提案に、部室の空気が一気に明るくなった。
「それいいね。私も『静ちゃん』賛成かな」
椎原さんの顔が、穏やかに緩む。
「僕は……」
西山も何かを言いかけたが、仁科さんが即座に制した。
「西山は静那さんでいいんじゃない。生徒会長として威厳あるトコ見せておかないと。
なにせ、静ちゃんと身長一緒くらいだし」
「しっ……身長は関係ないだろ!」
「関係あるって思いこんでいるのは、あんたでしょ」
西山は顔を真っ赤にして反論したが、仁科さんのペースに完全に飲まれていた。
「じゃあ、もっと砕けた呼び方にしていこう。静那からしたら、急に先輩方に呼び捨てでは話しづらいと思うから、俺たちからまず変えていこう」
勇一の決断に、一同は満足げに頷いた。
「まぁ、異論は無いよ。『静ちゃん』が受け入れてくれるならね」
ニコッと微笑む椎原さんの周りに、春の午後のような温かな空気が漂った。
* * * * *
その頃、校舎の隅にある自動販売機の前――
静那は、一台の武骨な自販機を相手に、絶望的な戦い(?)を繰り広げていた。
「(うまく入らない。う~ん)」
『コイン投入口』へ、コインを「投げ入れて」いたのだ。
「コイン」までが片仮名表記なので、「口」という漢字を片仮名の「ろ」だと思いこむ余り、こういう事になっているのだが、この事実を勇一たちが知るのはまだ先の話である。
あの狭い投入口にお金を投げ入れるのは至難の業だったりする。
静那はその都度、腰を屈めて小銭を拾い上げ、焦燥の色を浮かべて何度も挑戦していた。
* * * * *
「買ってきましたッ!!!」
扉が勢いよく開き、静那が部室に飛び込んできた。
「ハア、ハア、ハア……」と肩で激しく息を切らしており、ブロンドの髪が乱れている。
近くの自販機まで行ってきただけとは思えないほどの疲弊ぶりだった。
「静那さん、大丈夫?」
「お金落としたりして困ってたとかはない?」
仁科さんと椎原さんが、慌てて彼女の元へ駆け寄る。
「いやぁ……そういうのじゃないんですけど。……その、なかなか買えなくって……(ハアハア)」
静那は息を整えながら、両手に抱えた冷たい缶ジュースを机の上に並べた。
一同は「自販機が珍しく混んでいたのかな?」と、不思議に思いながらも、彼女の労をねぎらった。
「ごめんなさい! 遅くなりました」
静那は深々と頭を下げた。
「気にしなくていいよ、静那さん。買ってきてくれたんだから、お礼を言いたいくらいだよ」
「西山先輩」
「静那さん……ありがとう。飲み物買ってきてくれて。それだけで本当に感謝してるよ。ホラ、座って」
椎原さんが優しく彼女の肩を抱き、椅子へと誘導した。
静那が着席し、ようやく一息ついたところで、仁科さんが先ほどの相談事を切り出した。
「静那さん……まだ部活動が始まって三日目だけど、私たちもっと静那さんと仲良くしたいなって思ってる。だからあの……『静ちゃん』って呼んでも良いかな?」
静那はすぐにその宝石のような瞳を輝かせた。
「あ……はい! 是非よろしくお願いします。『静ちゃん』……って、良いですね。嬉しいです!」
「その敬語もいいけど、もっと砕けた感じで話してくれていいよ。まぁ、私たち先輩だから、すぐに話してほしいとは思わないけど、静ちゃんが慣れてきたら、自然に話してくれていいよ」
仁科さんが、缶ジュースのプルタブをパキッと開けながら言った。
「そうよ、静ちゃん。私たち先輩後輩以前に友達なんだから。気をつかわないで」
「ありがとうございます。……ありがとう」
静那は少し照れくさそうに、けれどもしっかりと、敬語を外した言葉を口にした。
「うん、そうだよ。僕たちはそんな簡単にいなくなったりしないから大丈夫だよ」
「西山先輩も、ありがとうございます。私がもっと仲良くなりたいです」
「あ、そこはね、『私も』だよ、静ちゃん。こういうのは先輩として、きっちり言っていくからね」
仁科さんの指摘に、静那はハッとしたように姿勢を正した。
「あ、そうですよね。すみません」
「そこは会話しながら徐々に直していこう。一番駄目なのは『間違いを恐れて話をしない』ってこと! 何でも言ってよ、静ちゃん」
「ありがとう……ございます」
嬉しそうに微笑む静那に対し、さっきから隅っこで一人、黙々と「教案」を書き上げていた生一が、満を持して顔を上げた。
「ということで早速、日本語の『接続詞』のチェックしていくで。
飲み物飲みながらでええから、これから出す問題解いてみてや」
『B面』では、勇一達が立ち上げた部活「日本文化交流研究部」での日常トークを描いています。時々課外活動で外出もします。各話完結型ですので、お気軽にお楽しみください。
尚、本編のストーリーとB面の話数は所々リンクしています。こちらを読んでから本編を読み進めていくとより楽しめます。
※文章中、誤字がありますが、これは意図的に入れております。
【読者の皆様へお願いがございます】
ブックマーク、評価は大いに勇気になります。
現時点でも構いませんので、ページ下部↓の【☆☆☆☆☆】から評価して頂ければ非常に嬉しいです。
頑張って執筆致します。よろしくお願いします。




