2-2 夜
【2話】Bパート
正直ここまで海外での滞在期間が長引くとは思っていなかった。
それは真也だけではなく諭士も同じ思いだっただろう。
日本のパスポートは世界中で見てもかなり信用が効くのだが、急な滞在延長の為の手続き、そして度重なる治療代に関する手続きなど事務的な面でかなりイレギュラーだった今回の旅。
諭士は病院でシーナに日本語を教えつつ変更の手続きをこなし、役場や国際空港・大使館と登録や支払いに奔走しないといけない羽目になった。
特に、国際電話や治療費のやりとりは、普段紳士的で落ち着いた表情がニュートラルな彼の表情を引きつらせた。
1990年代、中東アジア圏はまだ日本の“保健の適応区域”ではなかったらしい。
でもこれから時代は“平成”だ。
グローバルという名のもとに海外との繋がりもこれから増えていくだろう。
治療費や滞在費が相当かかったというのは、真也はかなり後になってから知ることになる。
でもようやくそんな慌ただしかった日々も終わる。
シーナの正式な退院日が決まったのだ。
そもそも車いすから離れ、立ち上がるところから始めていくのだが…車いすから立ち上がるだけでも決して楽なことではなかった。
“その時”の真也は理解できていなかった。
真也のフォローで立ち上がろうとする途中、気を失った静那。…気絶してしまった。
何も知らない真也は青ざめ、半泣きになって肩をゆすり起こす。その様子を見て苦笑いする看護師さん。
その時ばかりは障がい者に対するケアに関して、実践を経て色々と勉強になった真也だった。
車いすからゆっくりと歩行へ移行。
リハビリにはもちろん真也が寄り添った。
このころになると、諭士は何やら手続きに追われていて疲弊していた。
「この時期、シーナちゃんの対応をしてくれるのは本当に助かる。」という感じで真也に任せていた。
ただ、常に彼女のそばを離れず献身的過ぎる程付き添ってくれる真也に対して、シーナは「もう大丈夫だよ。」と少し困った顔を見せる。
それでも夜になるとあの時のトラウマが蘇るため、真也はなかなか傍を離れようとしなかった。
日本に戻るまでは何があるか分からない…そんな不安がぬぐえなかったし、諭士もそんな心情を察してくれて何も言わなかった。
やがてゆっくり歩けるようになったシーナ。
階段の上り下りも一人でできるようになった頃、無事退院となった。
* * * * *
国際空港から日本へ帰国する日も決まった。
退院時は病院の方々総出で送り出してもらえた。
“こんな幼い子が本当に危機的な状態からよくここまで回復するまで頑張ったね”と看護婦さん達は泣いていた。
シーナは嬉しそうにお世話になった病院のスタッフとハグをして別れの挨拶と感謝を伝える。
辛いこともあったけど命を救ってくれたのだ。
病院の皆さんには感謝しかない。
まだ父親が行方不明であるという悲しさを拭えていないか心配だったが一先ず大丈夫そうだ。
元気そうな退院後の姿を見て一安心し、諭士は正式に彼女を日本へ招待する手続きを完了させたのだった。
日本の学校への転入手続きだ。
ちなみに真也の暮らす孤児院は熊本県にある。
そのため、国際空港のある関西へ一旦帰国し、その後熊本へ移動となる。
(※このころは福岡国際空港は建てられていない)
* * * * *
日本への出発当日。
空港のロビー。
やっと日本に帰れる。
安堵の表情を浮かべる諭士。
それもそのはず。
慣れない異国でのイレギュラーの数々を終えてやっと空港までたどり着けたのだから。
日本に戻ったらまずは九死に一生を得たこの体を休ませてあげたい。まずは温泉でも行こうかと考えていたら自然と諭士の寡黙な顔が解れてくる。
ただ、隣に座っている真也はなぜか鬼気迫る表情で空を見ていた。
彼女が日常生活を送れるようになるまで回復できた事は本当に嬉しかった。
けど、今でもまだあの日の出来事がトラウマになって蘇る日々。
だから強くなりたい…
怖さなんて全て吹き飛ばすくらい強くなりたい…
どんな形でもいい…
強くなってもう一度“この地”に戻るんだ。
生きているかどうかは分からないけど静那のお父さんの捜索をしたい。
お父さんを無事見つけ出して彼女に会わせてあげたい。
それが彼女に対する償いになるのなら…。
そんな野心を描いていた。
ロビーの窓側では飛行機の離着陸の様子を珍しそうに眺めているシーナの姿。
しばらく眺めていた後、振り返る彼女。
そこにはロビーの椅子に座っている2人の姿が見える。
“やっと帰れる”と安堵した表情の諭士。
対象的に何やら怖い顔をして空を睨みつけている真也。
実はシーナは真也の表情がずっと気になっていた。
退院まで絶えず献身的にお世話をしてくれた彼の“自分に向ける眼差し”はとてもやさしかった。
でも何気ない時、ふと見る彼の横顔はとても怖かった。
何かに強烈に怯え、その弱い自分を許せず責め続けているような表情……
恐らく自分と同じようにあの日の出来事を思い出しているんだろう。
彼の抱いてしまった恐怖感を和らげるために自分に何かできないだろうか…シーナはそんな事を考えるようになっていたのだ。
* * * * *
真也が引っ越しを申し出たのは、日本に帰国して早々の事だった。
熊本の孤児院に戻ってからほどなくして。
シーナが日本で問題なく日常生活ができるのを確認した後、諭士の部屋でもある職員室へ相談にやって来た真也。
「諭士さん?今大丈夫?入るけど。」
少し部屋の周りを見ながら入ってくる真也。
「諭士さん。シーナの傷はもう大丈夫かな?病院でもう通院の必要は無いって言ってたけど。」
「ああ。帰国してすぐ日本でも病院に行ったけど大丈夫だったよ。痕は…残ってしまったけどね。」
「だったら後はもうこの孤児院で上手くやっていけるよね。あの子…まだ小さいけど炊事や掃除なんかの手伝いも進んでやってるし、日本語の勉強も一生懸命だし…」
「そうだね。彼女はがんばりやさんだ。4年生からだけどもうすぐ学校も始まる。
気合が入ってるんだろう。ここ数日で日本語もさらに上手になったし。」
「うん…もう僕が色々お手伝いしなくても大丈夫…だよね。」
「真也君?」
「諭士さん。僕ももうすぐ10歳だし、その……一人の男として聞いてほしいことがあるんだ。」
「何言ってるんだ。真也君はまだ子どもだよ。そんなに気負わなくても大丈夫だから言ってごらん。」
諭士は、日本を発った頃の彼。自分の意見すらまともに言えずにいた気弱な姿からの変貌にやや驚きを感じつつも、しっかり真也君の方へ視線を向けた。
あの日、とてもショッキングな事があった。
でも人は数ヶ月足らずでこんなに変われるものなんだなと…
目の前の男の子は確かに“一人の男”だ。
「そ…その…そのさ…。」
ただ、少し躊躇いはある。
でも一呼吸おいて話し始める。
「僕、この家から引っ越ししたいんだ。引っ越しって言ってもここからそんなに遠いところじゃない。
阿蘇山あるでしょ。あそこだよ。
今あの辺、観光地の“かいたく”とかいうのをしているって…調べたんだ。“かいたく”って道を作ったりする仕事でしょ。
道を作ったり重いもの沢山運んだりっていうお手伝いの人が沢山いるんだって。
僕はそのお手伝いをしたい。山に籠もって自分を鍛えながら…学校はその…行けないけどきちんと一人で勉強するからさ。」
諭士の表情が曇る。
「…ダメだ。何を考えているのか分からないが、真也君はまだ小学生だろう。まだ親の保護下に置かれていないとだめな立場なんだ。“保護下”。この言葉の意味が分かるかい?
親の元で生活する時期なんだ。
何にしても子どもはまだ働けないんだ。
山に籠るとか言ってももし真也君が山で行方不明になったりでもしたらどうなる?
捜索を呼んだり、沢山の人に迷惑をかけてしまうことになるよ。
まだそういった自分の事以外の所に考えがいってないうちは、ダメだ。」
「でも…」
自分の意見が否定されたので一瞬怯んだ真也。
でも言葉を止めない。
「不登校の僕が何か言えるもんじゃないけど…まだ……まだ怖いんだよ。その…夜が…」
諭士さんが身を乗り出す。
「日本にまで“あいつら”がやってくるとは思えない。
でもあの時の記憶が夜になったらまだ蘇るんだ。眠れないんだ。
だから強くなりたい。恐怖を感じられなくなるくらい強くならないと不安で心が押しつぶされそうになるんだ。
病院での空き時間、体が壊れるくらい働いてみた。そしたら少しだけ不安が和らいだ。怖さを忘れられたんだ。
不安で眠れないような日々を送らないためにも、自分の為にも強くならなきゃ怖いんだ。
…嫌なんだ。
もう二度とあんな弱くて情けない姿…シーナには見せたくない。」
拳が震えている。
病室で真也と話をしたあのシーンが蘇る。
それでも諭士の結論は「NO」だった。
どんな理由であれ未成年の子どもが一人暮らしをしながら労働をするのは平成になったとはいえ昭和からの日本社会の在り方に反している。
「………」
それでもこの場所から動こうとしない真也を見て、彼は精一杯の譲歩をした。
意志の固さは本物のようだ。
「どんな形であれ、未成年の君を働かせるわけにはいかない。
開拓の募集があったのは知っている。
でも仕事の就労は認めない。
相談も出来ない。
僕は君の保護者だ。
それはシーナちゃんだって同じだよ。」
俯かずに視線を諭士からそらさない真也。
じっとこちらを見ている。
「…それでもだ。それでも納得いくまで自分を鍛えたい、不安を拭い去るために強くなりたいと言うのなら…ここから走って阿蘇山まで毎日通えばいい。
出来るものならな。
坂道なうえに片道だけで40km以上あるぞ。とても小学生が走って行けるような距離じゃない。それでも…どうしても自分を鍛えたくてたまらないのなら、毎日一人でここから通ってみろ。
もう一度言うが“出来るものなら”だ。台風時は流石に行かせられないが、雨の日も雪の日も。どんな形であれ本気で強くなりたいんだったらそれくらいやりきる覚悟があるだろう。どうだ?」
「うん。それでいいよ。諭士さん。」
明るい表情でサラッと即答する真也に驚く諭士。
「ただし、約束がある。
家を出発する時は必ず帰ってくる予定時間をこちらに報告すること。
真也君の、君の保護者であるうちは絶対だ。
他にも家に帰ってきたら最低限の勉強はする事。
中学校に上がっても同じだ。高校生までは学業はしっかりやるように。
これは世間で言う“義務”じゃない。
僕との約束だ。」
「分かった。そうするよ!ありがとう。諭士さん!」
勢いよくドアを閉めて自分の部屋に戻っていった真也。
彼の覚悟と意志の強さに驚き気圧されたものの、しばらくしてため息をついた。
「返答に何のためらいもなかったな…
彼をこんな風にさせてしまった…これは自分の責任かもな。
申し訳ないことをした。真也君…。」
後悔の思いが込み上げてきたのか、諭士は手で顔を覆った。口元が歪む。
当時、不登校気味だった真也の“何か彼の気分転換になれば”と思い同行させた海外旅行が、結果今の彼を作り上げてしまったのだ。
翌朝、日の出時刻前。既に彼の姿は無かった。
諭士の寝室のトビラに『夜の11時までにもどります』のメモが挟まれていた。
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