22-2 合流の手がかり
【22話】 Bパート
頬を撫でる風が、とても心地よい。
川沿いで日向ぼっこをしながら、毛布に半分ほど体を包まっているのは、静那だった。
真也たちは今、川の流れに沿って、ゆっくりと、本当に少しずつ南へと下っていた。
静那が穏やかな表情で、とても気持ちよさそうに目を閉じていたので、真也も少し腰を下ろし、通り過ぎる風に身を任せることにした。
先輩たちが地下牢や修道院で死に物狂いの状況にあるなどとは露知らず、二人は自然が放つマイナスイオンを体一杯に浴びていた。
あの日、あの夜。静那は、小学校の頃からずっと胸の奥底に抱え込み、誰にも言えずにいた想いを、真也に対してすべて吐き出した。
それは決して綺麗な言葉ばかりではなかった。……辛さ、怒り、そして耐え難いほどの寂しさ。
溜まりに溜まっていた自分の感情を、包み隠さずすべてぶちまけたのだ。
その夜、真也は彼女が泣き止むまで、その細い体をずっと強く抱きしめ続けていた。
真也から「ごめん」というような、詫びる言葉が出ることはなかった。
静那も、正直なところ詫びてほしいわけではなかった。ただ、自分のこの想いの丈を、彼に聞いてほしかったのだ。
真也も彼なりに、彼女にかけるべき言葉を必死に考えたのだろう。
その代わりに「静那の傍にいる」という言葉、そして約束をしてくれた。
心の中にあったわだかまりが消え去ったことで、静那の大火傷を負った体も、心の傷と連動したように回復の兆しを見せ始めていた。
とは言っても、まだ髪の毛は失われたままで、全身には痛々しい火傷の跡が刻まれている。
その手足を見ただけで、誰であっても即座に入院が必要だと思うレベルの酷い有様だ。
けれど、最初に発見した時の絶望的な状態に比べれば、確かな違いが感じられた。
手足の神経はどうやら死んでいないようで、僅かながら動かすことができた。
まだ自分の足で歩くことは叶わないが、このまま回復すれば、いずれは歩けるようになるだろう。
安心感の後は、すぐに現実的な問題が二人の前に立ちはだかった。
* * * * *
二人は今、猛烈な空腹に襲われていた。
しかし、火を起こす道具がないため、満足な調理をすることができない。
ここ数日、口にしたのは道端の草や昆虫といった、およそ人間の食事とは呼べないものばかりだった。
魚を捕まえる網もなく、川を泳ぐ魚を捕えることも叶わない。
地面を掘ればミミズは見つかったが、釣り竿の作り方を知っていればよかったと、真也は自分の無知を激しく悔いた。
いい加減、どこか人の住む村に辿り着き、そこでちゃんとした食事にありつきたい。
真也はそんな切実な思いを胸に、再び静那を背中に背負うと、川沿いを南、つまり下流に向かって歩き始めた。
風を受けながらゆっくり川に沿って歩いていく中で、少し開けた広場が見えてきた。
だが、真也はそこを見て、数日前にここで何らかの小競り合いが起きたのではないかという直感を抱いた。
足跡などは数日経てば完全に消えてしまうが、そこには何かに使用された形跡のある、切れたロープの残骸が転がっていたのだ。
間違いなく、人のいた形跡はある。
「静那! 人のいる所近いぞ! 行こうか」
「……うん」
静那は、背後から小さく返事をした。
真也の足取りは、自然と早まった。
ついに、まともな食事にありつけるかもしれない……と、真也は期待を膨らませた。
その後は、静那をきちんとしたベッドで寝かせてあげたい。
そう思うと、気持ちが高揚してくるのを感じた。
そして、真也自身の問題もあった。
実は真也は、猛烈な眠気と戦っていた。夜は見張りを兼ねて、殆ど起きていたからである。
* * * * *
この日は、かなりの距離を歩き続けた。
その甲斐あって、夕暮れ前になんとか、待ち望んでいた“村らしき集落”が視界の先に姿を現した。
ようやく、初めての村に辿り着くことができたのだ。
これで、静那も助かる。ゆっくり寝かせ、食事にもありつかせてあげられる。
村の入り口には見張り台のような高台があり、一人の男性が座ってこちらを監視していた。
真也は大きく声を張り上げ、助けを求めるように叫んだ。
「おーい!」
言葉は通じないかもしれないが、ジェスチャーを交えれば、挨拶や困っている意図は伝わるはずだと思ったのだ。
高台の男がそれに気づき、梯子を下りてこちらへ近づいてきた。
お互いの距離が二、三メートルほどに縮まったところで、真也はお辞儀をし、自分たちが非常に困っており、助けが必要だという仕草を見せた。
「……」
目の前の男は微笑むこともなく、ただ無表情でこちらを凝視している。
目の下に黒い模様を入れている男。日本で言う“アイブラック”という感じだ。
真也は、「やっぱり言葉が伝わらないのって不便だなぁ」と困惑した表情を浮かべた。
それでも男は、中には入っていいような感じで横を開けてくれたため、真也は門をくぐり、村の中へと入っていった。
初めての村だ。
……だが、そこには先ほどのような男性の姿は見えるが、村人らしい人々の気配が全くなかった。
真也のイメージしていた、おじいさんやおばあさん、元気に走り回る子ども達や赤ん坊を抱いた夫婦の姿などは、どこにも見当たらない。
変だな……今はまだ日が暮れてないから、働き手は仕事などで出払っているのだろうか……
そう思いながら村へ入っていった時、真也は何らかの気配を敏感に察知した。
人の気配だ。
決して“殺気”などという鋭いものではない。
その気配の方向は……そう、あの牛小屋のようなみすぼらしい建物から漂ってきている。
その”気”を発している主は、何やら非常に苦しんでいるように真也には感じられた。
確証はないが、誰かが困っているようなオーラが、そこから漏れ出している。
入り口にいた男性はなぜか後ろをついてきていたが、真也は振り返り、その男性に牛小屋の方を指さして「ちょっとあそこに寄ってもいいですか?」というジェスチャーをし、寄り道をしようとした。
その時、後ろからついてきたアイブラックの男に、肩を“ガッ”と強い力で掴まれたのだ。
「そこには行くな!」……男の無言の圧力は、そう告げているようだった。
真也は少し考えたが、今は背中に静那を背負っている。揉めるのは得策じゃないと考え、男の手をそっとどけた。
そして再び、まっすぐ村の中を歩いていく。
目の下に黒い模様を施した男……“アイブラックの男”は、依然として真也の後ろを無言でついてくる。
別についてこなくてもいいのに……と、真也は微かな不快感を感じていた。
突然、その男が真也の前にしゃしゃり出ると、「こっちへ行け!」とばかりに、一際大きな建物を指さした。
町で一番大きなあの建物。……おそらく、この村の役場のような場所なのだろうか。
ここから今の住所が分かったり、外部と連絡手段が見つかるかもしれない。
ありがたいとは思ったものの、真也にはまず、先にどうしてもやっておきたいことがあった。
ここに来るまでにレンガ造りの建物がいくつかあった。その中にあるかもしれないホテルかモーテルを借りて、まずは静那を寝かしつけ、安心させることだ。
彼女の体はまだ本調子ではなく、空腹で体力も限界まで落ちているはずだからだ。
早く横にしてあげてから、食べ物を持って行こう。
真也は素早く優先順位を整理すると、目の前の男に対し、ジェスチャーを交えながら「ちょっとその前に行くところがあるんで」という感じで、歩いてきた道を引き返そうとした。
その時である。
男が、先ほどよりもさらに強い力で、真也の肩を乱暴に押さえつけたのである。
一瞬驚いたが、真也は“まだ”冷静に考えてみる。
「先にあの建物内で手続きしないと村には入れないルールなのかな? ルールなら仕方ないけど……僕は字が書けないし……それにしてもこの人、役人さんにしてはずいぶんと乱暴な人だな……」
ここでようやく、真也の心の中に不信感が芽生えてきた。
上から押さえつけられた肩をひらりと振りほどき、改めて男性を真正面から見据えた。
アイブラックの男は、明らかに不機嫌そうな、険しい表情を浮かべていた。
「悪いことをしたのかなぁ……でもこっちもまずはさぁ……」
当然、日本語で語りかけても相手に通じるはずはない。
「どうしよう。その……ハロー!……いや違うよなぁ。グーテンターク……でもないよなぁ」
真也が言葉に詰まっていると、男は再び強引に掴みかかってきた。
背中には、大切な静那がしがみついている。乱暴な振る舞いは困ると感じた真也は、素早くステップして男の手をかわした。
すると、勢い余った男はバランスを大きく崩して前に転んだ。
「あ、ごめん……なさい」
真也は思わず日本語で謝ったが、伝わるはずもない。
真也はもう一度、両手で日本でも使う“ゴメンのポーズ”を作り、「ソーリー」と言葉を添えた。
申し訳なさそうな顔も見せた。
だが、目の前の男はその言葉を聞きもせず、怒りに任せて真也を押さえつけようと突進してきた。
「静那を背負ってるのにもう! 危ないなぁ」
これも真也は、サッと左側へ避けていなした。
男の目つきが冷酷なものへと変わったように見えた。
この時、真也はようやくこの男の異常さを肌で感じた。
「何の騒ぎだ!」……周囲に、そんな怒声が響き渡った。
アイブラックの男の声に反応したのか、周辺から他の男性たちも現れた。五名いる。
全員で自分を捕まえるつもりのようだった。
「……ここは大人しく捕まるべきだろうか、いや、本当に大丈夫なのかな?」と真也は迷いを感じた。
しかし、今は背中に大切な人を背負っている。優先度は断然、こちらだ。
じりじりと距離を詰め、寄ってくる男性たち。
奥のレンガ造りの建物から、さらに二人の男性が顔を出した。
真也は「なんでこの村はやたらと怖そうな男性ばかりいるんだ……」と不審に思ったが、その奥から出てきた男の一人が手にしているモノを見た瞬間、一瞬で気持ちを切り替えた。
奥から出てきた男が携えていたのは……小型の槍だった!
殺傷能力はそこまでないとはいえ、あれで突かれたら深刻な傷を負うことになる。
そんな槍を、こんな村の中の広場のような場所で持ち出してくるのは、明らかにおかしい!
真也は、ようやく現状を正確に把握した。
じりじりと男たちに距離を詰められていたが、次の瞬間、真也は弾かれたように振り向き、村の入り口に向かって走り出した。
「逃がすな! 追え!」という内容の激しい叫び声が背後で響き渡った。
八人の男たちが追いかけてくる。そして、そのうちの一人は明確な刃物を手にしている。
静那を担いでいたとはいえ真也の方が足が速かったのだが、村の入り口は既に別の男性たちによって完全に塞がれていた。
「(囲まれた!)」
そう直感した時には、男たちはいつの間にか二十名近くに膨れ上がっていた。
「(この人たちは山賊や人攫いの類かな?)」
状況をなんとか把握しようとする真也。
とりあえずどうしようかと考えたが、近くにある牛小屋を見て真也は閃いた。
* * * * *
まず一旦、牛小屋の中に滑り込むように逃げ込む真也。
外では「牛小屋の方に逃げ込んだぞ! 逃がすな、囲め!」という怒号が飛び交っている。
牛小屋の中は光が届かず、暗かった。視界が悪いのは今の自分にとっては好都合だ。
真也は小屋の隅に、山積みにされた干し草の束を見つけた。
急いでその干し草をかき分け、背中に固定していた静那をその干し草の中に優しく包み込ませた。
そして、上から干し草を被せる格好で、彼女の姿を完全に隠蔽した。
もちろん、彼女が窒息しないように呼吸のためのスペースはしっかりと確保している。
即席の“簡易隠れ蓑”の完成だった。
「あの人たちの相手をしてくる。……少しだけ、ここで待っててね、静那」
真也は彼女にそう静かに告げると、深く一呼吸置いて立ち上がった。
「よし! どこの輩かはわからないけど、いっちょ行ってくるか!」
* * * * *
静那を小屋の安全な場所に隠し終えた後、真也はガラガラと錆びついた戸を押し開けた。
牛小屋を出た時には案の定、男たちに完全に包囲されていた。
たとえ町の人に失礼なことをしてしまったとしても、こんな若い異国の少年を捕まえるために、大人が二十名近くも出動するなど、どう考えても異常事態だ。
しかも、そのうちの四名ほどが明確な武器を携えていた。
獲物は匕首のような刃物や、小型の槍といった代物だ。
もう一回だけ、話し合いで解決できないだろうか。
そう考えた呑気な真也は、一番初めに会った門番のアイブラックの男に向かって歩み寄っていく。
しかし、左右から四、五人の男性が問答無用で真也を取り押さえようと飛びかかってきた。
だが、真也はその攻撃を、流れる水のようにしなやかな動作でさらりとかわした。
勢いよく突っ込んだ男性たちは互いに正面衝突して転び、悶絶し始めた。
その様子を見た門番の男は、背中からこれまた同じような刃物を抜き出した。
これでもう、完全に“黒”だ、と真也は確信した。
「弱ったな~……これ何人いるんだろう」
もし真也一人の身であれば、まず戦闘を避けて逃走を選んだだろう。それが、誰も傷つかずに済む最も平和な解決方法だからだ。
しかし、今の牛小屋の中には大切な静那が待機している。彼女を置いて逃げることなど、天地がひっくり返ってもできない。
やり過ぎないように、この男たちの相手をすることにした。
「(誰かを守るための戦いなんだから、これはもう、仕方ないよね……)」と、彼は自分の心の中で一つのケジメをつけた。
* * * * *
先ほど真也たちが向かおうとしていた、村で一番大きな役場のような建物。
レンガ造りで、周囲の民家とは明らかに規模も格調も異なっている。
その建物の入り口から、身長二メートルに迫るかというほどの大男が姿を現した。
男は、傍らにいた部下らしき男性に問いかけた。
「おい、入り口の方が何やら騒がしいようだが……」
部下は慌てて、現状を説明した。
「はい、スヌゥエハラ・ラルカ様。先ほど旅行客と思われる東洋人がこの村に迷い込みまして……
すぐに捕らえようとしたのですが、激しく抵抗しているようで、少々手を焼いております」
「それにしても騒がしすぎる。……こんなに総出で何を……今は金の収集作業の真っ最中だぞ。
邪魔だ。サッと捕まえられんのか!」
「申し訳ございません。手下を追加で二十名ほど向かわせましたので……間もなく片付くかと存じます」
「ったく……。それで、相手は何人だ?」
「はっきりとは分かりませんが、少年が一人のようです」
「何だと?」
「ただ……ああ……どうやら収まったようです。声が止みましたので、恐らく……」
「少年一人に対し、四十名近くが総出で対応していたというのか! どういうことだ!
とりあえず、片付いたのならその少年をこちらへ連れてこい!」
不機嫌そうな顔をしたこの男、スヌゥエハラ・ラルカは、どうやら金をはじめとする装飾品に異常なまでの執着を持っているようだった。
部下たちからは”黄金の男”と呼ばれ、その冷酷さを恐れられている。
鋭利な刃物のような眼光と、鋼のように引き締まった長身。
ちょうど今、商人たちを交えて強奪した装飾品の検品作業を行っていた最中、村の入り口で一悶着起きたようだった。
役人や部下たちのほとんどがそちらの加勢へ行ってしまい、金の検証作業が一時中断してしまったことに、彼は酷く腹を立てていた。
「たかが少年一人の分際で私の邪魔をしたか……
まあ、その代償は体で直接払ってもらうとしよう」
* * * * *
スヌゥエハラ・ラルカの側近が、確認のために村の入り口へと向かった。
つい先ほどまでの喧騒が嘘のように、辺りは静まり返っていた。
だが、例の“獲物”を縛り上げてこちらへ引き返してくるはずの仲間たちの姿が、どこにも見当たらない。
側近の男は、不思議に思いながら歩を進めた。
やがて村の入り口が見えてきた、その瞬間、彼は絶句した。
そこには、仲間たちが全員意識を失って倒され、まるで荷物のように綺麗に横一列に並べられていたのだ。
その人数を数えていくと……三十七、三十八、三十九、四十!
全員だった。派遣された者たちが、一人残らず気絶させられていたのだ。
突如、背後から声をかけられた。
「あの……すみま!」「ぎゃぁぁぁぁ!」
その男は驚愕し、悲鳴を上げながらその場で飛び上がった。
背後から、今まで一度も聞いたことのない未知の言語で呼び止められたからだ。
男は狂ったように叫び声を上げながら、一目散にボスのいる建物へと逃げ帰っていった。
* * * * *
「うーん、やっぱり日本語じゃ通じないよな……当たり前か……」
必死の形相で逃げていく男の背中を見送りながら、真也は少しシュンとした。
まあ、襲ってきた面々は全員死なない程度にやっつけたわけだし、静那を迎えに行こう。
真也は気持ちを切り替えると、一旦、牛小屋へと戻った。
再び、古びて錆びついたドアをガラガラと開けて中に入る。
そして、静那の包まっている干し草の方へ歩いていった。
「!?」
その時、真也は初めて、その光景を正しく認識した。
さっきは静那を隠すのが最優先だったし、すぐに外の連中の相手をしなければならなかったので、室内を詳細に見渡す余裕がなかったのだ。
だが今、沈みゆく夕日の光が射し込んだ室内で、彼は驚愕した。
そこには、飢えと疲労で苦しそうにしている子どもや老人たちが、地面に力なく横たわっていたのだ。しかも、その数は決して少なくはない。
こんなジメジメとして異臭の漂う劣悪な牛小屋の中に、抵抗する術のない者たちが閉じ込められて暮らしていたのか。
ガリガリにやせ細った一人の子どもと、ふいに目が合った。
不安でいっぱいの顔をしているその子の瞳は、助けを求めているようだった。
真也はそっとしゃがみ込み、その子と同じ目線の高さに合わせた。
言葉は通じなくても、何か目で訴えられないかと試みたのだ。
彼は精一杯の、慈愛に満ちた優しい表情をその子に向けてみる。
すると、その子は一瞬戸惑った後、振り返って土間のようになっている場所へと小走りに移動した。
何事かと思って後をついていくと、そこでは布団の中に一人の老人が横たわり、苦しそうに喘いでいた。酷くやつれきっている。
これは何か栄養のある食べ物を与えないと、長くはもたない。
真也は瞬時にそう判断すると、先ほど見かけた、あの大きなレンガ造りの建物を思い出した。
「(あの大きい施設の中なら、悪いやつが食べ物を溜め込んでいるかも!)」
そう思い立った真也は勢いよく立ち上がり、牛小屋を後にすることにした。
早いに越したことはない。どうせ言葉が通じない相手なのだ。
食べ物を奪い、彼らに渡してあげれば、きっと分かり合えるはずだ!
再び、錆びついたドアを「ギギ、ガラガラ」と開き、真也は村の中心部にあるあの建物に向かって歩き始めた。
……だが、その行く手を阻むように、道の真ん中に一人のやたらと大きな男が立ち塞がった。
身長は優に二メートルを超え、体重も百キロは下らないであろう、岩のような大男だ。
男は、こちらを射殺さんばかりの鋭い眼光で睨みつけている。
……
男はそこから一歩も動かず、真也を認識してからずっと視線を外さない。
真也が右に動けば、男の視線も正確に右を追う。
……完全に、自分がロックオンされている事実に気づく。
真也は相手の肩口から、丸太のように盛り上がった筋肉に視線を走らせた。
そして即座に察知した。……凄まじい筋肉だ。こいつはそこらの山賊などというレベルではない。
格闘家か、あるいは雇われの用心棒か。
どうする……言葉は通じない。
これ以上近づけば、即座に仕掛けてくるであろう、刺すような殺気が漂っている。
確実に仕掛けてくるだろう。もう“試合”のゴングは鳴っているのだ。
そう感じた真也は、ぴたりと足を止めた。
そしてじっと相手を観察し、思考を巡らせる。
でかい……
そして、その身には趣味の悪い黄金の装飾品をこれでもかと身に着けている。
突き刺すような視線を、尚も自分を射抜こうとするように向けてくる。
無言だが、それは彼なりの最大限の威嚇の表現だった。
今まで相手にしてきた男たちとは、放たれる威圧感の桁がまるで違う。
自分のエリアに一歩でも侵入すれば、あっという間に仕留める……そんな狩人のような感覚が伝わってきた。
ちなみに真也は、深く考え事をする時、無意識に視線が右上の方向を向いてしまう癖がある。
「(おそらくこの用心棒みたいな奴とあの男達がこの村の人達を虐げていたんだろうな……
でもこの国の警察は何をしているんだ。そう考えると本当に日本という国は治安が良いっていうのを感じる。街に入ったら、いきなり男が刃物で襲ってくる町なんて普通は無いしなぁ……)」と、彼が考えている内容は、そんな真っ当な考察だった。
一方、目の前の二メートルの巨漢は、自分の殺気を帯びた威嚇にも一切動じず、先ほどから右上ばかりを見て考え込んでいる少年の姿が不思議でならなかった。
「(何かのフェイクなのか?
それとも右上……!
もしや私の左後ろから別の誰かが奇襲を!?)」
真也との体格差が大きかったため、大男の視点からは、真也が自分の左後方の死角を凝視しているように見えてしまったのだ。
背後から何者かが……!? と危惧した大男は、咄嗟に後ろを振り向いてしまった。
しかし、当然そこには誰もいない。
慌てて向き直る大男。…だが、その一瞬の隙を逃さず、真也は既に相手の懐深くまで踏み込んでいた。
彼は素早く懐に入り込み、渾身の腰の入った肘打ちを、相手の脇腹へと正確にめり込ませた。
「ドカッ」という重い衝撃音が響き、男は勢いよく口から胃液を吐き出した。
そのまま男は全身を痙攣させながら、前のめりに倒れ込む。
その倒れ際、真也は相手の肩口に鋭い膝蹴りを叩き込んだ。脱臼したような不吉な音が響く。
だが、男は苦痛の表情を見せることさえなかった。
一発目の肘打ちを食らった段階で、既に彼の意識は完全に断絶していたのだ。
…勝負ありだった。
この僅か数秒の勝利が、結果的に、この“東の村”で奴隷のような仕打ちと虐待を受けていたすべての村人たちを救い出す、最初の一歩となるのである。
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