15-2 ある旅客機での出来事
【15話】Bパート
時差はあるものの、各々ある程度睡眠を取ったので全員体調面は問題なさそうだ。
時刻は5時を過ぎた。
全員顔を洗い、気合を入れ直して搭乗アナウンスを待つ。
季節はまだ3月。日の出時刻…とはいかないが、この始発便に搭乗する予定のお客様たちがポツポツとゲート内に入ってきた。
「勇一と葉月が戻ってきたらそろそろ搭乗ゲートのフロアまで移動しとこうか。」
仁科さんが仕切る。
我がメンバーは男性の方が多いのだが、意外に率先して動くメンバーはいない。八薙と真也は率先して動くタイプだとは思うけど、立場的に後輩・他校の生徒にあたるのであまり強くは言わない。
生一はマイペース。
静那も「別に無理して動こうとしなくてもいいんじゃない?ゆるく行こうよ」という感じ。昼休みはよく生一と一緒に屋上で寛いだりしているので、少し彼のペースがうつったのかもしれない。
暫くして、勇一と葉月が戻ってきた。
葉月が妙な顔をして勇一と話をしている。
「急に通訳してくれって言いだすから何かと思ったよ。
こんな夜中だけど英語分かる人捜して聞いてみたけど“ロビー内に動物を放し飼いにしていませんか?変な動物を入れていませんか?”って何その質問?
国際線のロビーに蜘蛛みたいな生き物はさすがにいないんじゃない?とにかく急に変な事聞いてきたから、私もスタッフの方も不思議だったよ。」
「ごめん。何もないならいいんだ。…けど。」
「お手洗いの所にいたのよね。蜘蛛男みたいなのが…」
「うん…疲れてるのかな…俺。」
「私は見てないからさ。可能性は50%としか言えないよ。戻ってきた時の勇一の顔見たらさすがに嘘には思えなかったから。あと、小春から聞いてたけど、勇一は嘘つくのあんまりうまくないみたいだし。」
「うん…ありがとう。」
「なんだか歯切れの悪い返事ね。でも一応信じるよ。怖かったね。そんなグロテスクなのが天井に張り付いていたなんて。」
妙な会話をしているなと感じた真也、それと八薙が近づいてくる。
「勇一さん、なんかあったんですか?」
「イヤ、俺の勘違いだったみたいだ。」
「勘違い?」
「あぁ。信じられないかもしれないが、俺達が搭乗するゲート近くの手洗いに、小学生くらいのサイズの蜘蛛がいたんだ。でも疲れててデカく見え過ぎたのかもしれない。実際手洗いを出たら、そんな蜘蛛らしきものは見なかったし。ははは…時差ボケ始まりかな。」
「でも勘違いとは思えないような表情してましたよ。疲れてるなら何か甘いもの飲みます?」
「うん。ありがとう。でももうすぐ搭乗時間になるからいいよ。気持ちだけ受け取っとく。」
「なんか辛かったら言って下さい。」
真也は付き合いが短いがよく気が付く。
根は優しいんだなと勇一は感じた。
端っこのゲートに到着した。
勇一はもう一度あたりを見渡す。
搭乗を待つお客様が搭乗まで一時間を切ったということもあり、既に20人くらい集まっている。
それ以外に怪しい人影は…ない。
やっぱり勇一の心がザワザワする。
ほんの一瞬だけ見えた天井の黒く細い腕…。思い出してやや顔が強張る。
その表情に気付いた静那。
「どうする勇一。少し休んで別の便にする?私、無理してこの便に乗らなくても大丈夫だよ。お金は勿体ないけど、勇一なんだか辛そうだもん。捜索よりも勇一の体調がもっと大事だよ。…無理してほしくない。絶対に。」
両肘をつかんで目を見て話しかけてきた。心配してくれているのが分かる。
「なんか変に汗かいてるやん。ちょっと普通じゃないよな。フライト代の事もあるけど、さすがに休むのアリやと思うで。」
生一も珍しく気遣ってくれた。
仁科さんも「(お金は痛いけど、休む?)」という表情だ。
でも自分一人の都合で皆の予定を狂わせてしまってもいけない。
そう感じた勇一は、決めた。
「ごめん!俺時差の関係でちょっと疲れてたみたいだ。確かに変な汗かいてたのは事実だけど、せっかく待ったんだから一旦ここからモルドバまでは行こう。
到着したらあとは飛行機じゃなくて陸路だろ。そうなってから少し休めば大丈夫だよ。
ごめんな。俺皆より貧弱で。八薙からみたら頼りないかもしれないけどさ。モルドバまでは体も持たせる。ホントだ。だから行こう!」
勇一の言葉に一同は少し安心する。
「じゃあモルドバに着いたら、ちょっと長めの休憩にしましょう。時差ボケしてるの私たちも一緒だし。…男性側もそれでいい?」
ここは異議なしだった。
小谷野と兼元は次のフライトでの席がどうだとかまた言い合いをしていたが、元気そうなのを見ると安心した。
自分一人の気の持ちようで周りを不安にさせる事がある。
それだけ皆の中の一人一人は大事なんだ。
深夜の出来事が気にならないかって言えばウソになるが、現地まで行ってしまえば空気も変わり、気持ちも落ち着くだろう…と感じる勇一。
ただ先ほどから勇一の方をずっと心配そうに見ている静那。
「(後輩のくせにいっちょ前に心配して。先輩をなめんな。)」という感じで笑顔で返し、ブロンドの頭をクシャクシャしてやった。
「向こうに着いたらまずはゆっくりしましょうね。絶対。」
* * * * *
日本を出発した時と同じくらいのサイズの飛行機が今回の勇一たちが利用する旅客機だ。
それでもざっと見て200名以上は乗れるくらいのサイズである。
そんな旅客機の後部座席は空いていたが、前の方は結構埋まっていた。
先ほどまで寝たのにあくびが止まらない…そんな状態の面々。
早く時差ボケを何とかしたいものだ。
静那と真也以外は初めての海外旅行なので、時差ボケを体験するのは今回が初めてだ。
だからよけい敏感に感じているのだろう。
予定時刻になり、問題なく飛行機は飛び立った。
離陸した瞬間、勇一は思わず安堵した。
無事離陸するまで、あの天井に居た蜘蛛のような生き物の事が頭から離れなかったからだ。
大きく息をして完全に気持ちを落ちつける。
余裕が出来たのか、勇一は静那の席に目をやる。
静那は本を読んでいた。なので、隣の席を射止めた小谷野には意に介さずという状態。
兼元を見るとニヤニヤしている。
「ざまあお味噌汁よ!」
小声で挑発した。
ふてくされた小谷野は、この機内ではふて寝に走るしかなかった。
仁科さんと葉月、そして真也と八薙は前方の席で完全に読書タイムに入っていた。
まぁ飛行機の中はそれくらいしかやることが無い。
生一は窓側だったので景色を楽しんでいた。
勇一も特にやることはない。精神状態も落ちついたので旅のガイドブックを取り出した。
* * * * *
フライトから2時間くらい経って、機内がザワザワしてきた。
外国語だ。
ヒンズー語だろうか?
機内にいる日本人は勇一達、8名しかいないようだ。
このザワザワしている理由は何だ?
不安を感じていたら生一が突き止めてくれた。
「この飛行機、コースから外れてへんか?」
本当だ!
前にある液晶ディスプレイに、モルドバまでの空路が黄色で地図上に示されているのだが、旅客機のマークはそのコースから大きく南へ逸れている。
ここはイランの上空のようだが、カスピ海近く…いわゆる北西方面を通るのではなく、オマーン湾の方…進行方向を南下させているのだ。
これに対して乗客が明らかに不安がっている。
飛行機が今から墜落するわけではないので、悲鳴を上げるような乗客はいないものの、どこに向かわされているのかという不安感は言葉が通じなくとも感じ取れる。
勇一達もこの何とも言えない空気感に気づく。
そして頭を巡らせる。不安を感じないように。
…ドラマや映画で見た話だがハイジャックでもされているのだろうか?でもその動機は?この機体に重要人物でも乗っているとか?
いやいや考え過ぎだ。ドラマの見過ぎってやつだ。
流石に進路が違うだけではそこまでの暴挙は…ないだろう…と思いたい。
その時、勇一の中で空港ゲートにいた奇妙な生き物の事が頭をよぎった。
もしかしてあの生き物がこの機体の中に…いや、バカな事考えるな。
ゲート前で見ただけであって、旅客機へ乗り込んでくるなんてのはさすがに無い!…非現実的だ。
じゃあ今のこの状態は一体…
乗客にとっては待望の機内アナウンスが流れた。
…しかし、何を言っているのか言葉が分からない。
おそらくヒンズー語だろう。
他の乗客の反応を見て判断するしかない。
一番近い場所に座っていた仁科さんが話しかけてきた。
「勇一…これ、何?」
「分からない。でも進行方向がおかしいのは分かる。」
「じゃあ何処に向かうんだろ…このまま…」
明らかに不安そうな顔になる。
静那は勿論、周りのみんなもこの状況を不安そうに見つめている。もう本なんて読んでいる場合じゃなかった。
小谷野がキョロキョロしながら怖がる。
「え…コレどうなるの…どうしたらいい。」
不安そうにしている小谷野の手を静那がグッと掴む。
「きっと…大丈夫だから。落ち着こう。」
「あ…ああ。そうだな。」
コレ、立場が逆なんじゃないかと感じる勇一。
長いアナウンスが続いているが、とある言葉が発せられた瞬間、機内は叫び声が挙がった。
それでもどうなっているのか分からない。
ヒンズー語が分からないからだ。
雰囲気から何か事件になっている…そうとしか考えられない。
勇一以外の乗客の殆どが立ち上がり、一斉に前の方に詰め寄る。パイロットを出せという事だろう。
誰かに操縦を操作されてる…?いや確証はない。
一体何なんだ!
どんどん混乱が広がり、それに比例して勇一の心臓の鼓動も激しくなる。
可愛そうにインド人のスチュワーデスさんは必死になだめているが、お客さんは叫んだり怒鳴ったりして抑えてくれない。
パニックだ。
「どうしよう…」
勇一に対してなのか、それとも独り言か分からなかったが仁科さんが弱弱しくつぶやいた。
ここは飛行機の中だ。
なす術がない。
「揺れが酷くなってきた…とりあえずシートベルトして座ろう。」
仁科さんに告げる。
でも仁科さんは不安に支配されて聞こえているのだろうか…反応はない。
大柄な男性はスチュワーデスさんを押しのけて前の機長室へ向かい、ドアを叩く。
「開けろ!」とでも言っているのか。
勇一はこんなにも言葉が理解できないことが苦しい事だとは思わなかった。
極限の状態なのに何を言ってるのか分からない!
おそらく他の8名もこの点は同じことを感じているだろう。
マイペースな生一もさすがに緊張した面持ちで空を見ている。
そして言った。
「高度下がっていってる!あかんかも…」
その言葉に反応する8名。
まさか墜落するのか?
前方で怒号が飛び交う中、勇一は席を立ちすぐに窓側を見た。まだそこまで高度は低くないが、このまま高度を持ち直す感じがしない!
森が見えてきた。でも今は緑を見る落ち着きはとてもない。
「(クソっ、どうすんだよ…)」と唇を噛みしめる八薙。震えよりも怒りを感じる。
自分ではどうすることも出来ないからだ。
言葉が聞き取れない!はっきりわからないがこの旅客機内が混乱している!
液晶ディスプレイはそのままだったので目をやったが、ペルシャ湾の方向へ機体は進んでいた。
正規の進行方向からかなりズレている。
着地点を変更するため路線の変更をしていると思いたいが、周りの乗客の態度をみれば明らかに“それ”ではないようだ。
ズズン!
大きな音がして機体が揺れた。
高度が下がって気流が不安定なところに出たのか?
違う!!
機体の右翼が爆発したのだ。
爆発だ!
まるで夢でも見ているような光景だ。
この段階で機内中に一段と大きな悲鳴が沸き上がった。
泣き出すマダム。
機長室を尚も叩きながら怒鳴り続ける数人の男性。
スチュワーデスさんは泣きながら“落ち着いてください。どうか席についてください”という感じの訴えをしている。
言葉は分からなかったが表情をみれば不思議と分かる。
それくらい“懇願”に近い態度だった。
どんな怒号が飛び交う中でも最後までスチュワーデスさんとしての職務を全うしようとするのか。
スーツの男性は手帳を取り出してメモを書き出した。遺言書なのか?目に入った見た目40代くらいの男性も何か筆記用具を取り出して書き残そうとしている。
人は死を目前にするとどういう行動を取るのだろうか…実際は様々だが何かこの一瞬にすべてを託そうとしている人が多い。
ほどなくして右翼が全壊したようで衝撃音が機内中に響く。
各座席に酸素マスクが下りて来た。
実際に上から出てくる酸素マスクを見るのは初めてだ。
片翼で高度をゆるやかに下げながら、機体を大きく揺らしながらさらに高度が下がっていく。
左右の揺れはどんどん大きくなり、乗務員も乗客も立っていられないくらいの揺れとなった。
窓を見る。
まだ墜落には早い高度だが、もうこの先墜落するのは避けられないようだ。
何より右翼が破損して燃えている。
悪夢のような光景だ。
泣き叫びだす人。
一心不乱にメモ帳に必死に何かを書き留める人。
子どもを抱きしめるお母さん。その子どもは「揺れが酷くて酔った~」という表情をしていた。これからの運命に対して何も分からないであろう純粋な表情だ。
カップルらしい方はシートベルトを締めてお互い身を寄せ、何やら励ましあっていた。女性のほうは涙を流している。当然だ。その涙を男性側が拭い、肩を震わせている。
大体の乗客が前の方に詰め寄っていたので、勇一の視界から見えた乗客の姿はそんな感じだ。
後姿だが、シートベルトをして座ったまま肩を震わせている女性。
あまりにも辛い現実にたまらない思いだろう。
家族で抱き合って泣いている姿もあった。
何かを叫んでいる。
「いやだ!死にたくない!」という感じの言葉だろう。
それを目の当たりにしている自分も震えが止まらない。
さっきはまだまだ高いと思っていた高度も、片翼だけの飛行ゆえにどんどん低くなっている。最後の力…左翼でバランスを取りながらあくまで直下型の墜落だけは免れようとしているのだろう。
機長さんは…どんな人なんだろうか…とても残念な結果になるかもしれないけれど、最後のあがきを見せてくれているように感じる。
恐怖の余り精神がおかしくなりながらもふとそんな事を思う勇一。
片翼になって以降、あまりにも左右の揺れが酷いので女性・子どもはもう観念して座席でシートベルトをしている。…そして泣いている。
そしてそれは勇一達も同じだった。
座ったまま混乱を見守る皆…。
さっきまで悔しそうな表情をしていた八薙は悔し涙を流していた。悔しさの余りだろう。
仁科さんや葉月は真っ青になっている。
涙は見せていないが、現実を認めたくないという表情だ。彼女達にも家族がいる。師範代のお父さんの事を思い返したりしているのだろうか。
もうここで座して墜落を待つしかないのか!
前方の凄惨な状況にやりきれない想いの中、勇一の頭の中で“自分”が問いかける…
* * * * *
まだやり残したことはないか?
ある!
静那だ。静那のお父さんを見つけてやるってこと!
すぐに浮かんだ。
お父さんと再開させてあげて静那を喜ばせたい。
あの子はどんなに嬉しがるだろうか。
きっと涙を流して喜ぶだろう。
そんな涙を流して喜んでいる姿を想像してたら自分も嬉しくなる。
恐らくもらい泣きするかもな…仁科さんや葉月も。
だから、手伝ってあげたい。
目の前の…この子を…心底喜ばせてあげたい………
それだけなんだ……
本当に…喜ばせて……あげたかった……
でももうじき…終わってしまうんだ……自分の人生……
…最後くらい誰かに喜んでもらってから死にたかったな………
喜んでくれた顔を見れたらあとはもう…
こんな極限の状態に“自分との対話”。……不思議な感じだった。
以前は他人に興味を示さない勇一だったのに、誰かのために…身近に居る誰かを喜ばせる事が出来なかったことが人生の…唯一の悔いになるなんて…
もう一度チャンスをもらえるなら…無理みたいだけど……絶対に大切な人に喜んでもらえるように…この命を使いたい……
* * * * *
暫くして短い場内アナウンスが流れた。
今度は悲鳴や怒号ではなく絶望的な乗客の表情で悟った。
恐らくアナウンス内容はこうだろう…
「当機はこれよりまもなく墜落します。」
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