後編
「ご主人様……」
「なんだ? 怖くなったのか? しかし奴隷であるお前には人権などない。お前は私の物だ。私に従え」
そう言ってふん、と鼻を鳴らした。どうやら私に興味は失ったようで部屋から出て行った。
先ほどから気になっていた大きな絵画。それから少し離れたところに幸せそうな家族が描かれた絵画がある。
パステルカラーで描かれた優しい世界。優しい笑顔で笑い、寄り添う4人。父親似の少し冷たい印象を与える美しい顔で笑う息子に母親似のまるで赤い薔薇のような艶やか美しい顔で微笑む娘。髪は母親と同じ金髪だが、父親と同じ直毛だった。ふわりふわりと浮く髪の毛がとても美しかった。
あの頃の私には髪に気を遣う余裕などなかったのだから。
その絵には私の奪われてしまった“家族”があった。
《さぁ、私の元に来なさい。》
そう言いながらあの写真に収められた家族を思いながら言う。
《さぁ、早くおいでなさい。》
あの聖職者の憎たらしい顔を思い浮かべながら言う。
体をめぐる熱いものは指先から、つま先から、腹へと伝わり、胸へと流れる。体をゆっくりと焦がしていくのは魔力の所為だろうか、それともこの憎しみたろうか?
《私のこの憎しみを解放する時が来た。さぁ、悪魔よ来い。さぁ、憎しむべき相手よここへ!》
「我を喚んだのはぬしか、勇者よ。くくく、おかしな事だ。本来我を封じるべき者が我を喚び出すとはな」
誰よりも早く現れたのは魔王だった。長い漆黒の前髪で隠れた血のように紅い目と形の良い唇は愉快そうに歪めていた。首に巻かれている鴉の毛のファーのせいか黒い羽根がふわりふわりとまっている。
「なんだっ!?」
「え、なんですかぁ?」
「きゃあっ!」
残り2人の子は余りにも驚きすぎて声が出ないのか固まって何も声を発さない。
「うふふふふ、こんにちは皆さん。そこの3人はお久しぶりね」
嗚呼、楽しい。これからすることを考えるととてもゾクゾクする。
「貴女兎族のくせにそんなことして済むと思ってらっしゃるの!? その長い耳、毟り取ってくれますわ!!」
キンキンと甲高い声であの男の妻は叫んだ。まさしく癇癪という言葉が合っている。
彼女は高位の貴族なのだろう。今まではそれでも許された。しかし、私は貴族に媚びへつらおうなんて少しも考えていない、ただの復讐したがっている殺人鬼だ。
「おい、兎族お前は何者だ……」
一応は勇者のお供に選ばれたのだから頭の回転はそこまで悪くなかったらしい。
「私、こんな所にいる暇ないんですよぉ。早く拷問をしなきゃいけないんですから」
この男は自分の力に過信しているらしい。自分が目の前の兎族に負けるなんて、有り得ないと。自分は兎族より絶対的地位に存在していると疑っていないらしい。普通ならそうだろう。しかし、残念ながらクロワは例外だった。
《さぁ、悪魔よあの女を地獄の底へ連れ込んでしまえ。這い上がってこれない程の深い深い地獄へ。さぁ、悪魔よ出て来い。この女を破滅の道へ》
「おい! 俺の妻に何の魔法をかけた!」
魔王は楽しそうににやりと笑うと女の胸に手を置き、次の瞬間勢い良く服を引き裂いた。敗れた破れた服から覗くのは手入れのされた真珠のような白く滑らかな美しい肌と嫉妬してしまうほどの、いや、実際に舌打ちするほどに嫉妬してしまうほどの大きな形良い乳房が勢いで揺れた。ぞくぞくと現れる醜い悪魔は無防備な女に群がった。
「や、やめなさい! 穢らわしい!! いやぁぁぁあああああ!!」
女が叫んだのと同時に聞こえた歓声。女は最初は泣き、悲鳴を上げ抵抗していた。しかし徐々にそれは変わっていき、言葉ではない声を発していた。理性の欠片もない、ただ本能的な声。この世界の人間が忌み嫌う悪魔を求めていた。もはや母親の顔ではない。そこには一匹の雌豚がいた。
夫は妻を助けようと悪魔を倒すが数が多すぎて妻の元にたどり着けない。子供はそんな母の姿に顔を背け泣き叫ぶ。
一つの悲しみに心が躍る。スキップしたいような気持ちを抑え、再び不幸に突き落とす為の言葉を言う。
《優紀だった私の姿に変化せよ》
そう呟けばふわふわの兎族特有の大きい耳もなくなり、つるんと毛のない丸い人間の耳になった。
白い雪のようだと母に褒められた髪は真っ黒な髪に。赤いルビーのような瞳は髪と同じ真っ黒な瞳に。どう見ても兎族の面影はない。そのにいるのはクロワではなく優紀だった。
「お……まえ……は……」
「久しぶり、2人に会うためにここに喚んだんだ。────あの時の復讐をする為に……ね」
その言葉をきいて見る見るうちに青くなる2人。だんだん白くなり、最後には土色になった。
そして聖職者が必死に言った。自分は無罪だと。
「僕は殺してないよ!! 殺したのはそこの騎士だ!」
「私が計画を立てたのではない! 計画を立てたのは聖職者だ!!」
それを聞いた騎士がそう叫んだ。
2人は知っている。決して優紀には勝てないと。あの時勝てたのは魔王と1人で戦い魔力、体力のほぼ全てを使い果たした状態だったからである。しかし、今の優紀は魔力も体力も十分ある。
自分だけは生き残ろうと互いに罪をなすりつけ合っている。なんと醜いことか。しかしこれが自分を攫った世界の人間である。
《心は壊れては決してならぬ》
そんな2人に言い放つ。そして続けた。
《躯は私の命令に従え。───さぁ、2人とも、互いの躯を求め合うが良い!!》
2人は服を脱ぎ、淡々と行為をする。顔には表情はなくまるで人形のように生気の感じられないものだった。
それではつまらない。優紀は再び呪文を紡ぐ。
《顔のみは自分の意思が通用する。しかしそれ以外は私の命令に従え》
そう言った瞬間2人の表情は苦しみに満ちたものへと変わった。
「もう止めてくれぇ! 嫌だぁぁ魔法を解いてくれ!!」
「嫌だぁぁあ! 謝るから、謝るから魔法を解いてぇ!!」
2人はこの魔法を解いてくれと泣き叫んだ。騎士は妻が襲われた時よりもずっと必死だ。
優紀は椅子に座りながらにやにやと楽しそうに眺めている。騎士の息子と娘はただただ泣いている。
この部屋には叫ぶように無くものと、しくしくと無くものと、高らかに時折拍手をしながら楽しそうにしている1人がいる。
ふと更に面白い事を思いつく。
「魔法を解いてあげてもいいよ」
そう言って飴を与える。それもとっておきの毒を潜めた飴を。
「本当に!?」
「解いてくれるのか!!」
その飴を疑いもせず手を伸ばす。
期待に満ちた笑顔で私を見た。そして早くも立場を忘れたのか私を急かす。
《魔法が解けた瞬間に強い痛みと共に2人は男ではなくなる》
にやり、と口元が歪むのが自分でもわかる。
《3、2、1………0》
2人は同時に股間を押さえた。そこにあるものが荒縄でギチギチに縛られた後、切れにくいノコギリで無理矢理切ったかのような激しい痛みに襲われた。
そして意識が遠くなる頃に痛みが和らいだ。すると余裕が少しだけ出来てふと気付く。自分の手の下に何も無いことに。