第95話 最高やん
日本を離れた船は、夕暮れの海を進んでいた。
甲板には、日本から来た家族たちが集まっている。
リリアーナは一人ずつ顔を見ながら聞いた。
「今まで、何の仕事しとった?」
一人の男が手を挙げた。
「米を作っていました」
「田んぼか」
「はい」
別の者たちも次々に声を上げる。
「私の家は大豆を育てていました」
「野菜を作っていました」
「ネギも作れます」
「味噌を作っていた者もおります」
リリアーナの目が輝いた。その横では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、静かに家族たちを見渡している。
「米、大豆、野菜、ネギ、味噌。全部おるやん」
ミレーヌが黒革手帖へ書き込んだ。
「農業経験者、味噌作りの経験者。それから、村をまとめていた方もいます」
一人の年配の男が頭を下げた。
「村の田畑や、人の仕事をまとめておりました」
「完璧や」
リリアーナは嬉しそうに笑った。
「これで米作れる。味噌も作れる。ネギも増やせる。オヤジ、絶対喜ぶわ」
家族たちは顔を見合わせた。
「本当に、私たちの仕事があるのですか」
「ある。むしろ存分に力発揮してもらう」
リリアーナは甲板の向こうに広がる海を背に、家族たちをまっすぐ見た。
「今の俺の国は、ほぼ世界を手に入れとる。土地もある。人もおる。せやけど、米も味噌もまだ足りへん。作り方知っとる奴も少ない」
少しだけ笑う。
「お前らの力、絶対いる」
家族たちは何も言わなかった。
けれど、その顔から少しずつ不安が消えていく。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司は、その隣で積み上げられた荷物へ視線を向けた。
「ところで、その荷物多ない?」
一人の男が大きな袋を開けた。
「種です」
別の者も袋を見せる。
「肥料です」
「農具もあります」
「全部持ってきたんか!?」
「はい。田んぼも畑も、すぐ始められるように持てるだけ持ってきました」
一人の女が少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「私たちにできることは、これしかありませんので」
「いや」
リリアーナはすぐに首を横へ振った。
「十分すぎるわ。これなら着いたらすぐ始められる。一から全部そろえんでええ。めちゃくちゃ助かる」
その言葉に、家族たちの顔がようやく緩んだ。
すると、別の女がおずおずと手を挙げた。
「漬物も作れます」
リリアーナが止まった。
「……」
「あっ」
ミレーヌがリリアーナを見る。
「漬物忘れとった」
「黒革手帖には記載してあります」
「言えや!」
「王妃が『無理せんでいいからね』と仰っていましたので」
「それでも一回は確認せぇ!」
女が思わず笑った。
「大丈夫です。作らせてください。大根も、きゅうりも、菜っ葉も漬けられます」
「最高のメンバーやんけ!!!」
甲板に大きな笑い声が広がった。
リリアーナは笑いながらも、もう一度全員の顔を見る。
「聞いとけ。もう前みたいな貧しい暮らしはさせへん」
笑い声が静かになった。
「飯は食わせる。住む場所も作る。仕事もある。子どもは育てる。年寄りは休ませる。働ける奴には自分の力を使ってもらう。せやけど、倒れるまで働かせる気はない」
リリアーナは、まっすぐ言った。
「俺が約束する」
家族たちは黙って聞いていた。
一人の男が目元を押さえる。
「本当に、そんな国があるのですか」
「ある」
リリアーナは迷わなかった。
「今から、もっと良くする。お前らも一緒にや」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、その横で静かに口元を緩めている。
「ありがとうございます」
「働きます」
「米を作ります」
「味噌も」
「漬物も」
「全部作ります」
「あぁ。頼むで」
リリアーナは笑った。
「農家、現場復帰や」
その頃。
船の反対側では、まったく別の話で盛り上がっていた。
「いや、昨日の蹴りやばくなかった? 土方飛んでたじゃん」
パードが両手を広げる。
レイナは頬へ手を当てた。
「私は、あの目が忘れられませんわ。冷たいのに、誰も殺さないんですもの」
キルナも腕を組んだまま頷く。
「煙草吸ってる時、クソ色気あった」
「分かる!」
心絆が大きく頷いた。
「声も!!! とても素敵でした!!!」
「声デカ!」
スギナが胸へ手を当てる。
「星々も、清司様の低い声に揺れておりました」
「星までイケボ判定すんな!」
パードが楽しそうに笑った。
「マジで声イケボすぎじゃね? 姫様の時と全然違うじゃん」
「本当の姿で聞くと、破壊力がございますわ」
レイナも頬を赤くしたまま頷いた。
キルナが少し声を低くする。
「ええ加減にしろ!」
「真似すんな!」
離れた場所からリリアーナの声が飛んできた。
「聞こえとるぞ!」
「黒王子、耳いいじゃん!」
「船の上で女子会すな!」
また笑い声が上がる。
その隣で、ミレーヌは何事もなかったように黒革手帖を閉じた。
「清司さん。余計に惚れられましたね」
「お前はどうやってん」
「何がですか」
「本当の俺見て、なんか感想ないんか」
ミレーヌは少しだけ考えた。
「予想どおりでした」
「軽っ!」
「刀を持っている時より、素手の方が怖かったですね」
「そこ!?」
「あと、煙草が似合っていました」
「感想それだけか!」
「若頭感の圧を生で見られたのは、少し嬉しかったです」
「少しかい!」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、リリアーナの横で静かに目を細めていた。
農家たちの新しい仕事も決まった。
米も作れる。
味噌も作れる。
ネギも漬物も作れる。
国へ帰れば、また新しい産業が始まる。
そのはずなのに。
船の反対側では、まだ清司の蹴りと煙草と低い声の話をしていた。




