第91話 池田屋事件
池田屋。
家族との再会を祝う宴は、戸が開いた瞬間に終わった。
「御用改めである!!」
青い羽織をまとい、刀を抜いた男たちが入口を塞いでいる。
新選組だった。
「全員、動くな! 怪しい者は捕らえる! 抵抗する者は斬る!」
笑っていた兵たちの顔が固まり、子どもたちは母親へしがみついた。
膳の上には、まだ料理が残っていた。
ようやく会えた相手へ伸ばしていた手が、止まる。
幕末反乱軍も一斉に立ち上がる。
高杉が刀へ手をかけた。
「来やがったな」
「待て。今回は誰も戦うな」
リリアーナが止める。
「ですが、姫様!」
「レイナ、こっちの全員止めといて」
「承知しましたわ」
レイナが両手を広げると、淡い光が部屋を包んだ。
「身体が……動かない!」
「姫様!?」
「黒王子、何する気?」
「見とけ」
リリアーナはアレクシスを見る。
「向こうの兵もや。斬りかかってきた奴だけ止めろ」
「分かった」
アレクシスが指を動かす。
新選組の後ろにいた隊士たちの身体が、その場で固まった。
「何だ!?」
「身体が動かん!」
「妖術か!」
「ちゃう」
リリアーナはミレーヌへ手を出した。
「薬」
部屋が静まった。
ミレーヌは懐から小さな瓶を取り出す。
「本当に使うんですね」
「今しかないやろ」
「一度きりです」
「分かっとる」
「午前零時までです」
「シンデレラ確認いらん」
リリアーナは小瓶を受け取った。
白い指が、瓶を握る。
この手でできることを、増やしてきた。
できないことは、任せてきた。
今も、任せた者たちが後ろにいる。
清司は一度だけ、その顔を見た。
レイナが息をのむ。
「姫様……」
パードも目を見開いた。
「まさか」
キルナの口元が上がる。
「やっとか」
スギナは胸へ手を当てた。
「星々が――」
「今は静かにしとけ」
「まだ何も言っておりません」
「長なるからや」
リリアーナは薬を飲み干した。
ごくり。
金色の髪が揺れ、小さな身体が光に包まれる。
「何だ!?」
新選組も、兵たちも、幕末反乱軍も、全員がリリアーナを見ていた。
眩しい光の中で、金色の髪が消えていく。
細い肩が広がり、小さな手が大きな男の手へ変わった。
白い衣は黒いスーツへ。
長い脚。
すっと伸びた背。
身体に沿う黒い上着の下に、しなやかな肩の線が現れる。
黒髪が額へ落ちた。
中央で分かれた前髪の隙間から、切れ長の目が覗く。
気だるそうに伏せられているのに、入口の男たちからは逸れない。
光が消えた時。
そこには。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が立っていた。
その後ろには、金髪ふわふわのリリアーナが、ぽわーんと宙に浮かんでいる。
「姫様が……」
レイナは頬を真っ赤にした。
「清司様に……反則ですわ……」
パードは口を開けたまま固まった。
「うわ。ガチの黒王子じゃん……」
キルナも珍しく目をそらさない。
「……クソかっけぇ」
スギナは胸を押さえた。
「魂と身体が完全に――」
「説明は後や」
「はい……」
心絆が両手を握った。
「かっこいいですーーー!!!」
「声デカ!」
「本当にかっこいいです!!!」
「二回言わんでええ!」
龍馬が目を丸くする。
「尼が男になったぜよ!?」
「言い方!」
桂も清司を見る。
「こちらが本来の姿ですか」
「せや」
高杉が楽しそうに笑った。
「面白ぇ」
西郷も大きく頷く。
「よか男です」
「品評会ちゃうぞ」
大久保は冷静に見る。
「身体能力は、これから確認できます」
「分析すな」
清司はゆっくり肩を回し、首を傾けた。
拳を握る。
長い指が、手のひらへ収まる。
開く。
もう一度、握る。
身体が軽い。
足も動く。
腕にも力が入る。
呼吸を整えてから立ち上がる必要もない。
踏み出した先で、自分の重心を受け止められる。
前世と同じ。
いや。
それ以上だった。
「……ええな」
清司は口元を上げた。
「最高や」
声も、自分の胸から響いた。
一瞬だけ、その響きを確かめるように息を吐く。
それから、入口へ目を戻した。
新選組の先頭から、三人の男が前へ出た。
「近藤だ」
「局長枠か」
「何だと?」
その隣の男が刀を構える。
「副長、土方だ」
「分かりやすいな」
さらに若い男が一歩前へ出た。
「沖田です」
「三人そろったな」
土方が清司を睨む。
「何者だ」
「話す前に刀向けたん、そっちやろ」
「怪しい集まりは取り締まる」
「家族で飯食うとっただけや」
「幕末反乱軍がいる」
「今は俺の仲間や」
「ならば全員捕らえる」
「話通じへんな」
清司は一歩前へ出た。
肩には刀を担いだまま。
子どもたちのいる場所と、入口の間へ立つ。
後ろを確かめる必要はなかった。
レイナも、アレクシスも、任せた場所を動いていない。
「抵抗するなら斬る」
土方が言った。
「ほな、やってみろや」
清司は腰を落とした。
「かかってこいや」
最初に動いたのは土方だった。
「斬れ!」
刀が振り下ろされる。
清司は肩から刀を下ろした。
だが、鞘からは抜かない。
カンッ!
鞘に収めたまま土方の刀を受け流し、そのまま鞘の先を腹へ叩き込む。
「ぐっ!」
土方が後ろへ下がった。
沖田が横から斬り込む。
「隙あり!」
「見えとる」
清司は鞘で刀を弾き、返す動きで沖田の手首を打った。
「っ!」
沖田の刀が畳へ落ちる。
清司は刀を持ったまま首を傾けた。
「邪魔やな」
そのまま後ろへ放る。
「バルド!」
飛んできた刀を、バルドは片手で静かに受け取った。
「お預かりいたします」
「頼むわ」
受け取られる音を聞いて、清司は両手を空けた。
拳を鳴らす。
土方が目を細める。
「刀を捨てるのか」
「預けただけや」
「俺たちをなめているのか?」
「逆や」
清司は腰を落とした。
「刀持っとる相手に、素手で十分や言うとんねん」
土方がもう一度斬りかかる。
清司は半歩ずれた。
「遅い」
腕を取って足を払う。
ドン!
「ぐっ!」
土方が畳へ転がった。
「一人目」
沖田が落とした刀を拾い、横から斬り込む。
「今度こそ!」
「見えとる言うたやろ」
清司は刀をかわして懐へ入り、腹へ拳を叩き込んだ。
「うっ……!」
沖田の身体が浮き、そのまま畳へ落ちる。
「二人目」
近藤が叫んだ。
「全員でかかれ!」
「一対一ちゃうんかい!」
動きを止められていなかった隊士たちが、一斉に清司へ向かう。
「清司様!」
レイナが声を上げる。
「動くな。俺一人でええ」
清司は振り返らなかった。
後ろを守る手が離れれば、家族のいる場所へ刀が入る。
正面だけを、自分が受け持つ。
一人目の拳をかわし、そのまま背負って投げる。
二人目の刀の柄を押さえ、膝を払う。
三人目の胸ぐらをつかみ、隣の男へ放った。
「うわっ!」
「ぐえっ!」
清司は止まらない。
「身体動きすぎやろ!」
右から来た刀をかわし、左から来た男の腹を殴る。
前から飛び込んできた男を投げ、後ろからつかみかかった男を肩越しに転がした。
黒い上着の裾が翻る。
細身の身体が男たちの間を抜けるたびに、誰かが畳へ落ちた。
大きく振りかぶらない。
必要な分だけ踏み込み、次の刀へ顔を向ける。
斬らせない。
刺させない。
ただ、殴る。
投げる。
転がす。
倒す先に、子どもも膳もない。
入口の側へ、男たちが重なっていく。
「姫様……」
レイナは見惚れていた。
「お強いですわ……」
「黒王子、やば」
パードも目を輝かせる。
「一人で全員しばいてんじゃん」
「若頭!」
キルナが笑う。
「もっとやれ!」
「応援が物騒や!」
スギナは手を組んだ。
「星々も清司様の拳へ祝福を――」
「いらん!」
心絆は涙を浮かべている。
「誰も死んでいません!!! 殴っているだけです!!!」
「見たら分かる!」
「素晴らしいです!!!」
「声デカ!!」
土方が再び立ち上がった。
「まだだ!」
「しつこいな」
刀を横へ振る。
清司は頭を下げてかわし、腹へ拳を叩き込んだ。
「ぐっ!」
続けて顎へ拳を振り上げる。
だが。
寸前で止めた。
土方の身体が固まる。
目の前にある拳へ、視線だけが落ちた。
清司の息は乱れていない。
止めた腕も、震えていなかった。
「死なん程度にしといたる」
「……なぜ止めた」
「殺したら話聞かれへんやろ」
清司は土方の胸を押した。
土方が尻もちをつく。
沖田も後ろで立ち上がった。
「まだ動けますよ」
「寝とけ」
清司が足を払う。
「うわっ!」
沖田が再び畳へ転がった。
「三回目はないぞ」
最後に近藤が刀を両手で構えた。
「新選組は負けん!」
「まだ言うんか」
「我らは命令に従う!」
「自分の頭で考えろや!」
近藤が走る。
清司も前へ出た。
刀を横へ流し、懐へ入る。
胸ぐらをつかんだ。
「ええ加減にしろ!」
そのまま投げる。
ドオン!
近藤が畳へ落ち、池田屋が揺れた。
全員が黙った。
清司は倒れた三人を見下ろす。
「俺らが何人助けて、何人連れて、ここまで来た思とんねん。やっと家族そろって飯食うとったんや」
近藤たちは何も言わない。
「そこへ入ってきて、斬る、捕らえる、命令や。それしか言えへんのか」
身体は、思うように動いた。
踏み込めば届く。
伸ばした腕で、止められる。
その感覚が戻ったことは、ただ嬉しかった。
だが、三人を見下ろす目は笑っていなかった。
後ろには、会えなかった時間をようやく埋めようとしていた家族がいる。
まだ母親の服を握っている子どももいた。
その手を離して笑えるところまで来たのに。
食べかけの膳を囲んで、やっと息をついたところだったのに。
「俺はな。人がやっと生きようとしとる時に、邪魔されんのが一番嫌いやねん」
声は、低かった。
誰も聞き返さなかった。
近藤は畳に倒れたまま、清司を見上げた。
土方も沖田も、もう刀を取らない。
しばらくして、近藤が言った。
「……参りました!」
新選組の隊士たちが一斉に刀を下ろし、池田屋に静けさが戻った。
誰かが、長く息を吐いた。
清司は乱れた黒スーツを直した。
襟元を整え、片方の袖を引く。
その動きには、もう戦っていた時の速さはなかった。
バルドが静かに歩み寄り、預かっていた刀を差し出す。
「お返しいたします」
「あぁ」
清司は刀を受け取ると、鞘に収めたまま肩へ担いだ。
倒れた近藤たちの前まで歩く。
「ほな」
足を大きく開き、腰を落とす。
刀を肩に担いだまま。
真正面から。
三人を見た。
「話きこか」




