第88話 生き残れ
山の中にある砦には、本能寺から逃げてきた者たちが全員、無事にたどり着いていた。
兵たちは壁際へ座り、水を飲みながら荒い息を整えている。桂小五郎、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬たち幕末反乱軍も、レイナたちも、ようやく張り詰めていた身体から力を抜き始めていた。
その真ん中で、明智光秀だけが眠っている。
「レイナ」
「はい、姫様」
「起こして」
「承知しましたわ」
レイナが指を鳴らした。
ぱちん。
明智光秀の目がゆっくりと開く。
「……ここは」
「砦や」
身体を起こした明智光秀は、周囲を見回した。
自分の兵たち。
幕末反乱軍。
異国から来た者たち。
そして、尼姿のリリアーナ。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、その横から明智光秀を静かに見つめている。
「本能寺は燃えてへん。信長も生きとる。兵も全員ここにおる」
明智光秀は何も言わなかった。
リリアーナはその前へ座る。
「ほな、さっきの続き聞こか。なんで信長を討とうとした」
明智光秀はしばらく俯いていたが、やがて震える手を握り締めた。
「殿は変わってしまいました。何を申し上げても聞いてくださらない。兵を使い、民を苦しめ、国を広げることだけを考えている。このままでは誰も殿を止められない。だから、私が止めるしかないと……殿を討てば、すべて終わると考えました」
声が揺れた。
「これしか、生きる道がありませんでした」
兵たちも俯いた。
「俺たちもです」
一人の兵が、堪えきれないように口を開いた。
「光秀様を止めたかった。でも命令に逆らえば、俺たちだけではなく家族まで殺される。ついていくしかなかった」
別の兵も涙を流している。
「死にたくなかった。家族に会いたかった。でも、もう戻れないと思っていた」
砦の中に、すすり泣く声が広がった。
桂も、高杉も、西郷も、大久保も、何も言わず兵たちを見ている。
心絆は両手で口元を押さえていた。
「死ぬしかない道なんて……道じゃありません!!!」
「声デカ……」
リリアーナの声も、少しだけ震えていた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司は、その横で静かに立っている。
リリアーナは明智光秀を見た。
「人はな、変わろうと思った人間しか変われへん。これは、ええ方にも悪い方にもや」
明智光秀が顔を上げる。
「お前は悪い奴やない。命懸けで信長を変えたかったんやろ」
「……はい」
「でも、殺しても意味ない」
リリアーナはまっすぐ言った。
「お前が信長殺したら、次は豊臣秀吉が天下取るだけや」
明智光秀の動きが止まった。
「……豊臣秀吉」
「あいつが天下取るより、信長の方がマシやろ?」
砦の中が静まり返った。
明智光秀は少しだけ考えた。
「……はい」
すぐに頷いた。
「納得早っ!」
「豊臣秀吉だけは、本当に困ります」
「そこは即答なんやな!」
兵たちの間から小さな笑いが漏れた。
明智光秀も、泣きながら少しだけ笑った。
「私は殿を変えたかった。国を守りたかった。兵を、民を、生かしたかった。でも何をしても届かなかった。もう、殺すしかないと思ってしまった」
リリアーナは首を横へ振る。
「殺す以外の道、今から作ったらええ」
「今から……?」
「せや」
リリアーナは立ち上がった。
「ほな、道変えよか」
明智光秀が目を見開く。
「明智光秀。俺の国に来い。兵も連れてこい。家族おる奴は、みんな連れてこい。飯も作る。住む場所も作る。仕事も作る。刀持つ以外の生き方、これから選べるようにしたる」
兵たちが一斉に顔を上げた。
「我々も……?」
「当たり前や。明智光秀だけ連れて帰って、兵置いていけるか」
一人の兵が泣き崩れた。
「家族も、連れていってよいのですか」
「全員や。子どもも親も嫁も一緒に来い。もう誰か殺さんでも、生きていけるようにしたる」
明智光秀は、深く頭を下げた。
「私も、生きてよいのですか」
「お前が一番、現場復帰せなあかんやろ」
明智光秀の肩が震えた。
「……ありがとうございます」
兵たちも一斉に頭を下げる。
「ありがとうございます! 家族を連れてきます! 必ず船へ戻ります!」
「泣くんはええ。でも、ちゃんと家族に説明してこい」
「はい!」
心絆が涙を拭い、拳を握った。
「全員!!! 生きて帰れます!!! 家族も一緒です!!!」
「声デカ! 耳キーンなるわ!」
それでも、誰も笑うのを止めなかった。
「わしらも行くぞ!」
突然、龍馬が勢いよく手を挙げた。
「……は?」
「わしも、桂も、高杉も、西郷も、大久保も、心絆も! 全員そっちの国へ行く!」
「待て待て待て!」
リリアーナが勢いよく振り返った。
「お前ら、日本を開国するんちゃうかったん!?」
「無理じゃき!」
「諦めるん早っ!!」
「今の日本、人も金も船も足りん! 信長もおる! 新選組もおる! 開国どころやない!」
「それで国外逃亡するんか!」
桂が静かに頷いた。
「生き残ってから考えます」
「逃げのプロ、判断早いな!」
高杉も腕を組む。
「そっちの国なら、身分に関係なく兵を集められるんだろ」
「まあな」
「なら行く」
「就職みたいに言うな!」
西郷が穏やかに笑った。
「皆が生きられるなら、よか場所です」
「話が早い!」
大久保は真顔のまま続ける。
「住居、食料、仕事、制度。すでにある程度そろっている」
「福利厚生で決めたんか!」
心絆が拳を高く掲げた。
「生きて帰るまでが開国です!!!」
「開国せず帰るんかい!!」
ミレーヌは黒革手帖を開き、人数を数え始めた。
「清司さん。明智光秀、兵士とそのご家族、幕末反乱軍。一気に国民が増えます」
「増えすぎや!」
「船に乗りますか?」
「そこから考えなあかんの!?」
龍馬が嬉しそうに笑った。
「船なら任せろ!」
「そこだけ急に頼もしいな!」
砦の中には、泣き声と笑い声が混ざっていた。
死ぬしかないと思っていた者たちは、その夜、生きる国を変えることにした。
日本を開くために戦っていた幕末反乱軍も、信長を殺すしかないと思っていた明智光秀も、命令に従うしかなかった兵たちも。
まずは、生きる。
開国も、国づくりも、そのあとだった。




