第84話 煙の向こう
安土城へ向かう前、リリアーナは日本兵たちを集めた。
「俺らが安土城で信長の目ぇ引きつける。その間に、お前らは家へ帰れ」
「我々だけで……?」
「家族と話すんは、お前らやろ。来るか残るか、自分らで決めてこい。無理に連れてくんなよ」
「はい!」
「全員、船へ戻ってこい」
「ありがとうございます!」
「礼は家族連れて帰ってからや」
兵たちは力強く頷くと、それぞれの故郷へ向かって一斉に走り出した。
その背中を見送ったリリアーナは、遠くにそびえる安土城を見上げる。
「ほな、俺らも――」
そこで足が止まった。
「……待て」
「どうしました?」
ミレーヌが振り返る。
「俺の魂、見られるぞ」
レイナ、パード、スギナ、キルナの視線が、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司へ集まった。
「信長は前世の俺を知っとる。尼姿は誤魔化せても、こいつ見られたら終わりや」
「隠しますわ」
レイナが即答した。
「どうやって」
シャーホムズが荷の中から一本の葉巻を取り出した。
「煙だ」
「安土城で葉巻吸いまくるんか」
「ほかに案はありません」
リリアーナは少し考え、やがて頷いた。
「……それでいこ」
安土城。
広間の奥には信長が座り、その横には明智光秀が控えていた。
「龍馬。また勝手に異国人を連れてきたのか」
「面白い品を持っちゅうぞ」
「それを決めるのは殿だ!」
「相変わらず堅いのぉ」
「誰のせいだ!」
「もう苦労人やん」
「聞こえているぞ!」
「耳ええな!」
明智光秀のこめかみに青筋が浮かぶ中、玉座の信長が静かに口を開いた。
「異国の品を持ってきたそうだな」
「はい」
リリアーナは尼の頭巾の奥から信長を見つめた。
転生者なら、前世の魂が見える。
だが、信長の隣には何もいなかった。
「……捨ててきたんや」
「何か言ったか」
「何も」
レイナが小声で呼びかける。
「姫様、見られますわ」
「煙!」
シャーホムズとワトゾンがすぐに葉巻へ火をつけた。
「もう少し右ですわ!」
「違うって! ワトゾン、もうちょい左だってば!」
パードが手を振り、キルナも清司の姿を睨むように確認する。
「肩が出てる。もっと煙吐け」
スギナも真剣な顔で頷いた。
「魂の上部が露出しております」
「スギナ、言い方怖いねん!」
「煙が足りません」
「吸える奴、全員吸え!」
バルド、リキュウ、晴明、式神、龍馬が次々と葉巻へ火をつけた。
アレクシスも一本取ろうとして、リリアーナに手首を掴まれる。
「待て」
「何?」
「お前、学生やろ」
「そうだけど」
「喫煙あかん」
「この世界でも?」
「俺の中ではあかん!」
「じゃあ、何すればいい?」
「団扇! 煙あおげ!」
「分かった!」
アレクシスはすぐに団扇を持ち、嬉しそうに煙をあおぎ始めた。
「もうちょい右!」
「こっち?」
「違う、煙が右!」
「分かりにくい!」
「もっと上ですわ!」
「はい!」
「学生は団扇係や!」
「そこ役割なんだ!」
龍馬は大きく葉巻の煙を吐き、目を輝かせた。
「おぉ! キセルより煙が太い!」
「楽しむな!」
晴明も扇を使って煙を送る。
「この方向でよろしいですか」
「もう少し上ですわ!」
「承知しました」
「陰陽師が何しとんねん!」
式神まで葉巻をくわえた。
「我も手伝おう」
「式神まで吸うな!」
「必要なのだろう」
「肺あったんか!」
バルドは何事もないように静かに煙を吐き、鈴を鳴らした。
チリン。
「煙量を追加いたします」
「鈴鳴らして言うことちゃう!」
「貴様ら!!」
とうとう明智光秀が怒鳴った。
「殿の御前で、なんたる態度だ! 煙を撒き散らし、右だ左だと騒ぎ――」
「もうちょい左だってば」
「まだ言うか!!」
「光秀」
信長が葉巻を見つめた。
「うるさい」
「殿!?」
「その筒は何だ」
「……やべ」
シャーホムズが葉巻を掲げる。
「異国の嗜好品だ。香りと煙を楽しむ」
「寄越せ」
「殿!」
「俺が試す」
「毒見を!」
「俺が決める」
「殿ぉぉぉ!!」
信長は渡された葉巻を口へ運び、ゆっくりと煙を吸った。
「……苦い」
もう一度。
「煙たい」
さらに吸う。
「面白い」
「気に入っとるやないか!」
「わしにも一本!」
「お前もう吸っとるやろ!」
「味見じゃ!」
「二本目いくな!」
龍馬が楽しそうにもう一本へ手を伸ばす横で、リキュウはすぐに異国の酒を差し出した。
「こちらには、異国の酒もございます」
「開けろ」
「殿!」
「俺が飲む」
「だから止めているのです!」
明智光秀の制止など聞かず、信長は杯を飲み干した。
「酸い」
もう一杯。
「甘い」
さらに一杯。
「悪くない」
「飲むん早いねん!」
「わしにも!」
「龍馬まで飲むな!」
「案内した褒美じゃ!」
「勝手に決めんな!」
龍馬は杯を高く掲げた。
「異国、最高じゃ!」
「お前ら宴会しに来たんか!!」
明智光秀はとうとう頭を抱えた。
「殿! もうお控えください!」
「葉巻は全部置いていけ」
「殿!」
「酒もだ」
「殿ぉぉぉぉ!!」
信長は満足そうに笑い、異国の品が並ぶ広間を見渡した。
「気に入った。しばらく日本に滞在せよ。宿も用意させる。日本でゆるりと楽しむがよい」
リキュウが深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
ようやく一段落したと思ったのか、明智光秀は疲れ切ったように息を吐いた。
「殿。そろそろ本能寺へ向かわれる支度を」
「本能寺?」
龍馬が首を傾げる。
「もうすぐ殿は、本能寺へ向かわれる」
リリアーナの動きが止まった。
ミレーヌも黒革手帖から顔を上げる。
「本能寺……」
「あれですね」
二人の視線が重なった。
「……ん?」




