第75話 昔惚れた女は、織田信長
「怪我治ったら、日本へ迎えに行くぞ」
兵士たちはパンや器を手にしたまま、今度は自分たちの意思で深く頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
捕縛区画のあちこちから震える声が重なり、リリアーナは小さく頷いた。
ミレーヌが今度こそ車椅子を出口へ向けようとした時、兵士の一人が何かを思い出したように顔を上げる。
「ですが、清司様は……」
車椅子が止まった。
「何や」
「織田信長様は、清司様を必ず連れて帰るよう命じておりました。日本へ来られれば、また狙われます」
レオンたちが一斉にリリアーナを見る。
「そういえば、織田信長はどうして清司を欲しがってるの?」
セシルが首を傾げると、エリオットも不思議そうに眉を寄せた。
「そもそも僕たちは、清司が誰なのかも知らないよ」
「召喚魔法で出てきた男だろ?」
レオンが答え、アレクシスも素直に頷く。
「織田信長は、その清司を知ってるんだね」
リリアーナの横には、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が静かに立っていた。
レオンたちには見えていない。
だが、食事の配布を手伝いに来ていたレイナとパード、スギナ、キルナの視線は、揃って清司へ向けられていた。
「知っとる」
リリアーナが答えると、七人はますます顔を近づけてきた。
「どこで?」
「前世や」
「前世?」
「あぁ。織田信長は、前世で志乃やった女や」
レオンたちは揃って黙り込んだ。
どうやら、理解できていない。
リリアーナは少しだけ目を細めた。
体操服を貸した日のことも、山城組へ入る前に過ごした一夜も、なかったことにはしていない。
あの頃の自分にあった気持ちまで、否定するつもりはなかった。
「昔、惚れた女や」
「昔惚れたのが織田信長なの?!」
ロイヤル・フラグメントの七人が一斉に叫び、捕縛区画の兵士たちまで驚いて顔を上げた。
「織田信長のこと愛してるの?!」
「話聞けや!」
どうやら七人の耳には、「惚れた」しか届いていない。
ノエルが傷ついたような顔で、車椅子の前へしゃがみ込んだ。
「今も愛してるの?」
「愛してへん」
「本当に?」
「愛してへん言うとるやろ」
返事に迷いはなかった。
昔の気持ちを覚えていることと、今、志乃の隣へ帰ることは別だった。
自分が選び、共に暮らした相手まで変わるわけではない。
ノエルがほっと胸を撫で下ろす横で、エリオットはまだ納得できない顔をしていた。
「でも、そもそも清司って誰なの?」
「それは――」
リリアーナは口を開きかけて、やめた。
周りには、食事を手にした兵士たちがいる。
自分の身体も、まだ休ませなければならない。
前世から順に説明するには、場所も時間も足りなかった。
「分かった!」
セシルが突然、何かを閃いたように手を叩いた。
「召喚魔法で出てきた男が清司なんだよ!」
「そういうことか!」
エミールも迷うことなく納得し、アレクシスも大きく頷く。
「織田信長は、召喚魔法の清司を欲しがってるんだね!」
「勝手に話まとまっとるな」
レオンが真剣な顔でリリアーナを見る。
「でも、リリアーナは清司じゃないよね?」
「……せやな」
「じゃあ、清司を渡せばリリアーナは連れて行かれないの?」
「俺も連れて行かれるやろ」
「どうして?」
「なんでもや!」
七人が不思議そうに顔を見合わせる。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、呆れたように目を伏せていた。
「それで、織田信長を愛してるの?」
ノエルがもう一度尋ねる。
「愛してへんわ!!!!」
リリアーナの怒鳴り声が捕縛区画に響き渡り、兵士たちの手にしていた器が小さく揺れた。
七人は揃って安堵した顔をする。
「よかった」
「何がや」
「織田信長を愛してないなら安心したよ」
「前世の話どこ行ったんや」
「前世?」
「女?」
「何の話?」
リリアーナは七人を順番に見回した。
「なんかズレとる」
その横で、レイナたちは誰一人として笑っていなかった。
昔、惚れた女。
今は愛していない。
その二つを、彼女たちは聞き分けていた。
レイナは刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司を見つめたあと、静かにリリアーナへ視線を戻した。
「……織田信長ですのね」
「あぁ」
「前世で、清司さんが惚れた方」
「あぁ」
レイナの指が、扇を握り直す。
清司の知らないところにある、昔の時間。
その中へ自分が入れないことに、胸が僅かに痛んだ。
だが、昨日聞いた拒絶も覚えていた。
「それが今さら、清司さんを迎えに来たと」
「言い方怖いねん」
レイナの拳に炎が灯った。
パードが腕を組み、露骨に顔をしかめる。
「いや、普通に重くない? 昔の女が織田信長で、今さら清司ほしいって」
「お前に言われたない」
「うちらは健全だし」
「どこがやねん」
スギナは清司へ祈るように両手を組んだ。
「やはり過去世の執着が、時空を越えて清司さんの魂を引き寄せているのです。宇宙も今こそ因縁を断ち切る時だと――」
「宇宙巻き込むな。星も誰も喋ってへん」
キルナは拳を鳴らした。
「若頭が昔惚れた女か。ちょうどいい」
「何がや」
「どっちが若頭の隣に立つ女か、タイマンで決めりゃいい」
「決めへんわ!」
「逃げたら追う」
「もう喧嘩始まっとるやん」
清司の眉間に、皺が寄った。
隣に立つ相手を、本人抜きの勝負で決められても困る。
志乃へ断った話が、形を変えて目の前でも始まっていた。
レイナは炎をまとったまま、にっこりと微笑んだ。
「姫様、日本へ参りましょう。織田信長へ、ご挨拶をしなくてはなりませんもの」
「全員、挨拶する顔ちゃうねん」
「清司さんを連れ去ろうとした理由も、きちんとお聞きしなくてはなりませんわ」
「炎消してから言え」
「これは礼儀ですわ」
「どこの礼儀や」
パードが髪をかき上げる。
「まあ、話し合いは大事っしょ。清司に近づかないって理解するまで、ちゃんと話したげる。うちら優しいから、三回くらいは言葉で言うし」
「四回目何すんねん」
「そこからはノリ」
「一番怖いやつや」
スギナは静かに目を閉じた。
「私は争いを望みません。ただ、織田信長の魂が清司さんへの執着を手放すまで、波動を整えるだけです」
「何する気や」
「祈ります」
「それならええわ」
「至近距離で」
「嫌がらせやないか」
キルナが肩を回す。
「あたしは面倒くせぇ話はいい。若頭に手ぇ出した落とし前だけつけさせる」
「出されてへん」
「さらおうとしただろ」
「それはそうやけど」
「なら落とし前だ」
「全員、戦よりやる気出すな!」
兵士たちは温かい食事を手にしたまま、目の前で始まった話についていけず呆然としている。
先ほどまで恐ろしい命令として聞いていた、清司を連れ帰るという話。
それが今は、本人の目の前で四方向から揉め始めていた。
ロイヤル・フラグメントの七人も内容のほとんどは理解していなかったが、織田信長がリリアーナを連れて行こうとしたことだけは分かっていた。
「僕たちも行くよ」
レオンが真剣な顔で言った。
「何しにや」
「リリアーナを守るために」
「家族ら助けるためやろ」
「それもする」
セシルも強く頷く。
「召喚魔法の清司も守るよ!」
「そいつは自分で守れる」
「でも、織田信長が欲しがってるんだろ?」
「言い方やめろ」
エリオットが考え込むように腕を組んだ。
「清司とリリアーナを一緒に連れて行こうとしてるなら、二人とも守らないといけないね」
「一人やけどな」
「え?」
「なんでもない」
「清司さん」
ミレーヌの声が低くなる。
「何や」
「お話は終わりましたね」
「まだや」
「終わりました」
ミレーヌは有無を言わせず車椅子の向きを変えた。
「待て。日本行く準備せなあかんやろ」
「まずはお部屋へ戻り、お休みくださいませ。今のお身体では、織田信長へ辿り着く前に廊下で倒れます」
「倒れへん」
「先ほど、すでに傾いておられました」
「ちょっと船が揺れただけや」
「ここは陸でございます」
兵士たちの間から、小さな笑い声が漏れた。
リリアーナは言い返そうとして、背もたれへ沈んだ。
肩へ置かれたミレーヌの手は、静かだったが離れなかった。
レイナは炎を消さないまま、ミレーヌに押されていくリリアーナへ優雅に頭を下げる。
「姫様、ご安心くださいませ。日本へ向かう準備はこちらで進めておきますわ」
「お前らには任せられへん!」
「織田信長へのご挨拶も考えておきます」
「考えんでええ!」
「清司さんへの執着を手放していただくため、丁寧にお話しいたしますわ」
「その拳しまえ!」
パードとスギナ、キルナも当然のようにレイナの後ろへ並ぶ。
「うちらも行くから安心して」
「安心できる要素どこや!」
「星々も共にあります」
「置いてこい!」
「タイマンの場所は広い方がいいな」
「戦場決めんな!」
リリアーナの声が遠ざかっていく中、ロイヤル・フラグメントも楽しそうにそのあとを追いかけた。
「僕たちも準備しようよ!」
「船に食べ物をたくさん積もう!」
「子供たちのお家も作らないとね!」
「召喚魔法の清司が寝る部屋もいるよ!」
「いらんわ!」
捕縛区画には、兵士たちの泣き笑いする声が残った。
一人が冷めかけたスープを飲み、隣の兵士がパンをちぎる。
故郷に残してきた家族の顔を思い浮かべながら、もう一口、食べた。
誰も処刑されない。
家族も置き去りにされない。
温かい食事を腹いっぱい食べ、怪我を治せば、今度は自分たちの故郷へ戻ることができる。
戦うためではない。
家族を迎えに行くために。
その騒ぎから少し離れた廊下で、オヤジだけが立ち止まっていた。
遠ざかるリリアーナたちの背中を見つめたあと、ゆっくりと窓の外へ顔を向ける。
海の向こう。
鎖された日本がある方角を見つめ、オヤジは誰にも聞こえない声で呟いた。
「……家康」




