第71話 アウステルリッツの戦い?
カン。
カン。
カン。
見張り台の鐘が鳴り続ける中、広場へ次々と報告が飛び込んできた。
「姫様! 北です! 港にも船影が!」
ざわめきが一気に広がり、人々が顔を見合わせる。
「落ち着け。慌てる方が負けや」
リリアーナの声が響くと、広場はすぐに静かになった。刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、その横で前だけを見つめている。
「イレギュラー。今分かっとる情報だけ言え」
「はい。北街道より軍勢、港にも大型船を確認しています」
「数は?」
「まだ確定できません」
「ええ。分からんもんは、分からんでええ」
「はい」
リリアーナは広げられた地図を見下ろした。
「敵は、どこを狙うと思う?」
誰もすぐには答えなかったが、やがて鉄ちゃんが地図を覗き込んだ。
「花田丸じゃねぇですか?」
「違う」
リリアーナは即答した。
「真正面から来る奴はアホや」
全員の視線が地図へ落ちる。刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、そこに記されたテルリッチ公園を見つめていた。
「ほな、ここや」
リリアーナが指を置いた先を見て、レイナが目を丸くする。
「公園ですの?」
「まだ未完成や。花壇、舞台、スクリーン、売店。どう見ても弱い」
鉄ちゃんも頷いた。
「確かに、守りは薄そうに見えやすねぇ」
「敵もそう思う」
ミレーヌはすぐに黒革手帖を開き、『敵予想・テルリッチ公園』と書き込んだ。
「敵は、ここを抜いたら王都やと思う。せやから来る」
静けさの中で、バルドが鈴を鳴らした。
チリン。
「続けます」
リリアーナは地図を見たまま、口元を上げた。
「来させる」
一瞬、空気が止まる。
「……え?」
レイナが固まり、鉄ちゃんも目を見開いた。
「姫様?」
「入らせる。入口は閉めんな。弱く見せろ」
ミレーヌが顔を上げる。
「清司さん……」
「敵が見つけた弱点ちゃう。こっちが見せる弱点や」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、地図を見つめる。
テルリッチ公園、花田丸、貧民街。その三つが一本の線で繋がっていた。
「花田丸はどうしやす?」
「隠せ。敵が入り切るまで動くな」
「へい」
リリアーナはそのまま、次々と指示を飛ばした。
「王宮モビーズ。網はまだ張るな」
「はい!」
「放送班。一般放送だけ流せ。戦の情報はまだ出すな」
「承知しました」
「『紅月の海賊ヴァンパイア』は港で待機」
キャプテントュリラーが笑う。
「任せろ」
「『朧月あやかし恋絵巻』は水路を押さえろ」
晴明が静かに頷いた。
「承知しました」
「『帝都ラーメン☆アイドル革命』は、炊き出しを続けろ」
キルナが腕を組み、笑みを浮かべる。
「いつも通りだな」
「そうや。戦やから飯を止める方がアホや」
「タイフーン。民を笑わせとけ」
「はい! 任せてください!」
リリアーナは広場にいる全員を見渡した。
「敵は、勝てると思って入ってくる。せやけど、そこは入口ちゃう」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、ゆっくりとリリアーナへ重なる。
「出口や」
その場にいた全員の背筋が震えた。
その時だった。
バタァン!!
扉が勢いよく開き、イレギュラーが息を切らしながら飛び込んできた。
「姫様!! テルリッチが!!」
「何や!」
「アウトになっています!!」
一瞬、広場が沈黙した。
「何がアウトや!!」
「敵に囲まれております!」
イレギュラーは息を整える間もなく、声を張り上げた。
「アウトテルリッチです!!」
リリアーナは頭を抱えた。
「アウトテルリッチの戦い……」
次の瞬間、顔を上げる。
「次はアウステルリッツの戦いやんけ!!」
本物の戦が始まろうとしている中、最初に飛び込んできたのは、歴史に残りそうで絶対に残したくない名前だった。
ドドドドドドドドッ!!
北の街道から押し寄せる騎馬隊と、港から上陸した歩兵の足音が重なり、テルリッチ公園の地面が大きく揺れた。
「来たぞ!! 民を内側へ!」
「物資は裏へ回せ! 救護路を空けろ!」
「子どもと高齢者を先に! 兵の通路へ入れるな!」
王宮モビーズの声が飛び交い、民たちは青い旗が並ぶ避難路へ誘導されていく。荷車は公園の裏側へ回され、救護班は野外舞台の陰に負傷者を受け入れる場所を整えていた。
花壇。
売店。
野外舞台。
まだ舗装の終わっていない道。
薔薇を絡ませた低い柵。
敵から見れば、そこは戦場にすることさえ想定されていない、守りの薄い広場にしか見えなかった。
「正面が空いているぞ!!」
「王宮まで一気に抜けろ!!」
敵兵が公園の中央へなだれ込み、退いていく王宮兵を追うように奥へ進んでいく。
リリアーナは野外舞台の上から、その流れを黙って見ていた。隣には刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が立ち、先頭ではなく、その後ろに続く兵の数と間隔を静かに追っている。
鉄ちゃん組は可動柵へ手をかけ、王宮モビーズは地面へ伏せた網を握っていた。ロイヤル・フラグメントの七人も、それぞれの持ち場で合図を待っている。
「姫様、もう中央まで入ってますわ」
レイナが息を詰めた。
「あれでええ。まだ閉じんな」
リリアーナは敵軍の後方へ目を向けた。
「先頭だけ止めても、後ろに兵が残る。予備まで全部、こっちへ食いつかせる」
中央の道は広く、王宮へ向かうには最も近かった。だが、その右側には兵をほとんど置かず、さらに抜けやすそうに見せた細い道が残されている。
敵の指揮官が、その隙を見逃さなかった。
「右だ!! 右側が薄いぞ!!」
「全軍、右へ寄せろ! そこを破れば王宮まで一直線だ!!」
先頭の兵が右へ向きを変え、中央の部隊がそれに続いた。後方で待機していた予備兵まで、手柄を奪われまいと細い道へ押し寄せてくる。
敵軍の重心が、完全に右へ寄った。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、わずかに顎を引く。
リリアーナの目も細くなった。
「今や」
ガタン!!
鉄ちゃん組が縄を引くと、地面へ倒されていた薔薇の柵が一斉に起き上がり、敵軍が入ってきた中央の道を塞いだ。続いて別の可動柵が倒れ、兵の集まった右側の道がさらに細く絞られていく。
「何だ!?」
「道が塞がったぞ!!」
「後ろへ戻れ!!」
先頭が止まり、中央が押し、後方からさらに兵が詰めかけた。長く伸びた隊列が、自分たちの数で身動きを失っていく。
「戻られへんで」
リリアーナが地図の中央へ指を置いた。
「前へ兵を寄せすぎた。真ん中が空っぽや」
野外舞台を覆っていた幕が一斉に落ち、その裏へ隠れていた王宮兵が飛び出した。公園中央の高台を奪い、前方部隊と後方部隊を結んでいた道を横から断ち切る。
「伝令を通すな! 前と後ろを喋らせんな!」
「あぁ、ここは任せて」
アレクシスが高台へ駆け上がり、敵の伝令兵が通ろうとした細い路地へ魔力の壁を張った。振り返った兵の前にも新たな壁が立ち、前方へも後方へも進めなくなる。
「もう命令は届かないよ。慌てて走ると、味方まで巻き込む」
伝令兵が剣を抜いた瞬間、眩い光が横から走り、その手に握られていた武器だけを弾き飛ばした。
レオンが金髪を揺らし、敵兵たちの前へ立つ。
「武器を捨てて。降伏する人まで傷つけたくない」
「ガキが!!」
敵兵が槍を突き出す。
レオンは一歩も退かず、光の盾で穂先を受け止めた。次の瞬間には光が槍へ絡みつき、兵の手を傷つけることなく武器だけを地面へ落とす。
「僕たちの後ろには民がいる。だから、ここから先へは行かせない」
別の兵が脇を抜けようとしたが、足元から白い氷が広がり、その進路だけを塞いだ。
ルシアンはミントブルーの髪を揺らしながら、氷の向こうに立つ兵へ静かに声をかける。
「無理に越えないで。武器を置けば、道は開けるよ」
「敵の言葉を信じろと言うのか!」
「信じなくてもいい。でも、僕たちは武器を捨てた人を攻撃しない」
敵兵が横の避難路へ走ろうとした。
その前へ、セシルが飛び込む。
柵へ足をかけて高く跳び、兵の肩を踏み越えるように着地すると、振り向きざまに槍の柄を掴んだ。そのまま身体を低く落とし、相手の力を利用して槍を奪い取る。
「そっちは民の道だよ」
「退け!!」
別の兵が背後から剣を振り下ろした。
セシルは振り返ることなく身を沈め、刃を避ける。そのまま敵の懐へ入り、手首を押さえて剣を落とすと、二人の間へ立って進路を塞いだ。
「ごめんね。ここだけは通せない」
エミールが腕を横へ振ると、風が敵軍の中央を押し、細く絞られた道へ兵たちを一列ずつ流していく。刃を立てるほどの風ではない。それでも大勢が密集した場所では、僅かに向きを変えられるだけで隊列が崩れていった。
「押さないで。前の人が倒れる」
兵たちが踏みとどまろうとするが、後ろから押されて足を止められない。エミールは風の強さを細かく変え、倒れそうになった者だけを支えながら、網の張られた場所へ誘導していく。
倒れた兵のそばでは、ノエルが迷わず膝をついていた。ゴールドの柔らかな髪を揺らし、血の流れる腕へ回復魔法をかける。
「動かないで。すぐ塞がるから」
「俺は敵だぞ」
「今は怪我した人だよ」
傷が塞がると、ノエルはすぐ次の負傷者へ目を向けた。
「重い怪我の人からこっちへ運んで! 敵も味方も関係ないよ!」
後方部隊が左から回り込もうとする。
その動きを高台から見つけたアレクシスが、エリオットへ顔を向けた。
「左から来るよ。エリオット、止められる?」
「あぁ、任せて」
エリオットは薔薇の柵へ足をかけ、そのまま軽やかに飛び越えた。レッドブラウンの長めの髪が風に揺れ、敵兵の前へ着地する。
「ここから先は避難路だよ。戻って」
「一人で止められると思うな!!」
複数の兵が一斉に斬りかかる。
エリオットは最初の剣を受け流し、二人目の手首を柄で叩いて武器を落とさせた。三人目の槍を掴んで軌道を変えると、その穂先が仲間へ向かないよう地面へ押さえ込む。
「危ないから、一人ずつ来て」
声は穏やかなままだった。
それでも、誰一人としてエリオットの横を抜けることはできなかった。
敵軍は右へ引き寄せられ、中央の高台を奪われ、前方と後方を切り離された。数では圧倒していたはずの大軍が、狭い道の中で互いの動きを塞ぎ、指揮官からの命令も届かないまま孤立していく。
先頭。
中央。
後方。
一つだった軍勢は、三つの塊へと切り分けられた。
「横から入れ!」
王宮モビーズが一斉に飛び出し、敵兵の頭上へ大きな網を投げる。
「捕まえろ!!」
「武器を捨てた奴には手ぇ出すな!」
「殺すな! 抵抗する奴だけ押さえろ!」
網に絡め取られた兵が倒れ、その後ろにいた兵が立ち止まる。さらに後方から押されて隊列が詰まり、行き場を失った兵たちの手から次々に武器が落ちていった。
高台の向こうから戦場を見ていた黒田官兵衛が、細い道へ追い込まれた兵と、中央を押さえた王宮軍を交互に見た。
「……見事だ」
豊臣秀吉が視線だけを向ける。
「何がじゃ」
「兵力で勝ったのではない。敵に選ばせたのだ」
官兵衛は、薔薇の柵と舗装の途切れた道を見渡した。
「弱い場所を見せ、こちらから兵を集めさせた。前へ進んだと思わせながら、中央を空けさせ、最も数が多くなった瞬間に道を閉じた」
徳川家康が僅かに目を細める。
「初めから、我らが右へ寄ると読んでいたか」
「あぁ。前方を孤立させ、中央を奪い、後方の命令を断つ。大軍を三つの小軍へ変えた」
官兵衛の視線が、野外舞台の上へ向く。
そこには、小さな姫の姿で戦場全体を見下ろすリリアーナと、その隣に立つ刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司がいた。
「あの姫、ただの将ではない。軍の流れそのものを作り替えている」
明智光秀は何も答えず、遠くに立つリリアーナを見つめた。
柴田勝家が奥歯を噛み締める。
「官兵衛。敵を褒める暇があるなら、兵を戻せ」
「戻せるものなら、もう戻している」
官兵衛は静かに答えた。
「この陣へ入った時点で、こちらはすでに負けていた」
その言葉に、勝家の顔が険しくなる。
秀吉は戦場から目を逸らさず、短く息を吐いた。
「信長様が来られるまで、持ちこたえよ。勝手に動けば、次に斬られるのは味方じゃ」
家康も低く告げる。
「あの方は、敗れたことより、命令なく陣を崩したことを許されぬ」
明智光秀は、遠くの街道から近づいてくる黒い旗を見た。
「静かにせよ」
その一言だけで、武将たちの間から声が消えた。
戦場の向こうから、低い声が響く。
「何をしておる」
怒鳴ったわけではなかった。
それでも、その場にいた敵兵全員の肩が一斉に震えた。
開かれた道の奥で、一人の指揮官が馬から転げ落ちるように降り、地面へ額を擦りつける。
「も、申し訳ございません! 敵の右側が手薄に見えたため、全軍をそこへ――」
「誰が予備兵まで動かせと申した」
指揮官の身体が固まった。
「し、しかし、あそこを破れば王宮へ届くと――」
「届いたのか」
返事はなかった。
「わしは、届いたのかと聞いておる」
「……いいえ」
黒い軍靴が、指揮官の顔の前で止まる。
「敵が見せた餌へ食いつき、中央を捨て、伝令を断たれ、兵を三つに裂かれた。そのうえ、何をしたかではなく、何をしようとしたかを語るか」
「お許しを……!」
「許せば、失った兵が戻るのか」
指揮官は震えながら額を地面へ押しつけた。
「下がれ」
声は静かだった。
「二度と軍を率いるな」
指揮官が這うように道を空ける。
豊臣秀吉がすぐに膝をついた。
「信長様。前方部隊は孤立し、中央の奪還も困難にございます。御命令を」
徳川家康も頭を下げたまま続ける。
「敵は高台を押さえ、こちらの伝令を完全に止めております。無理に動かせば、残る兵まで捕らえられましょう」
明智光秀はリリアーナのいる野外舞台へ視線を向けた。
「我らの数、速度、予備兵の位置まで読まれていたものと思われます」
柴田勝家が拳を握り、低く唸る。
「それでも、命じていただければ奪い返します」
「勝家」
名を呼ばれただけで、柴田勝家は息を止めた。
「わしはまだ、命じておらぬ」
「……はっ」
勝家は深く頭を下げ、それ以上何も言わなかった。
黒田官兵衛だけが、もう一度野外舞台へ目を向ける。
「あの陣を組んだ者を、侮るべきではありませぬ」
周囲の武将たちが僅かに顔を上げた。
「兵を打ち破ったのではなく、我ら自身に陣を崩させた。これほどの軍師、そうはおりませぬ」
黒い旗の下から、一頭の黒馬が進み出た。
豊臣秀吉。
明智光秀。
徳川家康。
柴田勝家。
黒田官兵衛。
名だたる武将たちが一斉に頭を下げる。
馬上の男は黒い甲冑をまとい、短い黒髪を後ろへ流していた。多くの兵を捕らえられ、陣を破られた直後だというのに、その顔には焦りも怒りも浮かんでいない。
失った兵を見ているのではなかった。
次はどこを切り捨てれば勝てるのか。
誰を使い、誰を捨てれば天下が近づくのか。
その先だけを見ている。
官兵衛が頭を下げたまま告げる。
「信長様。あの姫は、我らの判断そのものを操りました。あれほどの軍略を見せる者は、信長様以外に初めてにございます」
信長の目が、遠く離れた高台の上に立つリリアーナへ向く。
「だから連れ戻す」
信長が手綱を引いた。
黒馬が地面を蹴る。
ドドドドドドッ!!
捕らえられた兵の間を縫うように、黒馬が一直線に戦場を駆け抜けてきた。王宮モビーズが身構え、ロイヤル・フラグメントも高台の前へ集まろうとする。
「動くな」
リリアーナが止める。
黒馬は速度を落とさないまま高台の真下へ迫り、最後の一歩で前脚を高く上げた。
ヒヒィィン!!
土と小石が跳ねる。
信長は馬上で微動だにせず、高台の上に立つリリアーナを見上げた。
リリアーナの隣では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が真っすぐ立ち、馬上の男だけを見ている。
リリアーナも、同じ男から目を逸らさなかった。
「お前が、織田信長か」
男の目がリリアーナを捉える。
その視線が、隣に立つ刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司へ移った。
ほんの僅かに、目が細くなる。
「まだ分からぬのか」
一拍の静寂が落ちた。
「志乃じゃ」
リリアーナの目が見開いた。




