第70話 戦支度
翌朝、リリアーナたちは王都の外へ出ていた。
同行しているのはミレーヌ、バルド、レイナ、鉄ちゃん。そして、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、リリアーナの横から街を見渡している。
最初に向かったのは、完成間近のテルリッチ公園だった。
広い道の両脇には花壇が続き、東屋や野外舞台、公共スクリーンが並んでいる。その周囲にはパンチ、点心売店『777』、『氷の翼』、葉巻と煙草の売店が建ち、休憩場所には灰皿も置かれていた。
まだ職人たちが行き交っていたが、公園はほとんど完成している。
「ほぼできとるな」
「へい。残ってんのは、舞台まわりと一部の舗装だけでやす」
鉄ちゃんが図面を広げると、リリアーナは残された場所へ目を向けた。
「あと何日や」
「三日でやすねぇ」
「敵、三日待ってくれるか?」
「待たねぇでしょうな」
「ほな、二日でやれ」
「無茶言いやすねぇ」
「一日削っただけや」
「その一日がでかいんでさぁ」
リリアーナは聞き流しながら、広場に設置された公共スクリーンを見上げた。
「放送は動くか?」
「試験は終了しています。通常放送から避難情報へ、すぐに切り替えられます」
ミレーヌが答えると、リリアーナは満足そうに頷いた。
「ええ」
レイナは花壇へ近づき、咲き始めた花を見つめた。
「本当に綺麗な公園ですわね」
「今だけ見たらな。敵が来たら、ここは避難と情報の中心になる」
鉄ちゃんが花壇の横にある柵へ手をかけた。
「この柵は動かせやす。東屋の下には修理材を入れて、噴水の水は消火にも回せるようにしてありやす」
「灰皿も回収しとけよ。戦の前に火事起こしたら笑えへん」
「へい」
リリアーナが喫煙所を見ると、朝から数人の職人が煙草を吸っていた。
「もう吸っとるやん」
「休憩中でやす」
「切り替え早いな」
「働く時は働く。休む時は休むんでさぁ」
「正論やから何も言えん」
チリン。
バルドが鈴を鳴らした。
「続いて、花田丸へ参りましょう」
テルリッチ公園の外側には、花に囲まれた庭園が広がっていた。
薔薇の柵や噴水、東屋、美しく整えられた花壇。見た目だけなら、姫が静かに暮らすための離宮にしか見えない。
だが、その内側には堀、土塁、木柵、可動柵、細く曲がった進入路、見張り台、救護所、物資庫、避難路が組み込まれていた。
「完成でやす」
鉄ちゃんが胸を張る。
「ほんまに花だらけやな」
「花田丸でやすから」
「名前に建物寄せんな!」
「オヤジさんが名づけたんでさぁ」
「それを真面目に受け取るな!」
レイナは薔薇の柵へ近づき、葉を傷つけないようにそっと眺めた。
「可愛らしいですわ」
「敵も最初はそう思うやろな」
「中へ入ったら、どうなりますの?」
「泣く」
鉄ちゃんが可動柵を押すと、大きな音を立てて道が塞がった。同時に別の柵が開き、敵を一方向へ流す細い道が現れる。
「ここへ追い込みやす。横から網をかけ、上から見張る。退路は一つだけ残してありやす」
「全部塞がんのか」
「逃げ道がなけりゃ、死ぬ気で暴れやすからねぇ。逃げられると思わせて、こっちの道へ流しやす」
「ええ」
リリアーナは救護所へ続く別の道を見た。
「怪我人は?」
「兵とは別の道で運びやす。物資は裏から、民は内側、伝令はこの細道を使いやす」
「どこも詰まらんな」
「現場を見りゃ分かりやす」
「今回は先に見とるな」
「いつも見てやすよ!」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、花田丸の奥まで見つめていた。
壊れた柵を直す者、怪我人を運ぶ者、細い道を駆ける伝令、炊き出しから上がる煙。まだ始まっていない戦の姿が、そこにはすでに見えているようだった。
「修理材は?」
「三か所。道具は四か所でやす。壊れた場所から遠くまで取りに走らせません」
「ええやん」
鉄ちゃんが嬉しそうに笑った。
「姫さんに褒められた」
「調子乗んな」
「へい」
チリン。
バルドが再び鈴を鳴らした。
「最後に、貧民街の様子を確認いたしましょう」
貧民街へ入ると、工場から白い湯気が立ち上っていた。
大鍋の中では麺が踊り、焼豚が切られ、餃子が焼かれている。その隣では肉まんが蒸され、戦の噂など知らないように、ラーメン工場は朝から動いていた。
「いらっしゃいませ!」
見習い料理人が元気よく頭を下げる。
「まだ店ちゃうぞ!」
「練習です!」
「元気やな」
大鍋の前では、リュウが湯気の向こうを見つめていた。
「火を止めるな!」
ホノヲが声を上げると、別の鍋から味見をしたロンポウが首を振った。
「味噌、もうちょい入れて!」
その横では餃子の皮が並び、ロアンがスープを一口飲んで目を輝かせた。
「今日も美味しいです!」
「平和やな」
リリアーナが呟く横で、鉄ちゃんはすでに麺をすすっていた。
「戦前でやすけどねぇ」
「食うとるやないか」
「腹は減りやす」
「それはそうや」
少し離れた場所では、マーガリンおじさんが焼き上がった菓子を並べていた。
「姫様。戦になっても、パンと菓子は焼きます」
「頼む。腹減った兵は弱いからな」
「はい」
貧民街の子どもたちも、それぞれの持ち場で働いていた。
箱を運ぶ者、ねぎを洗う者、皿を並べる者。字を書ける子どもは、材料と完成品の数を帳面へ記している。
リリアーナは子どもたちの前で足を止めた。
「戦が来ても飯は要る。せやけど、危なくなったら逃げろ。工場より命や」
「はい!」
子どもたちは、揃って力強く頷いた。
チリン。
バルドが鈴を鳴らす。
「皆様がお揃いです」
貧民街の中央広場には、これまで現場復帰してきた者たちが集まっていた。
王宮モビーズ。
『帝都ラーメン☆アイドル革命』。
ロイヤル・フラグメント。
『紅月の海賊ヴァンパイア』。
『朧月あやかし恋絵巻』。
『セイントミステリア』。
王宮料理班、鉄ちゃん組、テレビ・放送班、物流班、救護班、警備班、貧民街で働く者たち。そして、各国から集まった兵や職人まで、広場を埋め尽くすほどの人数が集まっている。
一番後ろでは、オヤジが葉巻をくわえたまま腕を組んでいた。
リリアーナが前へ出ると、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、その横へ並ぶ。
チリン。
「姫様より、お話がございます」
広場が静かになった。
「昨日、不穏な情報が入った。港には武器を積んだ船、街道には見たことのない兵。市場では、鉄と食料が急に買い集められとる」
イレギュラーが一歩前へ出た。
「今も確認を続けています。まだ敵が来ると決まったわけではありません」
「せや。まだ決まってへん」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司は、広場にいる全員を見渡していた。
「けど、いつ来てもおかしくない。慌てんな。お前らはもう、自分が何したらええか分かっとる」
リリアーナは最初に王宮モビーズへ目を向けた。
「王宮モビーズ。捕縛と避難誘導」
「はい!」
「ロイヤル・フラグメント。前線、警備、救護、連絡、案内や」
レオンが元気よく手を上げた。
「やっと僕たちの出番だね!」
「光と警報、頼むぞ」
「任せて! すっごく光らせるよ!」
「敵より先に味方の目潰すなよ」
「あっ、そっか! ちょうどよくする!」
「頼むわ」
ルシアンも、真似するように手を上げた。
「僕は冷たくするよ。火が出たら、いっぱい冷たくしたら消えるもんね」
「建物ごと凍らせんなよ」
「少しだけ?」
「火ぃ消えるくらいや」
「はーい!」
エミールが髪を整え、楽しそうに笑った。
「風と煙は僕に任せて。綺麗に流してあげるね」
「自分まで綺麗に見せようとすなよ」
「えっ、だめ?」
「仕事先や」
「あっ、ごめん!」
ノエルは真面目な顔で頷いた。
「僕はレイナと怪我した人を治すよ。前に出すぎないようにする」
「ほんまやな?」
「うん。出すぎそうになったら、誰かに止めてもらう」
「自分でも止まれ」
「分かった!」
アレクシスは不安そうな顔をしながらも、強く頷いた。
「僕は前と後ろを何回も行くよ。誰かが困ってたら、すぐに教える」
「無理して走り続けんなよ」
「疲れたら休んで、また走る!」
「ええ子や」
エリオットも胸を張った。
「避難する人たちは僕が守るよ! ちゃんと並んでもらって、迷子がいないか数える!」
「途中で自分が迷子なんなよ」
「ならないよ! たぶん!」
「たぶん言うな」
最後にセシルが勢いよく手を上げ、その場で一度くるりと回った。
「僕は王族も民も、みーんな案内するよ! 今日は三十人いける気がする!」
「何が三十人やねん」
「同時にお話できる人数!」
「また増えとるやないか!」
「やったー!」
「褒めてへん!」
七人は楽しそうに顔を見合わせたあと、リリアーナの周りへ集まった。
「リリアーナは僕が守るよ!」
レオンが言うと、セシルがすぐに首を振った。
「僕だよ! リリアーナは僕のだもん!」
「違うよ。僕のだよ」
エミールも笑顔で加わり、アレクシスまで両手を上げる。
「僕も! 僕のリリアーナ!」
「俺は物ちゃうねん」
七人が一斉に止まった。
「はーい!」
「返事だけはええな!」
リリアーナが呆れながら次へ目を向けると、七人はもう何事もなかったように仲良く並んでいた。
「『紅月の海賊ヴァンパイア』。港の見張りと放送設備」
キャプテントュリラーが笑う。
「海は俺たちの持ち場だ」
「船影一つ見逃すな」
「任せろ」
「『朧月あやかし恋絵巻』。水路と結界」
セイメイが静かに頷き、その隣で式神が水の式神を浮かべた。
詠女は眼鏡を押し上げ、二人を交互に見る。
「戦場で並ぶお二人の湿度も記録します」
「空気読め!」
「読んだ上で申し上げています」
「今ちゃうねん!」
「『帝都ラーメン☆アイドル革命』。炊き出しと士気」
キルナが腕を組む。
「腹も心も落とさねぇ」
タクヤ、ジュン、トモヒサも力強く頷いた。
パードは長い髪を払い、広場を見渡す。
「暗い顔とか映えないし。絶対アゲてこ」
「戦前やぞ」
「だからアゲるんじゃん」
「それはそうかもしれん」
スギナは空を見上げ、両手を広げた。
「星々も、今こそ魂の周波数を一つに合わせよと語っています」
「何言うてるか分からんけど、士気は上げてくれ」
「お任せください」
「『セイントミステリア』。怪我人と心の支え」
ゴスペルが胸へ手を当てた。
「傷ついた魂へ、癒やしの歌を――」
「歌いすぎんなよ」
「調整します!」
「王宮料理班。火ぃ止めんな」
「はい!」
「鉄ちゃん組。壊れたら直せ」
「壊れる前にも見やす」
「物流班。補給を止めるな」
リキュウはすでに帳面を開いていた。
「各持ち場へ、必要な物を必要な時に回します」
「テレビ・放送班は、避難情報を最優先や」
ミレーヌが頷く。
「兵の配置は放送しません」
「ニュースは、確認できたことだけ流せ。シャーホムズが確認、ワトゾンが記録、ネツゾウが映像を調べ、イレギュラーが情報を拾う」
「承知しました」
「頼む。レイナは救護全体や」
レイナは胸へ手を当てた。
「必ず、お助けしますわ」
リリアーナは広場にいる全員を見渡した。
「剣を持つ奴だけが戦うんちゃう。飯を作る奴、水を運ぶ奴、道を空ける奴、怪我人を運ぶ奴、壊れたもんを直す奴、嘘を見抜く奴、知らせる奴、逃がす奴。全員が戦力や」
貧民街の者たちが顔を上げる。
「ゲームも国も身分も関係あらへん。今日は全員、同じ国の仲間や」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、リリアーナへ深く重なった。
「自分の持ち場を守れ。誰か一人だけで勝とうとすんな。飯が止まったら負け、水が止まっても負け、情報が遅れても負けや。怪我人を置いていっても負ける」
リリアーナの声が広場の奥まで響いた。
「全員で回せ。それが、この国の戦や」
一瞬の静けさのあと。
「オォォーーーーー!!!!」
広場が震えるほどの雄叫びが重なった。
一番後ろで見ていたオヤジが、ゆっくりと葉巻を口から離す。
「ええ顔しとるやないか、清司」
「まだ始まってへん」
「せやな」
オヤジは静かに笑った。
「せやけど、もう負ける顔やない」
その時だった。
カン。
カン。
カン。
見張り台の鐘が王都へ鳴り響く。
広場の全員が一斉に空を見上げた。
そこへ、一人の天狗が翼を広げて舞い降りる。
「姫様!」
「北の街道に土煙です!」
続いて、港の方角からスイチョが息を切らせて駆け込んできた。
「海にも船影!」
リリアーナが短く問う。
「数は?」
「数え切れません!」
広場から笑い声が消えた。
ラーメン工場では、変わらず鍋が煮え続けている。
テルリッチ公園は、あと二日。
花田丸は完成している。
貧民街でも、人々は自分の持ち場を守り続けていた。
誰一人、逃げ出さない。
誰一人、慌てない。
リリアーナがゆっくりと前へ出る。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、その背中へ深く重なった。
「来たな」
リリアーナは静かに頷く。
「ほな、始めるぞ」
誰かが剣を握る。
誰かが鍋へ薪をくべる。
誰かが薬を運ぶ。
誰かが子どもたちを避難させる。
それぞれが、自分の持ち場へ走り出した。
平和のために築いてきた街は、これから平和を守るために戦う。
リュミエール王国、初めての総力戦が、静かに幕を開けようとしていた。




