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ふわ姫若頭  作者: 夜嶋朔
第四章 貧民街現場復帰編

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第69話 マクビー舞踏会


マクビー国の王宮では、春の大舞踏会が開かれていた。


 大広間には各国の王族や貴族、商人、外交官が集まり、きらびやかな衣装と賑やかな話し声が会場を埋めている。料理台には焼きたてのパンや具を挟んだサンドイッチ、色とりどりのケーキ、小さな焼き菓子が並び、甘く香ばしい匂いが広がっていた。


 リリアーナは焼き菓子を一つ取り、口へ放り込んだ。


「うまいな」


 以前なら、見た目だけが美しく、味の薄い菓子が並んでいた。だが、今は生地が柔らかく、香りも甘さもちょうどいい。


「料理人の皆様が、マーガリンおじさんに教わったそうですわ」


 隣にいたレイナが教えると、リリアーナはもう一つ焼き菓子を取った。


「パンだけやなく、ケーキと焼き菓子まで育っとるやん」


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、リリアーナの横から料理台を眺めている。


 その向こうでは、王族も貴族も商人も葉巻や煙草を手にし、広間のあちこちで煙を吐いていた。パンを食べ、ケーキを食べ、葉巻を吸い、煙草を吸って、また焼き菓子へ手を伸ばしている。


「なんか、すごい光景やな」


「産業の成果が、一度に集まっていますわね」


「混ぜたらこうなるんか」


 その時、広間の向こうから明るい声が飛んできた。


「来てくれてありがとう!」


 セシルが人の間をすり抜け、リリアーナの前まで走ってきた。だが、話し始めた瞬間、横を通った貴族へ笑顔を向ける。


「遠いところから来てくれてありがとう! あっ、そのお皿はこっちだよ!」


 給仕から皿を受け取って近くの卓へ置いたところで、後ろから声をかけられた。


「セシル様!」


「今行くよー!」


 別の商人が笑顔で近づいてくる。


「今日のパンは素晴らしいですな!」


「ほんと?! 料理人さんに言ってくるね! きっと喜ぶよ!」


 セシルは嬉しそうに両手を上げたあと、またリリアーナへ向き直った。


「毎日のご飯が美味しくなったの、リリアーナのおかげだよ!」


 近くにいた子どもが焼き菓子へ手を伸ばすと、すぐにしゃがんで一つ渡す。


「ゆっくり食べてね! 喉に詰まったら大変だから!」


 立ち上がった直後には老貴族の椅子を引き、遠くで手を上げた外交官へ振り返った。


「待ってて! 今行くよー!」


 そして通り過ぎざま、リリアーナへサンドイッチを差し出す。


「これ、美味しいよ! リリアーナにも届いたらいいな!」


「何がやねん」


「美味しい気持ち!」


 セシルは笑いながら、また別の客のもとへ走っていった。右へ走り、左へ戻り、今度は後ろから呼ばれてくるりと回る。勢い余って二回転したが、そのまま何事もなかったように駆けていった。


「今、何人相手しとった?」


「おそらく二十人ほどですわ」


「人間やめとるやん」


 レイナが楽しそうに微笑んだ。


「神接客も、ずいぶん磨かれましたわね」


「現場復帰しすぎやろ」


 リリアーナが差し出されたサンドイッチを食べると、肉と野菜の味が口に広がった。


「これもうまいわ」


 遠くにいたセシルが勢いよく振り向いた。


「やったー!」


「聞こえとるんかい」


 リリアーナが広間の奥へ目を向けると、国王たちが並ぶ席の真ん中にオヤジが座っていた。


 各国の国王と肩を並べ、葉巻を片手に楽しそうに笑っている。


「なんでおんねん」


「もう誰も不思議に思っていないようですわ」


「本人も自分の席やと思っとるやろ」


 オヤジはこちらに気づくと、国王たちの間から大きく手を振った。


「清司ー!」


「国王の間から呼ぶな!」


 周りの国王たちまで笑顔で手を振り始める。


「馴染みすぎやろ!」


「リリアーナ」


 背後から低い声が聞こえた。


 振り返ると、タケリオ公爵が立っていた。今日も隙なく整い、今日も距離が近く、今日も自分に酔っている。


「そのドレス、僕に会うために選んだんだね」


「ちゃう」


「照れなくていい」


「照れてへん」


 タケリオは優雅に手を差し出した。


「リリアーナ、こっちにおいで」


「行かへん」


 それでも一歩近づいたタケリオとの間へ、レイナがすぐに入った。


「姫様に触れないでくださる?」


 笑顔だったが、差し出された手はきっちり止めている。


「これはセレスティア嬢。君は、まだ婚約していないそうだね」


 レイナの指が少し止まった。


「縁談をすべて断っているそうじゃないか」


 リリアーナはレイナを見た。


「全部?」


「……はい」


「一つも受けてへんのか」


「はい。今は、まだ」


 レイナは静かに答えた。


 戦の時も、倒れた時も、現場でも、レイナはいつもそばにいた。


 リリアーナの頭に、以前オヤジから言われた言葉が浮かぶ。


『要る女は、そばに置いとけ』


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、レイナを見つめていた。


 リリアーナは何も言わず、その横顔を見る。


「リリアーナ」


 タケリオがさらに顔を寄せた。


「今、僕との未来を考えていた?」


「一ミリも考えてへん」


「強がらなくてもいい」


「お前、ほんまに話聞かへんな」


 その時、広間へ大きな音が響いた。


 床へ落ちたグラスが砕け、一人の給仕が青い顔で立ち尽くしている。その前では、派手な衣装を着た王子が、服についた酒を見て顔を歪めていた。


 オラータ・オリーブ。


 通称、オリーブ王子だった。


「おい! 服にかかっただろ!」


「申し訳ございません!」


 給仕が深く頭を下げる。


「この服が、どれだけ高いか分かっているのか?」


「すぐにお拭きします!」


「そんなことで済むと思って――」


「もうええ」


 リリアーナが二人の間へ入った。


 オラータが振り向いた瞬間、先ほどまでの怒った顔が一気に柔らかくなる。


「これはリリアーナ様。お会いできて光栄です」


「さっきと声ちゃうやん」


「美しい方を前にすると、自然と優しくなるものです」


「給仕にもその声出せ」


 オラータは濡れた服を指差した。


「ですが、こいつが私の服へ酒を――」


「グラス一個や。服は洗えばええ」


「しかし」


「人前で怒鳴り散らす方が、よっぽど格好悪いぞ」


 オラータが口を閉じると、リリアーナは怯えている給仕へ顔を向けた。


「気にすんな。お前は悪ない」


「ありがとうございます……」


 給仕は何度も頭を下げた。


「姫様」


 レイナがオラータを見た。


「この方にも、ヒールが必要でしょうか?」


「まだ振り下ろすな」


「治療ですわ」


「怪我してへんやろ」


「これからする可能性がございます」


「やめろ」


 その後ろを、一人の給仕が静かに通り過ぎた。


 皿の持ち方も、歩く速さも、周囲を見る目も妙に見覚えがある。


 リリアーナは目を細めた。


「おい」


 給仕は止まらない。


「お前」


 歩く速度が少し上がった。


「またか!」


 給仕がぴたりと止まり、ゆっくり振り向く。


 ミレーヌだった。


「バレましたか」


「なんで給仕しとんねん!」


 ミレーヌは給仕服の中から黒革手帖を取り出した。


「給仕の導線、料理の減り方、客の動き、接客態度を確認していました」


「普通に来い!」


「普通に参加すると、見えないものがあります」


「また潜り込んどるやないか!」


「今回は正式に許可をいただきました」


「誰にや」


 ミレーヌが広間の奥を指す。


 国王たちに囲まれたオヤジが、葉巻を持ったまま親指を立てていた。


「オヤジかい!」


「現場を見てこいと言われました」


「舞踏会まで現場にすんな!」


「すでに現場です」


「否定できへんの腹立つわ!」


 その時、大広間の入口が急に騒がしくなった。


「お待ちください!」


「招待状をお見せください!」


「止まれ!」


 護衛たちの間から、一人の男が無理やり中へ入ろうとしていた。


 髪は乱れ、服には泥がつき、肩で大きく息をしている。


「姫様! 話があります!」


 護衛が男の腕を掴んだ。


「下がれ! 今は舞踏会の最中だ!」


「急ぎなんです! 姫様!」


 リリアーナの目が変わった。


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、入口へ視線を向け、刀の柄へ手をかける。


「通してやれ」


 護衛たちが動きを止め、ゆっくりと道を開けた。


 男はリリアーナの前まで走ると、息を整える間もなく口を開いた。


「港で、おかしな噂が出ています。船が増えているんです。商船ではありません。武器を積んだ船を見た者がいます」


 広間のざわめきが、少しずつ消えていく。


「それだけやないんやな」


「はい。街道でも、見たことのない兵を見た者がいます。市場では、急に鉄と食料を買い集める者たちが現れました。誰かが王都の近くへ、兵と物資を集めています」


 リリアーナはゆっくりと男の前へ立った。


 広間には、まだ甘い菓子の香りと葉巻や煙草の煙が残っている。楽団も演奏を続けていたが、先ほどまで笑って踊っていた者たちは、もう誰一人動いていなかった。


「分かった。港、街道、市場で見た奴を全部集めろ。噂でもかまへん。聞いたことを一つも落とさず、ミレーヌに話せ」


「はい!」


 ミレーヌはすぐに黒革手帖を開き、レイナもリリアーナの隣へ立った。


 国王席では、オヤジが葉巻を灰皿へ置き、真っ直ぐこちらを見ている。セシルも客たちの間から駆け戻り、リリアーナのそばで立ち止まった。


「何か来るの?」


「あぁ」


「悪い人?」


「まだ分からん」


 セシルは不安そうに唇を結んだあと、リリアーナの服をそっと掴んだ。


「じゃあ、みんなで調べよう。僕の国で、誰にも怖い思いしてほしくないよ」


 リリアーナはセシルの頭へ手を置き、入口の向こうを見た。


「せやな。誰が何を持って来ようが、勝手にはさせへん」


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、刀を肩から下ろした。


 華やかな舞踏会は終わっていない。


 それでも、リリアーナたちの現場は、もう動き始めていた。

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