第68話 タケリオ公爵
久しぶりの学園だった。
リリアーナはもう普通に歩けるようになっていた。護衛役は以前に外れていたが、久々の学園生活を心配したバルドだけは、送り迎えを兼ねて同行している。
教室では、リリアーナが椅子へだらりともたれ、その横には刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が立っていた。隣にはミレーヌ、少し後ろにはバルドが控え、レイナとエミールも一緒に教壇を眺めている。
「久しぶりですわね。やっと学園へ戻ってきた感じがいたしますわ」
レイナが教室を見渡すと、エミールも嬉しそうに机へ手を置いた。
「僕たち、ずっと現場にいたもんね。授業より工場の方が詳しくなっちゃった」
「学生としてどうなんやろな」
「でも、工場の授業なら一番になれるよ!」
「そんな授業ないねん」
「作ったらいいんじゃない?」
「学園まで現場にすな」
チリン。
バルドが鈴を鳴らすと、教師が一枚の招待状を広げた。
「まずは学園からのお知らせです。来月、マクビー国主催の大舞踏会が開かれます。各国の王族、貴族、商人が招かれておりますので、参加を希望する者は届けを提出してください」
教室中が一気にざわついた。
「セシルの国ですね」
ミレーヌが言うと、リリアーナは嫌そうに眉を寄せた。
「また現場増えそうやな」
「舞踏会ですわよ?」
レイナが首を傾げる。
「舞踏会ほど事件起きるやろ」
エミールも真剣な顔で頷いた。
「うん。踊ってたら足を踏むかもしれないし」
「事件の規模ちっちゃいねん」
「でも痛いよ?」
「そこ心配しとんちゃう」
授業が終わり、五人で廊下へ出ると、角から歩いてきた男女の生徒がぶつかった。
二人の持っていた本が床へ落ち、同時に手を伸ばした指先が触れる。
「前から、君のことが気になってたんだ……」
「え……いきなりそんなこと言われても困っちゃうよぉ……でも、どうしてこんなに心が揺れるの?」
少女が胸へ手を当てた。
リリアーナは足を止め、二人を見た。
「おい。恋始まったぞ」
「急ですね。まだ本を拾っている途中です」
ミレーヌが淡々と言うと、レイナも不思議そうに二人を眺めた。
「お名前も呼んでいませんね」
エミールは、床に残された本を指差した。
「先に本を拾った方がいいよ。踏んだらかわいそうだから」
「お前だけ本の心配しとるやん」
「本は喋れないから、僕たちが守ってあげないと」
「優しいけど今ちゃうねん」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、床に膝をついた二人を無言で見つめていた。
そのまま中庭へ出ると、今度は男子生徒が少女の髪へ手を伸ばした。
「動かないで」
「え……?」
男子生徒は髪についていた花びらを取り、優しく目を細めた。
「この花びら、しおりにしようかな」
「どうして?」
「君の綺麗な髪についていたから」
「え……私のこと……」
「好きに決まってるじゃないか」
「……ばか」
リリアーナは目を細めた。
「なんや、この茶番」
「花びら、もう枯れかけていますね」
ミレーヌが冷静に言った。
「そこ見るん?」
レイナは少し頬を赤くしている。
「でも、少しだけ綺麗ですわね」
「レイナまで乗るな」
エミールは花びらをじっと見た。
「しおりにするなら、ちゃんと押し花にしないと、ぐちゃぐちゃになるよ」
「お前、さっきから物しか心配してへんぞ」
「花びらも喋れないよ?」
「もうええわ」
さらに歩いて校門前まで来ると、空は雲一つなく晴れ渡っていた。雨など一滴も降っていない。
それなのに、男女の生徒が一本の傘へ入っている。
「君の心に降る雨を、僕が止めてあげる」
「え……私の傘になってくれるの?」
「当たり前だろ」
「私も前から好きだったの」
「僕も好きだよ」
二人の顔がゆっくり近づいていく。
「おい!!」
リリアーナの声が校門前へ響いた。
「雨降ってへんのに傘さすな!」
二人が固まり、周囲の生徒たちも一斉に振り返った。
「心の雨です」
ミレーヌが言う。
「知らんがな!」
エミールは空を見上げ、傘の下を覗き込んだ。
「でも日差しは強いよ。二人とも焼けなくていいね」
「日傘でもないやろ!」
「じゃあ、何の傘?」
「俺が聞きたいわ!」
レイナが口元を押さえて笑った。
「でも、両想いにはなられましたわ」
「そこまで見届けんでええ!」
リリアーナが改めて学園を見渡すと、廊下、中庭、校門だけではなく、壁際、木の下、階段の踊り場、噴水の前でも、やたらと男女の生徒が見つめ合っていた。
そこら中で恋が始まっている。
ミレーヌは黒革手帖を開き、周囲を確認しながら言った。
「攻略対象とヒロインが現場復帰しすぎた影響ですね。恋愛イベントを起こす人物が、学園からほとんどいなくなりました。現在、攻略対象の多くは工場、物流、警備、料理、放送、建設に配置され、ヒロインたちも同じ現場で働いています」
エミールが周りを見回した。
「だから、ほかの生徒が代わりに恋をしてるの?」
「その可能性が高いです」
「すごいね。学園が頑張ってる」
「頑張る方向間違えとるわ」
レイナも、次々と始まる恋愛を見つめた。
「乙女ゲームらしさを残したいのですわ」
「乙女ゲーム感、今さらここで出すな!」
その時だった。
「リリアーナ」
低い声がして、全員が振り向いた。
一人の男が木へもたれている。
長い指、整った顔、少し伏せた目。立っているだけで妙な色気を漂わせた男は、ゆっくりと顔を上げた。
「やっと会えた」
リリアーナは男を見た。
「誰や」
男は少し笑った。
「照れなくていい」
「照れてへん」
「君が僕を想っていることは、もう知っている」
「俺は今、お前の名前すら知らんねんけど」
男は気にする様子もなく、一歩、また一歩とリリアーナへ近づいてきた。
「タケリオ公爵です」
ミレーヌが小声で告げる。
「最近、リリアーナ様との噂が広がっています」
「誰と誰の噂や」
「リリアーナ様と、タケリオ公爵です」
「初対面やぞ」
タケリオは髪をかき上げた。
「初めて会った気がしない」
「こっちはする」
「僕たちは、ずっと前から心で繋がっていた」
「繋がってへん」
「舞踏会では、僕の隣を空けておくよ」
「頼んでへん」
「君が来る未来しか見えない」
「自分しか見えてへんやろ」
レイナが、そっとリリアーナの近くへ寄った。
「すごい方ですね」
エミールも驚いた顔のまま一歩下がる。
「まだ何も聞いてないのに、全部決まってるよ」
「せやねん。俺の返事どこ行ったんや」
「たぶん、タケリオ公爵が持ってる」
「勝手に持って帰るな」
タケリオがリリアーナの手を取ろうとすると、レイナが先にその手を止めた。
「姫様へ触れていい許可など出ておりませんわ」
レイナは微笑んでいたが、タケリオの手を離さない。
「失礼。彼女が恥ずかしがると思ってね」
「恥ずかしがってへん」
「強がる姿も美しい」
「話聞けや!」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が刀の柄へ手をかけ、タケリオをじっと見つめた。
リリアーナも目を細める。
「そもそも、なんで俺がお前を好きって噂になっとんねん」
タケリオは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「運命は、隠しても広がるものだから」
「答えになってへん」
ミレーヌは黒革手帖を閉じ、タケリオを見た。
「清司さん、噂の出所が分かりました」
「誰や」
「ご本人です」
全員が黙った。
レイナは目を瞬き、エミールは口を開けたままタケリオを見る。バルドも鈴を持ったまま静かに止まっていた。
それでもタケリオは悪びれることなく笑っている。
「先に皆へ知らせておいた方が、君も受け入れやすいと思って」
「自作自演かい!!」
リリアーナの声が学園中へ響いた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司は刀を抜き、タケリオの背後にあった木を一閃した。
大きな枝が落ちると、タケリオは初めて笑顔を止めた。
「次はお前やぞ」
「姫様」
バルドが静かに呼ぶ。
「なんや」
「舞踏会への参加届は、いかがいたしましょう」
「行く」
「行くんですの?」
レイナが驚くと、リリアーナは落ちた枝を踏み越え、タケリオを睨んだ。
「俺の知らんところで、俺の話を勝手に決めとる奴がおるんやろ。直接行って、全部ひっくり返したる」
ミレーヌは黒革手帖を開き、すぐにペンを走らせた。
『マクビー国大舞踏会、参加決定』
「清司さんらしいです」
「あぁ」
学園中で始まった恋の中、リリアーナだけは舞踏会へ殴り込みに行く準備を始めていた。




