第72話 織田信長と七人の戦士
捕らえられた兵も、崩された陣も、信長は見ていなかった。
その視線は最初から、リリアーナだけへ向けられている。
「帰るぞ、清司」
信長が差し出した手を、リリアーナは睨み返した。
「誰が行くか」
「お前の意思は聞いておらぬ」
信長が一歩踏み出した瞬間、七つの影がリリアーナの前へ並んだ。
剣を抜いたエリオットを中心に、レオンが盾を構え、エミールとルシアンが左右へ広がる。セシルは低く腰を落とし、アレクシスが退路を守り、ノエルは全員の動きを見渡せる位置へ立った。
「リリアーナには触れさせない」
エリオットが静かに告げると、信長は七人を見回した。
「退け」
「嫌だよ」
「ならば、押し通る」
信長の姿が消えた。
次の瞬間にはレオンの盾へ刀が叩き込まれ、重い衝撃が広場を揺らしていた。レオンが両足を踏ん張るより早く、信長は刀を滑らせて盾の縁を跳ね上げ、その隙間へ身体をねじ込む。
「行かせない!」
エミールの風が信長の足元へ巻きつき、ルシアンの氷が石畳を覆った。だが信長は凍りつく寸前の地面を蹴り、風に押される勢いまで利用して二人の頭上を越える。
着地を狙ったセシルの短剣を刀の柄で弾き、背後から迫ったアレクシスの魔力障壁を一太刀で割る。砕けた光の向こうからエリオットが斬り込むと、信長は初めて足を止めた。
二本の刃が激しくぶつかり、火花が散る。
「子どもの剣ではないな」
「僕たちは、リリアーナを守る王子だから」
エリオットが押し返すと同時に、レオンが横から盾を叩き込んだ。信長の身体が僅かに傾き、その足をルシアンの氷が捕らえる。
「今だよ!」
エミールの風が七人の背を押した。
セシルとアレクシスが左右から迫り、信長の刀を二方向へ引きつける。その間にエリオットが懐へ踏み込んだが、信長は凍った石畳ごと足を引き抜き、刀を大きく薙いだ。
七人が一斉に吹き飛ばされる。
ノエルがすぐに回復魔法を広げたものの、信長は倒れた彼らを追わず、まっすぐリリアーナへ歩き出した。
「連れて帰る」
「しつこいねん」
リリアーナが信長を睨みつけると、その隣に立っていた魂がゆっくりと顔を上げた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司。
普段は誰にも触れられず、誰にも触れることのできないその姿へ、リリアーナは手を伸ばした。
「来い、清司」
魔法陣が足元に広がり、眩い光が清司の身体を包み込む。
説明しよう!!
召喚魔法とは、術者の魔力によって魂へ一時的な肉体を与える超高等魔法である!!
以前の魔法授業でも説明した気がするが、覚えていない読者も安心してほしい!!
作者も設定資料を見返している!!
リリアーナが召喚できるのは、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司!!
この世界へ触れられる時間は、僅か三分!!
その後、リリアーナの体力は完全にゼロとなる!!
ほぼウルト☆マン方式である!!
光が消えた時、黒い革靴が石畳を踏みしめた。
清司は肩に担いでいた刀を下ろし、鞘に収めたまま信長へ向ける。
その姿を見た姐さんの唇が震えた。
「清司……」
隣に立つオヤジは何も言わなかった。
名を呼ぶことも、拳を握ることもなく、ただ清司を見つめている。その顔には、かつて娘を失った時と同じ深い絶望だけが浮かんでいた。
姐さんは胸元を押さえながら、それでも背筋を伸ばした。
「志乃。もうやめなさい」
信長の目が僅かに動く。
「清司を連れていかんといて。その子はもう、自分の帰る場所を見つけたんや」
「清司の帰る場所は、わしの隣じゃ」
「ちゃう」
姐さんは涙をこぼしながらも、声を乱さなかった。
「親が決めることやない。本人が決めることや」
信長は答えず、清司へ刀を向けた。
清司も何も言わない。
ただ一歩前へ出て、リリアーナとオヤジたちの間へ立った。
その背中だけで、答えは十分だった。
「そうか」
信長の口元が上がる。
「ならば、力ずくで連れ帰る」
信長が地面を蹴った。
清司の鞘と信長の刀が正面からぶつかり、轟音が広場を貫く。信長が刃を返して首元を狙えば、清司は鞘で軌道を逸らし、そのまま脇腹へ打ち込む。
信長は片腕で受け止めたが、衝撃に靴底が石畳を削った。
「姫様!」
レイナが両手を広げると、炎と水と風と土が一斉に信長を囲んだ。
炎が視界を塞ぎ、水が足を絡め、風が逃げ道を奪う。隆起した石畳が信長の背後を塞いだ瞬間、エリオットが再び正面から斬り込んだ。
信長はエリオットの剣を受けながら、背後から迫る清司の鞘を振り返らずにかわした。
だが、そこへレイナの雷が落ちる。
爆音と光の中から飛び出した信長の頬を、清司の鞘が掠めた。
一筋の血が流れる。
「信長様が……」
少し離れた場所で、豊臣秀吉の口元がゆっくりと吊り上がった。
「笑うておられる」
頬の血を指で拭った信長は、確かに笑っていた。
秀吉は戦場を見つめたまま、嬉しそうに肩を震わせる。
「ははっ。あれほど楽しそうな信長様を、久方ぶりに見たわ」
「笑っている場合か!」
柴田勝家が秀吉を怒鳴りつけた。
「兵は捕らえられ、信長様は三人を相手にしておられるのだぞ! 今すぐ援護へ入れ!」
「嫌じゃ」
「何だと?」
「今入れば、信長様の邪魔になる。それに清司様が、どこまでやれるのか見てみたい」
秀吉の目は子どものように輝いていたが、その笑顔には味方でさえ近づきたくない冷たさがあった。
明智光秀が眉を寄せる。
「貴方は本当に気味の悪い男ですね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「褒めていません」
その横では、家康が親指の爪を噛んでいた。
カリ、と小さな音が鳴るたびに、目だけが忙しく戦場を追っている。
「……あの者たちは何者なのだ。あの七人も、まだ子どもであろう」
「子どもだから何じゃ」
武田信玄は腕を組んだまま、再び立ち上がったロイヤル・フラグメントを見つめた。
「思っていたより、やりおる。個々の腕だけではない。互いが何をするか、言葉を交わさずとも分かっておる」
レオンが盾を構え直し、エミールの風が全員の足元を支える。ノエルの回復を受けたセシルとアレクシスが再び左右へ広がり、ルシアンが信長へ続く道を氷で閉ざした。
その連携を見ていた真田幸村が、ついに槍を握りしめた。
「信長様だけに任せておけるか!」
命令を待たずに駆け出した幸村の隣へ、伊達政宗が笑いながら並ぶ。
「抜け駆けすんなよ。俺も混ぜろ」
「来るよ!」
エミールの声に、ロイヤル・フラグメントが二手へ分かれた。
レオンが幸村の槍を盾で受け止め、衝撃で石畳が割れる。そこへセシルが低く滑り込み、槍の柄を狙った。幸村は槍を回転させて短剣を弾いたが、エミールの風に姿勢を崩され、背後から伸びた氷に片足を取られる。
「面白い!」
幸村は力任せに氷を砕き、三人まとめて薙ぎ払おうと槍を振るった。レオンが正面から受け止め、セシルが盾の陰へ潜り、エミールの風が槍先を僅かに逸らす。
一方、政宗の剣をアレクシスの障壁が受け止め、その内側からルシアンの氷が伸びる。
「魔法ばっかりとは、ずるくないか?」
「戦場でそんなこと言う?」
ルシアンが呆れた声を返すと、政宗は楽しそうに笑った。
「嫌いじゃねぇよ!」
政宗が障壁を蹴って跳び上がり、頭上から剣を振り下ろす。アレクシスが二重の壁を展開して勢いを殺し、エミールが送った風を受けたルシアンの氷が空中の政宗を包み込んだ。
着地した政宗が氷を砕いた直後、ノエルの放った光が足元で弾ける。
「回復だけだと思った?」
「そいつは聞いてねぇな!」
戦場の各所で刃と魔法がぶつかり合う中、秀吉はますます楽しそうに笑っていた。
「信長様も、幸村殿も、政宗殿も楽しそうじゃのう」
「貴様も行ってこい!」
勝家が怒鳴ると、秀吉は首を横へ振った。
「わしは今、ここが一番面白い」
「この猿が!」
家康は二人の言い争いにも構わず、なお爪を噛んでいた。
「これで、まだ王宮の全戦力ではないのだろう……?」
「怖いか、家康」
信玄に問われ、家康は爪から口を離した。
「怖いに決まっておろう。怖さを知らぬ者から先に死ぬ」
「それでこそ、お主じゃ」
信玄は笑いながら、清司たちの戦いへ目を戻した。
信長の刀がエリオットの剣を押し下げる。
そこへレイナの炎が迫り、信長が身を翻した先で清司の鞘が待っていた。鞘は刀を握る手首へ正確に打ち込まれ、信長の指が僅かに緩む。
エリオットが剣を跳ね上げると、信長の刀が宙を舞った。
だが信長は落ちてきた刀を左手で掴み、そのまま清司へ斬りつけた。清司は鞘で受けたものの、足元が大きく沈み込む。
リリアーナの呼吸が乱れ始めた。
三分が近い。
「清司!」
その声に応えるように、清司が信長の刀を弾いた。
信長の懐へ入り込み、鞘を胸元へ叩き込む。信長の身体が初めて大きく後ろへ飛び、石畳を何度も転がった。
清司は追わなかった。
倒れた信長へ鞘を向けたまま、静かに立っている。
その姿が光へ変わり始めた。
「……時間や」
リリアーナの膝から力が抜ける。
「姫様!」
レイナが駆け寄り、倒れかけた身体を抱き止めた。
清司は消える直前、オヤジと姐さんへ顔を向けた。
姐さんは涙を拭おうともせず、真っすぐ清司を見返した。
「もう、好きに生きなさい」
清司は僅かに目を細めた。
オヤジは最後まで何も言わなかった。
けれど清司が光の中へ消える直前、ほんの少しだけ頭を下げた。
その姿が完全に消えると、リリアーナはレイナの腕の中で意識を失った。
「リリアーナ!」
戦っていたロイヤル・フラグメントが一斉に戻り、疲れ切った身体でリリアーナの前へ並ぶ。
信長はゆっくりと立ち上がった。
追撃しようとはしない。
頬の血を拭い、倒れたリリアーナと、その前へ立つ七人を静かに見つめている。
「今日は退く」
「信長様!」
勝家が声を上げたが、信長は振り返らなかった。
「清司はまだ、わしを拒んでおる」
その言葉に、姐さんの目が鋭くなる。
「まだ、やない。あの子はもう決めたんや」
信長は答えず、踵を返した。
幸村と政宗も戦いを止め、捕らえられた兵を残したまま信長のもとへ戻っていく。秀吉だけが名残惜しそうに清司の消えた場所を眺め、明智に肩を押されてようやく歩き出した。
その時、戦場の後方に止められていた白い馬車の窓が、ゆっくりと開いた。
「信長様」
か細く、優しい女の声が響く。
青白い指を窓枠へ添えた御命萌呼が、レイナに抱かれたリリアーナを見つめていた。
「今日は、もう帰りましょう」
萌呼は穏やかに微笑んだ。
「清司様にも、お別れをする時間が必要でしょうから」
誰も言葉を返せなかった。
萌呼は首を僅かに傾け、まるで聞き分けのない子どもへ言い聞かせるように続ける。
「次に会う時までに、こちらの皆様へ、きちんとお別れをしておいてくださいね」
白い指が窓の内側へ消え、静かに扉が閉じられる。
黒い旗を掲げた軍勢が遠ざかっていく中、誰も追おうとはしなかった。
追えなかった。
勝ったはずの戦場に残されたのは、歓声ではない。
御命萌呼の優しい声と、次は必ず清司を連れていくという確信だけだった。




