第7話 静かな進行役バルド
翌朝。
光が、白い部屋へ差し込んでいた。
眩しい。
相変わらず、この城は朝から無駄にきらきらしている。
もう少し影とかないんか。
「おはようございます」
銀の盆を持ったミレーヌが、寝台のそばに立っていた。
背筋はまっすぐ伸び、表情は今日もスンッとしている。
「おはよう」
リリアーナは、ゆっくり身体を起こした。
その横には、日本刀を肩へ担いだ黒スーツ姿の清司が立っている。
ミレーヌは水と薬湯を机へ置いた。
昨日まで残っていた、甘ったるい香りが消えていた。
代わりに、ほんの少し木の香りがする。
息を吸う。
昨日より、部屋の空気が軽く感じられた。
「香り変えたんか」
「はい。甘い香りはお疲れになるようでしたので」
「俺に合わせるん早すぎるやろ」
「専属侍女ですので」
「専属なったん昨日やぞ」
「昨日から見ています」
「怖いねん」
「観察も仕事です」
ミレーヌは静かに茶を注いだ。
茶器の音も、ほとんどしなかった。
*
「あの大人気の歌舞伎映画、観ました?」
「観たな。大作や」
「ですよね。清司さん、主演俳優に似ていますね」
「は?」
リリアーナが眉を寄せた。
ミレーヌの視線は、その横へ向いていた。
黒いスーツ姿の清司。
真ん中で分けた黒髪が、目元へ緩く落ちている。
すっと通った鼻筋。
薄く形の整った唇から、顎へ続く線は端正だった。
目の下には、薄い陰がある。
静かな目にはほとんど光がなく、見返されると、こちらの言葉を待たれているだけで落ち着かなくなる。
細身の身体に、無駄なく沿った黒いスーツ。
刀を担ぐ手だけが、その整った姿に物騒だった。
清司がミレーヌを見る。
僅かに顎を上げただけで、襟元の喉が動いた。
「あんなキラキラしてへんやろ」
「あの役者さんは、キラキラしていません。影があります。タイプではないですけど」
「タイプとか聞いてないねんけど」
「似ていることと、好みであることは別です」
「そうやな」
「ですよね」
ミレーヌはスンッとしていた。
「ですが、演技は素晴らしかったです。芸に取り憑かれた目をしていました」
「分かるわ」
リリアーナが身を乗り出す。
ミレーヌが、即座に茶器を遠ざけた。
「急に動かないでください」
「お前が振った話やろ」
「好きな話になると、体力の残量を忘れますね」
「まだ何も起きてへん」
「予防です」
茶器が、少し離れた場所へ置かれる。
「私、あの映画を観たあと、本物の歌舞伎を観に行こうとしていたんです」
「そうなん?」
「はい。演目を調べて、劇場までの行き方も調べました」
「ガチやんけ」
「男女が心中する、有名な演目を観ようとしていました」
「いきなり重いやつ選んだな」
「情念の強いものが観たくなりまして」
「影響されすぎやろ」
「かなり持っていかれました」
「認めるんかい」
「ですが、舞台を観る前にこの世界へ来ました」
「タイミング悪すぎるやろ」
「かなり悔しいです」
「こっち来てまで歌舞伎が心残りなんか」
「はい。楽しみにしておりましたので」
答える顔が、ずっと真剣だった。
「恋愛ゲームの世界に来とる場合ちゃうやん」
「本当にそう思います」
ミレーヌは少しだけ首を傾げた。
「清司さんの権力で、この世界に歌舞伎を作れませんか?」
「作れるかい」
即答した。
「あんな歴史の長い芸、急に作れるわけないやろ。一代で作るもんちゃう。積み重ねや」
「積み重ね」
「家も芸も型も客も、全部いる」
舞台で顔を上げた、あの役者の姿が浮かんだ。
そこへ立つまでに、幾つものものが重なっていた。
映画を観た後にも、考えたことだった。
「伝統芸能には、神様も悪魔も客も家も、すべているという話を見たことがあります」
「急に深いこと言うな」
「受け売りです」
「受け売りを朝のお茶と一緒に出すな」
「ですが、納得しました」
「分かるけどな」
「分かるんですね」
「芸の話やぞ。分かるわ」
リリアーナは茶を一口飲んだ。
「神様も悪魔もおるんやったら、なおさら急には作られへん。長いこと積み上げて、残ったもんが芸になるんやろ」
「清司さん、きちんと考えるんですね」
「俺をなんやと思ってんねん」
「元若頭です」
「元若頭でも芸ぐらい考えるわ」
ミレーヌが頷いた。
「では、この世界の芸能を探しましょう。劇、音楽、舞踏、祭り。何かあるはずです」
「それはええな」
「恋愛イベントより、そちらの方が見たいです」
「俺もや」
「話が早いですね」
「ほんま、お前とは話早いな」
*
話しているうちに、背中が寝台へ戻っていた。
さっきより、身体を起こしているのが面倒になっている。
ミレーヌは、それを見逃さなかった。
「本日から、体力づくりも始めます」
「急に現実戻すやん」
「ふわ姫体力管理記録も作成しました」
「何それ」
「略して、ふわ管です」
「捨てろ」
「まだ一枚目です」
「今すぐ捨てろ」
「大切な記録です」
「名前変えろ」
説明しよう!
ふわ管とは!
ミレーヌが勝手に作成した、ふわ姫体力管理記録の略称である!
本人からの評判は、最悪である!
「知っとるわ」
「昨日のうちに、お身体を見てくださる方を手配しました」
「手配早すぎるやろ」
「専属侍女ですので」
「それ万能の言葉みたいに使うな」
ミレーヌは続けた。
「書庫までの歩行距離、休憩した場所、戻られた時のご様子も伝えています」
「いつの間に見てん」
「隣におりましたので」
「怖いねん」
「歌舞伎映画のお話で身を乗り出した時の動きも追加します」
「それはいらん」
「本日は、あの時が一番お元気でした」
「体力測定に使うな」
「分かりやすいです」
リリアーナは、机の端に置かれた紙を見た。
既に何行も書かれていた。
「誰が来るん?」
「バルド・ハルディン様です」
「誰や」
「元近衛総隊長です。現在は、王宮内の式典や会議などの進行を担っておられます」
「兵隊の頭が、進行係なんか」
「人や物の手配も含め、よく場を整えてくださる方です」
リリアーナは少し考えた。
「攻略対象なん?」
「違います」
「隠し攻略対象は?」
「違います」
「ほんまに?」
「純粋な王宮職員です」
「よかった」
「かなり安心しましたね」
「会う男全員、婿候補やったら頭おかしなるやろ」
「お疲れになる理由が、また一つ増えますね」
「体力記録に書くなよ」
ミレーヌの手が止まった。
「書く気やったんかい」
*
扉が静かに叩かれた。
「失礼いたします」
低く穏やかな声だった。
黒スーツ姿の清司が、肩の刀を下ろした。
扉が開く。
背の高い男が入ってきた。
艶のある黒髪を、きれいに後ろへ流している。
落ち着いた目。
仕立てのよい黒い服には、派手な装飾がなかった。
バルドは一礼してから、窓へ目を向けた。
「少し、光を遮ってもよろしいでしょうか」
「あぁ」
カーテンが僅かに動く。
顔へ直接当たっていた光が、和らいだ。
バルドは寝台の近くへ椅子を寄せ、水の入ったグラスを確かめた。
ミレーヌが盆を引く。
そこへ、小さな銀の鈴と、記録用の紙が置かれた。
リリアーナは、その手元を見ていた。
何をするかが、入ってきた時から決まっている。
段取りの人やな。
「リリアーナ姫。バルド・ハルディンと申します」
「リリアーナでええよ」
バルドの動きが、ほんの一瞬止まった。
「姫様を呼び捨てにすることはできません」
「なら、リリアーナさん」
「そちらも難しいかと」
「面倒くさいな」
「王宮ですので」
「それ便利に使う奴、二人目やぞ」
ミレーヌはスンッとしていた。
バルドも穏やかな表情を崩さない。
「まず、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
「ええよ」
「昨日は、どちらまで歩かれましたか」
「書庫まで」
「戻られた後、どこが一番お辛かったでしょうか」
「足より先に、息がしんどなった」
「お食事は」
「少し」
「お眠りは」
「何回か起きた」
バルドは一つずつ頷いた。
関西弁にも、男のような受け答えにも、何も言わなかった。
「驚かへんの?」
「何にでしょうか」
「姫がこんな喋り方してんねんで」
「姫様が現在、このようにお話しになっている。それは分かります」
「普通、もうちょい戸惑うやろ」
「気になることはございます。ですが、先にお身体を確かめたいので」
リリアーナはバルドを見た。
バルドも、静かに見返していた。
*
「では、足を床へ下ろしてみましょう」
「立つん?」
「本日は、立つ前までです」
「前まで?」
「足を床につけ、様子を見ます」
「まだ立たへんのか」
「昨日、膝から力が抜けたと伺っています」
ミレーヌが頷いた。
話は全部、回っていた。
バルドが手を差し出す。
掴めとは言わなかった。
必要なら支えられる場所に、その手があった。
リリアーナは寝台の端へ移動した。
足を床へ下ろす。
「そのままで結構です」
「まだ何もしてへんけど」
「まずは、その状態を見せてください」
バルドは少し屈んだ。
「息を整えましょう。右肩へ力が入っています」
リリアーナは肩を見た。
確かに、持ち上がっていた。
「よう分かるな」
「見ておりますので」
「怖いな」
「よく言われます」
ミレーヌが静かに口を開いた。
「清司さんと同じですね」
「俺と?」
「見る側です」
リリアーナは、もう一度バルドを見た。
バルドは、その呼び名にもすぐには反応しなかった。
「では、足の裏へ少しだけ体重を乗せてください」
床を踏む。
ただ、それだけだった。
それなのに、太ももが小さく震え始めた。
腹立つな。
立ってすらないのに。
「息を止めないでください」
リリアーナは息を吐いた。
もう少し。
あと少しなら、いける。
黒スーツ姿の清司が、一歩前へ出た。
肩が、重なる。
「まだいける」
声が低くなった。
足へ、もう一度力を込める。
チリン。
澄んだ鈴の音がした。
「ここまでです」
バルドが、小さな銀の鈴を持っていた。
黒スーツ姿の清司が、身体から離れる。
「もう?」
「はい」
「まだいけるで」
「そのお言葉は、次のために取っておきましょう」
「立ってへんやん」
「本日の目的は、立つことではありません」
「何なん?」
「今、どこまでできるのかを知ることです」
バルドは水を差し出した。
「一口どうぞ」
リリアーナが受け取る。
飲んでいる間に、ミレーヌが寝台の上を整えた。
バルドが足を戻すのを手伝う。
背へクッションが入り、ようやく身体の力が抜けた。
「……これだけで疲れるんか」
「本日は、これだけなさったのです」
バルドが答えた。
ミレーヌが紙へ何かを書き込む。
「ふわ管か」
「はい」
「名前だけは変えろ」
「検討いたします」
「変える気ないやろ」
*
バルドがグラスを受け取った。
「次も、今日のご様子を見て決めましょう」
無理をさせない。
けれど、何もさせず寝かせておくわけでもなかった。
今できることを確かめ、次へ繋ぐ。
清司は、その男を見た。
「バルド」
「はい」
「俺のこと、どう思う?」
ミレーヌが顔を上げた。
バルドは変わらず穏やかだった。
「どのような意味でしょうか」
「リリアーナ姫には見えへんやろ」
「以前のお振る舞いとは、大きく異なると伺っております」
「中身、別人やと思わへん?」
バルドは、すぐには答えなかった。
寝台の上の少女を見る。
その隣へ、僅かに視線が動いた。
「その可能性も、考えております」
「考えてたんかい」
「お忘れになっただけでは、説明のつかないこともございますので」
「なら、どうする」
「まず、お話を伺います」
リリアーナは黙った。
黒スーツ姿の自分が、刀を下げて立っていた。
「俺が悪いもんやったら?」
「姫様と王宮をお守りするために、動きます」
声は穏やかだった。
だが、目は逸らさなかった。
「元近衛総隊長やもんな」
「はい」
「今は、何もせえへんのか」
「確かめもせず、害を加えることはできません」
バルドは続けた。
「ミレーヌ殿から、お身体のご様子を伺いました。昨日は書庫で、国の報告書をご覧になったとも」
「あぁ」
「先ほどは、芸の積み重ねについてお話しでしたね」
リリアーナが目を細めた。
「聞いてたん?」
「扉の前で、取り次ぎを待っておりました」
「どこから?」
「神様も悪魔もいるという辺りから」
「ほぼ全部やないか」
「失礼いたしました」
バルドが頭を下げる。
顔を上げてから、静かに言った。
「ただ、それらのお話だけで、安全な方だと決めるつもりもございません」
「せやろな」
「今後も、見ております」
「慎重やな」
「私の役目ですので」
リリアーナは、暫くその顔を見ていた。
すぐに信じるとは言わない。
分からんものを、分かった顔もしない。
それでいて、必要な手は差し出した。
「俺は清司や」
ミレーヌが静かに目を伏せた。
黒スーツ姿の清司が、一歩前へ出る。
金髪の少女へ、その姿が重なった。
「清司」
バルドが繰り返す。
「前は男やった。こことは違う世界で、若頭やった」
バルドは黙って聞いていた。
「本家で撃たれた。気づいたら、この身体におった」
「……そうでしたか」
「軽ない?」
「何とお答えすればよいか、考えております」
「その顔で?」
「はい」
清司は少し笑った。
バルドが、改めて頭を下げる。
「清司様」
「様いらん」
「では、清司さん」
「それでええ」
「承知しました」
呼び方が、あっさり変わった。
「信じるん?」
「すべてを理解したとは申しません」
「あぁ」
「ですが、そのお名前でお呼びすることはできます」
清司はバルドを見た。
横で、ミレーヌが小さく頷いた。
*
「王には言うんか」
清司が聞いた。
「お身体と、ご様子の変化はお伝えします」
「名前も?」
「今のお話については、まず清司さんとご相談したく存じます。陛下にもお話しになるおつもりですか」
清司は、昨日の王の目を思い出した。
「……あの人とは、俺も話したい」
「承知しました」
バルドが頷く。
「それまでは、必要もなく口外いたしません。ただし、王宮を害することがあれば別です」
「それでええ」
清司は答えた。
「害する気はない」
「はい」
「この身体で生きるんやったら、ここでやれること探す」
自分の手を見る。
白く細い指だった。
「困っとる奴がおったら、できる奴に仕事渡す。おかしな決まりがあるなら、話つける」
顔を上げる。
「俺は俺のやり方で生きる。それで、リリアーナの人生も無駄にはせえへん」
バルドは静かに聞いていた。
ミレーヌも、何も言わなかった。
やがて、バルドが頷いた。
「では、まずはお身体からですね」
「そこ戻るんかい」
「何をなさるにも、必要ですので」
「正論やな」
「無理をなさった時は、お止めします」
清司が銀の鈴を見た。
「あれで?」
「はい」
「俺、鈴で止められるんか」
「先ほどは、お止まりになりました」
ミレーヌが紙へ目を落とした。
「記録にもございます」
「連携すな」
バルドが僅かに笑った。
「お身体のことも、何かを始められる時の手配も、お力になれるかと存じます」
「場も整えるんか」
「私にできる範囲で」
清司はバルドを見た。
「それ、仲間になるってこと?」
「私でよろしければ」
「攻略対象ちゃうよな」
「違います」
「恋愛イベントも?」
「ございません」
「よし」
清司は手を差し出した。
「今日から仲間や」
バルドは、その手を見た。
それから、静かに握り返した。
「よろしくお願いいたします」
「敬語はそのままなんやな」
「こちらの方が落ち着きますので」
「好きにしたらええ」
「ありがとうございます」
*
ミレーヌが茶を三つ用意した。
「私も仲間です」
「知っとる」
「先輩です」
「何の?」
「清司さんの正体を知った順です」
「いらん序列作るな」
ミレーヌがバルドを見る。
「バルド様は二人目です」
「光栄です」
「乗るんや」
バルドは穏やかに微笑んだ。
ミレーヌはスンッとしている。
清司は二人を見た。
一人目は、空気を読みすぎる専属侍女。
二人目は、鈴を鳴らす静かな進行役。
どちらも、勝手に手を握ってこなかった。
自分の話を聞いていた。
それぞれ、できることがあった。
「清司さん」
「なんや」
「ふわ姫体力管理記録に、バルド様の加入も書いておきます」
「体力関係ないやろ」
「重要な出来事です」
「別の紙に書け」
「では、清司組構成員名簿を作成します」
「極道組織みたいにすな」
「元若頭ですので」
「便利に使うな!」
バルドが、銀の鈴を持ち上げた。
チリン。
「お茶のお時間です」
ミレーヌが茶を差し出す。
清司は受け取りかけて、バルドを見た。
「今の鈴、いる?」
「区切りがよろしいかと」
「何でも鳴らす気やろ」
バルドは答えず、茶を取った。
ミレーヌも座る。
その横では、黒スーツ姿の清司が刀を肩へ担ぎ直していた。




