第6話 この世界、きもいですよね?
書庫から部屋へ戻る頃には、清司の足はほぼ限界だった。
頭はまだ動く。
近衛配置。
国境報告。
使用人通路。
鍵の数。
グランヴェール王国との交易路。
山賊被害。
荷抜き。
魔法鉱石の流通。
考えることはいくらでもある。
だが、体がついてこない。
ふわ姫の体、燃費悪すぎるやろ。
説明しよう!
ふわ姫とは、清司が自分の現在の体を雑に呼ぶためにつけた略称である!
正式名称は、金髪ふわふわ姫。
長い。
しかも、すぐ疲れるのである!
「姫様……!」
「お顔の色が……」
「やはりご無理を……」
部屋に戻るなり、侍女たちが一斉に清司を囲んだ。
泣く。
支える。
水を持ってくる。
クッションを増やす。
香を焚こうとする。
そしてまた泣く。
忙しいな、この子ら。
「大丈夫です」
清司は姫スマで微笑んだ。
姫スマ。
便利やけど、精神削れるわ。
「少し休めば平気です」
「姫様……なんとお強い……」
「おいたわしい……」
「本当に、おいたわしゅうございます……」
侍女たちは目を潤ませた。
清司は内心でため息をついた。
また始まった。
何をしても、おいたわしい。
歩いても、おいたわしい。
座っても、おいたわしい。
資料を読んでも、おいたわしい。
男に命を大事にしろと言っても、おいたわしい。
この世界、おいたわしいの判定ゆるすぎへんか?
その時だった。
「皆さま、少し下がってください」
落ち着いた声がした。
泣いていない声だった。
清司は顔を上げる。
侍女たちの後ろに、一人の女が立っていた。
薄茶の髪をきっちりまとめた、二十代半ばほどの女。
侍女服を着ている。
だが、他の侍女たちとは空気が違った。
慌てていない。
泣いていない。
感動もしていない。
ただ、状況を見ている。
清司は内心で目を細めた。
こいつ。
さっきから、ずっと見てたやつやな。
「姫様はお疲れです。お水を。あと、甘すぎないお茶をお願いします」
女はてきぱきと指示を出した。
「香は焚かなくて結構です。先ほどから、姫様は強い香に少し気分を悪くされているようです」
清司は、ほんの少しだけ眉を動かした。
気づいてたんか。
確かに、この部屋の甘ったるい香はしんどかった。
言うほどではない。
だが、ずっと気にはなっていた。
「窓を少しだけ開けてもよろしいでしょうか。空気が重いので」
「ええ」
清司は頷いた。
女は静かに窓を開け、外の空気を入れた。
冷たい風が少しだけ入ってくる。
やっと息がしやすい。
「姫様、こちらへ」
女は清司を寝台ではなく、窓際の椅子へ案内した。
寝かせるより、少し上体を起こした方が楽だと見ている。
清司は座りながら、女を見た。
使える。
この女、使える。
「あなたは」
「ミレーヌ・リースと申します。王宮女中頭補佐を務めております」
「ミレーヌ」
「はい」
「しばらく、私の近くにいていただけますか」
侍女たちが驚いたように息を呑んだ。
ミレーヌは一瞬だけ清司を見た。
その目が、少し笑ったように見えた。
「光栄にございます」
周りの侍女たちは、また感動した。
「姫様……ご自身がお辛い中で、人を見る目まで……」
「なんてご立派な……」
「おいたわしい……」
おいたわしい関係あるか?
もう万能ワードやんけ。
清司は姫スマを保ったまま言った。
「少し、ミレーヌと二人で話せますか」
「もちろんでございます」
「姫様、私どもは外に控えております」
侍女たちは心配そうにしながらも、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
部屋に、清司とミレーヌだけが残った。
風が薄いカーテンを揺らしている。
清司は、まず黙ってミレーヌを見た。
ミレーヌも、黙って清司を見た。
妙な沈黙だった。
先に口を開いたのは、ミレーヌだった。
「あの……」
「なんでしょう」
「実は、前世日本人で、しかも関西人で、男の人ですよね?」
「え?」
清司は、思わず声を漏らした。
ミレーヌは、にこりと微笑んだ。
「あっ、私、空気読むの得意なんで。皆さまと一緒に『おいたわしい……』ってやってました」
「えっ、バレてたん?」
「はい」
「いつからや」
「お目覚めになった時からです」
「最初からやんけ」
「声に出ていましたよ。『俺は男やぞ』って」
「まじか……」
「はい」
終わってる。
清司は頭を抱えそうになった。
だが、ふわ姫の体で頭を抱えると、それすら儚い仕草になりそうで腹が立つ。
「ほかにも聞いてたんか」
「はい」
「どこまでや」
「『なんでこんなことなってんねん』と、『ほんまに、なんでやねん』もおっしゃっていました」
「全部やんけ」
「あと、エリオット殿下を見る目が、恋する姫ではなく、距離感の危ない人を見る目でした」
「それは合ってる」
「レオン様を見る目も、命の扱いが雑な部下を見る目でした」
「それも合ってる」
「セドリック様を見る目は、じじいも攻略対象なのかと疑っている目でした」
「そこまで分かるんかい」
「はい。空気読むの得意なので」
「空気読むの意味、広すぎひんか」
ミレーヌは真面目な顔で頷いた。
「この世界、きもいですよね?」
清司は、言葉を失った。
初めてだった。
この世界に来てから、初めて。
自分以外の人間の口から、その感想が出た。
「……お前」
清司はミレーヌを見た。
「分かってる側か」
「はい」
ミレーヌは、にこりと笑った。
説明しよう!
ミレーヌ・リースとは、空気が読める女である!
空気が読める女は、空気を壊さない!
壊さないまま、必要な情報だけを拾う!
つまり、怖い女である!
「改めまして」
ミレーヌは、静かに頭を下げた。
「私はミレーヌ・リースと申します。今世では王宮女中頭補佐です」
「今世では?」
「はい。前世の名前は美月でした」
「美月?」
「はい。日本人です」
「日本人」
「恋愛ゲームと少女漫画は少し苦手で、少年漫画の方を多めに履修していました」
「少年漫画?」
「はい。拳で世紀末を生き抜く系、海賊が仲間と飯で世界を変える系、強い人たちが気を高める系、血筋と技名と宿命がやたら濃い系などです」
「ぼかし方が雑やな」
「名指しは危険ですので」
「急に現実的になるな」
「大人なので」
「大人はそんな匂わせもせえへん」
「あと、奇妙な血統と立ちポーズが印象的な長寿作品も好きです」
「お前、ほんまに分かってる側やんけ」
「あ、それから、鬼と戦う兄妹の話も――」
「ちょっと待って」
清司は、思わず身を乗り出した。
「全部、俺も好きなやつやねんけど!」
ミレーヌは、ぱっと顔を明るくした。
「えっ、そうなんですか?」
「拳で世紀末を生き抜く系も、海賊が仲間と飯で世界を変える系も、強い人たちが気を高める系も、血筋と技名と宿命が濃い系も、全部好きや」
「よかったです。長く続く忍者の話も好きです」
「待て待て待て」
「はい」
「そこも俺、好きや」
「えー! もう完全に分かってる側じゃないですか!」
「お前が言うなや」
「ちなみに、奇妙な血統と立ちポーズの話は、何代目が好きですか?」
「急に踏み込んでくるな」
「大事です」
「大事なんかい」
「大事です」
「あと、万事屋っぽい人たちが出てくる人情ギャグ作品で誰が好きかも大事です」
「質問多いな」
「忍者の話なら、どの戦いが好きかも大事です」
「もう面接やんけ」
ミレーヌの目が、きらきらしている。
この世界で初めて見た、まともなきらきらだった。
恋愛でもない。
崇拝でもない。
おいたわしいでもない。
ただの、前世の好きなものが一致した人間の目だった。
「映画は観てたんか」
「観てました」
「任侠映画とか」
「好きです」
「お前、ほんまに分かってる側やんけ」
「邦画も観てました。歌舞伎の映画、観ました?」
清司は、ぴたりと動きを止めた。
「……もちろん」
ミレーヌの目がさらに輝いた。
「あれ、すごかったですよね」
「すごかったな」
「主人公ももちろんいいんですけど、相方の彼も最高でしたよね!」
清司は少し黙った。
「あいつはあいつで、立派やったよな」
「……はい」
「あいつはあいつで、ちゃんと芸に命張ってた」
「分かります」
「あっ、あの境地の人も!」
「分かってるやんけ!」
清司は、また身を乗り出した。
「主人公はな、あれはもう芸に魂持っていかれた男やろ」
「はい!」
「あの境地の人は、もう芸の神様の側におる人やねん!」
「分かります!」
「お前、ほんまに分かってる側やんけ!」
「姫様」
「なんや」
「すごく早口です」
「あかん」
清司は、そこでようやく自分の体に気づいた。
身を乗り出しすぎている。
呼吸も少し浅い。
そして、体がぐらりと揺れた。
「姫様、落ち着いてください」
ミレーヌが素早く支えた。
「歌舞伎映画の話で倒れたら、侍女たちがまた泣きます」
「理由言われへんやろ、それ」
「はい。ですので、表向きは“芸術への深い感銘によりお疲れが出た”ことにします」
「翻訳うますぎるやろ」
「慣れです」
「何に慣れてんねん」
清司は椅子に座り直した。
この体、ほんま信用ならん。
ちょっと漫画と映画の話で盛り上がっただけやのに、すぐ倒れかける。
「この体、ほんま信用ならん。ふわ姫やからな」
「ふわ姫?」
「今のこの体のことや」
「なるほど。金髪ふわふわ姫、略してふわ姫ですね」
「そうや。長いやろ」
「はい。とても分かりやすいです」
「やろ?」
「便利な略称ですね」
「お前、分かってるやんけ」
「今後、私も使ってよろしいですか?」
「使うんかい」
「二人きりの時だけです」
「外で言うたら終わりやからな」
「空気は読みます」
「そこは信用してる」
さっきまで初対面だったはずなのに。
気づけば、前世の話をしていた。
漫画の話をしていた。
映画の話をしていた。
歌舞伎映画の話で、倒れかけていた。
距離の詰め方がうますぎる。
清司は、改めてミレーヌを見た。
こいつ、コミュ力お化けやな。
怖い。
だが、味方ならかなり強い。
「姫様は?」
「姫様ちゃうやろ、その流れで」
「では、前世のお名前をお聞きしてもいいですか?」
清司は少し黙った。
前世の名前。
それをこの世界で口にするのは、初めてだった。
父王の目に何かを感じた。
けれど、まだ言ってはいない。
エリオットにも。
レオンにも。
侍女たちにも。
誰にも。
「……清司やけど」
ミレーヌは、ぱっと顔を明るくした。
「えー、かっこいいですね!」
「そうか?」
「はい。清司さんって呼んでもいいですか?」
「いきなり距離詰めるなや」
「嫌ですか?」
「……別に」
「では、清司さんですね」
決まるの早すぎるやろ。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
清司さん。
この世界で、初めてそう呼ばれた。
リリアーナ姫でもなく。
姫様でもなく。
おいたわしい誰かでもなく。
清司。
それは、前世で置いてきたはずの名前だった。
「それで、清司さん」
「なんや」
「今後の方針ですが」
「急に仕事の話するやん」
「はい。私は空気を読みます。清司さんは、だいたい空気を壊します」
「おい」
「ですので、私が翻訳します」
「翻訳?」
「たとえば、清司さんが『この国、防犯意識終わってるやろ』と思った場合」
「思ってるな」
「私は『姫様は王宮全体の安全管理にご関心がおありです』と伝えます」
「便利やなお前」
「清司さんが『男ども、距離感バグりすぎやろ』と思った場合」
「思ってるな」
「私は『姫様は皆さまに、節度ある交流を望まれております』と伝えます」
「強いな」
「清司さんが『命を差し出す前に仕事せぇ』と思った場合」
「それも思ってるな」
「私は『姫様は皆さまに、生きて任務を全うしていただきたいと願っておられます』と伝えます」
「お前、天才か?」
「空気を読むのが得意なだけです」
「怖いわ」
「味方です」
「そこが一番怖いねん」
ミレーヌはにこりと笑った。
確かに、怖い。
だが、味方ならかなり強い。
「この世界、ほんまきもいな」
「はい」
「王子は距離近いし」
「はい」
「騎士は命差し出すし」
「はい」
「じじいも攻略対象やし」
「そこは私も驚きました」
「お前もかい」
「さすがに、じじいまで来るとは思いませんでした」
「やんな」
「しかも静かに笑うタイプのじじいです」
「やめろ。思い出すやろ」
「すみません」
ミレーヌは、まったく悪びれずに謝った。
「でも、清司さん」
「なんや」
「たぶん、まだ増えますよ」
「攻略対象が?」
「はい」
「最悪やんけ」
「恋愛ゲームですから」
「恋愛ゲーム、しつこいな」
「しつこいです」
「恋愛イベント全部いらんねんけど」
「では、現場復帰させましょう」
清司はミレーヌを見た。
ミレーヌは真顔だった。
「現場復帰?」
「はい」
「お前、今なんて言うた?」
「恋愛フラグを、現場復帰させましょう」
清司は黙った。
その言葉は、妙にしっくりきた。
王子は、王太子として。
騎士は、近衛として。
記録官は、記録官として。
それぞれの持ち場へ帰す。
恋愛なんぞしている場合ではない。
国防。
財政。
交易路。
派閥。
魔法鉱石。
やることはいくらでもある。
「……ええな」
「はい」
「恋愛フラグ、全部現場復帰や」
「素晴らしい方針だと思います」
「お前、ほんまに分かってるな」
「ありがとうございます」
ミレーヌは、満足そうに微笑んだ。
清司は少し考えてから、口を開いた。
「ミレーヌ」
「はい」
「しばらく、俺の専属になれるか」
ミレーヌは、少しだけ目を丸くした。
「専属、ですか」
「外では姫の世話係。中では俺の翻訳係や」
「なるほど」
「俺が変なこと言いそうになったら止めろ。逆に、言わなあかんことは姫っぽく直せ」
「承知いたしました」
「あと、俺が倒れそうになったら座らせろ」
「それは最優先ですね」
「ほんまこの体信用ならんからな」
「ふわ姫ですもんね」
「もう使いこなしてるやんけ」
ミレーヌは、にこりと笑った。
「では、本日より私は、リリアーナ姫の専属侍女としてお仕えいたします」
「外向きはな」
「はい」
「中身は」
「清司さんの翻訳係兼、現場復帰補佐です」
「肩書き長いな」
「略しますか?」
「略すな。増えるやろ」
「残念です」
その時、扉の向こうから声がした。
「姫様……?」
「ご気分はいかがでしょうか……?」
侍女たちの心配そうな声だった。
ミレーヌはすぐに表情を整えた。
さっきまで「この世界きもいですよね」と言っていた女とは思えないほど、完璧な侍女の顔である。
「皆さまを安心させてまいります」
「切り替え早すぎるやろ」
「空気読むの得意なので」
「便利やな」
「はい」
ミレーヌは扉の方へ向かいかけ、ふと振り返った。
「それで、清司さん」
「なんや」
「皆さまは姫様を見て、おいたわしいとおっしゃっていますけど」
「うん」
「私には、おいたわしいのは清司さんの精神の方に見えます」
清司は一瞬、黙った。
「……そこまで分かるんかい」
「空気を読むのが得意なので」
「空気読む範囲、広すぎるやろ」
「味方です」
「そこが一番怖いねん」
ミレーヌは、そう言ってにこりと笑った。
扉が開く。
「姫様は、少し落ち着かれました。皆さま、どうか静かに」
「姫様……!」
「本当にご無事で……」
「おいたわしい……」
侍女たちは、また泣きそうになっていた。
清司は椅子に座ったまま、小さく息を吐いた。
この世界は相変わらずきもい。
王子は距離が近い。
騎士は命を差し出す。
じじいも攻略対象である。
そして侍女の中には、全部聞いていた前世日本人までいた。
しかも、専属侍女になった。
情報量が多すぎる。
説明しよう!
専属侍女とは、姫の身の回りをもっとも近くで世話する侍女のことである!
しかしミレーヌの場合、身の回りだけではない。
前世バレ。
関西弁。
少年漫画。
歌舞伎映画。
恋愛フラグ現場復帰。
すべてを管理することになる。
つまり、業務範囲が広すぎるのである!
「姫様……」
「おいたわしい……」
説明しよう!
おいたわしいとは、本来、リリアーナ姫の儚い体調や境遇に向けられるべき言葉である!
しかし、この世界において一番おいたわしいのは、だいたい清司の精神である!
しかも、この説明も前にした気がするのである!
違う。
おいたわしいのは、今日も清司の精神である。




