第60話 ラーメン食いたい
パンとサンドイッチの成功パーティーは、大盛況のまま幕を閉じた。
各国からは、パン屋『パンチ』への出店希望が届き、傘下に入った国々からは、川を整えてほしいという要望が次々に届いている。
王都では、どこへ行ってもパンとサンドイッチの話でもちきりだった。
第三章。
パン革命。
大成功である。
そして、その翌日。
「……しんど」
リリアーナは、ベッドの上で寝込んでいた。
最近は車椅子を使わず、自分の足で動くことが増えている。
まだ長い距離を歩くことはできず、室内でも疲れた時には無理をせず、椅子へ座るようにしていた。
だが、昨日は半日歩きっぱなしだった。
来賓への挨拶。
職人との会話。
各国の王族との商談。
パンの試食。
スピーチ。
壇上への移動。
そして、また挨拶。
「そら寝込むわ……」
リリアーナの横では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が壁へだらりともたれていた。
襟元は緩み、腕にも力が入っていない。
魂まで疲れ切っているように見える。
そこへ、扉を叩く音がした。
「姫様」
静かな声は、バルドだった。
「……なんや」
「国王陛下がお呼びです」
「今ぁ? 寝込んどるんやけど」
「承知しております」
「断って」
「重要なお話とのことです」
「絶対また仕事やん……」
リリアーナは布団を頭までかぶった。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、ずるずると壁へ沈んでいく。
その横では、すでにミレーヌが黒革手帖を抱えて待っていた。
「同行します」
リリアーナは布団の中から目だけを出した。
「まだ何も聞いてへんやろ」
「国王陛下からのお呼び出しです。どうせ仕事です」
「言い切ったな」
「これまでの実績から判断しました」
「反論できへん」
バルドが静かに椅子を用意した。
「まずは、こちらへ」
「執務室まで歩ける」
「本日、無理は不可です」
「分かっとる」
「分かっている方は、昨日半日歩き続けません」
「刺すなぁ……」
リリアーナはゆっくりと体を起こし、足を床へ下ろした。
立つことはできる。
だが、体は重い。
「……行こか」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、壁からゆっくり背を離した。
王宮の執務室には、大きな世界地図が広げられていた。
その周囲には国王と王妃、そして傘下に入った国々の王たちが座っている。
リリアーナは執務室へ入るなり、用意されていた椅子へ腰を下ろした。
「立たんでええ。昨日、歩きすぎたんやろ」
国王が言った。
「誰の娘やと思っとんねん」
「わしの娘や」
「せやから無茶するんやろ」
「似たんやな」
「嬉しそうにすな」
国王の背後では、前世のオヤジがどっしりと腕を組んでいた。
今の王の姿よりもさらに大きく、さらに荒い。
そこにいるだけで、部屋の中心を持っていく男だった。
王妃の背後には、前世の姐さんが足を組み、煙草を細くふかしながら、面白そうにこちらを見ている。
リリアーナの横には、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司。
オヤジ。
姐さん。
若頭。
王宮の執務室なのに、魂だけを見ると、全国の傘下を束ねる巨大組織の本部そのものだった。
国王は机へ肘をついた。
「パンと水、ようやった」
短い言葉だった。
たったそれだけなのに、リリアーナの胸へまっすぐ届いた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、少しだけ目を細めている。
「……ありがとうございます」
リリアーナは素直に頭を下げた。
ミレーヌが黒革手帖を開く。
『国王陛下。パンと水を高評価。』
「そこも書くんか」
「重要ですので」
国王は満足そうに頷いた。
「ほんま、ようやった。でもな」
リリアーナは目を細めた。
「嫌な接続詞やな」
「ラーメン食いたい」
「次はラーメンかい!!」
リリアーナの叫びが、執務室へ響いた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、額へ手を当てている。
「なんや。西洋やから洋食ばっかやろ。パンも美味い。サンドイッチも美味い。でも、ラーメン食いたなった」
「理由が軽いねん!」
「絶対流行るぞ」
「そこだけ妙に説得力あんの腹立つな!」
王妃が煙草を灰皿へ置いた。
「私、とんこつラーメンが食べたいわ。紅しょうが多めで、きくらげも入れてちょうだい」
「姐さんまで!? 注文が細かい! もう食べる気満々やん!」
国王も腕を組んだ。
「わしはチャーシュー麺や。味玉も要るな」
「まだ店もないねん!」
「味玉は必要です」
ミレーヌが静かに言った。
「お前まで乗るんか!」
「ラーメンには必要ですので」
「必要の使い方が違うやろ!」
傘下国の王たちは顔を見合わせていた。
一人の国王が、恐る恐る手を上げる。
「兄上。ラーメンとは、何ですか?」
国王は、にやりと笑った。
背後のオヤジも、まったく同じ顔で笑っている。
「美味い」
「それだけですか」
「美味すぎて腰抜かすぞ」
「腰を!?」
「それほどの料理なのですか!」
「どのような料理なのです!」
国王たちが一斉に身を乗り出した。
国王は、世界地図の上へ手を置いた。
「麺が、熱い汁に入っとる。肉も乗る。卵も入る。野菜もいける」
「肉も卵も野菜も!」
「完全食ではありませんか!」
「説明だけで食いつきすごいな」
リリアーナは呟き、静かに腕を組んだ。
「ラーメンは強いからな」
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、同じように腕を組んでいる。
国王は、傘下国の王たちを見渡した。
「兄弟。パンチと一緒や。まず、リュミエールで修行させる。ロアンと料理人らから学ばせて、腕が上がったら暖簾分けしたる」
王たちの目が輝いた。
「暖簾分け……自分の国で、店を出してもよいということですか!」
「せや」
「我が国にも!」
「ぜひ修行させてください!」
「兄上!」
「まだラーメン一本も完成してへんぞ!」
国王は豪快に笑った。
「先に広げる準備しといたらええ」
「商品より暖簾分け計画が先に動いとる!」
「流行るん分かっとるからな」
「親分の勘で国家事業始めるな!」
その時、ミレーヌが静かに黒革手帖を閉じた。
「私も、ずっとラーメンを食べたいと思っていました」
全員がミレーヌを見る。
「お前もかい!」
「パン産業が始まった頃から思っていました」
「長いな!」
「我慢しておりました」
「なんで言わへんねん!」
「当時は、パン産業が優先でしたので。今が最適なタイミングと判断しました」
「ラーメン食べたい言う最適なタイミングってなんやねん!」
姐さんが楽しそうに笑った。
「ほら。食べたい人、いっぱいおるやん」
「姐さんが増やした側や!」
リリアーナは椅子の背へ体を預け、長いため息をついた。
「ほな、ラーメン作ったらええんやな」
「頼むぞ」
「ロアン倒れるで」
「マーガリンおじさんもおる」
「あの人パン職人や!」
「食いもん同士や」
「括りが雑すぎる!」
ミレーヌのペンが動く。
『第四章。ラーメン産業。料理人育成。暖簾分け制度。各国への展開を予定。』
「もう書いてる!」
「決定事項ですので」
「誰が決めたん!」
「国王陛下です」
「オヤジィ!」
国王は楽しそうに笑っていた。
だが、その目から突然笑いが消えた。
背後のオヤジも、ゆっくりと腕を解く。
「あとや」
執務室の空気が変わった。
国王は、机の上に広がる地図を指差した。
「新選組が来た」
「……せやな」
「平安の連中も来た」
「来たな」
「新選組は、日本へ帰った」
「あぁ」
「向こうには、こっちで起きたことも全部伝わっとるやろ」
「せやろな」
国王の指が、地図の東側にある日本へ動いた。
「せやけど、平安の連中は戻ってへん」
リリアーナは地図の日本を見た。
「晴明も、鬼火も、蛇神も、式神らも、こっちに残った」
「向こうから見たら、命令した連中が丸ごと帰ってこんかったことになる」
「あぁ」
「詠女が言うとった男のことや」
国王の指が、日本の上で止まった。
「信長の命令です、やったな」
「フルネームも聞いたんやろ」
「あぁ」
リリアーナは静かに答えた。
「織田信長や」
傘下国の王たちは、その名前を聞いても意味が分からず、国王とリリアーナの顔を交互に見ていた。
だが、国王の顔からは完全に笑みが消えている。
背後のオヤジも同じだった。
「ほんまに、あの織田信長なんやな」
「詠女が、そう言うとった」
「似た名前の別人やないんやな」
「新選組と平安の連中を動かして、日本で天下を取っとる。逆らう奴は殺す。どう考えても、俺らが知っとる織田信長を元にした男や」
国王は椅子へ深く座り直し、日本を見たまま腕を組んだ。
「戦国時代の織田信長か……」
一人の王が、恐る恐る尋ねた。
「兄上。その男は、それほど危険なのですか?」
「危険や」
国王は迷わず答えた。
「ただ強いだけの武将やない。古い決まりを壊して、使えるもんは何でも使う。兵も、鉄砲も、商人も、金も、道も、港もや」
先ほどまでラーメンの話をしていた王たちが静まり返った。
「勝つためなら、今まで誰もやらんかったことを平気でやる。力だけやない。商売も、人も、流れも、全部使って攻めてくる男や」
「それが、日本で天下を取っている……」
「しかも、歴史の違う連中まで従わせとる」
国王は地図を指で叩いた。
「晴明らは平安。織田信長は戦国。新選組は幕末。本来なら、同じ時代に並ぶはずのない奴らが、全員あいつの命令で動いとる」
「日本の中で、時代そのものが混ざっとる」
リリアーナが言うと、国王は低く頷いた。
「そいつらを全部まとめて、自分の下に置いとるんや」
「日本そのものが、一つの巨大組織みたいになっとるんか」
「せや」
国王の指が、日本の中央へ置かれた。
「頭が織田信長。新選組も、平安の連中も、その下で動く実働部隊や」
リリアーナの背中に、冷たいものが走った。
国王たちには、国と軍の話に聞こえている。
だが、リリアーナには分かった。
オヤジも分かっている。
日本そのものが、一つの巨大組織になっている。
しかも、その頂点にいるのが、織田信長だった。
「平安の連中が帰らんかったことを、見逃すと思うか」
「思わん」
「新選組が戻ったことで、向こうには全部伝わっとる。こっちの兵力も、産業も、平安の連中が残ったこともや」
「あぁ」
「次は、もっと確実に来る」
国王の声が低くなった。
「本人が来るか、右腕を寄越すか。それとも、表で動く奴とは別に、裏から刺客を入れるか」
リリアーナの目が細くなった。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、ゆっくりと刀へ手をかけた。
正面から来る敵だけを見ていては、足りない。
それは、リリアーナもオヤジも知っていた。
前世。
巨大な組織を束ねていたオヤジが病気だと知られたことで、跡目を狙ったオジキが動いた。
抗争が起きた。
清司は、オジキ側の者たちを全員倒した。
それでも、終わらなかった。
オジキは、別に殺し屋を雇っていた。
清司は、離れた場所に潜んでいたスナイパーに頭を撃たれた。
正面の敵を全部倒しても、見えない場所から殺しに来る者がいる。
そのあと。
オヤジも病気で亡くなった。
巨大な組織では、頂点が弱ったと知られただけで、跡目を奪おうとする者が動く。
傘下が命令を無視すれば、ほかの者まで続かないように動く。
裏切りを許せば、組織は崩れる。
織田信長が、日本を一つの巨大組織として支配しているのなら。
平安の者たちが戻らなかったことを、そのままにはしない。
「正面だけ見とったら、やられる」
国王が言った。
「あぁ」
「それは、俺らが一番よう知っとる」
リリアーナは地図の日本を見つめた。
「信長が攻略対象なら、戦国の乙女ゲームにもヒロインがおるはずや」
「やろな」
「そいつが、ただ守られとるだけの姫か。それとも、信長を動かしとる側か」
「まだ分からん」
「せやから、両方来ると思っとけ」
執務室が静まり返った。
パン工場。
葉巻と煙草の工場。
物流センター。
街道。
港。
川。
働く民。
リュミエール王国が豊かになるほど、狙われるものも増えていく。
「商売だけやと、国は守れん」
「あぁ」
「新しい産業ができるほど、奪いに来る奴も増える。しかも相手が、あの織田信長や。城に籠もって待っとるだけでは、好きに攻められるぞ」
国王は地図を見ながら言った。
「戦に備えて、国を守る体制作れ」
リリアーナは地図を見つめた。
「城壁増やすんか」
「ちゃう」
「ほな、何や」
国王は真顔で答えた。
「真田丸みたいなん作れ」
「雑やな!!」
「伝わるやろ」
「伝わるけど、説明が雑やねん!」
それまで力を抜いていた刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、ゆっくりと姿勢を正した。
リリアーナは、世界地図へ身を寄せた。
「本拠地の弱い場所を、外側から守る。そこへ敵を引きつけて、大軍を止めるんやな」
「せや」
「街道を使って兵を動かす。進める道は絞って、こっちが狙いやすい場所へ誘導する」
「せや」
「堀、土塁、木柵、見張り台、砦。突破されても、次の区画へ下がれるようにする」
「全部要る」
「避難所も作る。民と職人を先に逃がせる道も必要や」
「作れ」
「晴明と式神らが整えた水路は、防火と避難に使える」
「使え」
「物流路は、そのまま兵糧と武器の補給線にする」
「話早いやんけ」
「いや、仕事量えぐいやろ!」
リリアーナは頭を抱えた。
ミレーヌのペンは止まらない。
『国防計画。外郭防衛拠点。堀。土塁。木柵。見張り台。砦。避難所。水路。物流路の補給線転用。商人、職人、民を含む避難体制。』
「増えすぎやろ!」
「織田信長が相手なら、必要です」
「急に説得力出すな!」
「ラーメン産業と国防整備です」
「別々に始めろ!」
「同時進行が効率的です」
「誰がやるん!」
ミレーヌは当然のように答えた。
「リリアーナ様です」
「俺かい!!」
国王が笑った。
「若いんや。働け」
「オヤジィ!!」
リリアーナの叫びが、王宮中へ響いた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司は、地図に引かれた防衛線を見ながら、すでに刀を抜きかけている。
姐さんは、とんこつラーメンへ入れる具材を考えていた。
オヤジは、織田信長が攻めてくる場所を考えながら、世界地図へ新たな防衛線を引いている。
傘下国の王たちは、まだ見ぬラーメンに目を輝かせながら、織田信長という男へ震えていた。
ミレーヌは、ラーメン産業と国防計画を同じページへ書いている。
こうして、パン革命が終わった翌日。
ラーメン産業と。
織田信長を迎え撃つための国防整備が。
同時に始まることになった。
「ラーメン食いたい言うただけやのに、なんで織田信長と戦う話になっとんねん……」
リリアーナは机へ突っ伏した。
国王は、世界地図へ線を引きながら笑った。
「腹が減っては戦はできんやろ」
「ラーメンを兵糧にすな!!」




