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ふわ姫若頭  作者: 夜嶋朔
第三章 食卓現場復帰編

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第57話 怨霊の前世


 翌日。


 王宮で一番広い会議室に、関係者たちが集められていた。


『ロイヤル・フラグメント』


『セイントミステリア』


『紅月の海賊ヴァンパイア』


『朧月あやかし恋絵巻』


 王子。


 公爵。


 貴族。


 聖職者。


 探偵。


 海賊。


 吸血鬼。


 陰陽師。


 あやかし。


 怨霊。


 これから全員で、怨霊を式神に育てる。


 その最初の段階として、怨霊が怨霊になった理由を知るための調査である。


 部屋の中央には、怨霊が座っていた。


 濡れた長い黒髪。


 水底のような目。


 足元では、浅い水が揺れている。


 その隣には晴明。


 後ろには、逃げ姫と女房たち。


 お稲荷。


 鬼火。


 天狗。


 蛇神。


 そして、レイナに整えられた動きやすいワンピース姿の空樹詠女。


 長い髪は綺麗に整えられ、伊達眼鏡も外されている。


 黙っていれば、誰も干物オタクとは思わないほどの美女だった。


 黙っていれば。


「今日で終わりますか」


 目は完全に労働を拒否していた。


「始まる前から終わろうとすな」


 リリアーナは言った。


 その隣では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が腕を組み、詠女を睨んでいる。


「昨日かなり進みましたし」


「せやから今日、続きやるんやろ」


「推理物は余韻も大切です」


「布団に帰りたいだけやろ」


「否定はしません」


「せえ」


 チリン。


 バルドが静かに鈴を鳴らした。


「始めましょう」


 怨霊の向かいには、シャーホムズ。


 その隣には、記録帳を開いたワトゾン。


 ミレーヌも黒革手帖を構えている。


 メガネ聖女は、怨霊の魂を確認できる位置に座っていた。


 部屋の右側には、レイナを中心に『ロイヤル・フラグメント』の者たちが並んでいる。


 セシル。


 アレクシス。


 レオン。


 ルシアン。


 エミール。


 エリオット。


 ノエル。


 ロアン。


 反対側には、『紅月の海賊ヴァンパイア』の者たち。


 パード。


 キャプテントュリラー。


 ティオ。


 ゾンピグ。


 ヨホーク。


 チョップ。


 シャチ。


 リキュウ。


 ライガ。


 ヘイオン。


 スイチョ。


 本来なら、一番怨霊を許しにくい者たちだった。


 それでも、ここにいる。


 全員で育てると、リリアーナが決めたからである。


「昨日までに分かったことを確認します」


 ワトゾンが記録帳を開いた。


「避難を知らせる鐘。複数の火元。井戸は一つ。何度も水を運んだ。水が足りなかった。そして、桶を落とした」


 ワトゾンは怨霊を見た。


「そこから先を聞きます」


 シャーホムズが静かに問いかける。


「桶を落とした時、何が見えました」


 怨霊の指が、わずかに震えた。


「手が」


「誰の手です」


「分からぬ」


「仲間ですか」


 長い沈黙が落ちた。


「……そうだ」


 女房の一人が泣き声を漏らした。


 逃げ姫が、震える声で続ける。


「建物の中に、まだ人が残っておりました。怨霊様は何度も戻られました。逃げてくださいと申し上げても、まだ水が足りないと。もう一度だけ、と」


 怨霊の目が揺れた。


「我が」


「はい。何度も戻られました」


「火は、どこから上がったのです」


 シャーホムズが尋ねると、晴明が低く答えた。


「山の下から」


「自然の火ではない」


「違います」


「事故でもない」


「違います」


 部屋が静まった。


「攻められたのですね」


 晴明は目を伏せた。


「織田信長の軍勢に」


 怨霊の足元で、水が大きく揺れた。


 空気が冷える。


 女房たちは身を寄せ合い、逃げ姫の顔から血の気が引いた。


『ロイヤル・フラグメント』の者たちが、一斉に身構える。


 レイナは全員の位置を確認し、エミールは扉までの導線を見る。レオンは、いつでも合図を出せるよう指先へ光を集め、ルシアンは水温が下がりすぎないよう冷気を抑えた。


 セシルは怯えた女房たちへ無理に近づかず、小さく声をかける。


「大丈夫。怖かったら、扉の近くへ移っていいから」


『紅月の海賊ヴァンパイア』の者たちも動いた。


 キャプテントュリラーはパードの前へ立ち、チョップは救護の準備を始める。ヘイオンとスイチョは、静かに水の動きを見ていた。


『セイントミステリア』の者たちも、それぞれの位置につく。


 メガネ聖女は魂を見て、アネイモは震える者へ温かい布を配る。ゴスペルは声を出さず、怨霊の呼吸へ合わせていた。


 誰も、怨霊一人だけを見てはいなかった。


 部屋全体を見ていた。


「焼かれた」


 怨霊の声が、水底から響いた。


「山を。建物を。逃げ道を。人を」


 記憶が、一気に戻り始める。


 鐘。


 炎。


 煙。


 叫び声。


 井戸。


 桶。


 水を汲む。


 走る。


 転ぶ。


 起き上がる。


 また走る。


 燃える柱。


 倒れる仲間。


 伸ばされた手。


 助けを求める声。


「水を! もっと水を持ってこい!」


 怨霊の口から、過去の声が溢れた。


 足元の水が膨らむ。


 レイナがすぐに人数を数えた。


「全員おりますわ。逃げ遅れはいません。扉は二つ。避難路も確保済みです」


 エミールが続ける。


「右の扉から外へ出られるよ。水は左へ流せる。ここは塞がってない」


 ルシアンも水の様子を見る。


「温度も大丈夫。炎はないよ」


 セシルは怨霊から距離を取ったまま、優しく尋ねた。


「大丈夫? 怖いなら、今すぐ答えなくてもいいよ」


 怨霊が、わずかにセシルを見る。


 呼吸は少しずつ戻っていく。


 だが、記憶は止まらなかった。


「我が、遅かった。我が、もっと運べばよかった」


 水が一気に広がり、晴明が札を構えた。


 だが、リリアーナが手を上げた。


「待て」


 リリアーナの声は静かだった。


 その隣では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が刀へ手をかけ、怨霊をまっすぐ見ている。


「お前ひとりで消せる火やったんか」


 怨霊がリリアーナを見る。


「我がもっと」


「井戸は一つ。火元は複数。人は大勢。お前はもう火傷しとった」


「それでも」


「一人でどうにかできる現場ちゃうやろ」


 怨霊の目が揺れた。


「我が、弱かった」


「ちゃう」


「水が少なかった」


「それもある」


「では」


「現場が崩れとったんや」


 リリアーナは怨霊から目を離さなかった。


「火ぃつける奴がおって、逃げ道を塞がれて、井戸ひとつで、人手も足りん。それを、お前ひとりの失敗にすな」


 怨霊は何も言えなかった。


 足元の水だけが震えている。


 シャーホムズが口を開いた。


「一つ、確認します。あなたは火をつけましたか」


「違う」


「逃げ道を塞ぎましたか」


「違う」


「仲間を置いて逃げましたか」


「違う!」


「では、何をしました」


 怨霊の口が動かない。


 ワトゾンが記録を読み上げた。


「鐘を聞いた。炎の中へ入った。井戸から水を汲んだ。桶を持って何度も往復した。火傷を負った。腕が動かなくなった。それでも、水を運ぼうとした」


 ワトゾンは怨霊を見た。


「これが、あなたの行動です」


 怨霊の濡れた髪の奥で、目が揺れる。


 シャーホムズが問いかけた。


「あなたは、何をしようとしていたのです」


 長い沈黙の中で、水が静かに波打った。


「我は、沈めたかった」


「本当に?」


「すべてを」


「なぜ」


「水で包めば、燃えぬ」


 怨霊の手が強く握られる。


「水の中なら炎は来ぬ。沈めてしまえば、もう焼かれぬ」


 メガネ聖女が静かに息を吐いた。


「それが、魂に残ったのですね」


「我は、沈める」


「なぜです」


 シャーホムズがまっすぐ問いかける。


「殺したいからですか」


「違う」


「苦しませたいから」


「違う」


「恨んでいるから」


「違う!」


「では、何をしたかったのです」


 シャーホムズの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


 怨霊の呼吸が止まる。


 鐘の音。


 煙。


 燃える建物。


 落とした桶。


 届かなかった手。


 水が足りなかった。


 もっとあれば。


 もっと運べれば。


 すべてを包めれば。


 誰も燃えなかった。


「我は、沈めたかったのではない」


 怨霊の声がかすれ、足元の水が静かになる。


「燃やしたくなかった。誰も、もう二度と、焼かせたくなかった」


 濡れた髪から、水滴が落ちた。


 一滴。


 また一滴。


 怨霊の目から、水ではないものが落ちた。


「助けたかった」


 その瞬間、怨霊の胸元で黒い怨念の核が震えた。


 メガネ聖女が目を見開く。


「核が外れます!」


 晴明が立ち上がり、ミレーヌとワトゾンのペンが同時に止まった。


 レイナは扇を閉じ、バルドが鈴へ手を添える。


『ロイヤル・フラグメント』の者たちが身構え、『セイントミステリア』の者たちが息を呑む。『紅月の海賊ヴァンパイア』の者たちは前へ出て、『朧月あやかし恋絵巻』の者たちは怨霊を見つめた。


 その隣では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が刀を抜き、黒い核へ刃を向けている。


 パードが目を輝かせた。


「何かビジュ変来そう!」


「今言うな!」


 詠女は、シャーホムズとワトゾンが同時に立ったことを見逃さなかった。


「今の同時に立つ感じ、推理バディの完成度が――」


「空気読め!」


「読んでます!」


「黙れ!」


 黒い核が、怨霊の胸元から浮かび上がった。


 大きく膨らみ、部屋全体が暗くなる。


 水が渦を巻き、風が吹き荒れた。


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が踏み込み、黒い核へ刀を振り下ろそうとする。


 その瞬間。


 ポンッ!!


 あまりにも軽い音がした。


 水が勢いよく宙へ弾ける。


 濡れて長かった黒髪が、一瞬で短くなった。


 髪が乾き、隠れていた額と顔が現れる。


 水底のようだった瞳は澄み、青白かった肌には温度が戻った。重く濡れていた衣も、軽く清潔な姿へ変わっている。


 怨霊の気配は、まだ残っていた。


 だが。


 そこに立っていたのは、爽やかで、キラキラしていて、異様に整った顔の男だった。


 全員が固まった。


 晴明も。


 逃げ姫も。


 女房たちも。


 王子たちも。


 聖職者たちも。


 海賊も。


 吸血鬼も。


 あやかしも。


 本人まで、自分の乾いた短い髪へ触れたまま固まっている。


 静寂の中で、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、振り上げた刀を止めていた。


 リリアーナは勢いよく立ち上がった。


「誰やねん!!」


 怨霊の正体が爽やかすぎて、誰も本人だと分からなかった。

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