第52話 国王とふわ姫
「姫様、寝てくださいませ」
レイナが言うと、ミレーヌも黒革手帖を閉じた。
「ご報告は、お目覚めになってからです。本日は完全休養でございます」
バルドも扉の横で鈴を鳴らす。
チリン。
「お休みくださいませ」
「三方向から来るな。圧がすごいねん」
波戦争の翌日。
リリアーナの体は、完全に限界だった。
歩けばふらつき、座れば眠気が落ちてくる。立とうとすればレイナが眉を吊り上げ、何か言おうとすればミレーヌが黒革手帖を閉じる。
「姫様が倒れられたら、現場が止まります」
「それ言われたら弱いな」
「では、お休みください」
「……分かった」
リリアーナはベッドへ横になった。
金の髪が白い枕へ広がり、その横では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が壁へ背を預けている。
レイナの光が、柔らかく体を包んだ。
「起きたら報告聞く。勝手に進めるなよ」
「必要なものは進めます」
「進めるんかい」
「現場ですので」
「レイナまでそれ言うようになったな」
「姫様から教わりました」
「俺のせいか」
「はい」
ミレーヌが静かに頭を下げた。
「では、おやすみなさいませ」
バルドが、もう一度鈴を鳴らす。
チリン。
「本日は、ここまでです」
「寝る前に締めるな」
そう言ったところで、視界が白く滲んだ。
眠気が深く落ち、リリアーナは意識を手放した。
目を開けると、白い場所にいた。
何もない。
壁も床もないのに、立っている。
本物のリリアーナが現れた、あの場所だった。
「……またここか」
隣から、聞き慣れた声がした。
「なんやここ」
オヤジがいた。
「次は親子で呼ばれとんかい!」
「知らん。ワシも寝たら呼ばれた」
「お前、何回か呼ばれとんか?」
「三回目や」
「多いな」
その時、凛とした声が響いた。
「お二人とも」
振り返ると、本物のリリアーナが立っていた。
柔らかな金の髪。
透けるような肌。
儚く、美しい姫。
ただし、完全に怒っている。
その隣には、本物のリュミエール国王もいた。
「あなた達、何をしているんですか」
「説教やな」
「説教やな」
「同時に言わないでください」
本物のリリアーナは片手を胸へ当て、二人を見据えた。
「他国を傘下に入れ、貧民街を動かし、工場を増やし、パンを革命にして、舞踏会を波戦争にして、怨霊まで王宮へ入れる。私が知らない間に、国を動かしすぎです」
「舞踏会を波戦争にしたんは俺ちゃうやろ」
「その後を全て動かしたのは、あなたです」
「国が強うなっとるんやから、ええやろ」
オヤジが言うと、本物のリリアーナは眉を寄せた。
「限度があります」
「限度超えてからが国づくりや」
「そのような国づくりはありません」
本物のリリアーナは清司を見る。
「清司様もです。恋愛フラグを全て現場復帰させないでください」
「向こうが勝手に現場向きやったんや」
「恋愛してください」
「出た」
「出たな」
「お父様も、何か言ってください」
リュミエール国王は、しばらく清司とオヤジを見ていた。
そして、静かに首を横へ振る。
「リリアーナ。私は、この二人を責めきれない」
「お父様?」
「悔しいが、私なら他の王たちと同じく、あの波を前に怯えて何もできなかっただろう」
白い空間が静かになった。
「王でありながら、何を守ればよいのかも、誰をどこへ逃がせばよいのかも分からず、ただ波を見ていたはずだ」
国王はオヤジを見る。
「貴方は最後まで残り、王族と貴族を逃がした。自分は濡れたまま、彼らを安全な場所まで動かした」
次に、清司を見る。
「貴方は令嬢や若い者たちを動かし、使用人たちにも逃げ道を示した。現場を見て導線を作り、誰一人死なせなかった」
国王は、悔しそうに笑った。
「怨霊やあやかしが現れた時も、私なら恐れて遠ざけていただろう。だが貴方は、敵かどうかではなく、何ができる者なのかを見た」
「私には、できない」
「ちゃんと分かっとるやんけ」
「清司様」
「腹立つくらい分かっとる」
オヤジが笑った。
「ええ王やな。己が動けんかったことを認めて、次に生かせる王は伸びる」
リュミエール国王は、静かに頭を下げる。
「その言葉は、重く受け取ろう」
「お父様。褒めないでください。私たちは説教をしているんです」
「褒めるべきところは、褒めるべきだ」
本物のリリアーナは、こめかみを押さえた。
「とにかく、国を動かす前に、ご自分の体を大事にしてください。このままでは、私の体が持ちません」
清司の目が細くなった。
「それや」
「はい?」
清司は刀を肩から下ろした。
「お前の身体、弱すぎなんじゃ!」
刀が振り下ろされる。
「キャーーー!!」
本物のリリアーナが頭を抱えて逃げた。
刃は当たらない。
だが、清司は止まらない。
「ちょっと走っただけで倒れよって!」
斬り。
「キャーーー!!」
「飯食うても身につかん!」
斬り。
「私のせいではありません!」
「足腰も弱い!」
斬り。
「キャーーー!!」
リュミエール国王が、娘を庇おうと前へ出た。
「待て! 娘に何をする!」
「王もや!」
「私もか?」
「姫を甘やかしすぎや! 走らせろ!」
斬り。
「うわーーー!!!」
国王も逃げた。
本物のリリアーナと国王が、白い空間を必死に走り回る。
オヤジは腕を組み、満足そうに頷いていた。
「もっとやれ」
「お父様を止めてください!」
「足上がっとらんぞ!」
「今、初めて走っているんです!」
「王も遅い!」
「私は王だぞ!」
「王でも走れ!」
斬り。
「うわーーー!!!」
「清司様! 刀を収めてください!」
「体力ついたらな!」
「この場所で体力はつきません!」
「気合いや!」
「気合いで体質は変わりません!」
オヤジが笑う。
「ええ運動になっとるやないか」
「あなたも止めてください!」
「ワシはもっとやれ言うた側や」
「知っています!」
しばらくして、清司は刀を肩へ戻した。
本物のリリアーナと国王は、白い場所で膝をついている。
「私の体を大事にしてくださいと申し上げた直後に、なぜ斬りかかるのですか」
「当ててへんやろ」
「そういう問題ではありません」
「走れたやんけ」
「追われたからです!」
「結果は出とる」
「最悪の現場主義です」
リュミエール国王も息を切らしている。
「娘を鍛える必要があることは、理解した」
「お父様?」
「だが、刀で追う必要はない」
「せやな」
「オヤジまで納得すな」
本物のリリアーナは立ち上がり、乱れた髪を整えた。
「恋愛の話へ戻します」
「まだやるんか」
「清司。麗奈そっくりの令嬢、どうや」
オヤジが聞くと、清司は顔をしかめた。
「俺の体、女やぞ」
「知っとるわ」
「あの子は要る」
オヤジの声から、ふざけた色が消えた。
「セレスティア嬢のことですか」
国王が尋ねると、オヤジは頷いた。
「清司はレイナ言うとるけどな」
「勝手に名前を変えないでください」
「魂が似とるからしゃあない」
「しゃあなくありません」
オヤジは清司を見る。
「あの子は、魔法が強いから要るんやない。いや、魔法もえげつないけどな。あれは、底が見えん」
リュミエール国王も頷いた。
「セレスティア嬢の魔力は極めて強い。だからこそ、見えているのでしょう」
「何がや」
「貴方です」
白い空間が静かになる。
「リリアーナの傍らに立つ、清司殿の姿が見えている」
清司は黙った。
オヤジが鼻を鳴らす。
「あの子は、本物のお前を見とる。けど、それだけやない。姫の姿のお前も、弱い体も、全部まとめて受け入れとる」
「……そうなんか」
「見えていても逃げない。恐れもしない。むしろ、貴方の横へ立とうとしている」
国王の言葉に、オヤジも頷いた。
「波の中でも逃げへんかった。お前が無茶する前に気づいて、倒れる前に支えて、止めなあかん時は止める。それでも動かなあかん時は、黙って魔法を撃った」
「国に要る女や」
清司は腕を組んだ。
「それは分かっとる」
「お前にも要る」
「国に要るから、俺にも要るんや」
「逃げたな」
「逃げてへん。順番の話や」
清司はオヤジを見る。
「まず国や。国が潰れたら、横におる奴も守れん」
「ワシも同じや」
「せやろ」
「そこで意気投合しないでください」
本物のリリアーナが頭を抱えた。
「お二人とも、恋愛より国なのですね」
「当たり前や」
「国が先や」
清司とオヤジが同時に答えた。
リュミエール国王は、少しだけ笑った。
「だが、国は一人では守れない」
清司が国王を見る。
「貴方が現場を見る者なら、セレスティア嬢は、貴方が倒れないように支える者だ。貴方を止めることも、動かすこともできる」
「ミレーヌも有能やぞ」
「分かっとる。あれは相棒や」
「相棒」
「あの女は、お前が流した言葉を拾って残す。お前の現場を、次へ渡せる形にする」
国王も頷いた。
「国が大きくなる時、記録する者は必要だ。残らなければ、次へ渡せない」
オヤジは指を折る。
「ミレーヌは相棒。バルドは兄弟。セレスティア嬢は、お前を丸ごと見て横に立つ女や」
「分類が雑やな」
「雑やない。持ち場や」
「また持ち場にしよる」
「人は、立つ場所で強くなるんや」
「バルドは兄弟なんか」
「あいつは姫として守って、若頭として認めとる。間違えたら締めて、必要なら鈴鳴らして終わらせる。兄弟やろ」
「兄弟に締められる姫ってなんや」
「お前や」
「嫌な納得やな」
本物のリリアーナが、深いため息をついた。
「なぜ恋愛の話が、人材配置の話になっているのですか」
「私にも分からない」
国王は真面目に答えた。
「だが、妙に納得してしまう」
「納得しないでください」
オヤジは腕を組んだ。
「あの令嬢は国に要る。あの子がおらんかったら、清司は動けんかった。死人が出たら国は荒れる。つまり、あの子は国を止めんかった女や」
「魔法が強い。逃げへん。俺の横に立てる。止める時は止める。必要な時は動かす」
清司は少し黙った。
「……それに、俺が礼を言える」
白い空間が静かになった。
本物のリリアーナの目が輝く。
「それです。そこから恋愛に」
「国に必要な仲間や」
「清司様!」
「間違うてへんやろ」
「間違ってはいませんが、足りません」
「何がや」
「気持ちです」
「気持ちだけで国は守れん」
「国の話から離れてください」
「離れられるか。あいつも国に仕えとる人間やぞ」
オヤジが笑った。
「まだ整理しとるな」
「整理は大事や」
「それを逃げる言うんや」
「逃げてへん」
本物のリリアーナは、清司をまっすぐ見た。
「支え合うこと。止めること。横に立つこと。必要だと認めること。それも、愛の形ではありませんか」
清司は答えなかった。
波の中でも、レイナは横にいた。
倒れそうになれば支え、無茶をすれば止めた。
それでも動かなければならない時は、何も言わずに魔法を撃った。
清司を見ている。
姫の姿も見ている。
そのどちらからも逃げなかった。
「……愛かどうかは知らん」
「清司様」
「せやけど、あいつがおらんかったら困る」
本物のリリアーナが、少し目を見開く。
「国も困る。俺も困る。必要な仲間になっとる。それは、間違いない」
オヤジが口元を上げた。
「今は、それでええ」
「先ほどから、国に必要としか言っていません」
「国に必要な奴を、俺が必要や言うとるんや。十分やろ」
「十分ではありません」
「欲張るな」
「恋愛物語の主人公として当然の希望です」
「もう王国経営の主人公やろ」
「開き直らないでください!」
国王が、穏やかに笑った。
「恋愛の形は、変わるのかもしれない」
「お父様?」
「この者たちは、誰かを必要だと思う時でさえ、国と切り離せない。だが、国を守るために必要だと思った者を、命懸けで守るのだろう」
清司とオヤジは、何も言わなかった。
「それもまた、この者たちなりの情なのではないか」
本物のリリアーナは、少しだけ考えた。
「……不器用すぎます」
「あぁ」
「否定せんのかい」
オヤジが笑った。
国王は清司を見る。
「国を広げるなら、支える者を置け。貴方には、セレスティア嬢のような者が必要だ」
次に、オヤジを見る。
「貴方にも、止める者が必要だ」
「ワシは止まらん」
「でしょうね」
「分かっとるやんけ」
「分かってきた」
本物のリリアーナは、もう一度ため息をついた。
「説教するつもりだったのに、なぜお父様がこの方々を褒めているのですか」
「褒めるところが多いからだ」
「先ほど、刀で追い回されていましたよね」
「あれは別だ」
「何が別なのですか」
最後に、本物のリリアーナは清司を見る。
「清司様。私の体を、大事にしてください」
「あぁ。借りとる体や。大事にする」
「本当ですか」
「まず走らせる」
「キャーーー!!」
清司が刀へ手をかけると、本物のリリアーナが国王の後ろへ隠れた。
「もう十分走りました!」
「お父様、守ってください!」
「私も先ほど斬られたばかりだ!」
オヤジが楽しそうに笑う。
「次は王も一緒に走れ」
「なぜ私まで!」
「国王も体力や!」
「うわーーー!!!」
白い光が強くなる。
本物のリリアーナと国王の悲鳴が遠ざかり、最後に聞こえたのは、オヤジの笑い声だった。
リリアーナは目を覚ました。
王宮の客間。
柔らかな布団。
窓から入る朝の光。
すぐ横には、レイナが座っていた。
「姫様。お目覚めですか」
「あぁ」
「お身体は」
「だいぶ楽や」
「よかったですわ」
レイナの表情が、柔らかくほどけた。
ベッドの横では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、レイナを見ていた。
姫の姿も。
弱い体も。
中にいる清司も。
その全てを見て、逃げない女。
「姫様?」
「なんでもない」
「何かございました?」
「報告は」
「朝食を召し上がってからですわ」
「レイナ」
「朝食を召し上がってからですわ」
「……強なったな」
「姫様のおかげです」
「俺のせいか」
「はい」
ミレーヌが部屋の隅で黒革手帖を開いた。
「記録します。姫様、レイナ様に押され気味」
「記録するな」
バルドが鈴を鳴らす。
チリン。
「本日は、朝食からです」
「全員で囲むな」
レイナは、にっこり笑った。
「姫様が逃げられますので」
「逃げへん」
「では、召し上がってくださいませ」
差し出された手を見て、リリアーナは少し黙った。
国に必要な魔法使い。
現場で逃げない令嬢。
倒れそうな時に支え、無茶を止め、必要な時には一緒に動く女。
恋愛かどうかは、まだ分からない。
だが、レイナが必要な仲間になっていることだけは、もう否定できなかった。
「……確かに、要るな」
「何がですか?」
「なんでもない。飯食うで」
「はい」
レイナが嬉しそうに笑う。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、その横で少しだけ目を細めていた。




