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ふわ姫若頭  作者: 夜嶋朔
第三章 食卓現場復帰編

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第51話 王宮預かり


 『朧月あやかし恋絵巻』の者たちは、リュミエール王宮で一番広い客間へ入れられた。


 正確には、突っ込まれた。


 畳も御簾も几帳もないが、ベッドはある。紅茶もケーキもパンも用意され、待遇だけは良かった。


 ただし、空気は重い。


 怨霊。


 陰陽師。


 妖狐。


 鬼。


 天狗。


 蛇神。


 逃げてきた姫。


 泣き疲れた女房たち。


 そして、ベッドへ半分潜っている空樹詠女。


 通称、空気読めさん。


「寝るな」


「王宮預かりって、休暇じゃないんですか」


「違う」


「待遇の良い収容ですか」


「保護や」


「言い方の違いでは」


「紅茶とケーキ出しとるやろ。パンもあるぞ」


「待遇は良いです」


「ほな黙って座れ」


「ベッドに座ってます」


「潜るな言うとる」


「境界線が厳しいです」


「王宮やぞ」


 詠女は名残惜しそうに、ベッドから半分だけ出た。


 半分だけだった。


 リリアーナは客間の中央に座り、その隣では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が腕を組んでいた。


 体は重い。


 波戦争の直後である。いくらレイナのヒールがあっても、疲れまで消えたわけではない。


「姫様、お身体が限界ですわ」


「もうちょい」


「姫様の『もうちょい』は信用できませんわ」


「ヒール頼む」


「言われる前にしております」


「助かっとる」


 レイナは少しだけ頬を染めたが、すぐに『朧月あやかし恋絵巻』の者たちへ視線を戻した。


 ミレーヌは黒革手帖を開き、バルドは扉の横で鈴を鳴らす。


 チリン。


「事情聴取を始めます」


「固いな」


「状況が状況でございますので」


「せやな」


 リリアーナは、集まった者たちを順に見た。


 逃げ姫は濡れた袖を握り、女房たちはその後ろで身を寄せ合っている。


 晴明は静かに座って目を伏せ、怨霊は濡れた髪の隙間からこちらを見ていた。


 お稲荷の狐火が揺れ、鬼火は腕を組み、天狗は羽を畳んでいる。


 蛇神の影は、床に残った水跡のように細く伸びていた。


「まず聞く。お前ら、誰の命令で来た」


 客間の空気が変わった。


 逃げ姫が袖を強く握り、女房たちは目を伏せる。晴明は沈黙し、怨霊の髪先から水が一滴落ちた。


 詠女だけが、ベッドの端を掴んだまま口を開く。


「ベッドに入ってからでいいですか」


「今や」


「ですよね」


「答えろ」


 詠女は丸眼鏡を直した。


「信長の命令です」


 リリアーナの目が止まった。


「……信長?」


「はい」


「フルネームは」


「織田信長です」


 その瞬間。


 リリアーナの顔から笑みが消えた。


 隣では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、静かに刀へ手をかけている。


 織田信長。


 知らん名前やない。


 天下布武を掲げ、逆らう者を討ち、力で時代をひっくり返した男。


 そんな男が。


 鎖国した日本で天下を取っている。


「……ほんまに、織田信長なんか」


「名前はそうです。歴史上の本人と同じかは知りませんけど、逆らったら殺されます」


「十分や」


 リリアーナは低く言った。


 名前と姿だけを借りた攻略対象かもしれない。


 史実の織田信長とは、まったく違う男かもしれない。


 それでも。


 逆らう者を殺し、新選組も平安あやかしも、命令ひとつで海の外へ送り出している。


 やっていることは、ただの攻略対象ではない。


 支配者だった。


「今、日本で天下取っとるんやな」


「はい」


「日本中の奴が、信長の命令を聞いとるんか」


「全員かは知りません。でも、命令を断ったら殺されるので、だいたい従います」


 その一言で、客間の空気が冷えた。


 レイナの表情が変わり、ミレーヌのペンが止まる。バルドの鈴も鳴らなかった。


「命令を聞かなければ、殺される」


 ミレーヌが確認すると、詠女は淡々と頷いた。


「はい。そういう国です」


「……日本がか」


「今は、たぶん」


「たぶん?」


「私も全部は知らないです。情報係じゃないんで、命令されて流されてきただけなんで」


「日本は鎖国しとるんやろ」


「してます」


「人も物も、外へ出さん国や」


「そうです」


「それやのに、信長は命令だけ海の外へ出しとるんか」


「そういう感じです」


 リリアーナは黙った。


 日本は閉じている。


 人も物も情報も、簡単には外へ出ない。


 それなのに、新選組は来た。


 平安あやかしの者たちも来た。


 閉じた国の中から。


 命令と刃物だけが、海を越えてくる。


「……気色悪いな」


 詠女は小さく頷いた。


「私もそう思います。鎖国してるなら、ちゃんと引きこもっててほしいです」


「言い方」


「外に出す時だけ人を使うの、普通に嫌です」


「この前来た新選組も、信長の命令か」


「そう聞いてます」


「新選組まで従わせとるんか」


「従わないと殺されるんで」


 リリアーナの目が細くなった。


 時代が違う。


 立場も違う。


 本来なら織田信長の下につくはずがない新選組まで、命令ひとつで海を越えてきた。


 日本の中で、何かがおかしくなっている。


「新選組も、平安あやかしも、信長に使われとるんやな」


「はい」


「戦国だけやない。時代の違う乙女ゲーム全部を、信長が押さえとる」


「たぶん、そうです」


「たぶん多いな」


「情報係じゃないんで」


「便利な逃げ文句にすな」


 詠女は、ベッドの端へ少しだけ戻った。


「でも、新選組も平安も戦国も、時代が違うじゃないですか」


「せやな」


「多分、全部乙女ゲームです」


 客間が静かになる。


「……全部?」


「新選組の乙女ゲーム。平安あやかしの乙女ゲーム。戦国武将の乙女ゲーム。そういうのが、日本の中で混ざってます」


「なんでそんなことになっとんねん」


「知らないです。私、情報係じゃないんで」


「それで全部押し通すな」


「時代が違う人たちが同じ日本にいて、それぞれに攻略対象っぽい人がいて、命令だけは信長から来ます。今のところ分かるのは、それくらいです」


 リリアーナは黙った。


 新選組。


 平安あやかし。


 戦国武将。


 時代も物語も違う者たちが、鎖国した日本の中で混ざっている。


 その頂点にいるのが。


 織田信長。


「戦国武将の乙女ゲームもあるんやな」


「多分です」


「そこにもヒロインがおるんちゃうんか」


 詠女が少しだけ黙った。


「……いると思います」


「見たんか」


「私は直接見てないです。でも、信長がいて、攻略対象っぽい武将がいて、命令が通ってて、新選組も平安も外に出されてる。ヒロインがいない方がおかしいです」


「せやろな」


 リリアーナは低く舌打ちした。


「信長ひとりで、こんな乙女ゲームみたいな国を作ったとは思えん。その横に、誰かおる」


「戦国側のヒロインですか」


「たぶんな」


「多分多いですね」


「お前に言われたない」


 詠女は、ぽつりと言った。


「でも、乙女ゲームのヒロインって、だいたい自分が正しいと思ってます」


「正しい?」


「自分が選んだルートが正しい。好きになった人が正しい。自分が救った人が正しい。自分が嫌いな人は悪役。そういう感じになりがちです」


 リリアーナは目を細めた。


「信長は、自分が支配しとるって分かっとる」


「はい」


「けど、自分を正しい物語の主人公やと思っとる奴は、他人を悪役にしても気づかん」


 詠女の目が少しだけ開いた。


「それは、あります」


「信長より、そいつの方が面倒かもしれんな」


 ミレーヌが黒革手帖へ書き込む。


「戦国側にヒロイン存在の可能性。信長とともに日本を支配している恐れあり」


「まだ可能性や」


「危険な可能性ほど、先に記録が必要です」


「腹立つくらい正論やな」


 新選組は、すでに来た。


 平安の船も流れてきた。


 次は戦国。


 その全てが、織田信長の命令で動いている。


 乙女ゲームの攻略対象が、国の支配者になっている。


 その横には。


 自分を物語の中心やと信じるヒロインがいるかもしれない。


「……日本、思っとったより危ないな」


「はい。かなり、だるいです」


「だるいで済ますな」


「でも、だるいです。あと、普通に怖いです」


 リリアーナは、集まった者たちを見た。


 逃げてきた姫。


 泣き疲れた女房たち。


 命令で流された陰陽師。


 未練に沈んだ怨霊。


 行き場のないあやかし。


 そして、まだベッドを諦めていない主人公。


 敵ではない。


 使われた現場だ。


「分かった。お前らは、日本に帰らん方がええ」


 逃げ姫が、はっと顔を上げる。


「ですが……」


「帰ったら、また使われる。命令聞かな殺される。理由も知らんまま、またどっかへ流される。そんな場所へ戻す理由がない」


 怨霊が濡れた髪の隙間から笑った。


「では、我らをどうする」


「まず、ここで預かる」


「使うのか」


「使える奴は使う。ただし、命令で使うんやない。持ち場を作る。困っとる奴は保護する。危ない奴は見張る。働きたくない奴は働かせる」


「最後、私のことですか」


「お前のことや」


「ですよね」


「待遇は?」


「ベッドと紅茶とケーキ。あとパン」


「悪くないです」


「仕事もある」


「そこが問題です」


「問題ちゃう。現場復帰や」


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、ゆっくり腕を解いた。


 ミレーヌとレイナには、その姿が見えている。


 平安あやかしの者たちには見えていない。


 それでも、本能で悟った。


 これは、ただの姫ではない。


 細くて、儚くて、今にも倒れそうなのに、この部屋の現場を握っている。


「暫定で持ち場を決める」


 誰も逆らわなかった。


「晴明」


「はい」


「王宮と港の結界を見る。異界の裂け目がないか確認せぇ。ただし、勝手に術かけるなよ」


「心得ております」


「心得てる奴の顔やないな」


「陰陽師ですので」


「返事になってへん。お稲荷」


 狐火が明るくなる。


「夜間作業の灯りと、商人街の見回りや。悪さすんなよ。あと、パン盗むな」


「狐をなんだと思っている」


「盗みそうな顔」


「見る目があるな」


「やっぱりか」


 ミレーヌが書いた。


「お稲荷、パン窃盗警戒」


「書くな」


「重要です」


「鬼火」


「ああ?」


「力仕事」


「雑だな」


「鉄ちゃん組に入れ。持ち上げて、運んで、壊してええもんだけ壊せ」


「壊していいものを先に言え」


「そこは偉いな」


「その鉄ちゃんという男は強いのか」


「現場が強い」


「意味が分からん」


「会えば分かる。たぶんお前、怒鳴られるで」


「鬼に怒鳴る人間か」


「おる」


「面白い」


「壊すなよ」


「まだ壊していない」


「まだ、が怖い。天狗」


「なんだ」


「偵察、高所作業、風。港と屋根と森を見る。あと、濡れた布と木材を乾かせるか」


 天狗は一瞬黙った。


「天狗を洗濯場扱いする気か」


「洗濯場も大事な現場や」


「……乾かせる」


「ほな頼む」


 天狗が羽を広げると、客間の空気が動き、濡れた女房たちの袖が少しだけ軽くなった。


「温かい……」


 女房の一人が呟くと、天狗は顔を背けた。


「たまたまだ」


「ええ仕事や」


「仕事か」


「せや」


「なら、やる」


「蛇神」


 床の影が揺れた。


「水路、排水、港の水の流れ。鉄ちゃん組と、迎賓館の改修を見る。水で人を沈めるんやなくて、水を逃がす」


「流す先を変える、か」


「そうや。今回の迎賓館、水の逃げ道が悪い。お前なら分かるやろ」


「分かる」


「ほな頼む」


「水は怒らせるものではない。通すものだ」


「ええやんけ。それ、現場で言え」


 リリアーナは、逃げ姫と女房たちへ声を柔らかくした。


「お前らは、まず休め。着替えて、食って、寝ろ。その後、日本のことや船のことを、覚えとる範囲で話してもらう」


 逃げ姫が震える声で尋ねた。


「私たちは、働かなくてもよいのですか」


「今はな。逃げてきた奴に、いきなり働けとは言わん。まず立て直せ」


 女房の一人が泣き出し、それにつられるように別の女房も涙をこぼした。


「落ち着いたら、手伝ってもらう」


「私に、できることがあるのでしょうか」


「ある。お前らは、平安側の礼や衣、言葉や作法を知っとる。あやかしとの距離も知っとる。次に流れてくる奴を助けるために、教えてもらう」


「それも……仕事ですか」


「仕事や。逃げてきた奴が、次に逃げてきた奴を助ける仕事や」


 泣き声が、少しだけ変わった。


 悲鳴ではない。


 息を取り戻す声だった。


 最後に、リリアーナは怨霊を見る。


「怨霊」


「我をどう使う」


「まだ使わん」


「ほう」


「お前は危ない。何で怨霊になったかも分からん。何を恨んどるかも、何を待っとるかも分からん」


「我を裁くのか」


「違う。まず見る」


 隣では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、怨霊をまっすぐ捉えている。


「祓って終わりの相手か。抱えるべき相手か。別の形にできる相手か。今は、まだ決められん」


 怨霊の笑みが、わずかに消えた。


「別の形」


「せや。お前だけは、保留や」


「我を恐れるか」


「恐れとる。だから、雑に触らん」


「正直だな」


「嘘ついて現場は回らん」


 詠女が小さく手を上げた。


「私は?」


「日本側の聞き取り。平安あやかしの者たちの通訳。関係性の観察」


 詠女の目が、少しだけ開いた。


「関係性の観察」


「好きやろ」


「好きです」


「ほな働け」


「晴明様と怨霊さんの湿度も見ていいですか」


「邪魔せん範囲でな」


「働きます」


「早いな」


「湿度のためなら」


「最低で最高やな」


 ミレーヌが頷いた。


「適材適所です」


 その時、レイナがリリアーナの肩へ手を添えた。


「姫様、ここまでです」


「まだ話が」


「ここまでです」


「レイナ」


「ここまでです」


 体が、言葉より先に傾いた。


 レイナがすぐに支える。


「ほら」


「ほら言うな」


「言いますわ。姫様が倒れたら、現場が止まります」


「……正論やな」


 バルドが鈴を鳴らした。


 チリン。


「本日は、ここまでです」


 詠女が、そっとベッドへ戻ろうとする。


「お前は寝るな」


「本日は、ここまででは?」


「事情聴取が終わっただけや。風呂入れ。着替えろ。飯食え。それから寝ろ」


「工程が多いです」


「人間の生活や」


「社会復帰、難しいです」


「現場復帰の前に生活復帰やな。パン食うか」


「食べます」


「そこは早いな」


 リリアーナは、ふと詠女の丸眼鏡を見た。


 分厚く見えるが、光の抜け方がおかしい。


「……お前、それ」


「はい?」


「眼鏡、度入ってへんやろ」


 詠女が、ぴたりと止まった。


「伊達です」


「なんでそんなんかけてんねん!」


「攻略対象からのイベント防御です」


 客間が静まり返る。


「眼鏡をかけて、髪をぼさぼさにして、できるだけ地味にして、壁っぽくしてたら、攻略対象に絡まれる確率が下がるかなって」


「下がったんか」


「下がらなかったです」


「意味ないやんけ!」


「でも、気持ちの問題です」


「気持ちで乙女ゲーム防御すな!」


「恋愛イベントは体力を使うので」


「仕事より嫌がるな」


「仕事も嫌です」


「全部嫌やんけ!」


 ミレーヌが黒革手帖へ書き込む。


「空気読めさん、伊達眼鏡による攻略対象イベント防御を試みるも失敗」


「記録しないでください」


「重要な転生者生態です」


「生態って言われました」


 日本は鎖国している。


 だが、命令だけが海を越える。


 新選組も来た。


 平安あやかしの者たちも来た。


 織田信長。


 その横にいるかもしれない、戦国乙女ゲームのヒロイン。


 まだ、何も分からない。


 だが、分かったこともある。


 こいつらは、帰すべきではない。


 捨てるべきでもない。


 使われた現場なら、組み替えればいい。


 行き場がないなら、持ち場を作ればいい。


 ただし、怨霊だけはまだ保留だった。


 なお、詠女の伊達眼鏡は、攻略対象イベントを一つも防げていなかった。

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