第49話 壇ノ浦の戦い
「……これって、壇ノ浦?」
リリアーナが呟いた直後、赤い霧と白い札が会場の中央でぶつかった。
ティオの指先から伸びた霧を、晴明の札が受け止める。
狐火が跳ね、黒い翼が広がり、鬼火の足が濡れた大理石を踏み割った。
ヨホークが剣を抜けば、天狗の風が横から刃を弾く。
シャチが水を裂き、蛇神の影を押し返した。
スイチョは水面を走りながら、淡々と告げる。
「右、蛇。上、天狗。前、鬼」
「単語が怖い!」
濡れたゼブラ柄のドレスで、パードが笑っていた。
「和風怪異対西洋ホラー。黒船沈没。赤霧と札。絵面強すぎ」
「お前、怒れ!」
「怒ってる! でも撮れないのが悔しい!」
「撮るな!」
キャプテントュリラーが牙を見せた。
「俺の船を沈めた代償は高いぞ」
怨霊が、水の中でゆらりと笑う。
「船は沈むものです」
「ならば、お前も沈める」
「すでに沈んでおります」
「会話が暗い!」
リリアーナは水を蹴り、争う者たちの間へ進んだ。
隣では、刀を肩に担いでいた黒スーツ姿の清司が怒りのまま一歩踏み出す。
鞘から抜かれた刃が、赤い霧と白い札の間を走った。
ぶつかり合っていた力が、一息に斬り離される。
「全員、殺すな! 止めろ! 船は作れる! 命は作られへん!」
キャプテントュリラーがリリアーナを見た。
「船は本当に作れるのだろうな」
「鉄ちゃん組に頼む!」
「誰だ、それは」
「腕のいい連中や!」
「ならば信じよう」
「信じるの早いな!」
「黒王子の言葉だからっしょ」
パードが言うと、リリアーナは睨み返した。
「黒王子じゃない!」
「じゃあ現場王子?」
「もっと嫌や!」
ぱちん、とレイナの扇が鳴った。
「馴れ馴れしいですわよ、パードさん」
「今それどころちゃうやろ!」
「防衛は常時ですわ」
「ほんまブレへんな!」
その間にも、リリアーナは会場の流れを見ていた。
バルドが左の回廊へ子どもと足の悪い者を通し、給仕姿のミレーヌが貴族たちを奥へ誘導している。
エリオットはグランヴェール兵を動かし、ノエルも流されかけた子どもの手を握っていた。
避難は進んでいる。
残っているのは、怒りで前へ出る海賊と、怨念に引かれるあやかしたち。
「レイナ!」
「ヒールですわ!」
「まだ何も言うてへん!」
「どうせ走りますわ」
「読まれすぎやろ!」
淡い光がリリアーナの足を包み、水の中でも踏み込める力が戻った。
「姫様、まだいけますわ」
「便利すぎる」
「愛ですわ」
「言い方!」
ミレーヌが、避難誘導を続けながら黒革手帖へ書き込む。
「レイナ様、ヒール連打によりリリアーナ様の現場稼働時間を延長」
「記録すな!」
「重要ですので」
「ほんまに重要やから困る!」
その時、平家の船から逃げ姫の悲鳴が響いた。
「怨霊様、もうおやめください……!」
濡れた姫は震えながら、怨霊へ手を伸ばしていた。
「ここは都ではありません。ここにいる方々は、私たちを沈めた方ではありません」
怨霊の動きが、わずかに止まる。
晴明も札を構え直した。
「姫の言う通りです。ここは別の世。怨みを流し込む先ではない」
怨霊は、薄く笑った。
「では、我らはどこへ流れ着けばよい」
戦いの音の奥に、別のものがあった。
逃げてきた者。
流れ着いた者。
滅びの匂いをまとった船。
ただ暴れているのではない。
行き場を失っている。
刀を下げた黒スーツ姿の清司は、怨霊と逃げ姫を見ていた。
怨霊の目。
逃げた姫の目。
泣き疲れた女房たちの目。
そして船の中央では、空樹詠女が相変わらず涅槃像のように横たわっている。
濃い。
あまりにも濃い。
けれど、見えていた。
こいつらには持ち場がない。
だから流れてきた。
だから荒れる。
「空気読めさん!」
「はい、無理です」
「返事早いな!」
「働きたくないです」
「今から働け!」
「働いたら負けだと思ってるんですけど」
「負けてええから働け!」
「えー」
「お前、主人公やろ!」
「不本意ながら」
「だったら、お前がこいつらの話聞け!」
詠女が、少しだけ顔を上げた。
「私が?」
「晴明と怨霊の湿度が見たいんやろ。逃げ姫の逃げ場も見えてるんやろ。あやかしどもの関係性も見たいんやろ」
「見たいです」
「ほな沈めるな。関係性は、生きてる方が続く」
詠女が、ぴたりと止まった。
「……それは、そう」
「そうやろ」
「死別も美味しいですけど」
「空気読め!!」
「すみません」
だが、詠女はほんの少しだけ起き上がった。
涅槃像から、だらしない座り姿へ。
「晴明様、怨霊さん」
二人が振り返る。
「ここで全員沈めても、カプは進展しません。でも、一回ちゃんと話し合えば湿度は深まります」
「何の話や!」
晴明は黙った。
怨霊も黙った。
効いていた。
「効くんかい!」
詠女は、ぼさぼさの髪をかき上げた。
「逃げ姫さんは、逃げ場がないから泣いてるんですよね。お稲荷さんも、鬼火さんも、天狗さんも、蛇神さんも、この舞踏会へ来たかったわけじゃない。信長の命令で来ただけです。来たら西洋ホラーとぶつかって、ついでに船を沈めた。それは普通に謝った方がいいです」
「やっと空気読んだな」
「読んだら負けだと思ってました」
「なんの勝負や!」
怨霊が、水の中で揺れた。
「謝れば、船は戻るのか」
「戻らん」
リリアーナは即答した。
「でも船は作れる。その代わり、お前らも水止めろ。これ以上沈めるな。話はそれからや」
キャプテントュリラーが牙をしまう。
「前より強い船だ」
「それは鉄ちゃんと相談や」
「赤い帆は残す」
「好きにせえ」
「牙の彫刻も」
「好きにせえ」
「大砲も」
「相談や」
「なぜそこだけ渋る」
「危ないからや!」
パードが手を叩いた。
「次の船、オーダーメイドじゃん。パードのドレスと一緒」
「一緒にすな!」
その時、水面が光った。
亀に乗った少年が、顔だけ出した。
「ねえ」
「戻ってきたんか!」
「波、塞げるよ。でも誰かが向こう側から押してる。たぶん、あの黒い人」
少年は怨霊を指した。
「私は、沈めているだけです」
「悪びれろ!」
「沈むことしか、知らぬので」
刀を下げた黒スーツ姿の清司の目が細くなる。
沈むことしか知らない。
それなら。
「沈めるな。流せ」
リリアーナが言うと、怨霊の目がわずかに動いた。
「何を」
「怨みや。ここで沈めるんやない。流す先を変えろ」
リリアーナは、濡れた船を指した。
「お前ら、流れ着いたんやろ。なら、ここで沈める側になるな。今度は、流れてきたもんを受け止める側になれ」
晴明が目を細める。
「受け止める側……」
「逃げてきた姫も、泣いとる女房も、行き場ないあやかしも、沈むしかない怨霊も、全部まず生かす」
詠女が、ぼそっと言った。
「働く流れでは?」
「働け」
「ですよね」
逃げ姫が、そっと怨霊の袖を掴んだ。
「もう、沈めとうございません」
小さな声だった。
けれど、届いた。
怨霊の笑みが薄くなる。
「……では、どこへ」
リリアーナは即答した。
「王宮や」
「王宮?」
「一旦、保護や。話聞く。危ない奴は分ける。困っとる奴は助ける。処遇はその後や」
怨霊は、初めて笑わなかった。
水が少しだけ静かになる。
少年が亀の甲羅を撫でた。
「じゃあ、閉じるね」
「頼む!」
亀が首を上げる。
「波の中の都を、一度閉じます」
「お前が言うと怖いねん!」
水面に丸い波紋が広がった。
波紋は床を走り、窓へ向かい、港へ抜けていく。
流れ込んでいた水が、ゆっくりと引き始めた。
白い札が落ち、赤い霧が薄くなり、鬼の影が止まる。
天狗の風も収まり、蛇神の影は細い水路のように縮んでいった。
刀を抜いていた黒スーツ姿の清司も、静かに刃を鞘へ戻して肩に担ぐ。
黒い船は、沈んだままだった。
白パンも沈んだまま。
ジャムパンも帰ってこない。
クリームパンだけが、妙にしぶとく浮いていた。
「クリームパン、強いな」
ノエルが呟いた。
「そこ感心するとこちゃう」
「でも浮いてるよ」
「浮いてるけどな」
リリアーナは、水の引いた床を見渡した。
避難した貴族。
濡れた令嬢。
泣き疲れた女房。
あやかし。
海賊。
パン。
船。
全部、めちゃくちゃだった。
「ミレーヌ」
「はい」
「怪我人確認」
「チョップ様が救護へ向かっています」
「バルド」
「避難者を確認中です」
「レイナ」
「ヒールは、まだ継続可能ですわ」
「無理すな」
「姫様こそ」
ミレーヌが黒革手帖を閉じた。
「なお、死者なし」
その一言に、リリアーナは少しだけ黙った。
それから、低く笑う。
「なら、まあええか」
舞踏会は、始まる前に終わった。
会場は水浸し。
パンは沈み。
船も沈み。
あやかしが流れ着いた。
それでも。
誰も死ななかった。
リリアーナが車椅子なしで参加するために鍛えた舞踏会は、踊る前に壇ノ浦になった。




