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ふわ姫若頭 〜恋愛フラグを全部現場復帰させたら、女王ルートが開きました〜  作者: 夜嶋朔
第二章 学園現場復帰編

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第40話 パン、不味い


 リリアーナは、王宮の廊下をゆっくりと歩いていた。


 一歩。


 もう一歩。


 静かな足音が落ちるたび、白と淡い金のドレスの裾が揺れる。


 隣にはバルド。


 少し後ろには、黒革手帖を持ったミレーヌ。


 そして、リリアーナの横では、黒スーツ姿の清司が刀を肩に担いで歩いている。


 長い距離ではない。


 走れるわけでも、階段を好きに上り下りできるわけでもない。


 それでも、王宮内なら少しずつ歩けるようになっていた。


「……いけるやん」


 リリアーナが言った。


 バルドが隣で頷く。


「歩幅が安定しています」


 ミレーヌも歩きながら黒革手帖を開いた。


「前より、ふらつきも減りました。王宮内の短距離移動は補助付きで可能。休憩を挟めば、複数区画の移動も視野に入ります」


「そこまで来たか」


「はい」


 リリアーナは廊下の柱に手を添え、ゆっくりと息を整えた。


 少し息は上がっている。


 けれど、倒れ込むほどではない。


 以前なら、部屋の端まで移動するだけで体力を使い果たしていた。それが今は、自分の足で王宮の廊下を歩いている。


 ふわふわの姫の体も、少しずつ現場へ戻り始めていた。


「姫様」


 バルドが静かに鈴を鳴らした。


 チリン。


「本日は、ここまでです」


「出たな」


「必要です」


「せやな。ここで調子乗ったら終わる」


「はい」


 リリアーナは、廊下に用意されていた椅子へ座った。


 バルドが水を差し出し、ミレーヌが脈と呼吸を確認する。黒スーツ姿の清司は刀を肩に担いだまま、廊下の先を見ていた。


 王宮。


 学園。


 工房。


 工場。


 そして、先ほど終わったレセプションパーティー。


 この体で、ずいぶん動いた。


 歩けなかった姫が、今は王宮内を歩けるようになった。


 恋愛イベントどころではなかった体も、少しずつ自分の持ち場へ戻っている。


「……悪くないな」


 リリアーナが小さく言うと、ミレーヌが顔を上げた。


「清司さん。順調です」


「せやな」


「ただし、無茶は禁止です」


「分かっとる」


「分かっている人は、そこまで即答しません」


「うるさいな」


「相棒ですので」


「便利な言葉にすな」


 その時、廊下の向こうから王宮の使いが駆けてきた。


「姫様。国王陛下がお呼びです」


 リリアーナが顔を上げる。黒スーツ姿の清司も、廊下の向こうへ視線を向けた。


「オヤジが?」


「はい。至急とのことです」


「至急……」


 ミレーヌが黒革手帖を閉じた。


「嫌な予感がします」


「俺もや」


 バルドはすぐに車椅子を用意した。


「移動は車椅子で」


「歩けるようになった余韻、もう終わりか」


「必要です」


「せやな」


 リリアーナは車椅子に座った。


 歩けるようにはなったが、急ぎの呼び出しに徒歩で向かえるほど、まだ体力は戻っていない。


 王宮の廊下を車椅子が進むと、王宮の者たちは自然に道を開けた。


 以前とは違う。


 ただ、体の弱い姫を見る目ではない。


 葉巻と煙草の産業を動かし、工場を作り、重要書類を守り、レセプションパーティーを成功させた姫を見る目だった。


 そして、その中身が元若頭であることを知っている者たちは、静かに頭を下げていく。


 やがて大きな扉の前へ着くと、バルドが静かに扉を開けた。


 部屋の中には、国王と王妃がいた。


 国王は葉巻をふかし、王妃は煙草を細くふかしている。


 王宮の空気は、もうすっかり新しい嗜好品に馴染んでいた。


「来たか」


 国王が言った。


「来たで。急ぎってなんや。ファイルか、新選組か、工場か」


「パン、不味い」


 沈黙。


 リリアーナは国王を見た。


 黒スーツ姿の清司も、国王を見ている。


 ミレーヌの手が黒革手帖の上で止まり、バルドも鈴を鳴らさなかった。


「……急になんや」


「パン、不味い」


「二回言うな」


「言うやろ」


 国王は、テーブルの上に置かれたパンを指した。


 硬そうだった。


 見るからに硬い。


 食べ物というより、何かの建材のようである。


「なんや、この世界のパンはよ。スープにつけんと食べられへんって、どういうことや。そのまま噛んだら顎やられるぞ」


「それは俺も思っとった」


「ダンボール食うてるんか思う」


「めっちゃ言うやん」


 王妃も煙草をふかしながら頷いた。


「でも分かるわ。硬いし、重いし、味もない。朝から出されたら気分下がる」


「姐さんもか」


「そこまでや」


 ミレーヌが黒革手帖を開いた。


「たしかに不味いですよね。私も、なんだこれはと思っていました」


「お前も思っとったんかい」


「はい。記録するべきか迷っておりました」


「パンの味をか」


「生活の質に関わりますので」


「正論やな」


 バルドはテーブルのパンを静かに見つめ、鈴を鳴らした。


 チリン。


「改善が必要です」


「お前まで言うんか」


「必要です」


「パンに対しても必要言うんか」


「はい」


 国王は葉巻をふかしながら、テーブルのパンを睨んだ。


「葉巻は吸えた。煙草もできた。工場もできた。貧民街も少し潤った。レセプションも大成功やった。ほな、次や」


「切り替え早すぎるやろ」


「パン、不味い」


「三回目やぞ」


「三回言うくらい不味い」


 リリアーナもテーブルのパンを見た。


 ずっと思っていた。


 この世界のパンは、不味い。


 硬い。


 パサつく。


 香りも弱い。


 スープに沈めて、ようやく食べ物になる。


 最初は姫の体が弱いから、そう感じるのかと思っていた。


 けれど、違う。


 普通に不味い。


「……まあ、確かにな。パンがこれやと、庶民もきついな」


「せやろ」


「貴族のパンでこれなら、下はもっときつい。保存食の問題もあるし、小麦の挽き方、焼き方、発酵、窯。全部見直しやな」


 ミレーヌは、すでに黒革手帖へ書き始めていた。


「麦製品改善案。対象はパン、焼き菓子、保存食、麺類候補」


「待て。麺類候補ってなんや」


「麦製品すべてを見直すと、おっしゃいましたので」


 国王が葉巻をふかした。


「麦製品、全部叩き直せ」


「範囲広がったな」


「パンだけ直して終わりやと思うなよ。小麦粉使うもん全部や」


「思ってへんけど……言うたな?」


「言うた」


「オヤジ、葉巻吸えたからって欲求解放されすぎやろ」


「今まで我慢しとったんや」


「一番は葉巻やったんやな」


「当たり前や」


「当たり前なんや」


 王妃が笑った。


「ずっと言うてたもんな。葉巻吸いたいって」


「米より先やったな」


「米も食いたい」


「まだ言うな」


 国王は、テーブルのパンを指で叩いた。


 こん。


 食べ物が出していい音ではなかった。


「なんとかせい」


「今、こんって鳴ったぞ」


「鳴るパンや」


「嫌やな」


「麦製品全部、現場見てこい」


「また現場か」


「現場復帰、得意やろ」


「得意の使い方間違っとる」


「リリアーナ」


 国王の声が、少しだけ変わった。


 国王ではなく、オヤジの声だった。


「国の飯は、国の力や。パンが不味いっちゅうことは、毎日の飯が弱いっちゅうことや」


 王妃も煙草を灰皿へ置いた。


「毎日の飯が弱いと、人も弱る。働く力も、考える力も、楽しむ力も減っていく」


 ミレーヌが静かに手を止め、バルドも姿勢を正した。


「嗜好品は、心に余裕を作る」


 国王は葉巻をふかした。


「でも、まず飯や」


 リリアーナは、もう一度テーブルのパンを見た。


 硬くて、不味くて、スープにつけなければ食べにくいパン。


 けれど、それを毎日食べている者がいる。


 貧民街の工場で働き始めた者たち。


 王宮で働く者たち。


 学園に通う者たち。


 国中の人間が、これを普通の食事として口にしている。


「……せやな。飯は大事や」


「やろ」


「パン、不味いは腹立つけど、言うてることは合ってる」


「腹立つ言うな」


「急に呼び出して、第一声がパン不味いやぞ」


「不味いからな」


「また言うた」


 ミレーヌが黒革手帖へ記録した。


『第2章終盤。

葉巻・煙草産業、成功。

王宮内歩行訓練、進展。

次期課題、パン不味い。

対象、麦製品全般。

備考、ダンボール食うてるんか思う』


「最後の備考いらんやろ」


「国王陛下の重要発言です」


「重要なんか」


「印象には残ります」


「残るけど」


 バルドが鈴を鳴らした。


 チリン。


「次の現場が決まりました」


「お前、締めに入ったな」


「必要です」


「パンで締めるんか」


「はい」


 国王は葉巻を灰皿へ置いた。


「なんとかせい」


 王妃も煙草を置く。


「朝から美味しいパン、食べたいわ」


「姐さんの方が目的かわいいな」


「大事やろ」


「大事や」


 リリアーナは車椅子の上で、小さく息を吐いた。


 王宮内を歩けるようになった。


 葉巻と煙草は売れた。


 工場は動いた。


 貧民街は少し潤った。


 現場へ戻った者たちは、それぞれの持ち場で輝き始めた。


 これで少し休める。


 ほんの少しだけ、そう思っていた。


 だが、異世界は甘くなかった。


 パンが不味かった。


「……麦か」


「麦です」


 ミレーヌが答えた。


「パンやな」


「パンです」


「保存食もやな」


「保存食です」


「焼き菓子も絡むな」


「絡みます」


「小麦粉の流通もやな」


「流通です」


「窯もやな」


「窯です」


「職人もやな」


「職人です」


「また産業やんけ」


「はい」


 リリアーナは額へ手を当てた。


 黒スーツ姿の清司も刀を肩に担いだまま、もう片方の手で額を押さえている。


 国王はそれを見て、満足そうに葉巻をふかした。


「頼んだで」


「軽いな」


「期待しとる」


「重いな」


「どっちや」


「どっちもや」


 ミレーヌが黒革手帖を閉じた。


「清司さん。第3章の現場が決まりました」


「言い方」


「麦製品改善編です」


「タイトルみたいに言うな」


「仮です」


「仮でも嫌や」


 王妃が楽しそうに笑った。


「美味しいパン、楽しみにしてるわ」


 国王も頷く。


「ダンボールから卒業や」


「ほんま、めっちゃ言うやん」


 リリアーナは、王宮の窓の外を見た。


 遠くには、工場のある方角が見える。


 煙草の工場。


 そこで働く人々。


 動き始めた商い。


 そして、その先に待っている次の現場。


 葉巻と煙草が終われば、次はパン。


 嗜好品の次は、主食。


 恋愛フラグを現場復帰させていたはずが、今度は麦まで現場復帰させることになった。


 リリアーナが、ゆっくりと息を吐く。


「休ませる気ないやろ、この世界」


 黒スーツ姿の清司は、刀を肩に担いだまま窓の外を見ていた。

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― 新着の感想 ―
2章お疲れ様 どんどん登場人物が増えて、どんどん道が開けていく様子が読んでいて楽しい! 信長に新選組に平安? どこまで行くのかー恋愛はどこへ?(爆笑)
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