第39話 葉巻・煙草レセプションパーティー
葉巻と煙草の重要書類ファイルは守られた。
新選組は、何も奪えなかった。
商人たちは、全員生きて戻った。
肉も戻った。
そして、数日後。
王宮では、葉巻と煙草のレセプションパーティーが開かれていた。
目的は、他国へのお披露目である。
王都の貴族、商人ギルド、他国の大使、外交官、見るからに面倒くさそうな貴族、金の匂いに敏い者たちが、大広間へ集まっていた。
そして、会場はすでに煙で白かった。
「……モクモクやないか」
リリアーナが言った。
黒スーツ姿の清司は、刀を肩に担いだまま、来賓たちが次々に葉巻へ火をつける様子を見ている。
「あー吸いたいわぁ……」
リリアーナは、心の底から言った。
だが、今の体は煙に弱い。
バルドが静かに歩み寄り、酸素マスクを差し出した。
「姫様。酸素を」
「吸いたい言うた直後に酸素出されるん、情けなさすぎるやろ」
「必要です」
「せやな……」
リリアーナは諦めて、酸素マスクを顔へ当てた。
ふわふわの金髪。
白と淡い金のドレス。
光を受けて輝く宝石。
そして、酸素マスク。
王国の姫として正しい姿なのかは、誰にも分からなかった。
だが、来賓たちはまったく気にしていない。
葉巻や煙草を手に取り、火をつけ、香りを確かめ、楽しそうに煙を吐いている。
「うまい!」
「これはいい!」
「香りが深い!」
「食後に合うな!」
「贈答品にも向いている!」
この世界には、少し前まで葉巻も煙草も存在しなかった。
それなのに、誰も咳き込まない。
誰も倒れない。
全員、昔から吸っていたような顔をしている。
「なんで普通に吸えてんねん!」
リリアーナが酸素マスク越しに叫ぶと、ミレーヌが黒革手帖を開いた。
「体が強すぎますね」
「そこがチート能力なんかい!」
「異世界転生ものとしては、非常に地味です。ですが、注文には直結しています。記録ですので」
「嫌なチートやな!」
レイナが扇を閉じた。
「皆様、持ち場へ。お客様が増えておりますわ。総括ですので」
声は優雅だった。
だが、指示は早い。
ロイヤルフラグメントの七人は、元気よく返事をして一斉に散った。
「分かった!」
「僕、あっち行く!」
「人いっぱいだね!」
「楽しそう!」
「仕事やぞ!」
恋愛イベントではない。
完全に仕事である。
セシルの前には、すでに二十人ほどの列ができていた。
それでも、誰も苛立っていない。
セシルが一人ずつ顔を見て、にこにこと声をかけているからだった。
「初めて? じゃあ、これね。軽いよ。甘いのが好きならこっち。強いのが好きなら葉巻もあるけど、無理しなくていいからね。ちょっとずつ吸ってみよ」
「私は食後に楽しみたいのだが」
「じゃあ、木の匂いのやつ。あと、こっちもいいよ。スパイスがちょっと入ってるの。ごはんのあとに合うよ」
「甘い香りはあるかね」
「あるよ。ベリーね。いい匂いするよ。ほら、嗅いでみて」
笑う。
渡す。
見る。
下げる。
次へ流す。
手元を見て、表情を見て、吸い方を見て、好みを読む。
二十人を相手にしているのに、誰一人置いていかれていない。
「……あいつ、二十人同時に接客しとるぞ」
リリアーナが言った。
「神接客ですわ」
レイナは春の日差しのように笑った。
「恋愛イベントで使う能力ちゃうやろ」
「現場復帰ですわ」
「便利やな、その言葉」
セシルは、年配の貴族へ軽い煙草を差し出した。
「強いやつから始めなくていいよ。その人に合うのが一番だから」
「ほう。よく見ているのだな」
「見てるよ。目の前にいるもん。これ吸ったら、たぶん好きだよ」
貴族は煙草を受け取り、少しだけ目を細めた。
「……気に入った。十箱もらおう」
「やったぁ! ね、好きだったでしょ?」
「接客としては百点やな」
リリアーナが言うと、ミレーヌが手帖へ書き込んだ。
「恋愛イベントなら、少し距離が近すぎますね」
「せやな」
「ですが、売れました。記録ですので」
「現場では正解なんが腹立つな」
その横では、アレクシスが他国の貴族と話していた。
相手は眉間に皺を寄せ、最初から買う気がなさそうな顔をしている。
「我が国には、すでに上等な嗜好品がある」
「うん。知ってるよ」
アレクシスは、いつも通り美しく笑った。
薄い紫の光が、きらきらと髪の周りで揺れている。
「だから、競わなくていいんじゃない?」
「競わぬ?」
「うん。晩餐会のあとに、もう一個楽しいものが増えるだけ。箱を開けて、どれにしようかなって選ぶのも楽しいし、香りの話もできるよ」
「……語るための品ということか」
「そう。みんなで、これいいねって言えるやつ」
面倒くさそうだった貴族の目が、少しだけ動いた。
「贈答品にもなるか」
「なるよ。貴国の紋章なら、この色の箱が似合うと思う。絶対きれい」
「では、まず百箱」
「ありがとう!」
「早っ!」
リリアーナが酸素マスク越しに叫んだ。
「面倒くさい貴族、もう落ちたやんけ!」
「だって、似合うもの言っただけだよ」
アレクシスは、何が不思議なのか分からない顔で首を傾げた。
「外交です」
ミレーヌが記録する。
「美の圧力やろ」
「でも、あの方は笑っておりますわ」
レイナが言った。
「ほんまや」
アレクシスは、次に並んでいた大使へ手を振った。
「ねえ、見て。こっちの箱、かわいいよ。貴国にはこれがいいと思う」
「強く売り込まぬのか」
「うん。嫌なもの買っても嬉しくないでしょ? 好きなら買えばいいよ」
「……自信があるのだな」
「あるよ。いいものだから」
「では、継続注文の相談をしたい」
「いいよ! 一緒に決めよ」
リリアーナは、酸素マスク越しに目を細めた。
「セシルが人を集めて、アレクシスが国ごと落としとる」
「非常に効率的です」
ミレーヌが書き込む。
「乙女ゲームの攻略対象を営業導線に使うな」
「持ち場ですので」
「便利すぎるやろ、持ち場」
レオンは会場の端に立ち、天井へ向けて小さな光を上げていた。
赤。
青。
金。
星のような光が、煙の中でまたたく。
「あれ何や」
「補充の合図だよ。赤が葉巻、青がメンソール、金がきれいな箱」
「貴族用な」
「そう、それ」
「覚えとけ」
「分かった。金がきれいな箱」
「覚えてへんやんけ」
レオンは笑いながら、もう一度光を上げた。
「遠くでも見えるでしょ? 大声出さなくていいよ」
「命捨てるより、合図出せ言うたもんな」
「うん。覚えてるよ。リリアーナが言ったから」
「タメ口やのに仕事はできるな」
「どっちも僕だよ」
「それでええねんけどな」
ルシアンは、会場の温度を管理していた。
氷の魔法が天井近くを滑り、煙を外へ押し流す。
飲み物は冷え、来賓のいる場所だけが涼しく保たれていた。
「氷の翼は、煙を逃がす」
「普通に換気せぇ」
「してるよ。飲み物も冷やしたから、触ってみて」
「冷たっ」
「すごいでしょ」
「有能やんけ」
「氷は、使う場所が大事だから」
「前より賢なっとる」
「前から賢いよ」
「そういうことにしとこか」
エミールは、会場を走り回りながら人の流れを整えていた。
「こっちだよ! 初めて吸う人は右ね! もう買った人は奥! あっ、そこ止まったら後ろ詰まるよ。こっちこっち!」
人が詰まる前に道ができる。
席が足りなくなる前に椅子が増える。
注文用紙が溜まる前に、係の者が運んでいく。
「風の流れと、人の流れって似てるんだよ」
「ほんまに役立っとるな」
「スロープの時より上手でしょ?」
「根に持つな」
「だって、あの時いっぱい怒られたもん」
「危なかったからや」
「今は危なくないよ!」
「なら百点や」
「やった!」
褒められたエミールは、そのまま笑顔で人の波へ戻っていった。
エリオットは、入口付近で迷っている来賓たちへ大きく手を振っている。
「こっちだよ! 初めての人、みんなこっち! 一人で来てもいいし、友達と来てもいいよ!」
「我々も参加してよいのか」
「いいよ! みんなで試す会だから。ほら、並ぼ!」
「グループデートやんけ」
リリアーナが言うと、エリオットが振り返った。
「違うよ。みんな集めてるだけ!」
「同じことやろ」
「今は仕事だもん」
「仕事やったら有能なんよなぁ」
ノエルは救護係だった。
煙に当てられた来賓の一人が、椅子へ座り込む。
「少し、頭が……」
「ねえ、僕見て」
ノエルがすぐに前へ出た。
小さな手が淡く光り、柔らかな回復魔法が来賓を包む。
「大丈夫。すぐ楽になるよ。ゆっくり息してね」
「……おお。楽になった」
「ね? 僕見てよかったでしょ?」
ノエルは得意そうに笑った。
「救護係としては百点やな」
リリアーナが言うと、ミレーヌが記録した。
「恋愛イベントなら重いですね」
「せやな」
「ですが、救護としては完璧です。記録ですので」
「僕見て」
「もう見た」
「もう一回」
「仕事戻れ」
「はーい」
メガネ聖女は、試し吸いの反応を次々に確認していた。
「木とスパイスは、貴族男性に好評です。ナッツの甘みは食後向き。ベリー系メンソールは女性人気が強く、アップル・ミントは若い貴族層へ流れています」
「ええデータや」
スギナは、胸の前で両手を組んでいた。
「煙の中にも、愛と光が……」
「煙や」
「みんなを包む、愛と光の煙が……」
「包むな。外へ出せ」
アネイモが横で淡々と言った。
「暴走は抑えています」
「助かる」
「女性向けの箱は好評です」
「そこは認める」
「愛が形になった箱です」
「商品開発としては正解やけど、言い方が怖いねん」
シャーホムズは、試し吸い用の葉巻を巡って揉めている二人の間へ入っていた。
「こちらの葉巻は、そちらの方が先に手に取りました」
「証拠はあるのか」
「灰皿の位置、指についた灰、そして目撃証言です」
「そこまで見るんか」
「真実に大小はありません」
「小さい揉め事任せて正解やったわ」
ワトゾンは、その横で注文記録を清書していた。
「国名、注文数、品目、贈答用、一般販売用、すべて分けてあります」
「できる助手やな」
「ありがとうございます」
ミレーヌが、少しだけワトゾンの手元を見た。
「やはり、少しキャラが被っていませんか」
「いや、お前とは違う」
「……あっ、たしかに」
「相棒ですから」
「そこは譲らんのやな」
「はい」
ネツゾウは試し吸いの感想をまとめていた。
「メンソールは女性向け。ただし、男性にも一定の需要があります。葉巻は贈答用が強く、貴族用の箱は外交向きです」
「捏造してへんやろな」
「していません」
「もう聞くの挨拶みたいになってきたな」
「信頼回復中ですので」
「長いな」
「信用は、一日では戻りません」
「そこだけ妙にまともやな」
ゲンコワは、不審な注文用紙を二枚持ってきた。
「同じ名前で、大量注文が二件あります」
「詰めるか」
「証拠ありで詰めます」
「成長しとる」
「まず、本人へ確認します」
「もう怖くないやん」
「怖くない詰め方も覚えました」
「その言葉はちょっと怖いな」
シュドケンは、重要書類と契約書を保管する部屋の前に立っている。
「ここは通しません」
「もう絶対通したらあかんからな」
「ファイルは守ります」
「頼む」
「肉は」
「肉は商人に返した」
「では、ファイルだけ守ります」
「最初からそれでええ」
イレギュラーは、会場の外から戻ってきた。
「変な噂はある。でも今日は、ここまで近づけてない」
「新選組は」
「今回は見てない」
「今回は、な」
「次は分からない」
「分かっとる」
「でも来たら、すぐ言う」
「頼むで」
リキュウは、積み上がった注文用紙の山を見ていた。
本当に、山だった。
「姫様」
「なんや」
「注文が殺到しております」
「捌けるか」
「捌けます」
リキュウは、いつもの商人の笑みを浮かべた。
「人がいますので」
その言葉に、リリアーナは会場の外へ目を向けた。
貧民街の工場から来た者たちが、次々に箱を運んでいる。
手は早い。
動きもいい。
最初は痩せていた顔に、少しずつ力が戻っていた。
働いている。
食べられている。
だから、動ける。
だから、声が出る。
「補充、こっちです!」
「貴族用の箱、あと五十!」
「ベリー系、追加!」
「葉巻の木とスパイス、出ます!」
「倉庫から運びます!」
声が飛ぶ。
箱が動く。
注文が積まれる。
それでも、現場は止まらない。
「……回っとるな」
リリアーナが言った。
「はい」
ミレーヌが黒革手帖を開いたまま、会場を見渡した。
「全員が、自分の持ち場で動いております。記録ですので」
モビーズは、案内、補充、検品、箱詰め、注文整理に走っていた。
元モブたちが、会場の流れを支えている。
誰かの背景だった者たちが、今は現場の真ん中で動いていた。
レイナが全体を見渡し、扇でセシルの方を示した。
「セシル様、軽い煙草の列を右へ。そちらの方が広いですわ」
「分かった!」
「アレクシス様、他国向けの注文が増えすぎておりますわ。笑っている場合ではありません」
「だって、きれいだよ」
「美しいだけでは処理できませんわ。注文用紙へご記入ください。総括ですので」
「レイナ、現実的だね」
「仕事ですので」
リリアーナは、酸素マスク越しに会場を見ていた。
王子。
公爵。
貴族。
探偵。
助手。
聖女。
元モブ。
商人。
貧民街の者たち。
誰も、姫へ愛を囁いていない。
誰も、階段で花を落としていない。
誰も、噴水前で泣いていない。
煙の中で、全員が働いている。
黒スーツ姿の清司は、刀を肩に担いだまま、その光景を見ていた。
煙の向こうで、人が笑っている。
箱を運ぶ者がいる。
注文を取る者がいる。
助ける者がいる。
守る者がいる。
誰一人、背景ではなかった。
「……ええやん」
リリアーナが言った。
ミレーヌは黒革手帖へ、ゆっくりと書き始めた。
「葉巻・煙草レセプションパーティー。他国向けお披露目。試し吸い多数。注文殺到。現場、正常稼働。記録ですので」
「正常か?」
リリアーナは、酸素マスク越しに会場を見回した。
煙。
煙。
煙。
楽しそうに吸う来賓たち。
「正常か?」
「売上としては正常です」
「乙女ゲームとしては?」
「かなり異常です」
「せやろな」
その頃には、注文用紙がさらに増えていた。
「貴族用、追加!」
「庶民用も欲しいそうです!」
「他国向け、継続注文!」
「贈答用、百箱追加!」
「ベリー系、まとめて入ります!」
「葉巻、晩餐会用で予約入りました!」
レイナが、ぱちんと扇を閉じた。
「成功ですわ」
春の日差しのような笑顔だった。
「皆様、お見事でしたわ。総括ですので」
リキュウが深く頭を下げた。
「大成功でございます」
セシルの列は、まだ途切れない。
アレクシスの前には、面倒くさそうな貴族がまた一人並んでいる。
ノエルは、煙に当てられた来賓へ「僕見て」と言っている。
レオンの光が上がる。
ルシアンの氷が空気を流す。
エミールが人を流す。
エリオットが人を集める。
モビーズが走る。
セイントミステリアの者たちが、記録し、守り、整える。
貧民街の工場の者たちが、次々に箱を運ぶ。
全員が動いている。
全員が、自分の持ち場にいる。
そして、葉巻と煙草は売れた。
売れすぎた。
その日のうちに追加発注が入り、王都だけでは足りなくなった。
港へ流す。
他国へ運ぶ。
貴族用も、庶民用も作る。
貧民街の工場には、すぐに次の仕事が回った。
働く者たちは、さらに忙しくなった。
けれど、顔は暗くなかった。
食べられる。
金が入る。
明日も仕事がある。
その当たり前が、少しずつ街を変えていく。
何もなかった場所に、工場ができた。
仕事が生まれた。
誰かに使い捨てられていた者たちが、必要だと言われるようになった。
恋愛のためだけに生まれた王子たちは、人を助ける仕事を覚えた。
背景にいた者たちは、自分の名前で呼ばれるようになった。
国は、まだ完成していない。
敵もいる。
海の向こうでは、次の影が動いている。
それでも。
今日、この場所では。
誰も死ななかった。
誰も捨てられなかった。
全員に、立つ場所があった。
「姫様」
パーティーが終わりに近づいた頃、リキュウが静かに歩み寄ってきた。
「なんや」
「ご紹介したい方々がおります」
「今度はファイル持ち出してへんやろな」
「持ち出しておりません」
「ほんまやな」
「はい」
リキュウは、いつもの商人の笑みを浮かべた。
「葉巻と煙草を、さらに遠くへ運ぶのであれば、海の道が必要になります」
リリアーナの目が、わずかに動いた。
「海」
「はい」
リキュウは、会場の向こうへ視線を向けた。
「少々、癖の強い方々ですが」
「嫌な予感しかせぇへん」
「商いには、必要な縁でございます」
「誰や」
リキュウは、静かに頭を下げた。
「次に、ご紹介いたします」
煙の向こう。
開け放たれた扉の外。
夜の空気に、ほんの少しだけ潮の匂いが混ざった。
葉巻と煙草は、王都を越えようとしている。
リリアーナが拾い上げた者たちの仕事も。
生きる場所も。
もう、この国だけには収まらない。
誰かの物語の背景だった者たちが。
今度は、自分たちの手で世界を動かそうとしていた。




