第4話 騎士レオン
エリオット王子と父王が部屋を出ると、侍女たちは揃って目を潤ませた。
「姫様……エリオット殿下のお身まで案じられるなんて、なんとお優しい……」
「優しさちゃう」
清司は寝台の背もたれへ体を預け、額を押さえた。
目を覚ましたら、知らない国の姫になっていた。
王子は急に距離を詰めてきて、守るだの未来の約束だの言い出す。父親の王まで妙に軽い。
「なんやねん、この世界観」
「姫様?」
「恋愛しとる場合ちゃうやろ。まず政治や」
侍女たちが顔を見合わせた。
王族が何人いて、誰が政治を動かしているのか。貴族同士の力関係や国の財政、周辺国との関係、兵の数も指揮系統も分からない。
何も知らないまま、男の顔を見てきらきらしている場合ではなかった。
「この国のことが分かるもん、持ってきてくれ」
「この国のことでございますか?」
「あぁ。王族と貴族の名前、王宮の役職、兵の配置、最近起きた事件、財政、周りの国との関係も知りたい」
「ですが、姫様のお身体が……」
「倒れん程度にする」
侍女たちは戸惑いながら顔を見合わせ、一人が部屋を出ていった。
清司は自分の手を見下ろした。白く細い指には、刀を握っていた頃の硬さも、誰かを殴った痕もない。
少し話しただけで息が上がり、立ち上がろうと腰を浮かせただけで足に力が入らなかった。
「弱すぎるやろ」
「姫様は長くお眠りでしたので……」
「鍛えなあかんな」
「鍛えるのでございますか?」
「この体や。せめて走れるようにはしときたい」
「姫様がお走りに……?」
「人間やったら走るやろ」
侍女たちは、信じられないものを見るように清司を見つめた。
どうやら王女は走らないらしい。
清司がこの世界の常識を問いただそうとしたところで、扉が叩かれた。
「失礼します。姫様」
扉が開き、銀色の髪を整えた青年が薄い封筒を手に入ってきた。
涼しげな目元に穏やかな笑みを浮かべ、隙のない王宮服を身につけている。いかにも何かありそうな男だった。
清司の横に立つ黒スーツ姿の清司が、すぐに日本刀を構えた。
清司は少し待った。
だが、あのうるさい説明は始まらない。
「こいつはちゃうんか」
「何かおっしゃいましたか?」
「なんでもない」
青年は一定の距離を保ったまま一礼し、清司へ封筒を差し出した。
「陛下から、こちらを預かっております」
「あぁ」
「国のことをお知りになりたいと伺いました」
「せや。名前は?」
「セドリックです。お忘れになられましたか?」
「あぁ」
「そうですか」
セドリックは表情を崩さず、穏やかに微笑んだ。
窓から差し込んだ光が銀色の髪を照らし、整った顔を意味ありげにきらきらと輝かせている。
清司は一度だけセドリックを見た。
距離を詰めてくるわけでもない。
勝手に手を握るわけでもない。
未来の約束もしてこない。
距離感はバグってへんな。
ほな、ええか。
横では黒スーツ姿の清司が、まだ刀を構えていた。
「もうええ」
清司が小さく言うと、黒スーツ姿の清司は刀を肩へ担いだ。
「姫様?」
「気にすんな」
清司は封筒を受け取り、中の紙を開いた。
『国のことが知りたいなら、王宮の書庫を自由に使え』
『午後から案内できる者を向かわせる』
『読みたいだけ読め』
『ただし、倒れたら侍女に止めさせる』
『追伸』
『エリオットは昔から、ちょっと重い。気にすんな』
清司は最後の一文を見つめた。
「気にすんなで済ますな」
「陛下は何と?」
「エリオットは昔から重いって書いとる」
「皆様、ご存じです」
「誰か止めたれや」
「悪気はありませんので」
「悪気なかったら何してもええわけちゃうぞ」
セドリックは意味ありげに微笑んだ。
また銀髪がきらきらしている。
清司はその演出を無視して、手紙を畳んだ。
「書庫はどこや?」
「午後になりましたら、私がご案内します」
「今からでええ」
「姫様のお身体では、まだ歩けません」
「せやったな」
「まずはお食事を召し上がり、少しお休みください」
「分かった」
あまりに正論だったため、清司は素直に引き下がった。
その時、廊下から勢いのある足音が近づいてきた。
「リリアーナ!」
扉が大きく開き、金髪の青年が部屋へ飛び込んできた。
腰には剣を下げているが、騎士らしい落ち着きはどこにもない。
説明しよう!
レオン・グランツ。
乙女ゲーム『ロイヤルフラグメント』に登場する攻略対象の一人であり、明るさと忠誠心が取り柄の若き騎士なのである!
「こいつは入るんかい」
「リリアーナ! 目ぇ覚ましてくれて本当によかった!」
レオンは清司の言葉を聞くことなく寝台へ駆け寄ると、その場に膝をついた。
「あぁ」
「もう二度と危ない目には遭わせないからね!」
「近い」
「俺、リリアーナのためならこの命捧げちゃうよ!」
「簡単に命捧げんな」
清司の横で、黒スーツ姿の清司が日本刀を振り下ろした。
刀はレオンの頭をすり抜けた。
もう一度振り下ろし、今度は横から薙ぐ。それでも何も起きない。
黒スーツ姿の清司は刀を構え直し、下から斬り上げた。
やはり、すり抜けた。
「効かんか」
「何が?」
「おまえは気にすんな」
「分かった!」
「返事だけはええな」
レオンは嬉しそうに笑い、清司の手を両手で包んだ。
「俺、本当に心配したんだよ。リリアーナが目を覚まさなかったら、俺も生きてる意味ないって思ってた!」
「勝手に俺をおまえの生きる理由にすんな」
「え?」
「俺のため言うんやったら、勝手に死ぬな。命捨てるんは忠誠ちゃうぞ。生きて戻ってきて、最後まで仕事するんが忠誠や」
レオンが目を見開き、部屋の中が静かになった。
「リリアーナ……」
「なんや」
「俺、絶対に生きるよ!」
「最初からそうせえ」
「リリアーナのために!」
「自分のためにも生きろ」
「リリアーナ……!」
レオンの目から、大粒の涙がこぼれた。
「なんで泣くねん」
「姫様……」
侍女の一人が鼻をすすり、隣の侍女も目元を押さえた。
「姫様は、ご自分がお苦しい時にも皆様の命を……」
「ちゃう」
「なんとお優しい……」
「優しさの話してへん」
レオンは清司の手を握ったまま泣き、侍女たちは肩を寄せ合って涙を流している。
セドリックまで静かに顔を背け、目頭を押さえた。
「おまえもか」
「いえ。少し、光が眩しくて」
「銀髪が一番きらきらしとったぞ」
清司は、泣いている全員を見回した。
「涙腺どないなってんねん」




